[シリーズ日本の軍需産業(下)]
米欧の軍需産業の世界的再編に乗り遅れ危機感抱く
米軍需産業への「従属化」「下請け化」で生き残り図る 日本軍需産業
−−日米軍需産業一体化の合同機関(IFSEC)を設立−−


 [日本の軍需産業(上)]で紹介・批判した経団連の7月20日付「意見書」には、1995年と2000年の提言に特に言及して、次のように書かれています。
 「日本経団連(防衛生産委員会)では、かねてより、提言『新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む』(1995年)や『次期中期防衛力整備計画についての提言』(2000年)などにおいて、防衛産業の立場から、防衛生産・技術基盤の強化に関する要望を行ってきた。」と。

 今回は、[T]その1995年と2000年の提言を、それが出された背景と合わせて見ていきます。そして、[U]1996年に設置が具体化した「日米安全保障産業フォーラム(IFSEC)」と、特にその「共同宣言」改訂版(2002年12月)を詳しく検討します。それらを通じて、日本の軍需産業が生き残りを賭けてどのような戦略を描いているのかを考察したいと思います。


[T]1995年と2000年の提言、およびその背景

(1)90年代に米欧で軍需産業の劇的大再編。世界の趨勢から取り残される日本
 経団連が「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」と題して、軍需産業の維持・強化について積極的な提言を行なったのは、1995年のことです。そこでは、現在露骨に主張している「武器輸出三原則」の撤廃と憲法の平和主義原則の放棄に直結する主張を、既にかなり踏み込んで展開しています。

 まず、「1.防衛のあるべき姿の明示」として、「冷戦の終結を受けて、新しい世界のあり方が各国で模索されており、わが国においても、今後の防衛力のあり方が検討されている。」という基本的な問題意識が提示されています。次いで、「2.防衛生産・技術基盤の維持・強化」を主張して、政府に「装備の国産化」への配慮を求めています。そして最後に、「3.国際協力のための環境整備」として、次のように述べています。
 「まずは、安全保障上、深い関係にある米国との間で、輸出管理政策の運用、研究開発成果の取扱い、民生技術に係わる企業の権利保護等を解決し、共同研究開発・生産を円滑に実施できる環境を整備すべきである。」と。

 ここでは少なくとも3つの重要な内容を読み取ることができます。
1)「輸出管理政策の運用」を再検討すべきことを述べていますが、これは事実上「武器輸出三原則」の放棄を検討するよう提言したものにほかなりません。
2)「民生技術に係わる企業の権利保護」を問題にしているのは、日本が世界をリードしている分野での「民生技術」の軍事転用を想定しているからです。
3)総じて、世界の最先端を行く米国との共同研究開発・生産を追求しようとしているということです。
※「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」(1995年5月11日)
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/pol042.html

 経団連が1995年にこの提言を出したのは、米ソ冷戦が終焉し1990年代に入って米国を中心に軍需産業の世界的な大再編が進展して、日本だけが世界から取り残されていくという危機感が生じたからです。

 米国では、1993年から軍需産業の大再編が始まりました。当時のペリー米国防長官が軍需産業のトップを集めて夕食会を催し、その席上で長官が防衛力の削減予定と国防予算の削減見積りを示し、生産能力の過剰を指摘して、5年以内に半分以上の国防企業が存続できなくなると予測し、軍需産業の大再編を促すスピーチをしたのです。当時この夕食会は、「米国防産業の最後の晩餐」と呼ばれました。これをきっかけに、多くの軍需産業が生き残りを賭けて統合・合併をくりかえし、あるいは撤退していきました。その結果、1990年代初頭には軍需関係の主要企業が60社あまりであったのが、2000年初頭には6社に整理・統合されました。ロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオン、TRW、ノースロップ・グラマン、ジェネラル・ダイナミックスの6社です。このうち、ノースロップ・グラマンとTRWが2002年に合併して、現在は5社体制になっています。

