2005年「つくる会」公民教科書を批判する
「集団的自衛権」行使=侵略戦争を声高に叫び、自衛隊の侵略軍化を要求する「教科書」
◎まるで『防衛白書』か自民党・極右の『政治宣伝パンフレット』
◎平和と憲法9条を憎悪し、子どもたちに憲法改悪を教えるよう強要



【1】はじめに−−「つくる会」教科書を一冊も生徒に渡してはならない!

 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)は、今年を「勝負の年」として再度、歴史教科書と公民教科書を検定申請し、4月5日に検定合格、全採択区に供されることになった。「つくる会」教科書の採択をめぐっては、まさに4年前に一戦を交えたのだった。2001年度に、かつての日本軍国主義が暴虐の極みを尽くしたアジア近隣諸国人民の心底からの憤怒と日本国内の採択阻止行動が広範な人々を巻き込んで展開された結果、「つくる会」教科書採択率が0.039%に圧しどどめられたのがそれである。その事実があるにもかかわらずこの度、自民党と一体となった教科書採択制度改悪の策動や検定審査中における検定本(白表紙本)漏出禁止も侵した教育関係者への事前配布など、なりふり構わぬ姿勢で巻き返しを図ろうとしてきている。
 私たちも国内外の採択反対運動と力をあわせて、「つくる会」教科書に対する批判活動、採択反対運動を闘っていく決意である。「つくる会」教科書を一冊も生徒たちに渡してはならない。そのための一助となるように、まずここで、わたしたちは「つくる会」の公民教科書のもつ極めて危険で反動的な内容を暴きだしたいと考える。



【2】 もはやこれは教科書ではない! 極めて露骨に政治的軍事的に変貌を遂げた「公民教科書」

 今回の「つくる会」公民教科書は現行本と比較して、その論旨は極めて凄まじく政治的になり自民党の党派的主張をそっくりそのまま述べ立てるものであり、露骨なまでに軍事大国化を煽るものに変貌を遂げた。主要な特徴は、自衛隊の海外派兵と集団的自衛権の容認、およびそのための憲法9条改悪を眼目とする「改憲」である。

 その一方で現行本では随所に見られた「つくる会」の独特のシェーマは姿を消している。現行本の代表執筆者・西部邁(秀明大学教授)の個人的信条を教科書として書き連ねたのだろうが、「戦後日本は悪しき純粋近代主義に染められてきた。」「民主主義、産業主義、国際主義にどっぷりつかってしまうと、確かな価値観や倫理観が見えにくくなってしまう。」「人間のサイボーグ化ではなく、血の通った人間関係、・・・故郷意識から国家意識に至る広い意味でのナショナルな感覚が、高度情報社会に対する抵抗の砦となる。」「(民衆の)健全さを保証する唯一のものが歴史感覚、伝統精神である。」「村落共同体」「都市と田園の再生」等々の記述の如く、これら古臭い精神訓話を聞き、非合理主義を学ぶことを求め、「近代化」「進歩主義」「合理的精神」「科学的精神」「民主主義」「国際主義」等々の限界を説き、これらを頭ごなしに現行本は否定していた。これらは今回はほとんどとっていいほど踏襲されていないのである。たった4年でお払い箱になるほどの程度のものだったということなのだろう。

 わたしたちは2001年に現行本に対して「明治憲法と教育勅語の復活目指す公民教科書」であると根本的な批判をおこなったが、今回それでは充分なものではなくなってしまった。対象の変化に対応して批判の重点も変えていかなければならない。
 以下にその具体的記述に即して批判していく。



【3】 自衛隊海外派兵と「集団的自衛権」行使容認、軍事大国化を煽る書

(1) まさにこれは『防衛白書』−−「教科書」の結論は「世界平和」のための日本の軍事大国化路線
 章立て構成で、最終章として第4章に「世界平和と人類の福祉の増大」を設けたこと自体が決定的なことである。
 現行本と白表紙本の章構成は次の通りである。
<現行本>
序章 なぜ「公民」を学ぶのか
第1章 現代文化の価値と規範
第2章 現代政治の制度と目的
第3章 現代経済の仕組みと働き
第4章 現代社会の暮らしと問題点
第5章 どんな「未来」が待っているのか

<白表紙本>
第1章 現代社会と私たちの政治
第2章 国民生活と経済
 第1節 私たちの生活と経済
 第2節 国民生活と福祉
第3章 現代の民主政治とこれからの社会
 第1節 日本国憲法の基本原則
 第2節 民主政治と政治参加
第4章 世界平和と人類の福祉の増大

