改めて戦争責任を追及する[シリーズその2]
最高裁が日本軍「慰安婦」・強制連行裁判で不当な政治判決
◎こじつけの国際法解釈に基づき、侵略加害を免責
◎憲法改悪=戦争国家への策動と連動


はじめに−−歴史的な反動的政治判決

 最高裁判所は4月28日、従軍慰安婦や中国人強制連行等に関する損害賠償請求上告審において、「日中共同声明」によって請求権は消滅したと判決した。この判決によって、残っている20数件の同種の裁判は原告敗訴が決定的となり、日本政府や日本企業が戦争中に中国人に与えた損害は一切免責されることとなった。そればかりではなく今後、中国を含めて日本と平和条約を締結した全ての国家の国民による同種の損害賠償請求に関する訴訟が一切不可能となった。まさに、多くの戦争被害者の権利を十把一絡げに踏みにじる、「歴史的」不当判決である。
 これまで各地で、粘り強い同種の裁判闘争が長期にわたって闘われてきた結果、政府と企業は次第に追い詰められてきた。政府や企業は、自らが隠してきた多くの資料が暴かれ、事実認定ではまったく反論ができなくなり、ひたすら責任回避の法律的逃げ口上として、国家無答責論や訴訟提起にかかわる除斥期間論・消滅時効論、日華条約による賠償責任放棄論を唱えてきた。だが、これらさえも、下級審で次々と論破されてきたのである。したがって、もはや法理論では勝てなくなった現在、最高裁は、政府と企業を一挙に免責するために、上記の法律争点に誠実に答え得る代わりに、「最初から結論ありき」とする政治判断に基づき、およそ法理論としては成立しない、全くずさんで強引なこじつけ的論法を展開したのである。この意味でも、歴史に残る反動的政治判決である。
 かつて日本帝国主義は、満州を侵略し満州国をでっち上げ、法律の名によって中国人を弾圧し略奪を正当化した。中国人はこのような日本帝国主義を「法匪」(法によるギャングの意味)と罵ったが、今回の判決は再販「法匪」というほかはない。


[1]主な訴訟の概要

a. 「従軍慰安婦」強制連行事件
 最高裁判決は「現在80歳の女性二人(うち一人は死亡)が13歳と15歳であったとき、日本軍に拉致され兵士から繰り返し性的暴行を受け、その後も精神的に苦痛を受けた」との下級審からの事実認定を踏襲せざるをえなかった。一審の東京地裁がまず同様の事実認定を行ったが、大日本帝国憲法下における国家の無答責(国家はその不法行為によって責任を負わない)等の理由によって日本政府の賠償責任を認めなかった。二審の東京高等裁判所は国家の無答責とともに「日華平和条約」を根拠として請求権を否定した。
 今回の最高裁判決は、請求棄却理由を「日華平和条約」ではなく「日中共同宣言」に変更した上で、請求権を認めなかった。ただし、上記の事実認定どおり、「従軍慰安婦」の強制連行については、証拠・証言を否定することが出来ず法認を余儀なくされた。安倍首相が我流の拉致解釈で、「従軍慰安婦」の拉致を否定することは、今後は法的には成立しなくなったのである。

