アメリカのイラク戦争は何をもたらしたのか
−−「戦争被害と劣化ウラン弾被害」についてのヒロシマ調査団緊急報告−−
森瀧 春子

「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表、
「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」世話人代表、
「グローバル・ピースメーカーズ・アソシエーション・ヒロシマ」代表

  今回のアメリカのイラクへの侵略攻撃においては、バグダッド市、バスラ市など人口密集地帯に500トン以上の劣化ウラン弾を打ち込んだとのアメリカ側実戦コマンドの証言もある。劣化ウラン兵器の禁止キャンペーンを速やかに押し進めるためにも、実態調査が緊急の課題であるという認識のもと、立ち上げたばかりの「NO DU(劣化ウラン弾禁止)ヒロシマ・プロジェクト」は、イラクに調査団を緊急派遣した。
 急いだ理由は,アメリカの管理支配がより確立してからでは調査が困難になるという点と、劣化ウラン弾使用の跡が形として残っている間にという二点であった。
 放射線被害の惨禍を知るヒロシマから放射能兵器・劣化ウラン弾禁止のためのアピールを発してゆく責務があるからだった。
 今回の調査の大きな目的は、広島の放射能専門家などの協力を得て、イラク戦争における劣化ウラン弾使用状況の一端でも明らかにすることにより、国際的機関による本格的かつ早急な調査を求めるアピールをヒロシマから世界に発することにあった。具体的には、湾岸戦争以来人体に深刻な放射線被害をもたらしてきた劣化ウラン弾の実態についての調査の早期開始をUNEP(国連開発計画)、WHO(世界保健機構),IAEA(国際原子力機関)などに促し、非人道的兵器 劣化ウラン弾の即時禁止を求めていくためであった。
 もう一つの目的は、イラクの医学・放射線専門家を支援し、連携して長期的な本格的調査に取り組むためのコンタクトを現地で見出すことにあった。
 さらに重要な目的は、湾岸戦争以来長い苦しみを強いられて来たイラク民衆が今回の戦争で一層の惨禍をもたらされているその実態を知り、病床で呻吟する子供たちを見舞うことであった。

  3人の団員,4人のジャーナリスト、計7人からなる調査団は、ブッシュの戦争終結宣言後2ヶ月足らずの6月23日から7月4日の10日間、バグダッド市、ラマディ、マハムディーヤ、ツウェイサなどのバグダッド近郊都市、そして南部のバスラ市を中心に訪れた。
 放射線専門家の同行を期待していたが叶わず、「NO DU ヒロシマ・プロジェクト」のメンバーとしては森瀧1人になったが,イラク人ガイドのワリードさんや参加者全員の協力で、調査のための諸サンプルを得る事が出来た。
 何よりもコーディネーターのフォトジャーナリスト・豊田直巳さんの戦中・戦後のイラク滞在経験に基づくリーダーシップがあってこそ、苛酷な状況の中にあっても的確な調査が無事に遂行できたことを感謝したい。