 一見してわかるように、現行本の序章が、先に見たように「つくる会」の政治的意図に不要な部分(現行本の序章と第1章)はカットされ、代わりに白表紙本の第4章が新しく付け加わったのである。その付け加えられた部分の内容を見てみよう。以下がその項目である。
 「43 外国との関係」「44 主権国家(国旗と国歌)」「45 国家間の協力と世界平和の実現」「46 国際連合の働き」「47 わが国の防衛と課題」「48 冷戦後のわが国の役割」「49 地球的規模の環境問題」「50 資源・エネルギー問題」「51 食糧問題」「52 環境を守る」
 これは教科書ではなく、防衛白書を読んでいるのかと見紛うほどの項目が並んでいる。しかしこれだけではない。その一つひとつの記述内容に注意しなければならない。

(2) 「43 外国との関係」―――領土問題や海外権益の保持などの帝国主義的「国益」を守る軍事力と経済力
「外交は常に友好的、平和的に行われるとは限らない。外交は、国際社会のルールに基づいて行われるが、各国は自国の利益、すなわち国益を守ろうとするために、時には軍事力や経済力を利用することもある。」(p.126)
 無批判的に外交問題の解決に軍事力を行使することを紹介するということは、それを半ば容認していることである。「各国」の中に日本を例外とするような脈絡では決してない。日本もこのようにすべきというのか。

「国連中心外交を唱えてきたわが国は、安全保障理事会の常任理事国入りに意欲を示し、経済大国にふさわしい政治的地位を得ようとした。しかし、1991年に起きた湾岸戦争をはじめ、国際テロ事件やイラク戦争などをきっかけに、わが国の政治的、軍事的貢献や安全保障体制の見直しなどが大きな課題となってきた。さらに、日米安全保障条約に大きく依存してきたわが国だが、北朝鮮の拉致問題解決など、独立国家として主体的な対応を求める声も上がっている。」(p.127)
 まさしく今日政治問題になっている自衛隊の海外派兵や「北朝鮮」経済封鎖に一方的にエールを送るものである。(「北朝鮮」の国名に正式名称=朝鮮民主主義人民共和国は、併記も含めてこの教科書のどこの箇所でも用いられていない。この不誠実さにもひどいものがある。)

(3) 「44 主権国家(国旗と国歌)」―――挑発的な領土保有宣言こそが主権の行使、しかも国旗・国歌はこうした国家意識を育てる!!
「わが国も近隣諸国との間で領土問題を抱えている。国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島の北方領土、日本海上の竹島、東シナ海上の尖閣諸島については、それぞれがロシア、韓国、中国がその領有を主張し、一部を支配しているが、これらの領土は歴史的にも国際法上もわが国の固有の領土である。」(p.128)
 主権国家の項において述べられているのはこうした「国家主権の侵害」としての「領土問題」だけであり、しかもそれを挑発的に領土保有宣言するだけであり、「領域の画定は領土をめぐる主権の対立を引き起こし、国際紛争の原因となることが多い」(p.128)と、先の項の「軍事力や経済力を利用」と重ね合わせて読むとき、危険な戦争挑発的態度を生徒たちに教員が教えることにつながっていくだろう。

 さらに主権国家の項の中で「国旗と国歌」に1ページを割く。
 国旗・国歌法全文を紹介したうえで、その役割として「社会の一体感や共同防衛意識を守り育てるため、これまでにも増して明確な国家意識を必要とする」(p.129)と述べている。しかしその定着の低さにいらだつのか、この項の最後には次のような記述が置かれている。
「国旗を掲げていない船舶は不審船あるいは海賊船としてあつかわれ、国際的な取締りの対象となる。」(p.129)
 このこと自体は事実であるだろうが、この部分で述べること自体があたかも国旗を掲げない国民は「不審者」「海賊」であって「取り締まり対象」のレッテルを張られても当然だよと言いたげな書き方である。つまり脅しを生徒たちにかけているのである。まさしく「教え子を再び戦場に送るな」の正反対、小さな侵略者の育成を意味しないか。

(4) 産経新聞の抜粋が教科書のコラム
 さらに続いて2ページをとって「理解を深めよう 国旗・国歌に対する意識と態度」のコラム(p.130,131)がある。ここも現行本より記述が増えた。現行本では「青年海外協力隊員」と「サッカーのラモス瑠偉」のエピソードをそのまま再掲し、それでも足りないのか「木原光知子」も登場させ大変な力の入れようである。
@ケニアに派遣された青年海外協力隊員がケニアでは直立不動の姿勢をとるべき国旗降納の際に、仕事を続行していて役場に連行された例。
A日本代表としてのサッカーのラモス瑠偉の言葉「日の丸―。最高だ。こんな美しい国旗、ほかにないよ。・・・」
B引用してあるもの――オリンピックリハーサルで米国選手が自国国歌に敬意を払い、日本の選手だけが国歌に敬意を払わない――は木原光知子から聞き取ったものであり、このコラムの筆者は中谷巌、産経新聞の正論からの抜粋である。

