[投稿]喜びと怒りと(在韓被爆者新手帳裁判)

 11月15日(木)10時半から大阪地裁806法廷にて、在韓被爆者新手帳裁判第8回公判が行われた。
 第7回法廷は9月25日に行われたが、私はどうしても仕事の休みが取れずお休み。この間この裁判も大きな進行があったのだが、在韓被爆者問題を巡る問題も大きく動いていた。まさに激震と呼ぶに相応しい出来事が!

 10月31日、広島三菱徴用工裁判が最終的に勝利した。最高裁は海外に住む被爆者への手当支給を認めなかった旧厚生省の402号通達を「国家賠償法上の違法がある」とし、国に計4800万円の支払いを命じた広島高裁判決を支持。原告、被告双方の上告を棄却し、国の敗訴が確定したのだ。

 判決文の一部を引用する。
 「原告らが、402号通達の失権取扱いの定めが廃止される前に、上記の通り、被爆者手帳の交付や健康管理手当の支給認定の申請をせず、あるいは、支給認定を受けた期間が満了した後に再び健康管理手当の支給認定の申請をしなかった理由は、来日が困難であったからではなく、失権取り扱いを定めた402号通達が存在していたからであった。仮に402号通達がなければ、原告らは、もっと早い時期に上記申請手続きを執っていたものであり、そして、その申請は認められるべきものであった。」
 402号通達の犯罪性を暴く、これ以上の言葉はない。

 判決はとてつもなく画期的なものである。援護行政をめぐる被爆者の訴訟で国家賠償を最高裁が認めたのはもちろん初めて。そればかりか、行政通達を違法とし賠償を命じる司法判断としても確定されたものとしては初めてなのだ!
 この判決を受け、桝添厚労大臣は国会の場で謝罪した。在外被爆者に対する援護行政を巡る国の犯罪性は、確定され、もはや誰も否定の出来ない事実となった。
 旧三菱重工業に強制連行され、被爆させられ、戦後半世紀も放置された46人の原告とその背後にいる大勢の犠牲者の「恨」が、国家賠償という分厚い壁に風穴を開けたのである。

 加えて、自公与党が被爆者援護法の「来日要件」(第2条が決して「来日要件」だとは思わないが)を撤廃する改正案を、今国会に提案する方針を固めた。原爆症認定裁判で敗北したことを受け、安倍政権下で被爆認定基準緩和のPTが設置された。そこで在外被爆者の問題が抱き合わせとなったのだ。(これには公明党が大きな役割を果たした。)
 これに対抗するように民主党も同様に、被爆者援護法の改正に向けて論議を急ピッチで進めているらしい。この法改正が実現すれば、今回の裁判で訴えていることは基本的には実現されることとなる。
 日本国内外の被爆者の恨みと熱意と運動、裁判闘争が、政治を動かした結果だ。

 今回の法廷ももちろん、この状況の変化を踏まえたものとなった。
 この裁判でも402号通達の違法性による国家賠償を求めている。同じ訴えが広島三菱徴用工裁判で、しかも最高裁の判断で認めたのだから、この裁判でも認められて当然である。
 法廷で永嶋弁護士は国側弁護士に対して、402号通達の違法性に関する国家賠償請求について「認諾」を求めた。これに対し国側弁護士は、最高裁判決を検討してからという前提付きで、「いずれにせよ認諾はしないつもりだ」という返答をした。どうやら事案が違うということらしい。
 ……事案が違う?!
 なにをどう主張すればそれが通用するのか、想像もつかない。相も変わらず詭弁を弄するつもりなのだろう。最高裁で出された決定を認めないなどというのは、行政の取る態度として、不誠実の極みだ。哄笑しいやら腹立たしいやら!!!

 さて先の法廷で「被爆確認証発行の際、何をどのように調査したのか」、その調査嘱託が採用された。裁判所の権限で、広島市にその資料の提出を命令したのだ。
 永嶋弁護士曰く「国がこの資料を出させたくなかったのがよく分かる」。
 聞き取り調査の結果を記している「審査票」には、例えばカンさん家族の氏名欄は連名となっており、その連名の中で高齢病弱のために渡日出来なかった年配の母親だけが手帳が発行されなかった。
 またキム・ジェソンさんは1人での申請となった。やはり渡日出来なかったのだが、住民票と戸籍で確認を済ませ、被爆確認証が発行された。
 被爆者を認定するのに、実務的に何ら妨げるものはなく、国の主張は空論であることが明らかとなった。
 ましてやその調査では、渡日出来なかった被爆者に被爆確認証を発行するに際し、こういう文言で結論づけているのだ。
 「よって法1号該当と認む」
 法1号該当とは、被爆者援護法上の「被爆者」であるということだ。
 広島市の「現場」は原告らを「被爆者」と認めているにもかかわらず、国は被爆者手帳を発行させず、援護を阻んできたのだ。
 渡日しようがしまいが、原告らは紛れもない「被爆者」なのだということは明らかだ!

 今後の裁判の焦点は、最高裁判決を受けての論点整理と(それでも国側の主張は大幅に後退せざるを得ないだろう)、実務的に被爆者認定を妨げるものは存在するのか否かということになるのか。調査嘱託を受けての原告の主張は次回だが、国の主張する机上の空論はこれで論破されたのではないだろうか。素人の私にはこの裁判があとどのくらい続くのか分からないが、そんなには長くないだろう。いよいよ大詰めだ。

 この裁判に毎回老体を押して来てくださる郭貴勲さんは、政治情勢を受けて、この間積極的なロビー活動などを繰り広げた。郭さんだけではない。地球の真裏にあるブラジルからも、アメリカからも、在外被爆者が駆けつけ、自公・民主などの国会議員に、被爆者援護法の適用とさらなる援護の充実を訴えた。特にかさむ医療費をどう援護するかは、重要な課題だ。
 この時の体験を郭さんは楽しそうに話されたが、被爆者達の身体的疲労を思えば心が痛む。
 この間被爆者援護を巡る政治状況は大きく動いたが、何故今なのか、何故今になってか、それを思うと悔しくてならない。
 原爆が落とされてから62年、多くの被爆者が無念の中で命を落としていった。朝鮮半島に住む朝鮮人被爆者、ブラジルやアメリカに移民して援護を受けられなかった日本人被爆者、日本に住んでいても被爆者として認定されることなく死んでいった被爆者……これまでほとんどの被爆者が闘病と貧困と高齢のなかで命を落としていった。
 その無念を思えば、今日の政治状況さえ「遅きに失した」と腹立ちを覚える。多くの被爆者の血のにじむような闘争の成果に脱帽するのと、それに敵対する国に苛立ちと怒りをを覚えるのは、――つまり喜びと怒りとが同居することがあるなんて、思いもよらなかった。

 広島三菱徴用工の勝利を受けた原告達は、皆一様に喜び半分だったという。62年の苦痛の代償がたった120万円でしかないという事。そして裁判を闘ってきた12年間に半数以上の原告が命を落とし、そしてそれまでも被爆者が次々と亡くなっていっているという事実。
 郭貴勲さんが語った言葉が重い。

 「私たちには時間がありません」

 仮に、自公与党と民主党の政争としてこの問題が取り扱われ、衆参逆転の状況の中で、結果として、法改正と援護拡大が実現しなかったようなことにでもなれば、これほど被爆者の思いを愚弄するものはない。

 次回は12月27日(木)4時半から、大阪地裁806号法廷にて。

(2007年11月18日 おーたからん)