  今回の訪問では、分析調査のための各種サンプルを的確に採集することが活動の大半をしめた。まず、爆撃された各地を2種類の放射線測定器で測定し、爆撃跡から、10cm四方、深さ5cmの量の土壌を採集(13箇所分)。また、破壊された戦車の上のチリを濾紙(10cm)により採集(2箇所分)し,バンカーバスタ−爆撃によると思われるクレーターなどに溜まった水を採集(4箇所)した。そして、人体に取りこまれた劣化ウランを証明するための尿を採集(1人24時間分の24人分)し、さらに水道水などのサンプルを採集して来た。
 土壌、チリ、水などのサンプルは、バグダッド市、バグダッド近郊のアブ・グレイブ、サーリア、マハムディーヤ、ナシリア、そして南部のバスラ市、バスラ近郊のアブル・ハシーブでも採集した。
50度を超える炎天下で、ビニールなどをかぶっての採集作業はかなり厳しいものであったが、心を一つにした皆の努力で切り抜ける事が出来た。
 尿を採集するに当たっては、まずバグダッドの白血病・癌患者7人を対象に実施した。次いでバスラでは、放射能汚染及び次世代への影響を明らかにするため、白血病の子どもとその両親の15人分を採取したが、加えて、今回の戦争での被害を見るため、被弾した戦車の周辺住民の尿も区別して採集した。
 これらのサンプルは現在,広島大学・原爆放射線医科学研究所(通称・原医研)の星正治教授と金沢大学・自然計測応用研究センター・低レベル放射能実験施設の山本政儀助教授によって分析されつつある。すでに一つの濾紙サンプルの分析から,ウラン235の存在比率0.15%(誤差±0.02%)という評定結果が出された。つまり、核分裂物質であるウラン235の比率が低いため、天然ウランではなく、濃縮過程を通過した後の放射性廃棄物劣化ウランであることが証明されたのである。(天然ウラン中でのウラン235の存在比率は0.72%とされている。)
 この事だけからも、今回のイラク戦争において「劣化」ウラン弾が使用されたことが明確に示されている。

  今回の戦争は、空爆と同時に地上戦としても展開され、集中的に都市部を攻撃したことから多数のビルや家々が破壊されている。
 バグダッドの街は、戦争直前の昨年12月にも訪れていたが、今回は、湾岸戦争後に再建された大都市の面影はすでに失われてしまっていた。商店のシャッターは閉められたままのところが多く、ゴミの山が放置された街になっていた。前回は見かけなかった、物乞う老人や子どもが多く見受けられ、また、フセイン政権崩壊の象徴として報道されたフセインの銅像引き倒しの跡に建設された「開放と自由」のシンボル像のある中心地の公園では、シンナーを吸ってふらつきながら「ヘーイ・ミスター!マネー」と汚れきった手を差し出す子どもたちの姿に心が痛んだ。
 調査のため訪れる街角では、すぐさま多くの人達が集まって来る。バグダッド近郊のマハムディーヤにある市場のど真ん中に放置されている破壊された戦車で調査をしていると、「放射能が心配だから店や自分の体を計ってくれ」と頼む人々、あるいは、通りかかった住宅地の多くの家が倒壊している場所で調査していると、「ここはほら、普通の家ばかりしかないじゃないか!家も破壊された、仕事も水も食べ物もない、これがアメリカのくれた民主主義なのか!」と怒りをぶっつけてくる人々が多くいた。
 バグダッド中心部の完全に破壊された電話局の跡地で調査をしていると酔っ払った男性が「そんなビルじゃなく、なんで俺のこの壊された家を見ないんだ!」とわめくので、家の壊された跡を何とか住まいにしている中に入って見ると、そこには、焼け焦げた家具や炊事道具--米びつ代わりのバケツの米は底をつき、妻を失い3人の子どもを抱えた男性の絶望が伝わってくる。

