反占領・平和レポート NO.31 (2003/6/3)
Anti-Occupation Pro-Peace Report No.31

強制収容所へのロードマップ

[翻訳紹介]
・『強制収容所へのロードマップ』(マヒール・アリ、2003.5.11)
 "Roadmap To A Concentration Camp" by Mahir Ali
・『失敗が保証されているロードマップ』(タニヤ・ラインハルト、2003.5.15)
 "Guaranteed Failure Of The Roadmap" by Tanya Reinhalt
・『アブ(アラファト)対アブ(アッバス)』(ウリ・アヴネリ、2003.4.23)
 "Abu against Abu" by Uri Avnery



■前回(No.30)のレポートでは、「ロードマップ」の本質と中東和平の現状について、オスロ合意以降の歴史的経緯も含めて明らかにしました。今回は、その際に参照した英文論説のうち3本を翻訳紹介します。

■マヒール・アリ氏の『強制収容所へのロードマップ』は、「占領そのものではなく占領に対するパレスチナ人の抵抗が主要な問題なのだ」としている「ロードマップ」の本質を見事にとらえていることで、前回紹介しました。
 しかし、その際アリ氏は、論説の半分以上を割いて、この間のイスラエル軍による国際人権平和活動家やジャーナリストの殺傷について詳しく触れています。前回の報告では、論旨からそれるので紹介できなかったのですが、すぐれた暴露と感嘆すべき内容が含まれています。
 軍用ブルドーザーで轢き殺されたレイチェル・コリーさんの母親が、「アラブ側の暴力の停止がパレスチナの大義にとって利益なのではないかと問いかけた」ときの、母親に対するレイチェルさんの返信は、特筆に価します。レイチェルさんはこう答えているのです。
 「もし、私たちの誰かが、生活や幸福を完全に窒息させられるぐらい締め上げられて、どんどん縮められていく場所で子どもたちと暮らしているとすれば、そして、その場所も、いつなん時でも兵士や戦車やブルドーザーがやってきて私たちが長い間かけて栽培してきたグリーンハウスなんかをすべて破壊してしまうと、これまでの経験からわかっているとしたら、そして、こういうことが行なわれるときに私たちの何人もが殴り倒され、数時間のうちに149人も捕らえられたりするとすれば、−−お母さんはどう思いますか、まだしも残っているわずかなものを守るために、私たちは何らかの暴力的手段を使おうとするかもしれないと思いませんか?」と。
 パレスチナの人々が置かれている現実をこれほどリアルかつ見事に表現したものがこれまであったでしょうか。根本原因である占領(それにともなう暴力と抑圧、非道な仕打ち)をそのままにして、それへの抵抗を先になくそうとする主張がいかなる意味をもつか、あらためて言う必要もないと思います。

■タニヤ・ラインハルト記者の『失敗が保証されているロードマップ』は、前回のレポートで主要な論点は紹介しました。一つ付け加えるとすれば、停戦イニシアティヴをイスラエルの側がブチ壊しても、米国は平然として「停戦を拒絶したのはパレスチナ人の側だ」と指摘するということを、具体的に暴露していることです。今回も同じ過程をたどるのは目に見えていると警告しているのです。
 私たちとしては、次のことを付け加えたいと思います。そのような米国の虚偽の判定をマスメディアがそのまま垂れ流して、虚偽を「真実」にしてしまうということです。(良心を持ち合わせているすべてのジャーナリストの方々に訴えます。そのような虚偽の報道がどれだけの悲しい事態をもたらすことに寄与しているか、本当に真剣に考えて下さい!)