 米国での軍需産業のこの劇的な大再編は、数年遅れて欧州に波及しました。1993年にECからEUへと発展した欧州は、米国で軍需産業の大再編が始まったのをにらみながら、EUにおける「防衛産業」政策の共通戦略確立へと動きました。1995年夏に、EUの閣僚理事会が欧州の武器政策に関する作業部会を設置し、翌1996年1月には欧州委員会が欧州「防衛産業」の統合・合併の促進に乗り出しました。
 経団連が1995年に危機感をつのらせて提言を出したのは、このような米国から始まり欧州に波及した、軍需産業の大規模な再編の波が背景にあったのです。
※参考:「わが国防衛産業の現状と技術基盤・生産基盤の維持・増進」(財団法人ディフェンス リサーチ センター/重村勝弘) http://www.drc-jpn.org/AR-6J/shigemura-j02.htm
「欧州連合の防衛産業戦略・政策から見たわが国の防衛産業政策への示唆について」(同)
http://www.drc-jpn.org/AR-7J/shigemura-03j.htm


(2)軍事技術・装備の高度ハイテク化と研究開発プロジェクトの大規模化 :「冷戦型」から「地域紛争対処型」への転換を伴って
 米欧での軍需産業の大再編は、2000年ごろには一段落し、現在の体制がほぼ固まりました。その間、90年代を通じて米国は、軍事技術・装備の高度ハイテク化と、「冷戦型」から「地域紛争対処型」への転換を強力に推し進めていきました。それは、新たな軍事技術・装備の研究開発の大規模化をもたらしました。米国もEU諸国も一国だけでは負担を担いきれなくなり、90年代の末ごろから多国間での共同研究開発が多くなっていきました。もちろんそこで主導権を握っているのは米国です。

 EUにとって大きな転換点となったのは、1999年のコソボ紛争でした。このときEU諸国は、軍事技術・装備についての米国との格差を見せつけられたのです。EU内での軍需産業の大再編は、米国に少し遅れただけで、企業の規模や経営体制に関しては米国企業と対等に競争できる体制を整えつつありました。しかし、兵器のハイテク化を中心とする軍事技術・装備の面では、とうてい米国に太刀打ちできないという現実を突き付けられたのです。このときから、EU諸国内での研究開発における多国間協力と軍需産業のいっそうの再編が加速していきました。

 経団連の「次期中期防衛力整備計画についての提言」(2000年)が出されたのは、このような状況のもとにおいてでした。
 この提言では、日本が米欧に取り残されてしまうという危機感は、95年段階よりもはるかに深まっています。「T.防衛産業をめぐる環境の変化」の最後、「4.国際的な防衛産業の統合と国際的提携」では、次のように述べられています。
 「欧米ではここ数年、防衛企業の統合・再編が進められてきた。最近は、米国防衛企業と欧州企業の提携に向けた動きも見られ、防衛装備品の国際的な共同研究や開発が増えていくと考えられる。わが国防衛関連企業も、そのような世界の動きから孤立して技術基盤を維持していくことは困難であり、技術基盤の強化に努める一方、米国防衛企業等との提携(包括提携、試験・要素研究)や共同開発、国内における同様の提携等も視野に入れる必要がある。」と。

 ここで注目すべきことは、「世界の動きから孤立して」日本の軍需産業を維持し発展させていくことは困難であると認識し、「孤立」から脱するために米国軍需産業と積極的に結びついていこうとする戦略を描いていることです。この点は、さきに見た1995年の提言にも既にあらわれていましたが、いっそう具体的になって「米国防衛企業等との提携」と述べられています。これは、1997年1月に「日米安全保障産業フォーラム」が第1回会合を開いて始動し、日米軍需産業の協力関係が緊密化したことを反映したものです。これについては後で詳しく触れます。

