[翻訳紹介]

 以下に紹介するのはUMRCのホームページにある第2次調査の報告です。これによってUMRCの調査活動と考察対象についてより詳しく知ることができます。少し長いですが是非お読みください。(UMRCから翻訳の了承をいただいています)
2003年3月1日 吉田正弘


アフガン現地調査UMRC第2次調査報告


 以下の報告は、UMRC(ウラニウム・メディカル・リサーチ・センター)所属の現地調査チームによるアフガン第2次調査(2002年9月〜10月)に関する報告の抜粋です。読者は、現地調査チームが行なった作業について、またアフガニスタンの状況や人々の状態について、調査チームの内側から見ることができるでしょう。「不滅の自由作戦(OEF)」の中を生き抜いた人々の個人的体験の報告も示されています。専門的また後方業務的な報告、UMRC現地収集データ報告や、患者と被検者の医学的経歴その他の関連データは、個人のプライバシー保護のため、この抜粋からは取り除かれています。すべての資料はUMRCが著作権を持っており、UMRCの明示の許可なしに複写することはできません。


アフガン第2次現地調査報告 : 精密な破壊−−無差別な結果

 序
 背景−−新しいタイプのウラニウム兵器の発見
 調査目的と達成されたことの概観
 人々の健康状態の全般的印象
 原因を確定するために−−ジャララバード地域の汚染の要因
 爆撃地の諸特徴と爆風の諸結果
 目撃証言と爆撃の直接の諸結果
 生存者の個人的体験




 UMRCの現地調査チームは、第1次調査に続く4か月後、2002年10月3日に第2次アフガン調査を終えた。ジャララバード周辺の元々の調査地域を拡大し、首都カブールにまで調査範囲を広げて、新たな標本が調査対象住民と対照調査住民から集められた。カブールは、人口350万人で、爆撃された地域の中で最も人口密度の高い地域である。そこには、「不滅の自由作戦(OEF)」で使用された疑惑のウラニウム合金の精密破壊兵器によって攻撃された目標物で、固定の戦略的および戦術的攻撃目標が、数の上で最多ではないが、最も集中している。


背景−−新しいタイプのウラニウム兵器の発見

 2002年5月から6月にナンガルハル州ジャララバード地域の抽出被検者から採取された8つの尿標本について、NERC地球科学研究所によって行なわれた質量分析の結果は、異常に高いウラニウム濃度を示した。NATO軍戦闘地域の放射線汚染および重金属汚染についてUMRCが以前おこなった調査では、「砂漠の嵐作戦」の兵士たちの尿に劣化ウラン(DU)を検出したのだが、それとは違ってジャララバードの被検者たちは非劣化ウラニウム(NU:Non-depleted Uranium)の異常に高い濃度を示した。
 ジャララバードの被検者たちの非劣化ウラニウムの濃度は、通常の住民より400%から2000%高いものである。こんな放射性同位体の濃度は、これまで民間人の中で知られている限りではなかったことである。(※文末の訳者注を参照のこと)
 ジャララバード地域の標本の分析結果は、劣化ウラン、濃縮ウラン、および/または原子炉の使用済み核燃料からリサイクルされたウラニウムによる汚染ではないということを示している。ジャララバード地域の被検者たちのウラニウムの現れは、この地域の既知の地質学上その他の諸特徴によっては説明できない。これらの異常な調査結果は、UMRCとNERCに予期しなかった調査課題を提起している。第2次調査の主要な目的の一つは、これらの調査結果を説明することのできる要因を調査することであった。


第2次調査の目的と達成されたことの概観

 (1)第1次調査で収集された尿の中に見出された異常な科学的諸結果を裏付けるために、(2)原因となりうる潜在的な要因を確かめるために、(3)NU汚染の範囲を確定するために、UMRCとNERCは、調査チームに調査住民の規模と調査の地理的範囲を拡大するよう指示した。調査チームは、ジャララバードの対照調査住民からの尿標本を手に入れた。対照調査被検者は、ウラニウムの体内汚染を示す健康障害の報告はないが被曝の範囲内に居住し働いている住民から選ばれた。
 首都カブールにある3つの明瞭な爆撃区域で直接[降下物に]晒された新たな調査対象住民から尿が収集された。水、土壌、沈泥などの地質学上のサンプルが、調査対象住民と対照調査住民の周辺環境から採取された。尿提供者ごとに(または提供者グループや場所ごとに)、その直接の周辺環境で1セットの土壌と水のサンプルが収集された。