b. 西松建設強制労働事件
 宋継尭さんら元労働者二人と遺族三人は西松建設に対して、戦時中の強制労働で被った被害に対して損害賠償を請求した。西松建設は1944年、中国から360人の中国人を連行し、水力発電所の建設現場でトンネル堀などをさせた。西松建設は粗末な食事しか与えないなど劣悪な労働条件と警察官・監視人の殴る蹴るの暴行の下で労働が強制した。被害者は被爆した者、すでに被爆死した者、宋さんのごとくが事故にあい、両目失明となる重傷を負ったにもかかわらず満足な医療も与えられなかった者など、奴隷的労働を強制された。戦後、宋さんは48年ぶりに広島を訪れ、西松建設に公式謝罪・精神的肉体的苦痛に対する損害賠償・歴史的事実を明らかにする記念館建設を要求したが、西松建設は当時は国策に基づいて行ったものとして、これらの要求を一切拒否した。元労働者と遺族の5人は1998年、損害賠償を求める訴えをおこした。
 広島地裁は、西松建設の不法行為責任については20年間の除斥期間(訴えを起こすことが出来る期間)を超え、債務不履行責任については10年間の時効が成立していることを理由に訴えを退けた。
 これに対して広島高裁は2004年、西松建設に安全配慮義務違反があったとして損害賠償請求を認める、高裁としては画期的な判決をくだした。@判決は、極めて詳細な事実認定を行い、さらに1993年から始まる西松建設の不誠実な態度も判決に当たって考慮した。A不法行為に関する除斥期間20年については原審判決どおり、その適用を認めた。(後掲「劉連仁国家賠償請求事件」東京地裁判決や福岡裁判所判決9002.4.26では除斥期間を適用することが著しく正義公正に反する場合はこれを適用せずとしている。この点では、当高裁判決には再考の余地は残されている)。B安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効10年の適用については、これを認めなかった。なぜなら、戦後の中華人民共和国の方針に基づく同国人の出国の不可能性、宋さんらの貧困な生活と高価な渡航費用等の特殊事情を考慮すれば、時効消滅内に訴えを起こすことは不可能である。したがって、時効を援用して西松建設の損害賠償義務を免除することは権利濫用に相当するとした。B「日中共同声明」「日華平和条約」における中国政府の賠償請求の放棄をもって、個人の賠償請求権を消滅させることはできない。国際法の原則として国家によっては本来、個人の請求権を消滅させることはできない。なるほど、サンフランシスコ講和条約第14条(b)は、国家の賠償権と連合国と連合国国民の請求権は放棄しているが、これから類推して、「日中共同声明」が個人の請求権を放棄したと解釈できない。なぜなら、中華人民共和国はサンフランシスコ講和会議に招請もされていないこと、サンフランシスコ講和条約は国家の賠償請求権と個人の請求権を書き分けているのに対して、「日中共同声明」は中国政府の賠償請求放棄のみを宣言し、中国人個人の請求権の放棄には言及していないからである。
 法律の適用に際しては、具体的な状況を勘案するとともに、法律の文言に即することが最低限の条件である。国際法の解釈に関しては、とくに「条約に関するウイーン条約」があり、その第31条はわざわざ次のように記している。「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられた用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする」。広島高裁の判決はまさにこの原則に忠実に従ったものである。
 最高裁は、広島高裁の綿密で現実に即した判決にはまともな反論は不可能であった。したがって、詳細な事実認定や法律の趣旨に基づいた誠実な法的判断を行う代わりに、「日中共同声明」を根拠として、強引きわまる論法を重ねて訴えを退けたのである。とはいえ、最高裁裁判官はよほど「良心の痛み」に耐えかねたのであろうか、「被害者らが被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかったこと、西松建設は中国人労働者らに強制労働に従事させて相当の利益を受けていることなどの事情を考慮すると、西松建設を含む関係者に被害者救済に向けた努力が期待される」と結論した。逆に言えば、ここまで被害実態が認識されているにもかかわらず、国際法のこじつけ解釈によって原告敗訴としたのは、最高裁に政治的考慮が働いていたことの一端を明らかにするものである。

c. 劉さん事件
 劉連仁さんは戦争中、中後から強制連行され北海道内の炭鉱で強制労働に服していたが、脱走し、日本の敗戦を知らないままに1958年まで13年間、逃亡生活をおくっていた。劉さんは政府に損害賠償を訴えたが、裁判途中で死亡し遺族が裁判を引き継いだ。
 一審の東京地裁は2000年、国の保護義務違反を理由に国に2000万円の支払いを命じた。その際、除斥期間の適用については、「正義公平」に反するとしてこれを適用しなかった。これに対して、東京高裁は2005年、「逃亡当時、国家賠償法上の日中間の相互保障がなかった」として遺族側の請求を棄却した。最高裁は、遺族側の上告を理由なしとして棄却した。