 提言は、「U.次期中期防衛力整備計画の課題」として、まず「1.重点的に国産化すべき防衛装備・技術の明確化と研究開発費の増額」を要求しています。次いで「2.技術基盤強化に資するプロジェクトの推進」として、ITを中心とする高度ハイテク化の必要性を強調しながら、「その際、防衛予算という枠組みに留まらず、政府全体の危機管理体制の整備という観点から予算等を確保し、整備を推進することが重要である。」と述べています。
 ここでは、「防衛予算」という従来の「枠組み」=制約を取り払って軍事費の大増額へ道を開く方針を確立するように提言しているのです。さらに、この段階で既に、MD(ミサイル防衛)の推進が「望まれる」とされています。軍事予算の大増額を実現していく新たな方針確立を迫っているのは、今後長期にわたって多額の予算が必要とされるMDの推進と軌を一にしていると思われます。
 そして最後に、「4.国際的提携のための環境整備」として、「輸出管理政策」(=武器輸出三原則)を見直して「共同研究開発・生産を円滑にできる環境を整備すべきである。」と結んでいるのです。
※「次期中期防衛力整備計画についての提言」(2000年9月19日)
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2000/045.html


[U]2002年12月のIFSEC「共同宣言」改訂から現在策定中の新防衛大綱へ

(1)日米軍需産業の合同機関(IFSEC)設立
 1995年の提言の後、事態は急速に進み始めました。翌1996年には、「日米安全保障産業フォーラム / The US-Japan Industry Forum for Security Cooperation(IFSEC)」が設立されました。第1回会合は1997年1月です。これは、米国と日本の軍需産業の主要企業が「対話を促進」し、「両国政府に対して提言を行なうために」設けられたものです。このIFSECは、米国側8社と日本側12社で構成されています。

(米国) ボーイング、ジェンコープ・エアロジェット、ジェネラル・エレクトリック、ロッキード・マーチン、ノースロップ・グラマン、レイセオン、サイエンス・アプリケーションズ・インタナショナル、ユナイテッド・ディフェンス・LP
事務局:全米防衛産業協会国際委員会

(日本) 三菱重工業、石川島播磨重工業、川崎重工業、島津製作所、東芝、アイ・エイチ・アイ・エアロスペース、小松製作所、ダイキン工業、日本電気、日立製作所、富士通、三菱電機
事務局:日本経済団体連合会防衛生産委員会

 日本側事務局が経団連防衛生産委員会に置かれているということは、このフォーラムが日本の財界全体としての取り組みであるということを示しています。経団連防衛生産委員会の委員長は、三菱重工業会長で経団連副会長の西岡喬氏で、言うまでもなく三菱重工業は日本の軍需産業を牛耳るトップ企業です。


出所:日本経団連「7.20提言」の参考資料の7の表「わが国防衛産業の防衛依存度」
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2004/063shiryo.pdf

 IFSECは、1997年10月に「共同宣言」を作成しました。そこでは、「防衛産業間の協力がより緊密になれば、日米双方の防衛生産・技術基盤にとって有益であり、日米間の相互運用を支えるとともに、結果として日米同盟の強化に繋がる」と宣言されました。その5年後、2002年12月に「共同宣言」が改訂され、現在進展している事態を先取りするような提言がなされました。
 この「共同宣言」の改訂が行われた2002年12月というのはどういう時期であったのか、ここで改めて振り返ってみたいと思います。米国の対アフガニスタン戦争1周年の反戦デモが全世界で行われた後、対イラク戦争反対運動が最高潮に達していこうとする時期でした。私たちも含めて、全世界の反戦平和運動に立ち上がった人々が、自分たちのこの運動で何としても対イラク戦争を阻止しようとしていた時でした。今から思えば、このとき米国は対イラク戦争を何が何でも行うことを決めていたし、それに積極的に加担した諸国の政府は、米国の固い決意を知らされていたにちがいありません。日本政府もイラク戦争開始とそれ以降の状況にどう対応するかを決めようとしていた時期ではないでしょうか。そのような重要な節目に出されたこの「共同宣言」改訂版は、その後の日本政府の対応に重大な影響を及ぼしたと考えられます。
 以下、「日米防衛産業界の関心事項」と題された「共同宣言」改訂版の内容を詳しく見ていきましょう。
※「日米安全保障産業フォーラム(IFSEC)共同宣言/日米防衛産業界の関心事項」
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2003/005j.html