  ラマディの母子病院、バグダッドのマンスール病院と教育中央子ども病院、バスラの教育子ども病院と産科小児科病院など5つの病院を訪れた。
 ベッドに横たわる病人の多くが小さな子どもたちで、その多くが白血病である。医師たちは、「ほとんどは末期であり救いがたい」と苦渋の面持ちで説明する。夏の季節で外は50度を超える熱暑にもかかわらず、バグダッドを代表する大病院には冷房も無く、家族が持ちこむ扇風機やうちわで凌いでいるが、弱りきった病児には決定的にこたえる。国家崩壊後は病院にはお金が来ず、家族が全額経費を負担するしかないので、化学療法を受ける間だけ入院する。それでも入院待ちの患者が溢れていると医者が言う。訪れた病室に2つの空きベッドがあるので、医者に問うと、「先ほど亡くなったばかりだ、毎日この病棟だけで2〜3人は死んで行きます」--
 昨年12月に訪れた時に厚生大臣が説明したユニセフ統計によると、2002年6月以来子どもの死亡者が1ヶ月に6000人から7500人も出ているということだったが、バスラ産科小児科病院のジョナン・ハッサン医師が示した統計によっても、バスラ市の15才以下の子どもの癌患者の数が1990年に19人であったのが、2002年には160人と約8倍にも増加しているということで、それが実感を持って頷かれた。
 湾岸戦争後、経済制裁と生物化学兵器の原料になり得るという理由で輸入禁止とされた医薬品の不足のため、「日本だったら7割が治癒できる白血病はイラクでは1割も救えなかった」と嘆く医師たちの言葉が重く響く。
 そもそも何故、癌や白血病の子どもたちがそんなに増え続けたのか?何故、先天的知的・身体的障害を持つ子どもたちが異常に増え続けるのか?ジョナン・ハッサン医師が立合う女たちの出産時に、何故、母親たちは「男か女か?ではなく、正常かどうか?生きてるかどうか?」と問わなければならないのか?イラクの人たちは、これはウラン爆弾のせいだと知っている。私が「劣化ウラン弾が云々」と言うと、必ず「「ウラン弾が・・」と云い直してくるイラクの人たち。死者数の異常な増加現象は、イラクの人々から未来への希望を奪って来た。

  1991年の湾岸戦争では、劣化ウラン弾によって集中的に爆撃された地域はクウェート国境近くの砂漠地帯であった。その中でも特に「戦車の墓場」と呼ばれる地帯を昨年12月に訪問し、1300倍とも計測される放射線量の残存を確認した。無人地帯であるにもかかわらず12年にわたりそこから砂嵐で運ばれる劣化ウラン弾の微粒子が、このような惨禍をもたらして来たのだという驚きを覚えたものだ。
 今回のイラク戦争では、人口密集地の都市部でも劣化ウラン弾が使用され、爆撃跡では10倍から100倍以上にも及ぶ放射能値が計測された。こうした事実から予測される、イラクの人々へのこれからの放射線・重金属毒性の影響のすさまじさと、半減期45億年といわれる劣化ウランによるイラク大地の環境汚染は、人類と自然への取り返しようのない非人間的罪悪である。

  ツウェイサの原子力機関から住民が運び出し、生活用品とした100本余りものドラム缶に詰め込まれていたイエローケーキ(精製ウランの原料となる黄色い粉末)の拡散により、住民は10000倍といわれる放射能を浴びた。このイエローケーキが、環境保護団体グリーンピ−スによってようやく回収されたのは、2ヶ月程経った6月下旬だった。
 私たちが訪れた時もグリーンピースが新しい大きなアルミ缶を運び込み、台所に隠し持ったままのイエローケーキの入っていたドラム缶と交換するよう地域住民に呼びかけていた。
 そこには600人規模の女子小学校もあり、この少女達の上にどのような影響が引き起こされようとしているのか空恐ろしい。
 戦争で水道施設も破壊された住民は、給水車から水を多く確保できる入れ物としてこのドラム缶を持ち出したと言われている。
 その時すでにその施設は米軍が占領しその監視下においての出来事であった。フセイン政権当時は、核のドラム缶は国連のIAEA(国際原子力機関)の監視のもと厳重に封印されてきていて、アメリカの攻撃さえなければ、このようなツウェイサの惨事は起こり得なかったのである。