■ウリ・アヴネリ氏の『アブ対アブ』は、パレスチナの側の内部対立やパレスチナ人が置かれている歴史的に特異な状況を明らかにするという、きわめて重要かつ興味深いものです。しかしながら、アッバス新内閣についての評価とアラファト議長についての評価が、ともに一面的にすぎる欠点を抱えていると思われます。パレスチナ新内閣の評価については、イスラエル平和運動内部でも意見の違いがあり議論が行われたようです。
 それでも敢えて訳出し紹介したのは、事態の大枠をとらえる上ではまちがっていないのではないかと判断したからです。

2003年6月3日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




強制収容所へのロードマップ

(「Zネット」より)
by マヒール・アリ
2003.5.11

"Roadmap To A Concentration Camp"
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=22&ItemID=3604


 犠牲者数は上昇し続けている。2週間前、イスラエル戦車からの発砲で、賞を受賞したこともある英国人ジャーナリスト、ジェイムズ・ミラーの命が奪われた。彼とリポーターのサイーラ・シャー−−二人はタリバン政権下でのアフガン女性の苦境に関する開拓者的ドキュメンタリー「ヴェールの下 Beneath the Veil 」で協力したことがあった−−は、イスラエル軍によるガザ地区ラファの家の取り壊しを撮影していた。そのとき、彼は首の後ろを撃たれた。「彼のことが大好きだった現地の子どもたちは、彼が倒れた場所に祠をたてました。そして、パレスチナ子ども議会(Palestinian Children's Parliament)は、彼を追悼して行進を行ないました。」とシャーは書いている。

 先月、21歳の英国人平和活動家トム・ハーンダルが、同じ難民キャンプで5歳の女の子を守ろうとして、イスラエル狙撃兵に頭を撃たれた。彼は昏睡状態におちいり、医師によれば回復の見込みはない。先週、ハーンダルの両親がラファの彼のもとを訪れたが、そのとき二人を護送していた英国大使館護送団は、ガザ交差点で銃口をつきつけられてしばらく足留めされた。

 6か月ほど前、ジェニン難民キャンプ再建のためのUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)プロジェクトの責任者である前英国軍士官イアン・フックが、イスラエル狙撃兵に背中を撃たれて死んだ。ジャック・ストローは、銃撃に対する徹底した調査を約束したが、その後、英国外務省はその立場から後退した。国連による調査には、前米海軍情報士官が任命された。その露骨な親イスラエルの報告は、フックの同僚や他の国連スタッフには受け入れられないものであった。第二次報告は機密扱いとされた。イスラエルはストローに、殺害の詳しい報告を提供すると請け合ったが、今では考えを変えてしまっている。

 そして、並みはずれて痛ましいレイチェル・コリーの事件がある。米国が提供しイスラエル兵が運転していたブルドーザーによって、若い米国人活動家が押しつぶされて死んだ。3月15日、彼女はラファで家屋取り壊しを妨げようとしていた。彼女からほんの数フィートのところにいた仲間の活動家リチャード・パーセルは、次のように振り返っている。「彼女は土の山の上に立っていました。ドライバーは彼女が見えなかったということはありえません。ブルドーザーのブレードが土の山を押すにつれて、土が盛り上がりました。レイチェルは土の山からすべり落ちました。足をとられたように見えました。ドライバーはスピードを落としませんでした。そのまま彼女をひいたんです。それからドライバーはブルドーザーをバックさせてもう一度彼女をひいたんです。」

 これらの殺害−−どの場合も目撃証言によればイスラエル兵はやっていることを十分自覚していたことを示している−−は、より広いパレスチナ紛争の大海の中の一滴なのだろうが、シャロン政権のお咎めなし(impunity)の実例として、特別に重大な意味を持っている。イスラエルの治安部隊は、外国人を殺害することに、もはやたいして良心の呵責をいだいていないようにみえる。たとえそれがイスラエルに最も近い同盟国の市民であったとしても。そして、有効な証拠に基づいて見ると、これは何らかの計算違いのようにはみえない。英国と米国の政府高官レベルと主流報道機関の両方で熱狂的興奮が起こるというような状況を想像することは困難である。これらの死のいずれについてもパレスチナ側に責任を押し付けることが可能であるとしても、しかしそれでも、イスラエルの政権の肩にまともに責任がかかるので、もみ消しに協力することが賢明だとみなされている。