(2)米軍需産業の「下請け」になることで生き残りを図る
 まず「はじめに」で、IFSEC設置の経緯を簡単にふり返った後、こう述べています。「IFSECの対話において、冷戦の終了に伴い、防衛産業に大きな変化がもたらされたことが指摘された。技術の進歩、防衛調達の減少、コストの増加等に直面するなかで、防衛生産・技術基盤を維持する必要があることから、防衛装備の取得における互恵的な協力の重要性が高まっている。IFSECのメンバー間でも、日米の防衛産業協力のあり方が、単なる供給者(米国)と顧客(日本)の関係から、将来の防衛システムの開発におけるパートナーシップを構築する関係へと発展していることが認識されている。この防衛協力の発展は、連携協力が市場での取引や調達という枠を超えて、将来の防衛装備のニーズの共有にまで及ぶに違いないことを意味している。」と。

 ここから読み取れることは、米国と日本が「将来の防衛装備のニーズの共有にまで及ぶ」連携協力関係を展望しているということです。では、それは何を意味するのか。大再編を経た米国の巨大軍産複合体と、これまでさまざまな制約を課せられて十全な発展をとげられなかった日本の軍需産業との、対等な連携協力関係など考えられません。
 米国側は、日本を単に「顧客」と見る観点をあらため、日本のすぐれた「民生技術」を軍事転用することに戦略的な利益をみて、日本の軍事関連諸企業をとり込もうとしていると思われます。それに対して日本側は、長らく米国軍需産業の単なる「顧客」になることに抵抗して自前の「国産」にこだわってきた姿勢を大転換して、巨大米国軍産複合体と積極的に結びついていく中で、いわばその「下請け」になることで生き残りをはかろうとしているように思われます。そこにおいて、日米の軍需産業の基本的な利害が一致したのではないでしょうか。


(3)軍事作戦上の要求が全面に出る
 IFSEC「共同宣言」改訂版は、その改訂の必要性をこう説明しています。
 「IFSECが初めて開催された当時、防衛産業協力は、日本に対する米国の装備品の販売やライセンス供与が中心であった。防衛関連技術に関する研究開発活動は軍事作戦上のリクワイアメントに関して、ほとんど配慮を払うこともなく、例外的に扱われてきた。それ以来、日米の相互依存関係が地域的安全保障の利害関係に及ぼす影響力が強まり、共同防衛運用の重要性が高まってきたため、今度は日米防衛プログラムの中心に軍事作戦上のリクワイアメントの概念を据える必要性が高まってきた。」と。
 ここでは、ブッシュ政権と小泉政権の成立後の、とりわけ 9.11以後の、日米の政治的緊密化のもとで、日米軍事同盟が1996年前後の変化から、さらに大きく変化したことが示されています。つまり、それまで「例外的に扱われてきた」「軍事作戦上のリクワイアメント」が、「共同防衛運用の重要性が高まってきたため」に焦点化してきたのです。軍事面における日米一体化の急進展が、既にここで語られています。