 日の丸・君が代を説くものに共通する論理構造は執筆者中谷氏にもまた共通している。すなわち限定を付けながらも教育勅語に基づく道徳教育の礼賛である。このコラムは、「(サッカーワールドカップで)『君が代』を歌う選手はほとんどいない。この光景は、少なくとも世界の常識からいうと異常である。」で終わっているが、都合のいい部分だけを教科書のコラムに引用しており、「正論」ではさらに次の一文が続いている。
「なぜこんなことになったのか。この問題こそ、日本という国が、経済的な問題も含めて、目的意識を喪失し、閉塞(へいそく)感に悩まされている根本的な原因の一つだと私は思う。
◆軍国主義と同一視が横行
 戦後、日本に進駐してきたマッカーサーにとって、最大の課題の一つは日本人の国家主義的思想を解消させることにあった。そのため、昭和二十三年には、国家主義的思想の温床とみなされた教育勅語(ちょくご)が廃止された。それに先だって定められた「教育基本法」と教育勅語(あるいはそれを修正したもの)が日本の教育を支える両輪となるべきものであったが、教育勅語が廃止されてしまったため、日本の教育から道徳教育という教育を支える両輪の一つがすっぽりと抜け落ちてしまったのである。
 その結果、日本の教育現場から、国家に対する誇りや社会と自分の関係を考えさせる道徳教育は消滅した。やがて、道徳教育と軍国主義、国粋主義とはあたかも同一のものであるかのような思想が横行するに至り、道徳教育不在は決定的になった。教育勅語は確かに軍部に利用されたという側面があるが、一方で、人間が当然身につけるべき徳目を説くという教育上有用な面も持っていた。文化や伝統を尊重し国を愛することは万国普遍に行われている教育の基本である。それが欠落してしまっては、国家が存在基盤を失ってしまうのは当然だ。不幸な経験の反動から頭ごなしに否定するのではなく、有用な側面は、形を変えてでも伝え残される方策がとられるべきではなかったか。
 いずれにしても、昭和二十三年の教育勅語廃止によって、日本の教育からは道徳教育というものが消滅し、国家や伝統、公徳心といった概念が全く教えられないという悲しい事態が発生した。その後、アメリカンデモクラシーのもう一方の柱である「権利意識」のみが強調されてしまったために、国や社会のことには無関心で、権利意識だけが強烈な無責任人間が大量に生産されてしまった。
 国際人であるための根本は、自分の国のことをよく知り、誇りを持つということから始まる。日本という国を愛し、日本の文化や伝統を理解することなくして、真の国際人にはなれない。外国生活を経験したことのある人なら、このことは実感されているのではないか。」
(「自国に誇り持てずして国際人たれるか」 産経新聞正論(2003,6,25)より)
 やはりか、の感が拭えない。またぞろここでも復古主義、国粋主義が頭をもたげている。常套句ではないか。「権利意識」のみが幅を利かせ、「公徳心」がないがしろにされてきたというのは。

(5) 「47 わが国の防衛と課題」――口を極めて「北朝鮮」敵視感を植えつける。自衛隊の侵略軍化を誇示し、若い侵略者の育成を目論む
 これは防衛白書か防衛庁発行の軍事雑誌の標題ではないのか。中学校で用いることを当然とする教科書であることにまず驚きを禁じえない。これまでに国防を内容にまで踏み込んで一面的に論じてきた教科書があっただろうか。生徒に教えるべきことは、暴虐無人で唯我独尊のアメリカ軍に後方支援することが国際貢献であるということではないはずだ。「北朝鮮」との緊張を意図的政策的に煽って敵対的感情を植えつけるることでもない。自衛隊が海外展開することでもなく、それは平和の尊さであり人権の擁護であり、善隣友好の国際関係の中でいかに日本が貢献できるのかを共に考えていくことではないのか。またそのために闘ってきた人物に触れその偉大さに敬意を払うことではないのか。

 まず日米安全保障条約について成立に触れた後に次の記述がある。
「この条約では、他国がわが国の領域へ攻撃をしかけてきたときに、アメリカと共同して共通の危険に対処すること、そのために日本がアメリカに基地を提供することが決められている。この条約は、わが国だけでなく東アジア地域の平和と安全の維持に大きな役割を果たしている。」(p.138)
 現行本では「この条約は、わが国と極東の平和と安全の維持にも役立っている。」であったが、いつの間にか何の断りもなく「東アジア地域」まで拡大された。まさしくこれまでの保守反動層が常套手段として用いてきた解釈「改憲」や安保条約の拡大解釈を地でいくものである。

