ブッシュの対北朝鮮戦争挑発政策、「悪の枢軸」戦略に我が国を丸ごと組み込む有事法制整備
−−憲法機能停止法としての有事法制を阻止しよう−−

2002年3月25日
『平和通信』編集局


−−−−−−−−−−−−−− 目  次 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−

T.はじめに−−なぜ今有事法制の整備なのか。
(1)有事法制の強行を決断した小泉政権。
(2)「備えあれば憂いなし」は全くのウソ。
(3)有事法制の本質は米日両政府による対北朝鮮戦争準備。
(4)「9・11」と対アフガン戦争への参戦が直接のきっかけ。
(5)1990年代のアメリカの東アジア戦略、北朝鮮政策と内外情勢の歴史的ダイナミズムが押し出したもの。有事法制の2つの推進力、2つの矛先。

U.ブッシュ政権の対イラク戦争をはじめグローバルな戦争拡大と軍事介入にフリーハンドを確保するための日本の有事法制整備。
(1)収まる気配のない米の対アフガン戦争と世界中に拡大する米の軍事介入。
(2)具体的準備に入った対イラク戦争。「悪の枢軸」を支持し、対イラク戦争にも加担しかねない小泉首相。
(3)ブッシュの対イラク侵略と連動する日本の有事法制準備−−東アジアの「力の空白」を埋め合わせることで世界中での米軍の侵略行動にフリーハンドを与える有事法制。

V.ブッシュ政権が「朝鮮半島有事」「第3次朝鮮戦争危機」を準備する道具としての有事法制整備。
(1)「第3次朝鮮戦争の危機」を未然に防ぐことこそが有事法制阻止の決定的意義。
(2)アメリカには前科がある−−米の先制攻撃寸前にまで緊迫した1993〜94年の「北朝鮮の核開発疑惑」と「第2次朝鮮戦争」の危機。
(3)一切の責任はアメリカにある。
(4)有事法制は「朝鮮半島有事」「第3次朝鮮戦争の危機」を防止するものではなく引き起こすもの。
(5)「有事」を決めるのは一体誰なのか。いつ、如何なる段階で、如何なる方法で「有事」を発動するのか−−事実上全てをアメリカの政府と軍が決定。
(6)自衛隊の指揮権の米軍への一部委譲とシビリアン・コントロールの無力化。

W.自民党・財界・右翼反動勢力による新たな改憲戦略、「下位法」による「上位法」の否定、「平和憲法」機能停止法としての有事法制。
(1)1999年の反動諸立法強行を転機とする政治反動と軍国主義化の新段階。
(2)驚くなかれ。「包括法」(安保基本法)、「下位法」(有事法制)で「上位法」(「平和憲法」)を機能停止に追い込む改憲戦略は既に1990年代の初めから構想されていた!

X.4つの悪法からなる有事関連法制とその法的具体的危険性。
(1)4つの悪法からなる有事関連法制。
(2)集団自衛権行使を盛り込む「安全保障基本法」。日本が攻撃されてもいないのに対外侵略行動を可能にする「前段階」規定。
(3)周辺事態法を完結させる自衛隊法の改悪=「第1・第2分類」の法制化。
(4)我が国全体を米軍基地にしてしまう驚くべき「米軍新法」。
(5)有事が宣言されるだけで国民のあらゆる権利が制限され剥奪される。
(6)戦争に反対する諸個人や反戦運動が処罰され弾圧される。本質は「軍事独裁」。

Y.「テロ対策特措法」の時とは違う。複雑だが絶対安定状態から転落した不安的な小泉政権に有事法制反対の声を集中しよう。
(1)複雑になったが反撃のチャンスはある。
(2)ブッシュ政権の戦争拡大に反対する闘いの一環としての有事法制反対の闘い。
(3)ブッシュの対北朝鮮戦争挑発に反対し南北対話と南北統一を目指す韓国内の反戦平和運動と連帯して、有事法制を阻止しよう。