人々の健康状態の全般的印象

 UMRC調査チームは、爆撃に伴って生じた人々の健康状態への衝撃的影響の広がりにショックを受けた。例外なく、調査されたすべての爆撃区域で、人々は健康を損ねている。民間住民のかなり大きな部分が、ウラニウムによる体内汚染と符合する症状を示している。
 調査チームは、すべての被検者に、病気の始まりの時期について注意深く質問をしたが、すべて実際の攻撃と一致していること、そして現在までやわらぐことなしに持続していることが報告された。いくつかの症状および兵器への身体的反応は、化学兵器または生物兵器に晒されたことを示しているかもしれない。
 すべての調査地ですべての調査対象被検者が、全く同じ症状の諸特徴と時間的経過を示している。より顕著な、そして最も頻繁に報告された症状には次のものがある。頸部脊椎、肩の上部、頭蓋基部の痛み、背中下部または腎臓の痛み、関節と筋肉の衰弱、睡眠困難、頭痛、記憶障害と混乱または部位感覚喪失。
 爆撃時に晒された人々は、攻撃の数分から数時間内に急性の健康上の影響があったことを報告している。報告には、近隣地域全域に共通するインフルエンザタイプの疾病の特徴が含まれていて、それは爆撃後最初の数週間内に始まり2か月かそれ以上続いた。より深刻な疾病は進行性の症状を示していて、それは現在にいたるまで10〜12か月間持続している。
 調査チームは、胎児の発達や新生児へのウラニウム汚染の影響についての包括的な医学的症状の知見を持っていなかったが、この地域の諸報告−−それは調査チー ムによる2人の幼児の検査で裏付けられた−−からすると、新生児の25%までが先天的な、また出生後の、健康障害で苦しんでいるということが示されるかもしれない。これらの幼児たちの筋肉組織は未発達で、頭は体の重量に不釣り合いであり、通常でない肌の色をしていて皮膚障害がある。
 検査を受けた2人の幼児は、非常に病的な眠気の中にあって弱々しく、泣くエネルギーもなかった。母親たちが入手できる栄養食糧の供給は十分あったにもかかわらず、これらの幼児は栄養失調のように見えた。親たちや老人たちは、彼らの乳幼児の健康状態に、また全般的に地域社会全体の健康状態に取り乱していた。詳しい医学的検査と公衆衛生アセスメントが、これらの地域に求められている。


原因を確定するために−−ジャララバード地域の汚染の要因

 第1次調査の諸結果は、ジャララバード地域住民の放射線汚染と重金属汚染の問題を示していた。もしこれらの諸結果が、より広い地域の住民の調査で裏付けられれば、アフガニスタンは公衆衛生の危機に直面していることになる。
 UMRCの、またはNERCの、第1次調査で収集された尿の分析は、OEF(不滅の自由作戦)連合軍がアフガニスタンの戦場で新たな実験的な兵器システムを使用したことに、注意を向けさせるかもしれないものであるのだが、それに代わる複数の仮説が、ジャララバード地域の調査結果を説明するために示されてきた。これらを、調査チームによって収集された情報の脈絡の中で、以下に論ずる。

地質学的例外:
 地質学的データによれば、ジャララバード地域で発見された汚染のレベルは、現在知られているいかなる地質学的現象によっても説明されえない。大理石工場(サンプルを収集した場所)の退職した主任技術者は、今は独立の技術コンサルタントをしているが、次のように言明した。ウラニウム鉱床が、ジャララバードの南西数百キロにあるヘルマンド州で発見された。これらの鉱床は、伝えられるところによれば、12年間の軍事侵攻のあいだのソ連の関心事だった。そしてまたアフガニスタンでの6年の代理戦争中も関心を持たれていた。しかし、鉱山開発または鉱石採掘の活動は、全く行なわれてこなかった。

リン鉱、石灰石、石膏の採掘。その2次産業。生産物の現地での利用。:
 調査した地域では、リン鉱も石膏も鉱山があるという報告はない。もっとも、アフガニスタンには採掘されてきた石膏のかなりな供給があり、過去には輸出されていたという報告があったのだが。調査チームは、袋詰めの輸入コンクリートを運ぶ大型トラックの列を目撃したが、それは、現在は現地でのコンクリート生産はないということを暗示する。
 ジャララバード地域から約1キロのところに、コンクリートを使う大規模な建設計画(モスクの建設)がある。調査地域は、リンが肥料として使用されたかもしれない大規模な農業地区の中に位置している。その地域社会は、ソビエトによる灌漑と電気体系のひどい破壊によって悪化させられた6年にわたる干ばつで苦しんでいる。農業は、今では非商業的存続と市場園芸の非常に低いレベルに縮小している。

