反占領・平和レポート NO.27 (2003/3/13)
Anti-Occupation Pro-Peace Report No.27

緊急アピール−−−−−−
シャロンに警戒を! ブッシュのイラク攻撃に乗じパレスチナ人を大量虐殺・大量追放する危険

攻囲下のパレスチナ人から世界世論へのアピール
「Appeal to World Public Opinion from Palestinians under siege」(パレスチナ非常事態委員会 PEC )

パレスチナ人の緊急アピールへのイスラエル人の支持声明
「Israeli Statement of Support for the Palestinian Emergency Appeal」(グッシュ・シャロム)

[翻訳資料] 黒旗 「Black Flags」 ( by ウリ・アヴネリ)

■イスラエル平和ブロック「グッシュ・シャロム」が、3月10日付で全世界に緊急アピールを発しました。それは、イスラエル軍の攻囲下にあるパレスチナの人々からの全世界に対する緊急アピールの紹介と、それに対するイスラエルの側からの支持声明です。

 ブッシュ政権による対イラク攻撃が切迫している下で、シャロン政権による新たな対パレスチナ攻撃−−1948年、67年に匹敵する、あるいはそれ以上の殺戮と追放−−が画策されています。
 そのような状況の中で、パレスチナの活動家、NGO、政治諸組織が精力的な会合と協議を行い、ほとんどすべての諸組織が加わって「パレスチナ非常事態委員会 The Palestinian Emergency Committees (PEC) 」がつくられ、「アピール」が出されました。そして、パレスチナの側のいくつかの組織がイスラエルの平和運動グループに働きかけ、「グッシュ・シャロム」が即応し、「支持声明」とともに全世界に発信したのです。

■「グッシュ・シャロム」は、シャロン政権による新たなパレスチナ攻撃の危険性に警鐘乱打する論説「黒旗 Black Flags( by ウリ・アヴネリ)」をウェブサイトに掲載したところでした。この論説がeメールで世界に配信されたサブジェクトラインには、「我々イスラエル人はシャロンをとめねばならない−−緊急事態に際して。アヴネリ」とありました。
 この論説は、シャロン政権と軍指導部が、アメリカの対イラク戦争を利用して「1948年と1967年に起こったような、パレスチナの地からのパレスチナ人の大量追放」を画策していること、したがって、新たな虐殺が行われるかもしれないこと、「何世代もの間にわたってこの深淵に橋を架けることを不可能にするようなことが起こるかもしれない」ことを指摘しています。そして、「我々イスラエル人が、そのような行為が行われるのを妨げるために、すべてのことをしなければならない。私は、これは愛国的義務の最高の命令であると信ずる。」と結んでいます。
 この翻訳紹介をしようと準備していたときに、緊急アピールが届きました。これらを合わせて取り急ぎ翻訳しました。

 アメリカの対イラク戦争は、1200万人のイラクの子どもたち、2200万人のイラクの人々全体の生死の問題であるだけでなく、西岸地区とガザ地区の300万人以上のパレスチナの人々にとっての生死の問題でもあります。私たちの対イラク戦争阻止の闘いは、それ自身がパレスチナ連帯の闘いでもあります。アメリカによる対イラク攻撃は、イスラエル・シャロンによる新たな対パレスチナ攻撃と不可分に結びついているからです。

2003年3月13日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



グッシュ・シャロムの緊急アピール
グッシュ・シャロム
インタナショナル・リリース
2003.3.10

 次のアピールは、パレスチナの活動家、NGO、政治的諸組織の間での、数多くの熱気に満ちた精力的な会合と協議の結果である。それは、パレスチナ人の意見の全範囲をカバーし、従来からお互いに対立しあっていた人々やグループを含んでいる。しかし、これらすべてが、ブッシュ政権による差し迫った対イラク戦争のさなかに起こるかもしれないことに直面して、団結して「パレスチナ非常事態委員会 The Palestinian Emergency Committees (PEC) 」を結成した。

 これらのグループの中のいくつかが、グッシュ・シャロムと他のイスラエル平和グループに働きかけてきた。可能な限り広範なイスラエル人の協力関係を構築する努力が現在進行中であるが、事の緊急性から、「イスラエル人の支持声明」を起草したウリ・アヴネリは、一刻も待つことなく以下の文書を広めるように求めた。ともに闘う平和活動家やグループの間での協議は、現地での行動に焦点を当てることになるだろう。