 さらに、日米政府が積極的に従来の法的・行政的枠組みを見直し改訂していくことを提言して、こう述べています。
 「産業界の対話は、政府が法、政策、規制によって許容した範囲内でしか実施することができない。不幸なことに、政府の実態は、以前の状況を未だに引きずって、産業界の対話を制限しており、日米防衛協力を推進するには不十分なレベルにある。米国企業は入念なライセンス手続を経なければ、日本側の取引先と共同プログラム候補の基本的な概念について話合いを行なうこともできない。日本企業は日本政府が許可したプログラム以外の部分について、米国企業と研究を行なうことが認められていない。このような政府の政策、手続によって、日米産業界は協力できる可能性があるものを検討することさえ妨げられている。」と。
 ここでは、軍需産業を中心とする産業界の要望が政治と法律に十分反映されていない苛立ちが、露骨に表明されています。これが2002年12月の段階であったのです。この財界の要望に沿って、「日米防衛協力」の暴走とも言える状況が始まったのではないでしょうか。

 「共同宣言」改訂版は、その提言概要を3点にまとめています。
1)「より開かれた防衛産業間対話が進められるように」日米政府間で「包括的な分野の了解覚書」を検討すべきこと。(つまり、米国が必要とする技術を持っている企業に、制約なしにアクセスできる体制をととのえること。)
2)「日本政府は日米の防衛開発、生産の協力に資するよう、現在の武器輸出管理政策について、輸出制限の例外を広げる形で、より柔軟な運用を行なうべき」こと。(つまり、「武器輸出三原則」を形骸化させて事実上撤廃すること。)
3)日米政府は、「知的財産権の保護に関する合意を図り、民間の派生技術の所有権を確保するための明確な基準を設けるべき」こと。(つまり、民間の技術を軍事転用する際のルールづくりを行うこと。)
 その上で、MD(ミサイル防衛)については、追加で事細かに提言しています。


(4)ミサイル防衛(MD)をめぐる日米財界の要求
 「共同宣言」改訂版は、最後に追加として、「参考:IFSEC共同宣言の趣旨に沿ったBMDの日米協力のあり方」を提言しています。それは、「現状」、「イージスBMDシステムに関する共同開発」、「イージスBMDの関係システムの共同生産」の3項目ですが、かなり具体的に述べられています。順を追って見ていきましょう。

「現 状
○SM−3ミサイルの4つのコンポーネントに関する共同研究が行なわれている。
○各国が同時並行で進めているが、各国政府により、個別のマネージメントが行なわれている。産業間の対話は政府が指定した主契約者に限定されている。
○研究の了解覚書(MOU)が指定した範囲外では産業間の対話が認められていない。
○現在の日本の武器輸出管理政策の下では、日本のデータや試作品の米国への移転は認められているが、関係する第三国への移転は認められていない。
現在のBMDに関する日米協力の枠組みは、共同研究の段階では十分な内容だが、全体システムの開発、生産での連携を行なう上では十分ではない。」

 ここでは、日本の民間企業でミサイル防衛に必要な技術をもつ企業であっても、自由に「対話」ができないという不満と、「武器輸出三原則」のために新たな「開発・生産」に進めないという不満が、明瞭な形で語られています。そしてそれらを解消するために、次のように提言しています。

「イージスBMDシステムに関する共同開発
○現在の研究に関する了解覚書(MOU)に含まれた関係企業も参加する形で、イージスBMDシステム開発に関する産業間対話を推進すべきである。対話の範囲は現状のようにミサイルの4つのコンポーネントに限定せずに、関心がある領域に広げるべきである。
○そのような産業間対話を認めるような、BMDの開発に関するMOUについての交渉を行なう。MOUの条文もしくはこの他のMOUも含んだ包括的な合意によって、技術保護を図るための知的財産権に関する適切な合意を行なう。
○開発中のイージスを基礎としたミサイル能力の高さから、イージスBMDは他の米国の同盟国も関心を寄せている。多国間の研究開発コンソーシアムに米国や他の同盟国とともに、日本企業が参加することを認める。」

 「開発に関する産業間対話を推進すべき」だが、その「対話の範囲は...限定せずに、関心がある領域に広げるべき」で、それを可能にするように政府間での「了解覚書」を取り交わせと迫っているのです。そして、「共同生産」に道を開き、MDを通じて日米軍需産業の一体化を推し進めようとしているのです。

