[投稿]学生時代に「慰安婦問題」に初めてふれたときの衝撃を思い起こすきっかけを与えてくれた集い
−−「12.9ハルモニたちの映画と証言を見て 聞いて 語り合う会」に参加して

 私が最初に「従軍慰安婦」にふれたのは大学生だった。日本軍の蛮行を暴露するということで南京大虐殺を調べる中で書かれていた数行の中身が余りにも衝撃的で、そのころの自分と変わらない少女が・・・こんなことってあるのかと頭をめぐり、数日間ショックで頭から離れなかった。結局その問題を深く掘り下げる勇気はなかった。その後、教科書問題や民間基金問題、裁判提訴や判決とそれなりに10年毎に(思い出したころにとでもいうか)主体的にというより「参加」の域をこえることなくかかわり、また種々の本が出版されても開く勇気はでなかった。

 昨年からこの署名事務局のホームページで紹介されていた「戦争と女性人権博物館」建設へのカンパ呼び掛けからまたこの問題に呼びよせられた。12月9日に署名事務局主催で行われた「ハルモニたちの映画と証言を見て 聞いて 語り合う会」は正直、参加についてはいままで企画には参加してきたが主体的にとはとてもいえない関わりだったし、この先自分がこの問題にどう取り組むのかといった答えもでていた状態ではなかった為かなり躊躇しながらの勇気振り絞っての参加だった。しかし、会はそんなわたしの思いを払拭してくれた。長年取り組んでこられた方のそれそれの時期のエピソードをはさんでの報告はリアルにそしてハルモニを心底思う温かさで生きた資料となってわたしの脳裏から「慰安婦問題」を呼び起こしてくれた。わたしは映画見ている間、ずっと涙があふれて仕方なかったのだが、その涙は何故かわからなかった。

 11月19日の証言集会でも会場参加者からの意見「証言を聞いた時は何かしなければと思うがその後は忘れてしまう」というハルモニの言葉。宋さんのあんな酷い仕打ちを日本から受けながらも「戦争はやっちゃいけない」「子ども達に同じようにことを起こしてはいけない」と被害者という域をこえて闘う真っ直ぐなよごれのない純粋な心にうたれたこと。そして、一人一人の人生投げ打って身を粉にしてハルモニがおこなっているが、この問題は私たち日本人一人一人に突きつけられた問題なのだということ。日頃、日本政府に対して行われている反戦平和運動。私たちはこの問題を置き去りにしていなかったか?常にこの問題を忘れることなく、日本政府が闇へと葬り去ろうとしているこの問題は何も解決していないということを常に頭に置き、周りの人々に伝え、日本政府の血も涙もない、戦後処理が終わったかのように消し去ろうとする事実を何度も何度も掘り返すことでこの問題は終わっていない、この問題をないがしろにして前にすすむことはできないことを政府に突きつけていくことが必要だということを改めて思いかえすことかできた。

 なかなかこの問題に向き合うことができなかったわたしですが、きっと何かあるのではと思える会でした。司会者の方からall or nothingではなく機会あるごとに参加していることも継続と言うという言葉に勇気頂きました。まずは博物館建設にたどりつけるように、また映画に誘うことから初めてみよう〜と。
2007.12.29. (A)


(この感想は、昨年の12月9日に署名事務局が開催した「語り合う会」の直後に書かれたそうですが、長い間投稿するのを躊躇していたそうです。1月27日の映画会『アリランのうた−オキナワからの証言−』に参加し、できるところから始めようと思いはじめ、投稿して下さいました。署名事務局としても共に学びながら、この問題について少しづつ前進していきたいと思います。N)