メッセージ「ウリ・アヴネリ」より
サブジェクト:パレスチナ・イスラエル戦時非常事態 War Emergency Palestine-Israel

こんにちは、
ここに2つの文書を送信します。「パレスチナ人の緊急アピール」と「イスラエル人の支持声明」です。きたるべき戦争に鑑み、これらは緊急性を要します。
Salamaat, Shalom.
ウリ



攻囲下のパレスチナ人から世界世論へのアピール

 世界の注意は、現在イラクに集中され、米国主導の攻撃が地域の安定に与える影響に集中されています。全世界で数百万人が戦争への反対をデモで示し、戦争を避けようと試みました。しかしながら、私たちパレスチナの民間人がイスラエル政府当局者から受け取っているメッセージは、私たちを危険な諸結果で脅しつけるものです。

 イスラエル政府当局者とマスメディアの両方によってここ2か月にわたって出された公式声明は、対イラク戦争に際して彼らがパレスチナ占領地において実施することを提案し、計画し、準備していることを、はっきりと示しています。そのような声明は、脅迫、人をおじけづかせる脅し、あるいは真の脅威と言えるでしょう。私たちの過去と現在の経験に照らしてみれば、私たちパレスチナ人は、それらを、この私たちの地における私たちの存在そのものを危険にさらす脅しとして見ないではいられません。

 まさにこの最近にイスラエルのメディアによって公表された数多くの脅しの中には、次のようなものがあります。

●パレスチナ人とその土地に全面的外出禁止令を課すこと。
●パレスチナの領土を軍事封鎖地域と宣言すること。そのことによって、外国人ジャーナリストと現地のジャーナリストが現場で活動することを妨げること。そのような方策は、明らかに、パレスチナ人に対するイスラエルのありうる行動についての公の暴露を妨げることを意図したものである。
●パレスチナ人の活動家を罪状告発もないままに大量拘留し、パレスチナ人の家屋やインフラを破壊するという、現在イスラエルが行なっていることを続けること。
●あり得ることとして、建設予定のイスラエル安全保障防護壁の近辺から、パレスチナ民間人を大量に強制移動させること。これらの地域は占領地西岸地区に属しているのだが。
●あり得ることとして、パレスチナ人を占領地から近隣諸国へ強制移動させる努力。
●あり得ることとして、選挙で選ばれたパレスチナ自治政府大統領ヤセル・アラファトの排除、または遠隔地への国外追放。

 「パレスチナ非常事態委員会 Palestinian Emergency Committees (PEC) 」がパレスチナの地に設立されました。ありうる対イラク戦争に際して地域社会を組織するという、具体的な諸課題を遂行するために、そして、ありうるイスラエルの激烈な方策に対するパレスチナ側の備えの必要性を強調するために、設立されました。

 PECは、多くのNGOや全人民的諸組織、慈善団体、教員組合、政党、閣僚、著名人などの連合体で、全人民的広がりと代表を体現して、ラマラの事務局を通じて活動します。

 私たちは、あなたがたに、「パレスチナ人保護のための国際委員会 International Committee for the Protection of the Palestinian People 」をつくることを要請します。そして、イスラエル政府が対イラク戦争によって創り出される状況を利用するのを妨げるために、即座の方策を採ることを要請します。

 あなたがたの支援が切に必要とされています。そしてその支援によって、無辜のパレスチナ人のさらなる苦しみと痛みと死を妨げることができます。

更なる情報については次のアドレスまでご連絡下さい。
protectpalestinians@yahoo.com
パレスチナ被占領地ラマラ 2003年3月3日


パレスチナ人の緊急アピールへのイスラエル人の支持声明

 イスラエル人として、私たちは、「パレスチナ非常事態委員会」によって公表された「攻囲下のパレスチナ人から世界世論への緊急アピール」を強く支持します。

 私たちは、善良な意志を持ったすべての人々に、「パレスチナ人保護のための国際委員会」を緊急に設立するように呼びかけます。

 アメリカのイラク攻撃に際して、パレスチナ住民に対して押し付けられている脅威は、現実のものであり、きわめて厳しいものです。

 わが国の政治的軍事的指導部の中の極右勢力は、「強制移動」を実現するために、戦争状況を利用しようとするかもしれません。そのような行為は、イスラエルの法と国際法に違反し、イスラエルの未来を危険にさらします。