  バグダッドの大通り、耳を劈く轟音を唸らせて疾走するアメリカ軍戦車の群れ、イラク人を先頭に立てた10人一塊のアメリカ兵のパトロール隊が住民に向ける銃口、フセイン残党狩りと称して家々から男たちを狩り出し、両手を上げさせ連行して行く侵略軍の姿、他方、砲撃され道端でまだ黒煙を上げているアメリカ軍の戦車の残骸、深夜に響く銃撃音など--緊張感を掻き立てる状況は、まだ戦争は終わっていないのだと痛感させる。
 そんな状態の中に置かれた市民たちが抱いているのは、平穏な日常生活が戻ってきてほしいというささやかな願いなのだ--安心して子どもを学校に通わせることができ、十分食べさせられ、電話が通じお互いの安否を確かめ合い、電気の来ない暗闇の夜を子どもたちが怖がらなくていい、そして、クーラーの効いた病院で十分な治療が出来るといったささやかで切実な願いを、絶望の淵からただひたすら祈っているのだ。
 私たちの車に駆け寄り、「そこでおじさんが銃を発砲している!」と訴える子どもたち、見ると銃を持った男が数人の人達に羽交い締めになっている。ガイドのワリードさんは、「こんな事はしょっちゅうだ、家族や家をなくし仕事もない、おかしくなるんだ」と嘆く。戦争前の12月、多くの学校を訪れた。窓ガラスもない、てかてかに光る黒板に向かって一生懸命問題を解き、私たちに無邪気な笑顔を向けた元気溢れていた子どもたちの表情が、今回はどことなく荒み、私たちの周りに集まってくる子どもたちに訳の分からない脅威を感じさせられることすらあった。
 1ヶ月あまりの攻撃でとことん破壊されたのはイラクの人たちの家や身体だけではない。その心にも大きな傷跡を残していると感じた。

  一方、暗闇の中からも、未来を見据えて取り組もうとする意欲に充ちた若い医師たちにも出会った。バグダッド中央教育病院のDr.ムハマド・ハッサンは、「周辺国をはじめ国際的に働きかけてヨルダンで会合を持った結果、トルコ、ヨルダンなどのアラブ諸国や韓国、デンマークなどが患者10人ずつの治療を引き受けてくれることになった。これは第1段階で、今後日本にも非常に期待している。患者の移送は遠隔で出来ないが、医療技術そのほかで支援して欲しい」、「癌センターの設置を進めたい」と私達に熱意を持って話し、具体的な展望を持って取り組もうとしている。今後の連携支援の必要性を痛感する。
 マンスール病院のDr.アハマッド・カマルやDr.サルマは患者の尿採集に
積極的に協力し、その調査結果から彼らが直面している深刻な劣化ウラン弾の被害問題に光が当たる事に大きな期待を持っている。
 8月6日前後に広島に招聘するバスラの2人の医師、Dr.ジュワッド・アル・アリやDr.ジョナン・ハッサンも、臨床医である立場から劣化ウラン弾の被害の真相を日本各地で伝えようとしている。患者の尿を持ちこんで日本での検査に期待をよせるとともに、研究者でもある立場から日本の癌医療技術などを学んで帰る希望を持っている。
 また、バグダッドのDr.ナザール・ハムディなど3人の科学者たちは、土壌調査など、劣化ウラン弾の影響に関する本格的な調査を開始しようと専門家グループを現地で組織し始めている。日本に支援も求めてきており、すでに調査団は、放射線測定器の購入のための資金援助をして来た。
すでに私たちのプロジェクトでは、検査機器の獲得のための援助を約束した。
 今回の調査団訪問の目的の一つでもあった現地の医療従事者や放射能専門家とのネットワーク作りの基礎は築かれた。電話もメールも郵便さえ機能しない状態の中でも、国際的な連帯感を持ちながら、彼ら自身が希望を持って出発しようとしている姿をひしひしと感じた。
 今回イギリスのNGO「パンドラDU研究プロジェクト」のジョアンヌ・ベーカーさんともイラクで共に行動した。広島とイラク、そして国際的なリンクをつくり、この非人道兵器・劣化ウラン弾の禁止に向け大きな流れをつくっていきたい。




 「イラク戦争と劣化ウラン弾の被害を告発」
 −− 9/7 森瀧春子さん現地調査報告集会の報告−−