 コリーの死についての先月のイスラエル軍の調査は、イスラエル軍をいかなる違法行為からも赦免した。犠牲者に責任を押し付ける戦略の古典的な適用で、コリーと国際連帯運動(IMS)の他のメンバーたちは、「不法で無責任で危険な」行為で非難された。先週コリン・パウェルがアリエル・シャロンとパレスチナ側の交渉相手とされるアブ・マーゼンとの会談のためにエルサレムに到着する少し前、イスラエル軍はベツレヘム近郊のISM事務所を急襲し、2人の米国人活動家を拘留した。その1日前には、2人の英国人ISM活動家がガザ地区へ入ろうとしたとしてシン・ベト(イスラエル国内治安組織)に逮捕された。

 イスラエルの支配者たちは、レイチェル・コリーのような者を忌み嫌う、というのも彼ら彼女らは純粋に人道的関心に駆り立てられているからである。想像力をどれほどたくましくしても、レイチェルをテロリストのシンパサイザーとして描き出すことなどできないだろう。また、彼女の信念を非難してパレスチナ人への彼女の連帯をとがめ立てすることなどできないだろう。彼女の両親へのeメール−−殺害された後に報道機関に公表されたので読むことができる−−が明らかにしているように、彼女は、単に深刻な不正義に反応しただけの普通の米国人だった。シャロンとその一味は、そのような米国人とはかかわりたくないのである。死んでもらう方がいいのである。ジョージ・W・ブッシュとその最も親密な側近の多くは、その観点に共感しているようにみえる。

 23歳だったレイチェルは、保険会社の役員と学校ボランティアの夫婦の一番下の娘だった。彼女は、ワシントン州オリンピアのエバーグリーン大学に籍を置いていた。彼女は、サッカーをし、庭造りを楽しみ、パブロ・ネルーダの詩を愛読した。報告によれば、彼女の政治的覚醒は 9.11後のことである。(彼女のeメールの中にこう述べられている。「ここには8歳の子どもたちがいて、グローバルな権力構造の作用について、ほんの1〜2年前の私よりもずっとよく気づいているのです。」と。)ガザで彼女がひきうけた任務の中には、他のISM活動家たちと同様に、パレスチナ人のこどもたちに同伴して学校へ連れていくことが含まれていた。イスラエルの弾丸から子どもたちを守るためである。

 彼女のお母さんが、アラブ側の暴力の停止がパレスチナの大義にとって利益なのではないかと問いかけたとき、レイチェルはこう答えている。「もし、私たちの誰かが、生活や幸福を完全に窒息させられるぐらい締め上げられて、どんどん縮められていく場所で子どもたちと暮らしているとすれば、そして、その場所も、いつなん時でも兵士や戦車やブルドーザーがやってきて私たちが長い間かけて栽培してきたグリーンハウスなんかをすべて破壊してしまうと、これまでの経験からわかっているとしたら、そして、こういうことが行なわれるときに私たちの何人もが殴り倒され、数時間のうちに149人も捕らえられたりするとすれば、−−お母さんはどう思いますか、まだしも残っているわずかなものを守るために、私たちは何らかの暴力的手段を使おうとするかもしれないと思いませんか?」と。

 彼女はまた、「悲惨な運命に直面している人々に、いつもいつもとても優しく愛されていることから、とても胃が痛む」感覚を報告している。
 彼女は、こうも書いていた。「パレスチナから(家へ)戻れば、私はたぶん悪夢にうなされて、ここにいないことの罪の意識を絶えずもつことでしょう...。ここに来たことは、これまで私がしてきたことの中で、よりよいことの一つです。それで、狂気のように聞こえるかもしれませんが、もし万一イスラエル軍が白人には危害を加えないという彼らの人種主義的傾向をかなぐり捨てることがあれば、どうか次のことを真正面から明らかにして下さい。間接的には自分もまたそれを支持することになってしまっていてそして私の政府がそれに対して大いに責任があるジェノサイド、そのジェノサイドの真っただ中に私がいるという事実が、その理由だということです。」

 もし、もっと多くのアメリカ人が占領地における状況を、これほどまでにはっきりとした言葉で心に思い描くことができれば、後任の米国政府がイスラエルの抑圧を支持し助成金を与え続けるのがかなり困難になるだろうに。しかし、そういうことは起こりそうもない−−少なくともすぐには。世論調査が示しているように、もし、大多数のアメリカ人が 9.11の背後にサダム・フセインがいて操っていたと確信しているとすれば、大衆的覚醒は短期的展望としては明らかに無理である。