1991 湾岸戦争
1992 国連平和維持活動(PKO)協力法成立
1996 日米安保共同宣言発表
1997   新ガイドライン策定
1999 周辺事態法制定
2000 憲法調査会設置
2001.5 「つくる会」歴史公民教科書
2001 9.11テロ  
    アフガニスタン侵攻 テロ対策特措法制定
2003  対イラク戦争  イラク特措法制定
2004 イラクサマワ自衛隊派兵 有事関連法成立

 今回の「つくる会」公民教科書は上記の通り、1期・2期のブッシュ政権の逆らうものは力でねじ伏せていく戦争政策とそれに加担し自衛隊を海外派兵し侵略軍化しようとする策動と無縁ではない。
 この論調は「47」の後半、わが国の防衛の課題として続いている。少し長いが重要なのでそのまま掲載する。
「わが国周辺では、北朝鮮との緊張が高まっている。1998(平成10)年にはわが国に向けて実験用ミサイルが発射された。また、2001(平成13)年には、北朝鮮の工作船が東シナ海でわが国の海上保安庁の巡視船の停戦命令に従わず、銃撃戦の末、自沈するという事件もおこっている。
 このようななかで、2002(平成14)年9月に北朝鮮の平壌で日朝首脳会談が行われ、北朝鮮は日本人拉致を認め、国交正常化交渉が再開された。しかしその後は、拉致事件をめぐって交渉は進展していない。逆に、北朝鮮のミサイル配備、核兵器開発が進む中で、朝鮮半島情勢は一層緊迫化し、わが国をはじめ、東アジアの平和と安全にとって大きな脅威となっている。
 2001(平成13)年9月11日にアメリカで同時多発テロが発生し、アフガニスタンでテロ集団への攻撃が始まると、わが国はアメリカを中心とする多国籍軍を支援するために自衛艦をインド洋に派遣した。こうしたさまざまな脅威や問題に対して、国際社会の一員として、またわが国の平和と安全を守るため、政府や自衛隊のあり方が具体的に問われている。これらの問題では、憲法第9条とのかねあいも、今後の大きな課題である。」(p.139)

 すなわち「北朝鮮」が日本と東アジアの大きな脅威であり、自衛隊は憲法9条の制約を取っ払って海外に展開していくことが「わが国の防衛の課題」という。しかもミニコラムで「集団的自衛権」(p.139)の解説付きである。「他国の自衛を支援し、おたがいに防衛で協力しようとする権利」と。ここまでの流れでそれだけを読んでみるなら、わからず屋で言うことをきかない国(ここでは「北朝鮮」)には「集団的自衛権」を認めたうえで、共通する利害の国々と共同対処することも当然ではないのかと思わせたいようである。
 「北朝鮮」敵視姿勢はこの白表紙本ではこれでもかこれでもかと繰り返し登場する。「48」の終わりにも「課題学習 主権が侵害されるとはどんな場合か調べてみよう」(p.142,143)が設けられており、そこでも調べる以前に事例に枠をはめている。それは、@瀋陽の日本総領事館亡命者連行事件、A「北朝鮮」による日本人拉致問題・不審船問題である。そこで生徒に問う。「他国による主権侵害に対して、わが国はどのような態度で対応すべきかについて話し合ってみよう」と。執筆者の意図の底は割れている。

(6) 「48 冷戦後のわが国の役割」―――自衛隊の「国際貢献」は、米軍との共同行動で帝国主義的「国益」を守ること
 この項目の前半での政府開発援助(ODA)でも、対象の国の事情よりも「国益」=自国の海外経済権益の保持・拡張が一貫して重視されるようになった。
「冷戦終結後、内戦や地域紛争が多発する国際社会の変化や、わが国の財政の悪化を背景に、審査や事後チェックのあまいODAのあり方が見直され始めた。援助内容をわが国の国益を重視したものとすることや、NGOなどのもつ技術や意識などを生かす国民参加型のODAへの転換がはかられている。」(p.140)

 「48」の中でも「自衛隊の国際貢献」には1ページを割いている。ここも重要なのでそのまま抜粋する。
「冷戦後、地域紛争が多発し、その解決が国連に期待される中で、わが国にも相応の軍事的な貢献が求められるようになった。そのきっかけが、イラクによるクウェート侵攻によって起こった湾岸戦争(1991年)であった。
 わが国は多国籍軍に多額の資金を供給したが、戦争終結後、わが国への国際社会の評価は極めて低いものであった。
 その後、海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に派遣され、危険な機雷の除去作業を行った。これは、自衛隊が初めて海外に出て行った国連の平和維持活動となった。1992(平成4)年には国連平和維持活動(PKO)協力法が制定され、その後も自衛隊はカンボジアをはじめ世界各地に出向き、国連平和維持軍に対する後方支援を行ってきた。また、近年では、多国籍軍のアフガニスタン攻撃やイラク戦争でも、特別措置法に基づき、多国籍軍への後方支援や復興支援のために自衛隊が派遣されることになり、軍事的な面での国際評価も高まりつつある。
 国際平和や協力活動のために自衛隊が海外に出て行くことを積極的に行えるよう法律を整備すべきだという声もある一方で、憲法に違反するのではないかと反対する声も出ている。」(p.141)

