[投稿]目取真俊さんの講演会に参加して

 12月2日(日)、「子どもたちに渡すな!あぶない教科書大阪の会」主催の、目取真俊さんの講演会に出かける。
 日常から関心を払ってこなかった人間にとって、沖縄の問題というのは、沖縄の人の怒りによって突然知らされることが多い。12年前もそうだった。教科書から、沖縄集団自決に日本軍の関与がなかったかのような記載にされたと知ったとき、私はこの問題で11万人もの人々が結集するとはゆめにも思わなかった。
 9月29日の県民集会では11万人もの人が参加した。「復帰」後最大の県民集会といわれる。自民党の議員も参加し、県知事も本人は乗り気でなかっただろうが、周囲に押されて渋々参加した。このような幅広い団体・個人が参加した集会というのは、ちょっと本土では考えられない。たくさんの人が集っている写真を見るだけでも圧倒される。実際の「集団自決」からの生き証人が辛い体験を語ったとき、その場にある怒りの渦がひしひしと伝わってきた。
 日本軍性奴隷の問題がすべての教科書から削除されたとき日本国内の少なくともマスコミレベルではほとんど問題にされなかったこともあって、この問題についてもどこかさめた気持ちで「眺めて」いた。「たかが教科書」の問題で、世間が大騒ぎするわけないと。つくる会教科書の採択問題の度にあたふたし抗議行動に身を投じながらも、世間の関心がなかなかそこに向かないことに歯軋りしていた人間としては、それは実感でもあった。(いや、やはり「たかが沖縄」で、世間もマスコミも大騒ぎしなかったというべきか。ただし、本土の!)
 加害者と被害者の感情が全く違うということに愚かにも気づかない。私もやはりヤマトの一員にすぎなかったということだろう。
 12年前沖縄に行き自己批判したはずなのに、やはりまた私は同じ愚を繰り返すのだ。
 目取間俊は、小説家としてもオピニオンリーダーとしても大好きな作家だ。そこを両立している作家はあまりいない。(大好きな辺見庸にしても、また池澤夏樹にしても、小説はそれほど面白いとは思わない。)特にオピニオンリーダーとしての目取間俊は、常に原則論で、沖縄の目線からヤマトの人間の心を抉る。
 集団自決に日本軍の関与がなかったかのような主張がどうして沖縄の人にとって我慢がならないのか、実際に目取間さんの顔を見て声を聴かないと伝わりにくいこともある。日本軍による住民虐殺も「集団自決」も、差別も、壕追い出し、食料強奪、暴行、強姦も……半世紀だった現在も3世代にわたって語り継がれる「日常」なのだ。「軍隊が住民を守らない」ということを身にしみて分かっているし、軍隊は国家の暴力装置でしかないという本質を見抜いている。
 会場から女性が「お金のためにウソをついているという証言があって真実が分からなくなった」という質問があった。目取真さんは「連中の本ばかりでなくたくさんの本を読んでください」と言っていたが、果たしてそれで足りるのかと思う。
 連中とは、藤岡信勝や小林よしのりのことだ。 連中は「集団自決に軍の関与はなかった」と主張する。「自決」の手段の多くは手榴弾で、それは日本軍から渡されたものであったが、「慈悲による配布」「善意の関与」などと嘯く。
 沖縄のリアリティからは「ばかな」の一言で済むことでも、現実には藤岡や小林の言うことに踊らされる人がいる。そこにいったん関心を持った人が連中の詐術を見抜くのは、私にはそれほど容易ではないようにすら思える。それは沖縄とヤマトとの温度差そのものだ。

 豪雨と艦砲射撃の嵐の中を逃げまどい、「死して虜囚の辱めを受けず」の教えのもと、家族が寄り添って日本軍から支給された手榴弾のピンを抜く。が、粗雑な手榴弾は爆発しない。仕方がなく力の強い男どもが、幼い子どもを、妻を、おじいやおばあを殺す。鎌を持っている者は鎌で、カミソリを持っている者はカミソリで、何も持たない者は石や棍棒で、あるいは素手で。最後は自らを殺そうとするが、他人を殺すほど簡単には自ら死ねない。鎌をクビにかけても傷は浅く、木に縄を吊しても自らのクビをかけ体重をかけるのは勇気がいる。「集団自決」とは、勇ましいものでもなければ、美談でもない。我が子に「この世に生んですまなかった」と謝罪しながら殺すことなど、どうして出来よう。――そんなことが支配者である日本軍の命令・強要・教唆なしに、どうしてできよう。

 「集団自決」の生き残りの1人は、県民集会でこう証言者した。
 手榴弾が爆発せずまさに我が手による「集団自決」が始まろうとした瞬間、おばあがウチナーグチで叱咤した。
 「死ぬことはいつでも出来る。生きているうちは生きようとしなくてはダメだ!」
 その証言者はおばあの一言で命を救われた。証言者の父親や兄たちは、殺人者となることから救われた。
 その証言者は幸運にも生き延びた子どもだが、「集団自決」から生き延びた多くは、我が子や我が妻を自らの手で殺しながら、自らを殺すことの出来なかった人々だ。よっぽどのことがなければ名乗り出たり、証言できるはずがない。