 イスラエルとパレスチナの両民族の平和こそが、わが国の安全保障と幸福のための唯一の強固な基礎です。

イスラエル非常事態委員会
ISRAELI EMERGENCY COMMITTEE




[翻訳紹介:グッシュ・シャロムのウエブサイトより]
黒旗
Black Flags
ウリ・アヴネリ
2003.3.8

(訳注:1957年に起きたイスラエル軍によるパレスチナ人虐殺事件の裁判で、裁判官は、「不法の黒い旗」が翻っている下では「兵士は命令に服従する義務を免れる。またこうした不法行為に対しては、たとえ命令に従っただけであっても刑事上の責任がある」と述べた。それ以来「黒旗」は、不法な命令が下されている状況の代名詞となった。)

 私がこの前ラマラを訪れたとき、そこは輝く白い雪の服をまとっていた。陽光が数日かがやいた後でさえ、多くの場所がまだ雪でおおわれていて、占領と破壊と放置の荒廃を覆い隠していた。
 私は、ゆっくりと車を走らせ、風景をながめていた。とそのとき、私は本能的に緊張した。視野の端に一群の子供たちが見えた。フロントガラスに何かが強く投げつけられ、ドタッという音とともに窓ガラスに着弾した。一瞬、間を置いて、私はリラックスした。それは石ではなく雪の玉だった。私が手を振ると、私の車が黄色のイスラエルのナンバープレートであるにもかかわらず、彼らも快活に手を振って挨拶を返してくれた。
 しかし、それがこの訪問の唯一の明るい瞬間だった。私は、パレスチナの市民運動のリーダーたちに、アメリカのイラク攻撃に際してパレスチナ住民を脅かしている危険について尋ねるために来たのだった。

 彼らは、何一つ幻想を持ってはいなかった。イスラエルの現在の政治的軍事的指導部は、次のようなグループを含んでいる。つまり、通常の時にはできないようなことをするために戦争状況を利用しようと長らく計画してきたグループである。イスラエルの一般大衆の一部にまだしも存在している道徳的歯止めは、予期される国際的反応とともに、当面これらの計画の実行を妨げている。
 この状況はすべて、戦争という状況の中で変わりうる。世界の注意は、イラクでの戦闘に釘付けになるだろう。アラブ諸国でも、大混乱が支配的になって、パレスチナの地から注意がそれていくかもしれない。イスラエルの一般大衆は、サダム・フセインの戦闘能力を恐れて、パレスチナ人の苦境にいっそう鈍感になるだろう。

 そして何が起こるだろうか?
 そのリストをつくれば長くなる。そして、その一つ一つの項目が以前よりも悪いものになる。
 まず最初の−−そしてほとんど確実な−−行為は、全占領地での長期にわたる封鎖と外出禁止令であろう。パレスチナ人は、これによって長く苦しい事態を経験することになる。それは、何日間も何週間もずっと、食糧や医薬品を町や村に買いに出ることが不可能になるだろう。特に遠くの離れた町や村には、全く不可能になるだろう。今度は、電気が完全に切断されるかもしれない。そして、外部世界とのすべての結びつきが絶たれるかもしれない。病人は、通常の治療(例えば透析や化学療法)でも、また緊急の処置(負傷、手術、出産など)のためでも病院へ行けないだろう。多くの場合に、文字通り生死の問題となるだろう。
 これらの不測の事態のなかで、前もって備えておくことができるようなことは数知れている。たとえば、村人たちは必要不可欠な物資をあらかじめ蓄えておくことができるくらいである。
 パレスチナ人にとっては、戦争が占領軍に絶好の機会を与えて現在日々起こっていることがいっそう強められるということは、明らかなことである。つまり、戦闘員やその他の者の処刑、家屋の完全な破壊、樹木を根こそぎにすること、等々。それらが、どんな新しい次元に到達するのか、想像するのも困難である。

 しかし、あらゆる議論の上を旋回するように絶えずつきまとう一つの言葉がある。「強制移動(transfer)」である。
 簡単な言葉だが、「強制移動(transfer)」は、1948年と1967年に起こったような、パレスチナの地からのパレスチナ人の大量追放を意味する。2003年のこの状況では、それは困難であるだろう。問題は、どこへ?ということだろう。ヨルダンは、国境を閉鎖するだろう。そこへパレスチナ人の大量追放が行なわれれば、それは、ハシミテ王家に対する戦争行為となるだろう。ヨルダンが隣国イラクに対する戦争でアメリカの出撃基地の一つになっているときに、これをアメリカがシャロンに許すことは、想像し難い。レバノンへの追放は、北部国境で戦争に近い状況を創り出すことなしには、ほとんど不可能である。