 しかもこれでも足りないかとミニコラムでも「湾岸戦争直後にクウェートがアメリカ紙に載せた感謝広告に日本の名がなかったこと、掃海部隊の機雷除去作業を行った結果、クウェートで売られているTシャツには多国籍軍の国旗の中に日の丸が加えらるようななったこと」を本当に誇らしげに紹介している。

 そもそも大義なきイラク戦争で多国籍軍が編成されなかった事実を湾岸戦争などと混同記述することで意図的にあいまいに隠蔽し、自衛隊は一貫して国連とその平和維持活動に貢献していると見せかけ余りに手前勝手な摩り替えの論理展開である。自衛隊海外派兵がアジア近隣諸国にアジア太平洋戦争当時の日本軍国主義の亡霊を思い起こさせ反発を招いている事実はもとより触れられてもいない。
 しかも全部の展開が自衛隊海外派兵賛美一色の後に、1行だけ「憲法に違反の声」と書き足すだけで、教科書としての記述において公正さを満たしているとでも言うのだろうか。そんな言い逃れは到底通らない。
 
(7) 自衛隊海外展開を誇り、「北朝鮮」敵視をこれでもかと煽る巻頭グラビアの写真
 白表紙本のグラビアの最初の見開き2ページが、つまり教科書の最初が、「世界で活躍する日本人」と題してまず「PKO活動で活躍」の3枚の写真からであることが象徴的である。@カンボジアで道路補修する、PKOに参加した陸上自衛隊。A独立間もない東チモールのPKOで、道路補修にいそしむ自衛隊員。B東アフリカのルワンダのPKOで防疫作業を展開する陸上自衛隊。
 次の見開き2ページが「わが国周辺の問題」。@「わが国固有の領土にもかかわらず、ロシアが領有している北方領土関連」の2枚、A「中国、台湾、わが国がそれぞれ領有を主張している尖閣諸島」、B「韓国とわが国で領有権をめぐって対立している竹島」、C「北朝鮮はわが国に向けて弾道ミサイル『テポドン』を発射し、日本本土を越えて太平洋に着弾した」、D「自沈した北朝鮮の工作船」、E「北朝鮮では庶民には食料が回されず、約350万人が飢えで死んだといわれている」、F拉致被害者の帰国写真、G横田めぐみさんの情報を求めるポスター。
 これら全部が、以上見てきた第4章「世界平和と人類の福祉の増大」を視覚から補足しようとする意図で組み合わされている。



【4】 第9条への異様な憎悪。憲法改悪を子どもたちに教えるよう求める。とんでもない日本国憲法の歪曲――“国民主権”を“国家主権”にすり替える

 現行本と比較して作為的に大きく書き換え書き加えられた問題点がもう一つある。日本国憲法を根本的に歪めて描き表わし、その9条を憎み、何とかその行く先に「改憲」ありきという筋書きである。第3章「現代の民主政治とこれからの社会」の第1節「日本国憲法の基本的原則」(約30ページ)全体が、「憲法改正」は当然であるといった考え方に導くためのものである。
 まずその構成順序の異様さに目を奪われる。
「23 大日本帝国憲法と日本国憲法」
「24 国民主権」
「25 平和主義」
「26 憲法改正」
「27 基本的人権の尊重」
「28 基本的人権1〈自由権〉」
「29 基本的人権2〈平等権・社会権〉」
「30 基本的人権3〈参政権・請求権〉」

 すなわち現憲法の三つの基本原則の意義を体系的に説明するのではなくバラバラに切り離し、その一つ一つを根本から歪曲し、さらにこれが現行本になかった特徴であるが、基本的人権の前に「憲法改正」の項を置くのである。
 その記述内容を少し詳しく見てみよう。

(1) 「23 大日本帝国憲法と日本国憲法」
 ここでは現行本と同じくまず大日本帝国憲法を賛美する。記述は現行本より1/2程度に削減しているが、「できるだけ国民の権利や自由をもりこみ」(p.72)――これは現行本の検定過程で修正意見がつき自ら書き直してなくした記述であるが、性懲りもなく再び捻じ込ませようとしている!――とデマで覆う一方で、「国民には法律の範囲内で権利や自由が認めれれた」(p.72)――これは検定の結果、書き直したのと同じである――とあり、論理の整合性もなく自己矛盾をきたしている。