 このような状況のもとでは、先月末に公表されたいわゆるロードマップを、−−パレスチナ新内閣の構成についての大騒動の後に−−少なくとも国内向けの目的のために、永続的な解決をもたらす新たな大胆なイニシアティヴとして描くことは、特別に困難なことというわけではない。もし装いを新たにしたパレスチナ自治政府が「テロリズム」を終わらせることができるならば、永続的な解決をもたらすであろう、そのような新たな大胆なイニシアティヴとして。

 ロードマップは、言いかえれば、占領そのものではなく占領に対するパレスチナ人の抵抗が主要な問題なのだというイスラエル人の偏見の是認と支持だと解釈できる。暴力に関する限り、スポットライトは自爆に集中し、要人暗殺、民間人の殺戮、住居の破壊、国際活動家やジャーナリストへの攻撃にはスポットライトは当てられない。レイチェル・コリーが殺された日に、ガザ地区で9人のパレスチナ人が同じ運命にあった。その中には4歳の女の子と90歳の老人が含まれていた。−−危険なテロリストだということで。たぶんそういう推定で。

 そこで、アブ・マーゼンは今、排除されたヤセル・アラファトにはできなかったことを行なうように求められている。つまり、ハマスやイスラム聖戦による攻撃と対決する保証が求められているのである。−−ついでながら言えば、これらの組織は当初はイスラエルがアラファトに対する対抗勢力として育成したのだが。新しいパレスチナ首相は、多かれ少なかれ米・イスラエル枢軸によって引き立てられたのだが、シン・ベト(イスラエル国 内治安組織)やモサド(イスラエル対外情報機関)よりも無慈悲で実効あることを証明する ように期待されている。−−操り人形と思われていることの結果として、パレスチナ人の間で確かな信頼を得ていないにもかかわらず。

 もちろん、イスラエルに対して見返りの要求がいくつかなされている。しかし、さほど多いものではない。シャロンは、ただ美辞麗句的な自制を行うことが求められているだけである。−−かくして、ユダヤ人入植地に関する最近の「譲歩」発言やシリアとの話し合いが出てきたのである。今月後半に米国を訪問するとき彼はショックを受けてたいへんなことになるだろう、というのも、ブッシュ政権が解決を推進しようと決めているからだ、と報じられてきた。しかしながら、それは次のことからすると、しっくりこないものである。最近コンドリーザ・ライスは、シャロンが派遣した代表者たちに次のように請け合った。ロードマップは公式には国連、EU、ロシアを含む4者が作成したものだが、運転席に座っているのは米国だ、と。

 米国で選挙の年がじわじわと迫ってきているときに、イスラエルに圧力をかけるなど、−−少なくとも実際上の結果をもたらすような類の圧力は−−、ほとんど想像することさえできない。電流を流したフェンスがすべての「自治」区を遮断しているもとで、ロードマップが2005年までに実現すると想定している「独立」パレスチナは、輝ける強制収容所以外の何ものでもありえないだろう。おそらく輝いてさえいないだろう。そして、最もありそうなことは、一連の強制収容所列島であろう。

 マフムード・アッバスがいかに「穏健」であることがわかろうとも、彼がアラファトにできた以上のシナリオでやっていけるということは、まずありそうもないことである。

 そして、ワシントンのネオコンと共謀してシャロンのタカ派が夢想している最終解決が、押し付けることのできないものとわかるとき、ただただ次のことを望むばかりである。つまり、ますます多くの米国人が、レイチェル・コリー−−そして彼女が愛するようになった人々の多く−−は無駄に死んだのだろうかと、自問せざるをえないと感じることを。




失敗が保証されているロードマップ

(「Zネット」より)
by タニヤ・ラインハルト
2003.5.15

"Guaranteed Failure Of The Roadmap"
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=22&ItemID=3622


 数か月ごとに「和平プラン」がホワイトハウスの引き出しから取り出されて、数週間世界の耳目を集める。この儀式には決まったパターンがあって結末が決まっているにもかかわらず、イスラエルの多くの人々が今回は違うと信じることに引きつけられのは奇妙なことだ。