現地の掘削活動:
 現地で採掘された地表の土を使って、天日レンガと人工焼レンガを生産する多くの施設がある。井戸とカレーズ(「カー・レーズ」−−手・掘り、山の地下水脈が平地の農業に井戸を供給している)の掘削と毎年の水路保存整備が、ジャララバード地域で行なわれている。カレーズは、水路に絶えず水を補給するだけの雪解け水をうみ出す十分高い山々のふもとに位置する村々で、数千年にわたって使われてきた伝統的な水脈と輸送システムである。このタイプの水源は、岩と土の地質学的特徴が水路の掘削と保全に適している所でだけ、使われている。
 アフガニスタンの山々には、宝石用原石やさまざまな鉱石を捜し求めて掘られた洞穴、貯蔵のための洞穴、防衛施設としての洞穴が散在している。ラル・マーに水を供給しているカレーズとこの水源によって灌漑されている畑からも、土と水のサンプルが採取された。

ソビエト、「焦土」作戦:
 ジャララバード地域は、ソビエト軍とアフガン・ムジャヒディンとの有名な闘いの場所アルダ・ケライから1キロのところにある。ソビエト軍は、優越した武器のおかげでこの闘いに勝利したが、地元の自由の戦士たちとの闘いのどの一つをとっても、軍勢の大きな損失に苦しんだ。ソビエト軍が人々を罰するためにこの村にウラニウム汚染源を投入したということは、信じ難いこととは言えない。これら2つの村は同じカレーズを利用しており、そのカレーズは、伝えられるところによれば、トラ・ボラ地域での重爆撃のあったところに近い山々に源を発している。

この地域での天然ウランの、現地の、工業的、また/あるいは軍事的利用:
 ナンガルハル州にはウラニウム採掘は全くないし、ウラニウム鉱床も知られていない。この地域には、近代的な、また活動している産業施設は全くない。また、公に知られている産業施設、研究施設、軍事施設で、何らかの形でウラニウムを所有していることが知られているような施設も全くない。改良型兵器研究施設についてのOEF(不滅の自由作戦)の諸報告は、この国の諸条件と科学的社会の国外逃避を前提にすれば極めて疑わしい。
 タリバン政権は、5年にわたって政府を支配した(しかし全領土を支配したわけではなかった)のだが、23年にわたる戦争で事実上破産した国を受け継いだ。タリバン政権がWMD(大量破壊兵器)研究や生産の資金を調達できたというのは、ありそうもない。事実上すべての産業基盤と政府施設が、6年にわたるソ=米代理戦争の間に破壊された。アフガン・ルピーは、パキスタン・ルピーの 1/10,000の価値であり、そのパキスタン・ルピーは米ドルの1/60の価値である。
 アフガニスタンは、研究開発の全くない貧困化した農業経済で、工業力も公共事業の力もない。灌漑施設も大規模に破壊された。主要都市以外には電話も電気もない。主要都市間の主な道路と歴史的によく管理されてきた幹線道路は、現在では事実上、頑丈な車軸と頑丈なサスペンションをもった4輪駆動車による以外には通行不能である。イランとパキスタンを例外として、アフガニスタンは、30年にわたって技術援助や資本援助を受けずに孤立してきた。この国は、ソ連軍から獲得したか、または米国、EU、NATOによって(ソ連軍との戦争を支援して)提供された軽武装の装備以外には、たいした軍事的能力をもたない。

アル・カイーダ:
 米国防総省とホワイトハウスは、オサマ・ビン・ラーディンとアル・カイーダを、「ウラニウム散布爆弾」開発のためにウラニウムを獲得したと非難した。ナンガルハル州は、アル・カイーダの拠点の1つだった。現在にいたるまで、米国の非難は、原子炉廃棄物からつくられた「汚いウラニウム」や「汚い爆弾」に言及しているが、それはUMRCまたはNERCが見出したNUとは一致しないウラニウム同位体比率で構成されている。原子炉廃棄物の中に存在する同位体比率、放射性崩壊の生成物、超ウランの元素は、天然ウランとは測定可能な違いを示すだろう。
 米国防長官は、声明で、OEF(不滅の自由作戦)特殊部隊がアル・カイーダの武器貯蔵所でDU(劣化ウラン)貫通体を発見したと述べた。一般に認められているように−−ペンタゴンによれば−−、これらの申し立てられた砲弾を発射する能力のあるアフガンの兵器運搬システム(地上または空中)は、全く見出されていない。