V.ブッシュ政権が「朝鮮半島有事」「第3次朝鮮戦争危機」を準備する道具としての有事法制整備。

(1) 「第3次朝鮮戦争の危機」を未然に防ぐことこそが有事法制阻止の決定的意義。
 すでに述べたように、そもそも周辺事態法発動、有事法制発動とは本来的には、北朝鮮を戦争挑発するための、「朝鮮半島有事」「第3次朝鮮戦争危機」の準備なのです。その意味で有事法制は、ブッシュ政権の北朝鮮への戦争拡大の不可分の構成部分、東アジア戦略の前提条件であり本質的な構成部分と言えます。
 しかもこの「朝鮮半島有事」は絵空事ではありません。わずか8〜9年前の1993〜94年、クリントン政権が北朝鮮の「核疑惑」を人為的に煽りあれよあれよと言う間に一触即発の戦争寸前にまで至ったのです。いわば「第2次朝鮮戦争」が勃発する寸前に陥った歴史的事実があるのです。
 ブッシュ政権の北朝鮮政策は今どうなっているのか。詳しくは別に詳しく述べますが、今のところは一本調子の戦争挑発を突き進んでいるわけではありません。今の米軍には中東と東アジアの2正面で同時に戦争を仕掛ける力はなく、しかもアフガンにまだ米軍を常駐させ戦闘を継続しているのです。対イラク戦争準備を最優先にしようとすれば術策として対北朝鮮では戦争しないというのは当然でしょう。
 しかしイラクと並ぶ最大の「仮想敵」が北朝鮮であることに変わりはありません。イラク攻略に失敗したとき、反対が強すぎてイラク攻撃ができなかったとき、ブッシュはどう出るでしょうか。戦争を続けることでしか政権を維持できないブッシュ政権が「北朝鮮の脅威」を煽ることは十分考えられます。もちろん1993〜94年当時から朝鮮半島情勢は大きく変化しています。韓国内で対北朝鮮戦争を是認する声は政府でも与野党の間でも、更には民衆の間でも少数です。
 私たちが危惧するのは、それでもブッシュ政権と小泉政権が一緒になって朝鮮半島の緊張激化を煽り、戦争挑発を行いかねないことです。ブッシュはクリントン政権後半期の対北朝鮮対話路線を全面的に見直す方針で動いていることからも危険性は十分あります。二度と1993年、94年を繰り返させてはなりません。「第3次朝鮮戦争の危機」を勃発させてはなりません。この危機を未然に防止することこそ、有事法制阻止の決定的な意義なのです。
 以下に、1993〜94年に起こった危機過程を再現しましょう。その中から、この危険極まりない有事法制が現実にはどんな政治過程で発動され適用されるのか、またどんな形でアメリカの北朝鮮に対する冒険主義的な戦争挑発が我が国を丸ごと戦時体制に陥れてしまうのか、をシミュレートしてみましょう。