[2]最高裁判決のトリック

 上告棄却を行った一連の最高裁判決は、不当な類推・拡大解釈と政治的判断に基づくものである。

a. 「日華平和条約」による請求権の放棄について
 判決は「日華平和条約」の有効性そのものを論じるのではなく、中国大陸に住む原告らに対して「日華平和条約」による請求権の放棄の効力は及ばないとした。最高裁は今年3月、「光華寮裁判」において、同寮を台湾政府所有と判決した大阪高裁判決(1987年)について差し戻し判決を行った。大阪高裁判決に中国政府が強く抗議し外交問題化したため、上告審が20年間、放置されていた事件である。「光華寮裁判」差し戻しによる中国側勝訴と今回の中国人賠償請求棄却とをバランスさせたのではないか、というのが弁護団の推理だとも報道されている(「朝日新聞」2007.4.28)

b. 「日中共同声明」第5項による請求権放棄について
 「日中共同声明」第5項は、中華人民共和国政府の賠償請求権の放棄を宣言しているが、広島高裁判決が指摘するとおり、サンフランシスコ講和条約が連合国の賠償放棄と連合国・連合国国民の請求権の放棄を区別しているのとは異なり、「日中共同声明は」は中国政府の賠償責任放棄を宣言するのみで、中華人民共和国国民の損害賠償請求権の放棄は一切述べていない。したがって、同「声明」が個人の請求権行使に効力を及ぼすものではないことは明らかである。それにもかかわらず、最高裁判決は西松建設の主張と同様、サンフランシスコ講和条約の類推解釈に基づき、「日中共同声明」において個人の請求権が放棄されているとの拡大解釈を行ったのである。これが原則的な誤りであることはすでに上掲の広島高裁判決が明らかにしたとおりである。ところで「日中共同声明」で中国政府が賠償請求権放棄を宣言したのは、最高裁判決が明示するとおり、日本政府が「日華平和条約」で賠償問題が解決済みであると主張したことに対して、中国政府が「日華平和条約」を無効と見做し、その結果、双方の政治的妥協の産物として「日中共同宣言」の文言に落ち着いたのである。したがって、中国政府の賠償請求権放棄については、中国国民の賠償請求権放棄までに深く踏み込んで合意したものではありえないことは明々白々な事実である。
 最高裁はいくつかの推定に基づいて「日中共同声明」を「日中平和友好条約」と同等の国際条約と見做し、その法的効力を主張している。だが、後者は国会において批准された国際法規であるが、最高裁も言及しているとおり、前者は日本では内閣の行政権限に属する宣言であり条約としては扱われてはいない。「日中共同声明」が政治的には極めて重要な文書であっても、それが法規範としての効力を持つか否かは、自ずと別問題である。仮に中国側が「日中共同声明」を条約と同等視しているとしても、上記の諸理由によって、それが中国国民の個人的請求権の放棄を意味するものではないことは論をまたない。上に指摘した、条約解釈に関する「ウイーン条約」の意味を改めて想起しなければならない。
 最高裁判所の法理に従えば、中華人民共和国の国民のみならず、サンフランシスコ講和条約とは別に2国間協定を結んだ韓国その他の諸国(インド、タイ、旧ソ連、ポーランド、インドネシア、マレーシア)等の国民の個人的な損害賠償請求権も消滅し、皮肉なことに、平和条約の未締結の朝鮮民主主義人民共和国や日韓協定の対象外とされ在日韓国人だけに損害賠償請求権が残されることなる(「朝日新聞」2007.4.28)。
 いずれにしても、日本政府が憲法改悪を行い、再び大っぴらに海外派兵、海外侵略を可能にしようとしている現在、今回の最高裁判決はまるでこれに符節を合わせるがごとく、過去の戦争犯罪を免責するだけではなく、再び日本帝国主義がアジア諸国民にいかなる戦争被害を与えても、その法的責任は免責されるものと宣言したに等しく、きわめて反動的・好戦的判決と弾じなければならない。

2007年5月16日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局