6月21日「つながるコンサート」に、ぜひ!

 私はこの「つながるコンサート」の実行委員会の一員として、現在コンサートの成功に向けて準備を進めています。ここでは出演されるアーティストを紹介し、また私たちのこのコンサートに込めた思いをお知らせしたいと思います。

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 在日コリアン二世の歌手、李政美(い・ぢょんみ)さんは、韓国の「ナヌムの家」を何度も訪問するなど、日本軍性奴隷の被害者のハルモニたちと交流があり、昨年は東京で「ナヌムの家支援コンサート」を成功させました。今回の「つながるコンサート」は、大阪の李政美ファンを中心に、日本軍性奴隷問題を告発する映画「オレの心は負けてない」を見たり、被害者の証言を聞いた人たちの中で、「被害者たちのために自分たちも何かしたい」という気運が高まり、これが李政美さんの思いとも重なって、実現に向け動き出したものです。
 李政美さんは、東京・葛飾出身で、国立音楽大学でオペラ歌手を目指したが、自分の歌いたい歌とは違うと感じるようになり、朝鮮民謡やフォークソング等を歌うようになりました。学生時代から、韓国の政治犯救援の運動に関わり、集会などでも歌っていました。その後一時音楽から離れましたが、約10年前から音楽活動を再開し、全国各地でコンサートを続けています。関東大震災で虐殺された朝鮮人、秋田県花岡で虐殺された中国人強制連行被害者、韓国・済州島での4・3事件の犠牲者などの慰霊祭には、毎年のように招かれ歌っています。
 彼女の歌には、“在日”としての自らのアイデンティティが色濃く反映されています。アリランなどの民謡、韓国のフォークソングの他、韓国の詩に自作の曲をつけた歌もあり、朝鮮語で歌う歌がたくさんあります。打楽器のチャングを叩きながら歌う姿はとても印象的です。しかしこれらに限らず、日本語で歌う歌にもその個性は表れます。テーマソングとも言える『京成線』には、関東大震災時の朝鮮人虐殺がさりげなく織り込まれ、『ありのままのわたし』や『遠い道』には、日本人でも朝鮮人でもない、居場所のない存在としての自分が投影されています。

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 今回のコンサートでは、李政美さんの歌の他、安聖民(あん・そんみん)さんによるパンソリ、趙寿玉(ちょう・すおく)さんによるサルプリ舞という、朝鮮半島の伝統芸能も演じられます。
 サルプリ舞は、韓国の代表的な民族舞踊の一つとして、韓国重要無形文化財97号に指定されています。ルーツは巫女の踊りで、その後宗教色が薄れ民族舞踊として発展してきたものです。「サル」は「持って生まれた悪い運勢」あるいは「邪気」、「プリ」は「振りほどくこと」あるいは「除去」という意味です。真っ白の衣装(チマ・チョゴリ)にスゴンと呼ばれる白い布を持って舞います。非常に抑制された踊りですが、しなやかで力強いです。
 趙寿玉さんは、日本在住で有数のサルプリ舞の踊り手です。長崎県対馬の出身で、中学以降を下関で過ごし、舞踏を習いました。81年、24歳で結婚を機に東京へ移りましたが、「自分の国の文化を知りたい」との思いが募り、そのわずか1ヶ月後に単身韓国に留学。言葉や歴史、カヤグム(伽椰琴)、踊りを習いました。90年から95年まで、今度は家族と共に韓国で暮らしながら、人間文化財である李梅芳(い・めばん)さんに師事し、94年には、重要無形文化財第97号履修者(名取り)となりました。