(2) アメリカには前科がある−−米の先制攻撃寸前にまで緊迫した1993〜94年の「北朝鮮の核開発疑惑」と「第2次朝鮮戦争」の危機。
 1993〜94年の「北朝鮮の核開発疑惑」と米の先制攻撃寸前にまで立ち至った事情についてはほとんど国民に知らされていません。もし国民が真実を知れば、アメリカの恐ろしさ、有事法制の恐ろしさに気付くからです。私たちは危機過程を再現し暴露することで、二度と繰り返してはならないという危機感を皆さんにも共有してもらいたいと思います。この隠された事実を知ることこそが有事法制反対につながるのです。(今では、当時の関係者の証言から大ざっぱに危機が再現できるようになっています。つい最近も、米国の著名なジャーナリストであるドン・オーバードーファー氏のドキュメンタリー『二つのコリア』(共同通信社)が翻訳出版されましたが、米政府の側に立つ彼の調査でも、危機過程の一端を伺い知ることができます。)
−−危機の2つのピーク:危機のピークは2つありました。1993年3月のNPT(核拡散防止条約)脱退宣言から同年5月のノドン・ミサイル発射実験に至る1993年の危機と、1994年3月の国連安保理の再査察要求から同年6月のIAEA脱退に至る1994年の危機です。ここでは1994年のピークについて詳しく説明しましょう。
 底流にはソ連崩壊後の米の軍事戦略があります。米ソ冷戦の終焉で議会から軍縮と「平和の配当」を迫られたペンタゴンと軍産複合体が膨大な軍備を維持するために、ソ連に代わる新たな「仮想敵」(「ならず者国家」と名付けられた)を意図的にねつ造し、湾岸戦争後のイラクと北朝鮮をその代表と位置付けて打倒の対象にしたのです。
−−「核査察問題」による戦争挑発と1993年危機:まず北朝鮮を追い詰める基本戦略は「核兵器開発疑惑」とされました。しかし北朝鮮が核兵器開発をやっているか否かを判断したのは唯一米政権です。IAEA(国際原子力機関)も国連も日本も全て米政府の言うがままだったのです。今回の「9・11」とビンラディン・アルカイダとの関係と同様、誰も米政府に証拠提示を要求しなかったのです。北朝鮮の主張は聞き入れられず、米政府のあまりにもでたらめな「核開発疑惑」の決め付けについて批判した良心的な科学者や政治家の声はかき消されました。追い込む手段は「核査察問題」です。CIAと米軍のみが知りうる“極秘”の「偵察衛星情報」(実は根拠薄弱な情報やニセ情報)がIAEAや国連に“善意で提供”され、結局米側の一方的情報にのみ依存する形となりました。
 特に朝鮮半島での核査察の火遊びは多くの国々(米朝の他、朝韓、米韓、米中、日韓等々)が複雑に入り組んでいたために危険極まりないものであり、一つ間違うと一気に危機がエスカレートする恐れがあったのですが、あえてアメリカは冒険主義に踏み出しました。
 終始一貫して危機を激化させ先鋭化させたのは「核査察問題」をリードしたアメリカでした。北朝鮮が屈服しないことを予め計算に入れて受け入れ難い理不尽な要求を突き付け、米軍・米政府内部、韓国軍等の強硬派がリードする形で、1992年からその後2年にもわたって延々と核査察が強化されました。そして遂に1993年2月25日、IAEAは「特別査察」(いつどこへでも立ち入り査察ができるという国家主権を踏みにじるもの)を要求し、翌3月には堪忍袋の緒を切らした北朝鮮はNPT脱退を表明したのです。これに対抗して米政府は国連安保理で制裁決議を審議させようとしたが失敗、夏以降、米朝高官協議が断続的に開かれ一旦事態は収束に向かうかのように見えました。
−−1994年再び特別査察を要求:しかし1994年に入って、戦争挑発をあきらめないアメリカは、前年の失敗を教訓にして、今度は武力とその威圧を背景に譲歩を迫り、3月以降再び「特別査察」を要求するのです。IAEAは屈辱的な条件を突き付けて嫌がらせを続けたあげくに、再び3月下旬に「査察拒否」を理由に査察を突然打ち切り、国連安保理に対して制裁を再付託しました。アメリカは米朝高官協議の中止、米韓合同軍事演習(チーム・スピリット)再開、パトリオット・ミサイルの韓国配備決定等々を、まるで予め準備していたかのように相次いで強行しました。
−−使用済み核燃料棒引き抜きをめぐる「核武装」のデマ:4月には北朝鮮が進めようとした使用済み燃料棒引き抜きをまるで「核武装」であるかのように世界中に大宣伝して意図的に緊張を煽りました。この時CIAは北朝鮮が原爆製造材料を保有する可能性を「50%以上」と決め付け、CIA長官は「核爆弾1発を開発した可能性がある」とデマを流したのです。(後にCIAはこの時の分析を「再評価」した結果、北朝鮮が保有するプルトニウムが核兵器に転用される理論的可能性は遙かに小さかったと“訂正”しました。こんなことは謀略を本職とするCIAの常套手段なのです)
−−核施設・平壌空爆の脅しと出撃・総動員体制:一方1994年1月に入って以降、頻繁に米政府は、北朝鮮が核開発を中止しなければ寧辺(ニヨンピョン)の核施設を爆撃すると脅し始めました。米軍事筋や米政府筋は相次いで侵攻計画をマスコミにリークし、同時に実際に出撃態勢に入りました。東アジアの核戦力を含む全ての膨大なアメリカの軍事力が北朝鮮に襲いかかろうとしたのです。