 この「ロード・マップ」によれば、今回の「目的は、イスラエル・パレスチナ紛争を2005年までに最終的に包括的に解決することである。」このロードマップがこの方向での何か具体的なものを提示しているかどうかを調べるためには、まずこの紛争が何についての紛争であるかを明らかにすることが必要である。イスラエルの言い分を聞けば、人は、それが帰還権に関するものであるという印象を持つかもしれない。つまり、パレスチナ人は、難民の帰還を許すという要求でもって、イスラエル国家の存在そのものを掘り崩そうとしている、それもテロでそれを達成しようとしている、というのである。実際にはこれは土地と資源(水)をめぐる単純で古典的な紛争であるということが、忘れられているようにみえる。この「ロードマップ」文書も同様に、領土という側面を完全に欠落させている。

 パレスチナ人の側に求められていることははっきりしている。つまり、米国によって民主的と定義されるような政府を樹立すること、イスラエルによって信頼できると定義されるような3つの治安部隊を形成すること、そしてテロを根絶することである。いったんこれらの要求が満たされるならば、第三段階が始まり、そこでは占領は奇跡的にも終わるのである。しかし、この文書は、この第三段階でイスラエルに何の要求も課していない。たいていのイスラエル人は次のことを理解している。イスラエル軍が占領地から撤退することと入植地を解体することなしには、占領と紛争を終わらせる道はないということ。しかし、これらの基本的な考えは、この文書ではほのめかすことさえされていない。ただ第一段階で、入植地の凍結と新たな前哨基地的入植地の解体を述べているだけである。

[訳注:第一段階でのイスラエルの義務の中に「2001年3月以降に作られた outposts (前哨基地)の解体」というのがある。細かいところなので前回の報告No.30では省略した。既に確固とした入植地には全く手を触れずに、新規入植地建設の拠点づくりとしての前哨基地的入植地に限って、解体を義務づけているにすぎない。その多くは極右が「違法」に作っているものが大半である。]

 第一段階はテネット・プランの繰り返しで、他に比べて実質のあるものである。この段階では、イスラエルにも次のことが期待されている。「2000年9月28日以降に占領されたパレスチナ地域から撤退すること...。そしてそのときに存在した状況を回復すること。」この要求が満たされれば、一時的なものであれ、ある平静状態をうちたてることに貢献できるのは疑いない。私は、4者の中のヨーロッパの代表たちがこの計画を実行に移すことができると確信したとすれば、それを歓迎したことだろう。しかし、そのように確信できる基礎は全くない。テネット・プランは、以前に何度も焦点になった。その最後は、2002年3月の米国によると思われる停戦イニシアティヴであった。そのためにジニとチェイニーが現地に派遣された。すでにそのときシャロンは、この要求に同意しないこと、平静が確保される地域の住民への軍事的措置の条件緩和だけに同意することを明らかにしていた(「ハ・アレツ」紙、アルフ・ベン、02.3.19)。このことは、米国が次のように指摘することを妨げなかった。停戦を拒絶したのはパレスチナ人の側だと。このイニシアティヴの終わりとともに、イスラエルは、米国の承認のもとに「守りの楯」というとんでもない破壊に乗り出した。

 イスラエルは、この「ロードマップ」にもまた同じ古い反対の仕方をしている。さらにイスラエルは、交渉によるテロの休止では十分ではない、求められているのは新たな治安部隊と反対組織との間の実際の対決である、と強調している。(つまり内戦である。)イスラエルは、パレスチナ側の紛争終結宣言と帰還権の放棄が、あらゆるプロセスの結果としてではなく開始の前提として、行われねばならないとさえ要求している。またまた、このことは、イスラエルが平和を求めている側であるという米国の立場を掘り崩しはしないのである。コンドリーザ・ライスが述べたように、「その(イスラエルの)安全保障が世界の安全保障のカギである。」米国は今、終わりのない戦争というヴィジョンをもつタカ派によって支配されている。指導者がいつも次なる戦争を熱心に求めているイスラエルは、このヴィジョンにおける一つの資産なのである。したがって、誰かがイスラエルに何らかの譲歩をするように強制することを米国が許すと信じる根拠は何もない。

