紹介と感想:
広河隆一氏『写真記録「パレスチナ」』
(全二巻 @激動の中東の35年 A消えた村と家族)


 第一巻 「激動の中東の35年」


 第二巻 「消えた村と家族」




広河隆一 編・著
日本図書センター

A4 判上製 各巻 216 頁
定価 2 巻組 18,000 円 (税別)




 写真の一枚一枚が写し出すのは、ある一瞬であるが、同時に、どの一瞬にも、そこに至る長い年月の物語が写し出されている。

 『@激動の中東』は、第三次中東戦争後の子どもたちの写真からはじまる。1967年、68年。私もこの時は子どもだった。だから写真に写っている子どもたちは、私と同年代の人々である。太鼓を売る少女。「そんなに私が珍しい?」と言ってるかのようなまなざしをむける。私もまた小さい頃から物を売ってきた。ただし、親の店の手伝いとしてだから、彼女のおかれた厳しい条件とは比べ物にならないが。「これが私の仕事。しなければならないからしているだけ。えらいとか、かわいそうだとか思わないで。」そんな彼女の声が聞こえる気がしてくる。
 レバノン戦争以降、アフガン戦争、インティファーダ、パレスチナ自治区の再占領、今年4月のジェニン難民キャンプの破壊にいたる写真は、圧倒的な暴力とその犠牲者たちが写され続けている。子どもの遺体。老人の遺体。「老人の膝の下には安全ピンを抜かれた手榴弾が置かれ、誰かが遺体を動かしたら爆発するようになっていた」という説明を読んだとき、人間はここまで非人間的な所行ができるものかと思った。
 イスラエル側から見れば「テロリスト」と呼ばれる人達。その一人の死の瞬間をとらえた連続写真がある。彼は一発の弾丸で撃ち抜かれ、あっけなく死んだ。

 『A消えた村と家族』には、そんなふうに死んでいったであろう人々の家族の写真が何枚もある。写真の中の家族は、死んだ若者の写真を手にしている。写真の中の写真。不在であるという現実。その中でも、特に目に焼き付いて離れないのが、その青年が描いた絵と共に写っている写真である。彼の絵はどれも穏やかな湖畔の風景を描いている。こういう静かで美しい絵を描く青年が、写真の中では、二丁の銃を抱え、真正面を見据えている。父親は苦悩を抱きつつ誇りに満ちた表情で息子の写真を抱く。兄の絵を持つ妹の目には一点の曇りもない。彼女が今も兄の全てを信頼し尊敬し続けていることが伝わってくる。
 『A消えた村と家族』は、そもそも、イスラエル建国が、いかなる破壊と犠牲のもとに行われたのかを、1947年に村を追われた人々とその村が現在いかなる状態になっているかを丹念に写し出すという、地道で膨大な作業で明らかにしている。多くの村は廃墟と化し、草やサボテンに覆われている。大昔の遺跡のようにも見えるその廃墟は、確かに55年前までは、人が生活していた。その人々の現住所はみな「難民キャンプ」である。
 その難民キャンプもまた容赦ない攻撃にさらされる。ジェニン難民キャンプに住んでいた老人は、今年4月のイスラエルの攻撃で家屋を完全に破壊された。瓦礫と化した家を見つめる彼がこちらを振り向く。苦悩を通り越して、その表情は、なかば諦めに満ちてはいるが、「それでも生きているんだ」というつぶやきをも感じさせる。

 最後に、@の写真集に戻るが、オリーブの丘からエルサレムの旧市街をのぞむ写真がある。預言者ムハンマドにまつわる「岩のドーム」が光り輝いている。空は雲に覆われているが、その雲の中にうっすらと虹が見える。私は、旧約聖書の創世記のノアの箱船の物語を思い出した。その最後のエピソードは、神がノアに対して、人間をもう決して洪水で滅ぼさないという契約を結び、その契約の印として、空に虹を架けてみせたというものである。アダムからノア、そしてアブラハムに至る創世記の登場人物たちは、ユダヤ人とアラブ人にとって共通の先祖であり、同じ物語を共有している。この地に虹が架かるたび、ここに住む人々はどんな思いでそれを見るのだろうか。 


 広河隆一氏のウエブサイト(http://www.hiropress.net/)から申し込むことができます 。
 『写真記録 パレスチナ』の紹介ページは、 http://www.hiropress.net/info/mura/

(個人で購入するには二の足を踏む価格かもしれませんが、広河氏が35年かけて撮り続けてきたことの重みに十分見合うものであると思います。)

2002年11月6日
木村奈保子