新たな実験的精密破壊兵器および硬化目標兵器がアフガニスタンで初めて配備され試された:
 英国防省と議会は、アフガニスタンでの劣化ウラン兵器の使用を頭から否定している。天然ウラン(Natural Uranium)合金兵器の使用に関しては、まだ質問がなされていない。
 米国とその兵器契約者たちは、低高度、中高度、高高度の、空対地および艦船発射の、ウラニウム合金弾薬を使用している兵器と運搬システムの開発、展開、配備を認めている。
 米国は劣化ウラン(Depleted Uranium)を天然ウラン(Natural Uranium)に取り替えたということが示唆されてきた。これは、ウラニウムが検出されたとき、もっともらしく否定できる可能性に道を開くだろう(自然に生じた地質学上の諸条件に帰することで)。それはまた、戦場での能力、自然発火性、力学的な、そして慣性的な特徴を調整するためかもしれない。


爆撃地域の諸特徴と爆風の影響

 覚書の中に、着弾のすぐ後に爆撃穴から上がる水の竜巻についての、カブールでの目撃報告がある。これらの着弾地点は、公的または私的な水道施設に近接してはいない。それらは自然の泉や地下水脈であると報告されている。カブール郊外の農業地域であるバグラミでは、爆弾が地下水脈を貫通して、数百ヘクタールの農作物と 牧草地の上に鉄砲水を引き起こした。

力学的影響と目標への影響
 爆発による力学的効果は、攻撃目標によってさまざまである。ビビマーローの巻き添え被害の場所の例外はあるが、カブールで調査した複数の着弾地点は直撃を受けた政府所有の建物であった。攻撃ミスを示すもの(たとえば攻撃目標の建物の近辺や周囲の爆撃穴)は何もなかった。兵器の精度は驚くべきもので、前の米・NATOの介入で報告された効率レベルをはるかに超えている。
 カブールで調査した8つの建物は、3つの別々の場所にあるのだが、それぞれが直撃を受けて破壊されていた。比較的大きな建物には壁の一部や屋根の一部が残っているが、破壊は、これらの施設を機能できないものにし、また修復不能なものにしていた。
 ジャララバードの建物は、焼レンガでつくられていて、セメントまたは泥(粘土)で固められている。ジャララバードでの1つの例外は、ファーム・アルダの政府弾薬貯蔵庫だった。第1次調査で調査されたのだが(第1次調査で土壌サンプルが採取された)、それは、厚く補強されたコンクリートでつくられていて、土で覆って「掩蔽壕化されて」いた。それは、調査チームが目撃したものとしては、軍事的レベルに近い建てられ方をした施設の唯一のものである。その弾薬貯蔵庫は、少なくとも1発、おそらくは数発の直撃弾−−ミスなしで−−によって、完全に破壊されていた。力学的な特徴は、精密誘導硬化目標貫通弾頭の使用をはっきりと示すものであろう。
 ジャララバードの建物の攻撃目標のすべて(例の弾薬貯蔵庫を除いて)は、特徴的な爆発の穴をともなって瓦礫と化していたのだが、例の弾薬貯蔵庫とカブールの政府施設のすべては、異なった爆発効果を示していた。より重厚な建物の残骸は、ある程度壁の構造を残した、かなり大きなコンクリート残存物からなる。
 巻き添え被害の場所を除いて、調査されたカブールの建物のすべては、より大きくずっとどっしりとつくられていた。カブールの建物は、コンクリートでつくられ、鉄筋や鉄製屋根板、鉄製枠で補強されていた。高さは2階かそれ以上で、上階はコンクリートの補強厚板でつくられていた。建設方法と素材の調査は、カブールのこれらの建物のどれ一つとして軍事的レベルにつくられたものはないということを示している。