(2) 「24 国民主権」
 国民に主権があり国民が最高権力者である国民主権の説明で、国民と主権を切り離し、後者から無茶苦茶な論法で憲法からは出てくるはずのないもの=「国家主権」論を展開する。「各国はみな領土をもっており、領土内はその国の主権に基づく政治が行われているいる。」(p.74)等、憲法の歪曲も甚だしい。

(3) 「25 平和主義」
 のっけから「自衛隊の誕生」の記述であり、連合国側に押し付けられた第9条への嫌悪感で満ち満ちている。
 コラム「憲法論議と第9条」から抜粋する。
「・・・国民の多くは今日、『自衛隊は自国の防衛のために不可欠な存在である』ととらえている。・・・自衛権は国際法上、主権国家に認められた権利であり、日本国憲法における自衛隊の位置づけが不明瞭ならば、憲法の規定自体を変えるべきであるという意見もある。さらに自衛隊が国際的な責任を果たせるよう、現在は『権利を保持するが行使できない』(内閣法制局)とされる集団的自衛権を『行使することができる』と解釈を変えるべきだという主張もある。・・・自衛隊の位置づけを含めて21世紀のわが国の憲法のあり方が議論をよんでいる。」(p.76)

 恰も自分ではない第3者の見解であるように述べることによって、実は「つくる会」の見解そのものであるという彼らの常套手段がここでも遺憾なく発揮(!)されている。本文中の「わが国の自衛隊は、装備・組織・防衛費などの点では世界有数であり、これを軍とみなしている外国も多い。」の記述も同じ期待感が露骨である。

(4) 「26 憲法改正」
 この項は、現行本にはなく白表紙本に新たに設けられた。しかも「平和主義」と「基本的人権」の間にである。
「日本国憲法は、制定後一貫して変わらない不動の法だったのであろうか。実は必ずしもそうではない。憲法は国の根本的なあり方を示すだけでなく、現実に国の進路を左右する大きな力をもっている。・・・
 時代とともに憲法解釈は変化してきており、そのような意味では、改正を受けていなくても、憲法は実質上少しずつちがう顔を見せている生きた方だ、といえる。
 例えば、憲法は前文と第9条において、戦争の法規を定めている。この規定に対し、政府は今日まで、ここでふれられている戦争とは『他国に侵攻する攻撃』をさすのであり、『自国を守る最低限度の戦闘』までも禁じているものではない、との解釈を行っている。しかし一方国内には、憲法は自衛の場合も含め、いっさいの武力・武器の使用を禁じているのであり、自衛隊は憲法に違反するという意見も長く唱えられてきた。
 憲法を無理なく現実に合わせようとすれば、しばしば改正を行わねばならず、憲法の精神や権威がそこなわれてしまうことも考えられる。・・・
 2000(平成12)年、衆・参両議院憲法調査会が設けられ、改正も視野に入れた憲法の総合的見直しが行われている。」(p.78)
 そしてコラムで「制定以来一字一句まったく変わっていないという意味で『世界最古の憲法』」と、形式論理だけの誹謗中傷も繰り出した。「ノルウェー139回」「メキシコ96回」「インド78回」と10カ国の「憲法改正」回数を列挙したあとで、「日本 無改正」だという。この論法は、以下と全く同じではないか。
自民党 「憲法改正のポイント」より
資料2 制定後58年間一度も改正されたことのない日本国憲法
【各国の憲法改正状況(2003年11月現在)】
  国 名     制定年   改正回数
  アメリカ     1787年   18回
  フランス     1958年   16回
  ドイツ      1949年   51回
  イタリア     1947年   14回
  オーストラリア 1900年   3回
  中華人民共和国 1982年   3回
  大韓民国     1948年   9回
 諸外国においては、常に自国の憲法を見直し、その時代時代に合ったものにしようとする努力を重ね、主要各国は憲法改正を行っています。
 制定後58年間、ただの一度も改正されたことがない憲法は、世界中を見渡してみても、日本だけで、極めて異例なことなのです。

 さらに、「憲法改正の条件緩和」(p.79)にまで積極的に記述し、全体が「憲法改正」の公然たる政治主張となっている。これも参考にだが、4月4日の自民党新憲法起草委員会の各小委員会が提示した要綱のポイントとは双子のようだが、当然といえば当然かもしれない。
《憲法改正の要綱のポイント》
 一、前文に「日本国民は国民統合の象徴たる天皇とともに歴史を刻んできた」と盛り込む。
 一、象徴天皇とする。
 一、自衛のための自衛軍を保持(集団的自衛権の行使容認)。自衛軍は国際の平和と安定に寄
   与。
 一、国や地方自治体の宗教的活動への参加は社会的儀礼の範囲で許容。
 一、表現、結社の自由は「公の秩序」に照らし法律で制限。
 一、知る権利、環境権、国防の責務など明記。
 一、二院制は維持。
 一、衆院解散権、自衛隊の指揮権、行政各部の指揮監督・総合調整権は首相に専属。
 一、憲法裁判所は設けない。
 一、地方自治体は(市町村などの)基礎的自治体を基本とし、補完する(道州などの)広域自
   治体とする。
 一、改憲発議要件は「各議院の総議員の過半数の賛成」に緩和。