 「集団自決」に軍の関与があったことは数々の証言や研究が明らかにしている。
 サイパンなどと同様、捕虜となることを禁じて「玉砕」を指示していたこと。敵の手に落ちたときは(自らが中国大陸で実行していたように)「男は八つ裂きにされ女は強姦される」と教えていたこと、陣地構築などに携わっていた住民が敵の捕虜となり機密が漏れることを怖れていたことなど、様々な要因が絡み合っていた。
 なによりも日本軍のいるところでしか「集団自決」が起こっていない事実が、日本軍の関与を雄弁に物語っている。
 藤岡信勝らも自らのウソを「研究」と呼ぶならそれも勝手だが、沖縄のリアリティがそれを許さないだろう。

 問題は沖縄のリアリティをヤマトの人間がどう獲得するか、ウチナーンチュとヤマトンチュの温度差をどう埋めるか、だ。
 それなりに意識的にしていたつもりでも、目取間さんも指摘するとおり、「すぐ忘れる」。なんどもなんどもこうでは、我々ヤマトンチュは、あるいはイルボンサラムと言い換えてみてもよいが――本当に救いようがない。いつまで私たちは加害者の立場に甘んじていればよいのか。
 自己批判なしに、目取真俊さんの講演を聴くことは出来ない。
 今日自己批判した私が、またさらに12年後に「すぐ忘れて」自己批判しなければならないような事態は避けたい。目取真さんの発言を、沖縄の熱を、深く深く心に刻み込みた
い。

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 今回の、教科書から「集団自決」に軍の関与がなかったかのような記述に変える動きは、米軍再編と基地機能強化、そして憲法から9条を削除し再び戦争の出来る国家にしようとする動きに直結している。
 自明のことではあるのだが、しかし私はこの観点を結構意識から落としていたことに気付かされた。
 連中が3点セットと呼び、歴史から抹殺したくて仕方がないのが「南京虐殺」「慰安婦」そして「集団自決」だ。
 いわゆる「慰安婦」=日本軍制奴隷も、連中は存在そのものは一応認めている。ただそれが商行為(売春婦)と主張し、軍の関与を否定することに意義がある。
 「集団自決」も連中はなかったとは言っていない。そこに軍の関与がなかったと主張しているのだ。
 過去の戦争から旧軍の汚点を消し去り、旧軍を名誉回復し、輝かしい自衛軍=日本軍の復帰を目指している。
 動機は単なる歴史改竄ではない。新たな戦争体制が目的であり、米軍と共に第2第3のイラク戦争を遂行したくて仕方がないのだ。

 沖縄では現在自衛隊が日々増強されている。米海兵隊のグアム移転が決まっているが、それによって損なわれる防衛力を補完するという名分の下に自衛隊を増強しているというのだ。(沖縄の負担軽減はどこへ行った?) 
 台湾海峡有事を想定し、中国を仮想敵国として、島嶼防衛訓練、日米軍事演習が行われている。
 現在の経済的依存関係が続く中で、日本にとってもアメリカにとっても中国が敵になる状況などちょっと想像できないが、アメリカの軍産複合体が独り歩きする状況をこの間嫌になるほど見てきた。
 戦争をするためには、旧軍の名誉を回復しなければならない。自軍が他民族を虐殺・強姦したり、性奴隷を前線に連れて歩いたり、住民を守らないようなイメージがあれば、戦争どころではない。自国の軍隊は、常に正しく、神聖でなければならない。

 文科省・教科書調査官の実に半数以上もが、伊藤隆東大名誉教授の教え子だという。伊藤隆とは「新しい歴史教科書をつくる会」理事であり、つくる会が作った扶桑社教科書の監修者でもある。本来政治的に中立であるはずの教科書調査官だが、このような思想的に偏った、しかも特定の教科書との利害関係にある人物の教え子に占められていると聞いて、ぞっとした。伊藤と文科省にどのような利害関係があれば、このような人事が可能なのか?! 右翼は権力と結託し、歴史を改竄しようとしている。

 右翼から左翼まで幅広い人を結集した9・29県民大会について目取真さんは、成果と意義を高く評価しながらも、それゆえ「検定意見撤回」の一点しか主張できずそれ以上の深まりを見せることが出来なかったと批判する。本来であれば、米軍再編と基地機能強化反対、安保体制反対を言わなければおかしいし、そうしなければならないと。 鋭いなと思う。 
 現に沖縄県知事は教科書検定問題を、辺野古問題「解決」の取引材料に使うかもしれないとのこと。確かにこの問題は沖縄の基地問題を粉砕してしかるべきで、取引材料として利用されたのでは元も子もない。
 しかしこういう批判は沖縄に住む目取真さんだから言えることで、ヤマトに住む私たちが口にすると、たちまちその批判はブーメランのように我が身に跳ね返ってくる。そんな批判を口に出来るほど私たちの社会は成熟していない。
 温度差! とにかく温度差を埋めることだ。

(2007年12月5日 おーたからん)