大理石工場
 大理石工場での力学的影響は、さまざまな弾頭と兵器のタイプを示している。5つの精密破壊爆弾が3回の別々の攻撃で投下され、そしてまちまちの大きさと高さの5つの建物を破壊した。屋根の材料は、鉄製のI形梁や補強の横材や重しや押さえるための垂木をともなった、工業用で荷重 に耐えられる波状の金属薄板であった。爆弾は、爆発することなく屋根を貫通した。−−それは兵器の精巧さを知る手がかりである。
 その建物を破壊した爆弾は、地表面よりも上で爆発した。主任技術者がこれを裏付けた。OEFは、最大の建物が軍隊を収容していると考えた(実際にはそうではなかったのだが)。起爆装置が、地上の兵士殺傷用に「致死効果が最大限」になるように、床上2〜3フィートから数メートルで爆発するようセットされていた。爆発は、12インチから24インチの鉄製の梁をねじ曲げていた。60トンの発電機が、床に固定する3インチのスチール製固定物から持ち上げられて、建物の向こう側へ投げ出されていた。屋根と全ての壁(内側と外側)は、建物から吹き飛ばされていた。
 大理石工場所有の比較的小さい建物では、弾頭は、地表面の下で爆発するようにセットされていた。それらの弾頭は、屋根と壁の材料を貫通し、建物内に進み、コンクリート厚板の床に3〜4メートルの深さの穴を開けていた。爆発は、100トンの厚板を砕き、破壊し、持ちあげ、内側の壁を崩壊させ、建物の構造を形作っている鉄骨をねじ曲げていた。2階のコンクリート厚板は、 比較的大きい建物において外へ吹き飛ばされたのとは違って、建物内に崩れ落ちていた。
 すべての爆弾は、それぞれの目標のど真ん中に命中していた。火災や燃焼の証拠は全くなかった。建物の素材と内容物は可燃性ではないものであった。爆発の諸特徴のもっと詳細な調査と爆弾の破片の捜索は、大理石工場で行われた。
 車輛と軍用装備品を破壊するために、異なった設計の兵器が使用されたようである。第1次調査のときの車輛への直撃の査察は、金属と他の可燃物の高熱の焼け跡を示していた。それは、自然発火性の弾頭を暗示しているかもしれないものである。あるいは、それらは燃料の燃焼を示すものかもしれない。
 大きくて重厚な建物での爆発穴(クレーター)は、深く広範囲のものであった。大部分の弾頭は、爆発する前に床の素材を貫通した。建物の構成部分は、水平方向に四散させられたが、多くの材料は爆発穴の中に落ちた。最も強固な建物は、遅れた追加的な崩壊を経験したのかもしれない。爆発は、建物の構成部分を水平方向に吹き飛ばしたのだが、そのあと爆発穴に戻るように崩れ落ちた。
 兵器が垂直に落下してきたときには、比較的軽量なつくりの(レンガの)建物での爆発穴は対称的であった。爆弾が横から低く入ったときには、破壊の跡は扇形の弾道効果をもっていた。これらの建物の爆発穴は、爆心地点に残っているものがほとんどなくて、崩れて戻ってくるものもなく、「クリーン」で遠心的であった。これは、おそらく、弾頭のサイズや着弾の角度や弾頭の設計よりは、建物の素材の性質を反映しているのだろう。81戦車師団での一つの爆発穴は、非常に深く広く、特に対称的であった。それは 、建物に類したものがまったくないのだけれども、司令部であったと報告された。その爆発穴は、こぶし大の瓦礫でできていて、7〜8メートルぐらいの深さで、基底部分で20メートルの幅があった。

ラジオ局ヤカ・トゥート
 短波ラジオ局ヤカ・トゥートでの爆弾の衝撃と力学的特徴は、爆発高度をあらかじめ設定できる精密誘導兵器に符合している(あらかじめ決められた地表より上、あるいは下のの高度で爆発するようにセットされたもの)。それらは、かなりの爆発力を硬化攻撃目標貫通機能に結びつけた。これらの兵器は、スチール製補強屋根と2つかそれ以上のコンクリート壁でできた3層かそれ以上のものを、爆発せずに通り抜けて穴を開けた。それらは、そのあと爆発する前に、コンクリートの床または基礎厚板を通り抜けて地中3〜4メートルにまで達した。これらの建物は、アフガニスタンの工学技術に特徴的なものである。それは、下部構造や建物周辺に土台の壁を用いるのではなく、地面に厚板を敷いて土台としたものを使用する。
 爆発穴は、重い鉄骨やコンクリートの瓦礫でいっぱいだった。それらは、爆発後に穴に戻るように崩れ落ちたものである。これらの爆弾は、斜めから入り水平方向に爆発して吹き抜けながら、建物をあらゆる方向に−−垂直にも水平にも−−破壊したが、それは、弾頭が低空飛行の爆撃機か慣性誘導低空飛行のミサイルによって撃ち込まれたということを示唆している。精確に目標に命中した衝撃の正確さからすると、それらは、地上からの目標照射器のレーザーによって「狙われ誘導された」のだろう。損傷の跡は、妨げになるコンクリートの側壁があったにもかかわらず、爆心地点から30〜40メートルまで広がっていた。爆発は壁を通り抜けて伝わり、壁の外側に保管されていた装備を破壊し、隣接する建物や立木に損傷を与えた。火災や熱効果は、建物内にも、建物の外の可燃性の素材(立木や木製の構造物)にも観察されなかった。
 目撃者たちは、爆弾の中には休み休み爆発したものがあったと報告している。初期突入爆発に続いて、「より深い」第二段階の爆発があり、素材を吹き上げ爆発穴の外へ吹き飛ばした。生存者たちの報告によれば、他の施設への2次的被害は、人的殺傷と同様に、しばしばスチール製補強棒によって引き起こされた。それは、爆発によって垂直にも水平にもミサイルのように吹き飛ばされたのである。飛び散った鉄筋による犠牲者が、爆心地から数百メートル離れていた場合もあった。
 2人の生存者は、飛び散ったコンクリートの壁が命を救ってくれたと報告した。圧力波を吸収し、装甲として機能することで、壁は弾道を描いて落ちてくる爆弾の力を一手に引きつけ、爆弾と建物が榴散弾として飛び散るのを阻止した。何人かは、壁近くの簡易ベッドで眠っていて、これらの吹っ飛んだ壁によって持ち上げられ、建物の外に運ばれた。