 2002年3月13日、ジニ特使のこの前の和平訪問の夜に、イスラエル軍は、ガザのジャバリア難民キャンプへの攻撃でもって彼を迎えた。そのときには、一晩で24人のパレスチナ人が殺された。今イスラエル軍は、国際平和活動家の逮捕と国外追放の波でパウエルを出迎えた。パックス・アメリカーナにおいては、平和活動家の居場所はないということなのである。平和は戦車によってもたらされるものなのだから。

(この論説は、元は、5月14日の「イェディオト・アハロノト」紙に公表されたものである。)




アブ(アブ・アマール=アラファト)対アブ(アブ・マーゼン=アッバス)

(グッシュ・シャロム」サイトより)
by ウリ・アヴネリ
2003.4.23

"Abu against Abu"
http://www.gush-shalom.org/archives/article246.html



 アブ-1とアブ-2との間の衝突−−アブ・アマール対アブ・マーゼン−−は、イスラエルや全世界のジャーナリストによって語られているような、個人的な問題ではない。もちろん、二つの人格の個性は、あらゆる政治的闘争においてそうであるように、一定の役割を果たしてはいるのだが。しかし、論争は、もっとずっと深い内容をもって進行している。それは、パレスチナ人民の特異な状況を反映している。

 ある上層のパレスチナ人が、今週イスラエルのテレビで、これを「革命の文化から国家の文化への動き」と規定した。つまり、パレスチナ民族解放戦争は終わり、今や国家秩序を形成すべき時がきた。したがって、前者を代表しているヤセル・アラファト(アブ・アマール)は退場しなければならず、後者を代表するマフムード・アッバス(アブ・マーゼン)がとって代わらねばならない、というのである。

 どんな叙述も、全く現実を反映しないということはありえない。パレスチナ解放戦争は、今やその最高点に達している。おそらく、これほど決定的な段階に達したことは、これまでにはなかっただろう。パレスチナ人は、存在そのものの危機に直面している。すなわち、民族浄化(イスラエルでは「移送 transfer 」と呼ばれている)か、または無力なバンツースタン型の飛び地への監禁か。

 民族解放闘争が終わって行政的統治問題に転じるべき時がきたという、この幻想は、いったいどのようにして生じたのだろうか?

 パレスチナ人民の状況は、全く特異なものである。私が知りうる限りでは、歴史上比肩すべきものがない。「オスロ合意」に続いて、西岸とガザ地区のいくつかの小さな飛び地からなる、一種のパレスチナミニ国家が生まれた。これらの飛び地の行政が行われねばならない。しかし、パレスチナの全人民的目的−−東エルサレムを含む西岸地区とガザ地区全体の存続可能な独立国家−−は、達成からはほど遠いものである。それを達成するためには、骨の折れる全人民的闘争が将来にわたって闘われねばならない。

 かくして、2つの異なった−−そして相い矛盾する−−機構が並んで存在することになる。つまり、強力な権威ある指導力を要求する民族解放運動と、正規の民主主義的な透明な行政を必要とするミニ国家と。

 アラファトは、前者を代表している。彼は、しばしば叙述されているような「象徴」をはるかに超えたものである。彼は、人民の中に並ぶもののない道徳的権威をもち、国際舞台での豊富な経験をもつ指導者である。彼は、アラブと国際社会の利害への服従から距離を置くパレスチナ民族解放運動の舵取りをしてきた。そして、それを忘却に近い状態から独立の間近まで導いた。

 アブ・マーゼンと彼の仲間は、第2の現実を代表している。彼らは、人民の中に強固な基盤をもっていない。しかし、強力な関係者とのコネクション、最も重要なものとして米国とイスラエルとのコネクションを、まさにもっているのである。

 両者の間の論争の要点は、インティファーダの評価である。2年半の間、パレスチナの人々は巨大な喪失を被ってきた。約2,500人が殺され、約10,000人が傷つき不具にされ、若い指導者の層全体が一掃され、経済が破壊され、巨額の資産が損害を受けた。これは、そうするに価するものであったのだろうか? また、続けることのできるものだろうか?