(5) 「27 基本的人権の尊重」
 ここでは、個人の権利よりも「国益」を優先させる。これが、第3章の口絵に「憲法で保障されているからと、自由とか権利とかどんどん主張する人がいるけど、際限なく許されることなのかしら?」(p.67)と漫画の少女の問いかけに対する答えなのだろう。しかも現行本と同じく憲法にはない「国防の義務」(p.81)を「国民の崇高な義務」としてここで主張する。「普通教育を受けさせる義務」「勤労の義務」「納税の義務」と並べてである。これも上記の自民党憲法改正要綱と一致している。

 以上見てきたように、アジアの近隣諸国との緊張関係が激化していると煽ることで集団的自衛権を容認したうえで自衛隊の海外派兵を広範囲に押し進めようとする第4章と、憲法の平和主義を骨抜きにする「憲法改正」と国防の義務を国民に課す第3章とが目指すものは、現政府のすすめているアメリカとの軍事的協力関係をより強め、「国益の侵害」には国家主権としての軍事力を行使し、その実行のために国民の権利意識を押し殺し、「日の丸・君が代」で国家に忠誠を尽くす精神を強化しようとするものであり、一言で言うと、 「戦争のできる国」作りに大きく踏み出すことに他ならない。



【5】 その他の問題記述−−天皇制の美化、女性差別、封建主義的家族制度

 上に述べてきた以外にも多くの問題点が含まれており、その中でも重大な点に限って指摘しておく。

(1) デマで固めた天皇制の美化
 アメリカに追随して「戦争をする国」に仲間入りをすすめる政府のために、国家への誇りを取り戻し、国家への忠誠と服従の奉仕精神をもった国民を「教育」するために、いつも頭を擡げて持ち出されてくるものは権威主義と復古主義的な天皇と天皇制である。
「天皇の権威は、各時代の権力者に対する政治上の歯止めとなり、また国家が危機を迎えたときには、国民の気持ちをまとめ上げる大きなよりどころともなってきた。」(p.75)
「明治時代になると・・・天皇には大きな政治権限が与えられていた。しかし実際には国民の精神的な中心としての役割が大きく、天皇の名の下に政治を行う為政者に対し、高い格調と責任を求める役割を果たした。」(p.75)
「天皇のもとで国民が暮らしやすい社会をつくるという(大日本帝国)憲法の理想」(p.72)
「象徴天皇制度は、多くの国々で現代の君主制のモデルとなっている。」(p.75)

 明治・大正・昭和の絶対主義天皇制が、政治の頂点に君臨し侵略戦争の最高責任者であった重大な事実、これを一切隠蔽し戦争とは無縁の天皇として記述する。一方、象徴天皇制については「天皇と国民との伝統的結びつき」が強調され、天皇の庇護の下で国民は一体となる家族的国家観を植えつけようとしている。

(2) 男女の役割分担・社会的性差の固定化と家族を個人に優先する価値観
 男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法を否定的に描くこと、家族と個人を対立的に描くこと、そして個人が家族より優先される傾向が家族の一体感を喪失させる図式など、これらは現行本から一貫している「つくる会」の家族観である。
 「つくる会」は、「ジェンダーフリーは狂気の思想である。この"狂気の思想"が、「男女共同参画」という、分かったようで分からない抽象的な言葉を使うことで、国民一般に押しつけられている。」「男女共同参画社会基本法の改廃」(『新・国民の油断』―「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす 西尾幹二・八木秀次 著)と、ジェンダー論に悪意をもって敵対してきていた。このことはまさしく「つくる会」が「男女の性差をかけがえのない個性としてとらえ、それぞれの役割を尊重しようとする態度」(p.90)や「家族というコミュニティを守ろうとする努力」(p.11)を根底からひっくり返し、家族の絆を断ち切る思想として「女性の社会進出」「男女平等」「ジェンダーフリー」があるとみなしているに他ならない。
 「男女共同参画社会の課題」として1ページを割いて繰り返し上の論を展開する。
「これらの条例に対して『性差と男女差別を混同し、男らしさ・女らしさという日本の伝統的な価値観まで否定している』『女性の社会進出を強調するあまり、とにかく働くべきだという考えを押し付け、子育てなどで社会に貢献している専業主婦の役割を軽視している』といった反対の声も上がっている。」(p.94)
 また「低年齢児を長時間保護者から分離することは、子供に悪影響をおよぼすのではないかと心配する声も多い。」(p.21)
 これは「つくる会」や保守反動層の根強い私的願望である。しかし、他国と比較して日本では家事分担が妻だけに集中し家族全体で行うのは極端に少ないといったような客観的事実などは一つも記述されていない。
 