目撃証言と爆撃の直接の諸結果

 爆撃の目撃者たちは、特徴的な緑色の閃光や爆発のときの緑色の煙または塵の雲を報告している。緑色の閃光と覆いかぶさるようにモクモク立ち上る塵または煙は、数キロ離れたところから観察された。カブールの住民は、家の屋根の上にたって、夜や夜明け前にその光景を見たのだろう。爆発穴から水が吹き上がるのを、1キロもの距離から見たと報告した人もいた。
 カブールの3人の被検者は、OEFの爆弾によって直撃を受けた建物で眠っていた。上記で報告されたように、彼らが建物からすっかり投げ出されたとき、重厚なコンクリート壁が彼らを守ってくれた。意識を取り戻した後、これらの被検者たち(第2次調査の尿提供者)は、その場の負傷者を救出し遺体を回収した。
 インタビューを受けたすべての被検者は、爆撃に近接し爆撃の風下にある村に住んでおり、着弾地点から上昇する大きく濃い塵の雲とモクモクと立ち上る煙を報告している。彼らは、その立ち上る雲煙を、彼らの畑と近隣地域を「覆いつくしていく」ようだったと説明した。その雲煙の密度は濃い霧のようだったと指摘した者もいる。彼らは、刺激臭と、その後に続く鼻腔、喉、上部呼吸器管の焼けるような感覚を報告した。
 塵の雲が通過して数分から数時間以内に鼻血が出たと報告した者もいた。鼻血は翌日ないしは2日後まで持続し、数週間から数か月の間、鼻水と鼻の充血が続いた。全ての人が、インフルエンザか風邪に似た症状が数週間から数か月続いたことを報告した。
 カブールの住民のほとんどは、頻繁にまた継続して風邪とインフルエンザの症状がある。鼻水や鼻血は日常的な出来事である。毎朝の洗面では、しばしば血を含んでいる乾いた粘液を、鼻、鼻腔、喉から取り除かねばならない。尿提供者の多くには、何も出ない空咳と目の炎症がある。男性の50%かそれ以上が噛みたばこを用いるが、事実上たばこを吸う者はゼロである。
 カブールの6000フィート以上の標高、何年にもわたる干ばつ、頻繁な砂嵐、それに非常にひどい車輛による汚染、これらが、呼吸器と鼻の障害を説明するかもしれない。UMRCの調査チームは、カブールに到着して数時間以内に、鼻と呼吸器の障害にみまわれた。私たちの鼻は、毎日出血し、また透明で薄い粘液が継続的に出た。調査チームの一人は、上部呼吸器炎症、喉のむずがゆさ、空咳が起こり、カブールを去った後も10日以上持続した。
 大理石工場の検査中に、調査チームは、鼻と喉に焼けるような感覚を経験した。塵に手を触れ、土壌サンプルと榴散弾の破片を収集したメンバーが、この現場の調査の終わりに手を洗ったとき、彼の皮膚は焼けるようにヒリヒリしていた。その原因である汚染物質を除去するのに数度の洗浄が必要であった。彼は、全身に発疹ができて、それが数週間続いた。