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 パンソリは18世紀初頭に形成された芸能で、韓国重要無形文化財第5号に指定されています。パンは広場(舞台)、ソリは唱(歌)を意味します。物語に節をつけて歌う唱劇であり、一人の鼓手の叩く太鼓に乗せて一人の歌い手が、特徴のある発声で歌います。現代まで伝えられている主立った演目は五つしかありません。短いもので4時間、長いものでは8時間かかり、それゆえ最後まで演じ切る「完唱(ワンチャン)」には、特別に大きな敬意が払われます。しかしこのパンソリは、下層の人々によって受け継がれてきたが故に、韓国では長い間「低級芸能」として軽視されてきました。朝鮮の伝統文化として研究の対象になったのは、やっと1970年代に入ってからだといいます。
 安聖民さんは、大阪市生野区に生まれた在日三世。関西大学に入学してから民族意識に目覚め、言語や文化を意欲的に学びました。99年、韓国の漢陽大学音楽学部国楽科修士課程に入学し、人間文化財(重要無形文化財機能保持者)の南海星(なむ・へそん)さんに出会い、弟子となりました。パンソリは、言葉を伴うために、在日コリアンが修得するには大きな困難があり、実際演じる人はきわめて少ないです。そんな中で彼女は、2006年に、在日コリアンとして初めての完唱公演(『水宮歌』)を実現しました。

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 私たちは、在日のアーティストが朝鮮半島の伝統芸能を演じる意味を、今一度考えたいと思います。安聖民さんは、子どもの頃は本名も隠していました。趙寿玉さんは子どもの頃から舞踏を習いながらも、友だちにはそれを隠していました。親戚が歌ったり踊ったりするのも、見られたくないと思っていたと言います。彼女の言葉を借りれば、「日本の学校で教育を受けたからか、私自身韓国人を少し差別していた部分があった」、「祖国の文化を恥ずかしがる自分と、愛すべきものだと思う自分がいた」。自分はいったい何者なのか。こうした感情は、先に述べたように、李政美さんの歌でも大きなテーマとなっています。
 そうした思いを抱えて揺れていた3人の女性が、様々な困難を乗り越えながら祖国の文化を自分のものにすることで、ようやく自己のアイデンティティを確立していった姿。それを目の当たりにすることで、私たちは、日本人とは?朝鮮人とは?在日とは?と改めて考えさせられることになるでしょう。そしてそれは、時を超えて日本軍性奴隷の被害者、犠牲者たちの立場ともつながっていきます。コンサートのタイトルの「つながる」にはそうした意味が込められています。(U)

韓国伝統芸能一言紹介 「パンソリ」と「サルプリ舞」

パンソリ(Pansori):日本の浪曲のように節をつけて物語を謡う韓国・朝鮮の伝統芸能の一つで、韓国無形文化財第5号に指定されている。浪曲では三味線が入るが、パンソリでは、プク(太鼓)が入る。パンソリは、チャン(歌う)、アニリ(語る)、モムジッ(身振り)が一体となって演じられる。起源は18世紀初めに遡り、19世紀末に全盛期を迎え、20世紀に入ると衰退した。パンソリは、作者兼謡い手であるクァンデたちが、民間伝承の物語をもとに作り上げた芸能である。民衆の中から起こり、謡い手が被差別身分の出身者であったため、その内容が庶民意識を代弁する性格を帯びることとなった。全盛期には貴族層にも受け入れられるようになり、封建倫理を強調する迎合主義的傾向が強まった。この辺り、歌舞伎の発展過程に似ている。かつては主な演目が12座あったが、今日では5座のみが上演されている。即ち、「春香歌」、「沈清歌」、「水宮歌」、「赤壁歌」、「興夫歌」である。「水宮歌」(龍王の命を救うため兎を騙した亀が、結局は兎に騙されるお話)は、児童向け絵本にもなって親しまれている。

サルプリ舞(Salpuri-Chum):「サル」は「悪縁、邪気」を意味し、「プリ」は「解く、除く」を意味する。即ち、「サルプリ舞」とは、「悪縁を絶つ舞、厄払いの舞」である。巫女が呪術的な踊りによって神と接するという「クッ」がその源流である。それが形を変え、旅芸人と妓女たちによって踊りとして受け継がれ、1930年代に韓成俊(Han-Songjun)が舞踊として完成させた。韓国無形文化財第97号に指定されている。この踊りは、舞手一人が白のチマ・チョゴリを着て、軽くて白い布を手にして舞う。布を落とす動作は不運や邪気を、布を拾い上げる動作は喜びと幸運を表していると言う。基本動作に静・中・動の三要素が強く表れ、「結んで継いで解く」ことを表現しており、無数の曲線が現れるのは、邪気を払う苦闘を意味していると言う。哀調を帯びたメロディーと舞いは恨(Han)を宿しており、韓国・朝鮮民族の共同情緒を形象化したものとして高く評価されている。