 しかし、もう一つ別な形の強制移動がある。占領地のある部分から別な部分への移送である。たとえば、計画されている「分離壁」に近接する町や村(カルキリア、トゥルカルム)から中央地域(ナブルス)への住民の移送。
 それは、以前すでに起こったことがある。1967年の6月戦争のときに、モシェ・ダヤンは、カルキリアの近辺を全部空にして、そこの住民を徒歩でナブルスへ行くように追い立てた。その地域の家屋破壊がすでに始まっていたが、そのときに、私たちはそれを阻止することに成功した。(私は、その当時クネセット(イスラエル国会)の議員であったが、その事実を活用して、幾人かの重要人物に注意を喚起した。)難民たちは戻ることを許され、その地域は再建された。(その同じ時に、トゥルカルムの多くの住民たちはバスに乗せられヨルダン橋へと連れていかれたのである。)

 もう一つ例を挙げれば、西岸地区の多くの入植地が近隣地域を略奪しようと計画している。もし、武装した入植者たちの民兵が、封鎖という覆いのもとで近隣の村をテロで脅迫すれば、デイル・ヤシン型の大量避難脱出を引き起こすかもしれない。
(訳注:1948年イスラエル建国のとき、ダーレット計画としてあらかじめ計画されていたパレスチナ住民の追放と村の破壊が遂行されていった。その象徴的な事件が、1948年4月9日にエルサレムのデイル・ヤシン村で行われた虐殺である。254人の住民が虐殺され、生き残った者は血だらけの服のままエルサレムで「勝利の行進」をさせられたという。パレスチナ住民が恐怖とパニックの中で自ら家を出て避難していくことを促進すべく計画されたものである。)
 軍指導部の多くの者が、ジリジリしながらヤセル・アラファトを追放する機会をうかがっているということは、周知のことである。追放は殺害を意味する。アラファトが抵抗せずに降伏するとは誰も信じていない。アメリカがイラクの「体制変革」求め、サダム・フセイン殺害の意図を隠していないとすれば、何故シャロンが同じことをするのを妨げられねばならないのだろうか?

 問題は、こうである。すなわち、アメリカはシャロンとその共謀者たちにこれらのすべてを許すのか、その一部だけ許すのか?
 それに対する明確な答えは全くない。論理では、ノーである。アメリカは、イスラエルがアメリカの戦争の邪魔をすることを望まないだろう。戦争後においてさえ、ワシントンは、イスラエル・パレスチナ紛争が燃え上がることを望まないだろう。アメリカの対イラク軍事占領は、何年にもわたって続くかもしれない。そしてアラブ世界に火がつくことは、どんな形であれ有害であるだろう。
 しかし、アメリカと論理とは2つの異なった事柄である。現在ワシントンを牛耳っているグループは、イスラエル極右と結びついた福音主義の原理主義者とユダヤ人との寄せ集めだが、それ自身の独自の論理をもっている。彼らは、シャロンに指示して極端にまで走らせることさえするかもしれない。

 もちろん、ここに述べた行為はすべて、ジュネーブ協定をはじめとする国際法の下で戦争犯罪を構成するということは明らかである。そのうちのいくつかは、イスラエルの法の下での犯罪でもある。イスラエルの判例を引用すれば、「明らかに不法な命令、その上には黒旗がなびいている」。そのような行為に加わった者は、将来のある日、自らが国際法廷またはイスラエルの法廷に立っているのを見出すことになるかもしれない。そこには時効はないのである。
 しかし、それが警鐘を鳴らす唯一の理由ではない。これらの行為のどれ一つをとってもすべて、イスラエルにとっての破滅的惨事であるだろう。イスラエルの長期的な安全保障と幸福が、イスラエル・パレスチナ和平と、この国の2つの民族の和解とに依存しているということを信じる者は、我々の間の憎しみの深淵を深めるような行為を妨げるために、あらゆることをしなければならない。何世代もの間にわたってこの深淵に橋を架けることを不可能にするようなことが、また、全アラブ・イスラム世界を永久に我々と敵対するようにしむけるようなことが、起こるかもしれない。
 したがって、我々は、シャロンをとめるのにアメリカ人を当てにするべきではない。我々イスラエル人が、そのような行為が行われるのを妨げるために、すべてのことを−−そう、すべてのことを!−−しなければならない。私は、これは愛国的義務の最高の命令であると信ずる。