生存者の個人的体験

 ビビマーローBibimahro(「ビー・ビー・マー・ロウ」と発音される)は、カブール南部にある大きな都市近郊地区である。それは、同じ名前をもつ300メートルの丘(tapa)のふもとにある。丘の頂上には、政府のレーダー施設がある。この丘は、ビビマーローを都市中心部から隔てる細長い尾根である。その斜面は、30度以上の傾きで険しい。丘の長い斜面に垂直方向から接近する武装ヘリコプターあるいは爆撃機は、方向を定める余地が非常にわずかしかない。
 その地形は、一般にオーバーシュートによるミスを犯しやすいと知られている攻撃目標の特徴を示している。攻撃目標は、手前に見える勾配の向こうにそびえていて、その視界のラインは、尾根の頂上が横切っていることによって妨げられている。攻撃目標は、その構造上の特徴(レーダー受信用アンテナ)と夜明けの薄暗がりのために半透明である。丘の斜面は険しく、そして発射弾道は、攻撃目標の背後の下降する対角線のピッチの上方にある。この種の攻撃目標は、オーバーシュートを防ぐためには極度の精確さを要求する。視覚照準調整規程(visual sighting rules)は、そのような攻撃目標には尾根に並行 に接近すべきことを明記している。
 交戦の倫理規程は、ミスによる巻き添えの被害を回避して攻撃目標の背後の地面に弾頭が埋まるように、そういう位置関係で攻撃することを要求するだろう。

 ある冬の朝の午前5:30。−−家族が、朝の祈りに起き出し、朝食をとり、仕事場や市場に出かける準備をしているときである。アフガンの習慣では、日の出前に一日が始まる。
 サヒーブ・ダード氏と12歳の息子フセイン君は、モスクでの祈りから歩いて家に帰る途中であった。夜明けが近づいて、かすかな、金色とピンクと紫の色調が、カブールを取り囲む山々の東の山頂の背後から暗い夜空へと広がりはじめていた。ダード氏は、奇妙な回転音、何かがぐるぐる回る音を聞いた。それは、これまでに聞いたことのない機械音で、上からやってきて急速に大音量になった。その音は、またたく間に下の方へおりてきて丘の険しい斜面と並行の道をたどった。
 ダード氏とフセイン君が彼らの家に近づいたとき、突然、光り輝く緑の閃光が地面から炸裂した。それによって彼らは目が見えなくなり、即座に爆発と風圧がそれに続き、少年とその父親は地面にたたきつけられた。
 衝撃から方向感覚を取り戻した後、彼らはケガをしていないことがわかった。彼らは、すぐに立ち上がって家の方へ走った。その家は泥レンガの1階建で、ダード夫人が朝の食事の準備をしていて、フセイン君の弟たちはまだ眠っていた。
 隣人の家は、ダードさん宅とレンガの壁を共有していたのだが、低い瓦礫の山と屋根の素材と死体があるだけだった。ダードさんの家は、一部屋を除いて大部分が損なわれずにあった。恐怖の中で、彼らは、子供たちが眠っていた部屋がなくなっているのを見出した。それは、隣の家と同じようにぺしゃんこになって瓦礫となっていた。残骸の下敷きになってダードさんの2人の幼い息子たちがいる。隣の家の残骸に混じって、8人の死体がある−−母親とおばあさんと6人の娘たち。
 このときまでに、近隣の人々が次々に道に出てきていた。人々は、生存者を探して駆け回り、死体を引き出していた。ダード氏は、2人の幼い息子を救い出すために家の残骸を掘り進んだ。2人の息子たちは、山の上に太陽が上ったときに、彼の腕の中で死んだ。