 アブ・マーゼンと彼の支持者たちは、ノーと言う。彼らは、闘い全体が間違いだったと考えている。現在の論争以前でさえ、アブ・マーゼンは、「武装インティファーダ」の停止を要求していた。彼は、米国との交渉で、またイスラエルとの政治的プロセスで、パレスチナ人はもっと多くのことを達成できると考えている。彼は、イスラエルの主流平和運動と、前労働党閣僚ヨシ・ベイリンのような諸個人を頼りにしている。彼の意見では、暴力は政治的プロセスを掘り崩し、パレスチナ人民を害するものである。

 アブ・マーゼンの対立者たちは、これをすべて否定する。彼らの意見では、インティファーダは失敗ではなかっただけでなく、全く正反対に、重要な諸結果をもたらした。イスラエル経済は深刻な危機にあり、イスラエル社会の緊張は頂点に達し、国際社会でのイスラエルのイメージは自己防衛の民主主義国家から無慈悲な占領者へと沈み込んだ。治安は悪化して、あらゆるところに武装治安ガードを置かねばならないところまできている。だから、彼らにとっては、インティファーダの犠牲は払う価値のある代価であると思われる。消耗戦がこのまま続けば、イスラエルは最後にはパレスチナ人の最小限の要求(パレスチナ国家、グリーン・ラインの国境線、エルサレムを首都として分かち合うこと、入植地の解体、難民問題の交渉による解決)をしぶしぶ認めざるをえなくなるだろう、と彼らは考えている。

 さらに、アブ・マーゼンの対立者たちは、彼の基本的な前提が間違っていると考えている。つまり、米国は決してイスラエルに圧力をかけないだろう、というのもイスラエルの代理人がワシントンを牛耳っているから。イスラエルは、強制されることがなければ決して何一つ認めないだろう。シャロンは、交渉を行なっているふりをしながら、その間にも入植地を建設し続け、既成事実をつくり続け、パレスチナ人の足下から土地を略取し続けるだろう。

 アブ・マーゼンの地位は、もし米国とイスラエルがこれほどあからさまに彼をパレスチナ人民に押し付けようとしていなかったなら、おそらくもっと強いものになっていたかもしれない。アフガニスタンの惨めなカルザイの実例と、アメリカがイラクに連れてきた哀れな亡命王党員の一団の実例は、間違いなくアブ・マーゼンに役立つものではないだろう。彼は、ファタハ運動の創設者の一人なのだが。

 調停者の大きな一群は、妥協を達成しようと努力した。実際彼らは、理想的な権限の分割があると述べている。アラファトは解放闘争を指導し続け、アブ・マーゼンはパレスチナの飛び地領土を運営する、というものである。

 しかしながら、これは多くの実際上の問題を引き起こす。たとえば、解放闘争の資金はどこから出すのか? 武装組織はどうなるのか? 治安部隊は誰が指揮するのか? 全体としてのパレスチナ人民の最高権力を誰が掌握するのか? 離散難民を含めて、PLO議長としてのアラファトか、飛び地領土の行政の長としてのアブ・マーゼンか?

 そして、すべての中でも最も重要なものとして、アブ・マーゼンは、兄弟[姉妹]殺しの戦争の準備ができているのだろうか? あるいは、すくなくともイスラエルがすべての入植活動を停止し全占領領土でのパレスチナ国家に同意するまでは、全人民的統一が維持されるのであろうか? 米国とイスラエルは、パレスチナ人が彼ら自身の国家へ向けて一歩を踏み出す前に、彼が武装組織を清算整理し武器を押収することを要求している。このことは、もちろん、シャロン政権を喜びで満たしその地位をいっそう強固なものとするような、内輪同士の血なまぐさい闘争を必然的に必要とするのである。

 この論争は、アブとアブの間での個人的闘争、エゴとエゴの闘争よりもずっと広いものである。パレスチナの人々にとっては、これは、存在に関わる問題についての論争である。−−かつてイスラエル国家の創設で初めて終結したパレスチナのユダヤ人社会における同様の論争とちょうど同じように。