「イージスBMDの関係システムの共同生産
○ミサイルだけでなく、イージスシステムの構成品も含め、イージスBMDミサイルと他のコンポーネントの共同生産を行なう。
○日米間でハードウエアの構成品について双方向の移転を認める。
○ケースバイケースで、日本の技術によりつくられたイージスBMDシステムやコンポーネントの移転を認める(日本で生産されたハードウエアの第三国への移転については、プログラム開発として検討する)。 」

 ここでは「イージスBMD」のこととして述べていますが、これが実現すれば、もはや日本の軍需産業にとって制約は何もないに等しくなります。まさに自由に武器取引のできる「普通の国」になるに違いありません。


(5)宇宙開発の遅れにも危機感。宇宙の軍事利用を目指し「平和利用原則の見直し」を迫る
 最後に指摘しておかなければならないのは、日本のミサイル開発能力向上を狙い目とする宇宙開発についてです。日本のミサイル開発はどこまでも純粋に平和的であって、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のノドン、テポドンは純粋に軍事的侵略的だという、日本の政府与党やメディアの宣伝には辟易としますが、経団連はもっと「正直」であり露骨でストレートです。「宇宙の軍事利用」を要求しているのです。

 宇宙開発の領域でも、米国が世界で突出して優位にあり、それに対抗してEUが独自の衛星システム開発に乗り出そうとしているという状況です。ここでも経団連は、日本が世界の趨勢から取り残されるという危機感を表明しているのです。
 この危機感は、昨年後半のH−2.A6号ロケット打ち上げの失敗により、それに関連する諸計画が軒並み中断・延期されたことで、一層つのりました。今年6月22日に、経団連は、「宇宙開発利用の早期再開と着実な推進を望む」という意見書を発表しています。
※「宇宙開発利用の早期再開と着実な推進を望む」http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2004/055.html

 その冒頭では、「昨年後半のロケット、衛星の失敗による信頼性の低下や厳しい財政状況を背景とした宇宙開発予算の長期低迷により、わが国の宇宙開発全体の地盤沈下が強く懸念される。」と、かなりの危機感が表明されています。
 そして「今、重要なことは、失敗に揺らぐことの無い国策として、基本方針を着実に遂行することであり、国際的な潮流に乗り遅れることなく、適時適切な資源配分を行なうことである。」と述べています。そして「当面の重点課題」として、宇宙の利用の重要性を強調しながら、宇宙の軍事利用に道を開くことを求めているのです。「安全保障・危機管理における、宇宙利用の重要性の増大に鑑み、宇宙の平和利用原則の解釈を国際的な整合性を踏まえて見直し、国民の安心・安全のために宇宙の最先端技術を活用できるようにすべきである。」と。

 「シリーズ(上)」でも指摘しましたが、日本は1969年の国会決議で「宇宙の平和利用原則」を確立し、宇宙を軍事目的で利用することを一切禁じています。しかし、国際的には、「宇宙の平和利用」というのは防衛的な軍事利用は許されると解釈されています。「宇宙の平和利用原則の解釈を国際的な整合性を踏まえて見直し」というのは、そのことを言っているのです。「7.20意見書」でも、「宇宙の平和利用」の解釈を国際的な解釈に合わせることを繰り返し提言しました。
 ここで問題にしなければならないのは、宇宙開発と軍需産業の生き残り戦略とMD推進との関係です。苦境に陥っている宇宙開発の現状を打破する切り札として、軍事と結びついた宇宙開発を、MDの推進をテコとして実現しようとしているのではないでしょうか。その意味で、MD推進は、軍需産業の生き残り戦略の中心環であり、かつ宇宙開発の維持強化策の中心でもあるのです。そしてそれを、米国に従属し、いわばその「下請け」化することで実現していこうとしているのです。

2004年9月5日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




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