 隣の家は、ロケット弾の直撃を受けた。数分前までこの場所に家があったということを示すものは、何も残っていない。
 攻撃機の音を聞いた者は誰もいなかった。攻撃機は、ビビマーロー丘の反対側から低空を飛んできた。これは攻撃動作に特徴的なものである。戦術戦闘爆撃機、AC-130ガンシップとA−10ウォートホグは、低高度で、しばしばほんの25〜30メートルの高度で飛ぶ。エンジン音が機体に先立つのではなく後続するように、渓谷や丘や山の間をぬって進む。これによって、前方の攻撃目標が爆撃機の到来の聴覚的警告を受け取るのを防ぐ。調査チームは、これらの爆撃機が極度に低い高度で飛んでいるのを、いくつもの場所で観察した。
 レーダー施設を爆撃しそこねた航空機の接近を見たり聞いたりした者は誰もいなかった。それが攻撃するのも飛び去るのも、目撃した者はいなかった。それは、ひそかに到来し、同じようにひそかに飛び去った。
 このレーダー施設の機能性は疑わしいものであった。政府は既に解体されていた。政府は、航空機も対空能力も持っていなかったし、実行可能なコミュニケーションシステムも持っていなかった。カブールは、このときまでに、米国と英国の特殊部隊によって占領されていた。OEFの空軍と地上軍に対する現地の抵抗は皆無だったし、対空防衛の応戦についての報告も全くなかった。政府の軍事施設は放棄されていた。
 OEFは、前方目標照射システムを確立していたし、地上には諜報工作員を擁していた。それらの任務は、攻撃目標を選別すること、レーザー照準で発射を指図すること、そして成果を確かめるために結 果を査察することである。言うまでもなく、ビビマーロー近辺をその日に訪れたOEF部隊はなかった。
 ビビマーロー丘の軍事施設への接近路と背景は、人口密度の高い居住地域によって取り囲まれている。そこには病院も含まれている。このレーダー施設には、オーバーシュートやニアミスした兵器が丘の頂上に突っ込むように接近することもできたはずである。そうするかわりに、この爆撃機は、丘に直角に接近し、数千人の居住地域に直面した。パイロットは、眼下の谷に攻撃目標を見通したとき、家の明かりやストーブの火の灯りが背景に見えたことだろう。彼は、攻撃目標を確認し、ロックオンし、発射し、そしてミスした−−おそらくはほんの紙一重で、あるいは目標をかすめたかもしれない。
 ダード氏が聞いたというロケットの回転するような音は、この兵器が攻撃目標に部分的に接触したことから、つまずいて転げ回るように回転したことを示しているのかもしれない。兵器の各部は、レーダー受信アンテナ(パラボラ)との最初の接触でバラバラになったのかもしれない。どのような状況であったにしても、その弾道は、その落下の道筋にいた不幸な人々にとっては致命的であった。
 それは大きな兵器ではなかった。入角は約35度であった。クレーターは浅く、おそらくは1メートルの深さで、直径4〜5メートルである。私たちが他の所で調査した深さ6メートル直径30メートルのクレーターに比べると、この爆弾は小さいものと考えられる。最大限の殺傷を目指した強力な高性能瑠弾またはサーモバリック(熱気圧)兵器というよりは、それは、「硬化攻撃目標」 を破壊し2次的被害を避けることを意図した新世代の「精密破壊」弾頭のひとつだったのだろう。しかし、その日のビビマーローでは、その直接の諸結果は、たいして差異のあるものではなかった。検証によって、この弾頭がウラニウム合金兵器であるということになれば、その長期にわたる影響は広範囲にわたるものになるだろう。私たちがビビマーローに到着したその日の午後、10数人の幼い子供たちが、そのクレーターを遊び場に使っていた。

T.ウエイマン
アフガン調査チームリーダー




(訳者注)本文中の「ジャララバードの被検者たちの非劣化ウラニウムの濃度は、通常の住民より400%から2000%高いものである。」(第2次調査報告抜粋)と前に紹介した緊急アピールの「その結果は、どぎもをぬくようなものでした。このドナーたちは、有毒で放射性のウラン同位体の濃度が1999年に検査された湾岸戦争帰還兵の100倍から400倍を示したのです。」の理解について、少し説明しておきます。
 緊急アピールでアフガニスタンの被験者の尿のウラニウム濃度が100倍から400倍と言っているのは、99年に測定した湾岸戦争帰還兵の尿濃度に対してです。これらの兵士の劣化ウラン尿濃度は被曝直後ははるかに高かったと思われますが、戦争後8年を経過してUMRCが測定した時には一般のアメリカ人より一定高いレベルにまで低下していたものと思われます。UMRCは自分が検出した(民間で検出したのは彼らが初めてでした)兵士のレベルと比べて100倍から400倍の濃度が出たのでびっくりしたのでした。
 ところで、この報告書では同じ尿濃度が「通常の住民より400%から2000%も」高いもの、つまり4から20倍高いと言っています。この二つの記述の正確な関係はわかりません。現在UMRCに説明を求めているところです。近いうちに情報が寄せられると思います。(最終的にはUMRCの調査が進めばきちんとした関係がわかると思います)。ここでは可能性が考えられることを上げておきます。まず、まず一般のアメリカ人よりやや高い兵士の尿濃度があります。これの100−400倍の症状の出ている患者の尿濃度があるわけです。これは「通常の住民」より4−20倍高いというのですから、「通常の住民」も兵士よりもかなり高いということになります。この「通常の住民」はジャララバードの晒されたが健康には異常がない人、すなわち対照群として尿のサンプルを提供した人々と思われます。この人たちの尿濃度が高いのは、@症状は出ていないがウラニウムに被曝はしていた、A元々ジャララバードの一般住民のレベルは高い、等が考えられます。Aは、尿中のウラニウム濃度は地域によって大きな差があり、花崗岩地帯などでは一般に高くなるなど地理的条件で変わります。@であればウラニウム汚染は深刻極まりないと言うことになります。これらの原因を明らかにすることも、彼らの調査・分析にかかっています。