(3) 権利より義務の強調、権利の制限を説く
「行過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ、個性を奪ってしまう結果になることもある。」(p.84)

(4) 一介のエコノミスト的企業優先の経済理論
「銀行の中にも、不良債権をかかえて破綻するものが出てきている。また労働者に賃金も抑制され、失業率も高い。この停滞から立ち直るためには、企業が借金返済に走り回る状況を変え、本来の生産活動を活発に行える経営環境を作り出す必要がある。そのためには、不良債権の処理とともに、規制緩和を実行し、ベンチャー企業の育成やIT 分野などにおける新しい産業の創出を行うことも重要である。」(p.58)

(5) 地域社会や国家を揺るがしかねない面をもつもの――高度情報化社会
「このような急速な発展をしている高度情報化社会では、年齢、職業、地位、国籍、民族など、もともとあった違いも超え、誰でも交流することができる。しかし、その反面、家族、地域社会、職場、学校、国家といった古くから私たちが大切にしてきた生身の人間関係が崩れてしまう可能性が出てくる。そうならないためにも、わたしたちは人と人のふれ合いや交流をより大切にしていく必要があろう。」(p.19)



【6】 子どもたちを侵略戦争へと駆り立てる−−検定合格させた重大な政府・文部科学省の責任

 以上見てきたように「つくる会」教科書は、アジアの国家間の信頼醸成ではなく軍事的緊張関係を煽り立て、狭隘な「国益」擁護と「国家への誇り」「国家への忠誠」「国防の義務」を強要し、生徒を戦争へと仕向けるものである。このことは侵略戦争に教育と教員が子供たちを駆り立てた過去の反省とそれに基づく日本国憲法と教育基本法の基本理念に真っ向から敵対するものである。
 問題は国内的だけではなく、日本政府の国際公約にも違反する。1982年に教科書の侵略の記述をめぐってのアジア諸国の厳しい抗議に対する当時の宮沢官房長官談話――「過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んで来た」、「我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものである」――を受けて、文部省は、教科書検定基準の中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」といういわゆる「近隣諸国条項」を設けたのがそれである。また1999年の日韓共同宣言の「両国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要」の表明もまたこの一つである。「つくる会」教科書の検定合格はこれら一連の国際公約に違反するものである。

 しかも「つくる会」教科書を支援する政治家が、公然と採択過程に介入活動を強めていることを看過することは出来ない。「つくる会」・扶桑社が白表紙本を大量流出させた違反に対して文科省はなんらペナルティを科さず、指導に反して続けた度重なる流出行為にも対応をとらなかったことは、その違反行為を文科省は容認していることに他ならない。また教職員から採択権限を奪う「教育委員会の採択権限の明確化」と「調査の観点」の改悪を求めた文科省の通知予定など、露骨に「つくる会」を各地域での採択現場で後押しする行為である。こうした政治家たちがアジア諸国からの批判を内政干渉であると居直り、近隣諸国条項の廃止など国際公約の反故を要求しているのである。
このような教科書を検定合格させた日本政府・文部科学省の責任は極めて重大である。それとともに私たちは「つくる会」を利する政治家・教育反動たちの採択に関わる危険な策動に引き続き最大限の注意と監視をしていかなければならない。



【7】 不採択の闘いを広げよう! 今度で「つくる会」教科書を葬り去ろう!

 私たちは、「国益」を守るためには戦争を美化し、「戦争をする国」に脱皮するために憲法9条を破棄し、国際公約をないがしろにする「つくる会」教科書が、子どもたちの手に一冊たりとも渡されることを許すことはできない。これが検定合格したいま、各地域でこの教科書を採択させないよう声を上げ、関係機関への働きかけを強めよう。
 私たちは、2001年に広い地域からの運動によって「つくる会」教科書を公立中学校の採択地区ではゼロに終わらせた経験をもっている。この教訓を活かして再び採択反対世論を高め、広めることができれば、「つくる会」教科書を通じた教育への反動攻勢を挫折に追い込むことができる。
 「つくる会」教科書反対と、教育基本法改悪反対、憲法改悪反対の運動とは目的を同じにする。今こそこれらの運動を一つにして国民的運動に発展していかなければならない。そのことを通じて、私たちは日本国民の中にある良識の存在をアジア・世界に向かって示していくことができる。


2005年6月 教員K
[本稿は『良心と抵抗』27号(2005年5月14日、発行元「日の丸君が代による人権侵害」市民オンブズパーソンhttp://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/)への「投稿」を若干加筆訂正したものである]