 具体的には在韓米軍と韓国軍が共同対処する北朝鮮への先制攻撃計画「作戦計画50−27」が発動され軍事的危機が一気に高まりました。突撃するのは米韓両軍です。偵察衛星などありとあらゆる情報網を駆使し、圧倒的空軍力を背景に北朝鮮が動く前に機先を制して平壌を先制的に大規模空爆し短期間で制空権を確保する算段でした。その計画は平壌制圧と政権転覆を視野に入れたものであり、膨大な犠牲者を前提にした極めて危険なものでした。現に4月中旬釜山にパトリオット・ミサイルが輸送され、アパッチ攻撃ヘリ、重戦車・高性能レーダー装置などが投入され、兵員は枠ぎりぎりの3万7千人にまで増員され、更に米艦船が海上に待機する事態にまでなりました。この段階で米軍は「非常事態態勢」に既に入っていたと思われます。
−−在沖縄・在日米軍基地の出撃体制:もちろん当時、在沖縄・在日米軍基地はフル回転でした。しかし米が主導する対北朝鮮攻撃に、我が国と自衛隊がどういう形で関わるかはまだ決まっていませんでした。米政府と米軍が日本政府に対してヒステリックに後方支援を要求しました。1900項目にのぼる支援要請のリストを作成し羽田政権に迫ったようです。この時のリストこそ、今問題になっている有事法制の具体的内容の根幹部分をなすものなのです。羽田政権は震え上がりました。極秘裏に「特別本部」を設置し、戦端が開かれれば、超法規的措置と独断強行を覚悟して、朝鮮戦争に加担する「短期法案」(今回の「テロ対策特措法」を想起します)を準備したと言います。これは当時の石原信雄官房副長官も後日、秘話として新聞に語ったことです。
−−国連制裁の決議採択に動く:1994年5月の核燃料棒取り出し作業開始をきっかけに、米政府はついに再び国連制裁実施方針を固めました。制裁の発動は武力衝突の危機を一気に高めるものです。国連安保理のうち米英仏露の4ヶ国は制裁賛成、中国も棄権で成立を見過ごす姿勢を示しました。もし発動されていたらと思うとゾッとします。北朝鮮への武器輸送の禁止から、朝鮮総連の本国送金の禁止、中国からの石油・食料の輸出禁止、更には港湾封鎖までがシナリオに含められました。韓国や中国がこの国連制裁に反対あるいは慎重であったのに対して、我が国だけは同調しようとしていました。細川政権から羽田政権への移行期であり、裏で政権を牛耳っていたのはあの超タカ派の小沢一郎氏でした。
−−米国人の避難計画実施寸前:6月16日、ラック在韓米軍司令官とレイニー米大使が秘密会談を行い「米国人の避難計画」を本国からの指令を待たず独断で進める決意をしました。しかも大使は何と自分達の家族には韓国を出国するように密かに指示したのです!
 後日、当時の韓国大統領であった金泳三氏は回顧しています。米国が韓国政府の了解なしに在韓米国人全員の国外避難をさせようとしたことに「激怒した」と。不用意にこんなことをすれば北朝鮮側に空爆開始のシグナルと受け取られかねなかったからです。米国は事前通告なしに一方的に自分勝手に、韓国人や朝鮮人が最大の犠牲者となる戦争の引き金を引こうとしたのです。金氏は「誤った決定で、もし韓半島で戦争が勃発したら、私は国軍の最高司令官として韓国軍人を誰一人として参戦させない」と「捨て台詞」を残してクリントン大統領との電話会談を打ち切ったと言います。自らの英断を誇張しているかも知れませんが、非常に衝撃的な告白です。(『サンデー毎日』2002.2.10号)
−−カーター特使による奇跡的な局面打開:必ずしもホワイトハウスの支持を受けずに、クリントン大統領の親書も持たずにカーター元大統領が訪朝したのは6月15日、クリントン大統領や国家安全保障会議のスタッフの尻を叩く格好で、金日成主席とのトップ会談をリードし、暫定合意にこぎ着け、ぎりぎりのところで急転直下事態収拾に向かったのは6月17日の未明でした。狼狽し困惑するホワイトハウスをよそに、カーター氏が半ば独断でCNNの生中継をセットし米朝合意を確認したのです。後に分かったことですが、カーター氏の訪朝を執拗に進言したのは金大中氏だったと言います。
 それから4ヶ月の交渉の後、1994年10月、核開発を凍結する代わりに軽水炉を提供するという「米朝枠組み合意」が成立したのです。
−−間一髪だった1週間:カーター氏の訪朝の発表は6月9日、IAEA理事会が制裁決議を採択したのは6月10日、6月13日には北朝鮮がIAEAからの脱退を発表、国連安保理は制裁決議寸前という際どいタイミングでした。まさに危機一髪だったのです。
−−戦争を煽ったマス・メディアの犯罪性:この間、米マス・メディアは犯罪的なほど戦争を煽りました。世論も「戦争やむなし」が多数になり始めていました。北朝鮮に対して、「核査察を拒否する強硬な北朝鮮」なる洪水のような大宣伝を垂れ流し米国内世論と国際的な世論に訴えました。併せて子どもの飢餓や餓死、社会主義体制の欠陥など、北朝鮮の数々の欠陥や否定的傾向をこれでもかと非難キャンペーンを張り国際世論を誘導したのです。
 我が国でも、新聞・雑誌・TVなどで毎日のように「北朝鮮の脅威」を煽る記事や論評や社説が出ましたし、北朝鮮の戦力を途方もなく誇張し今にも南進し韓国内に雪崩れ込んでくるかのようなウソのキャンペーンが張られました。書店の店頭には「悪の権化=北朝鮮」を扱った書物が山のように積まれました。「北朝鮮の暴発は間近」「懲罰と制裁はやむなし」、更に進んで「北朝鮮に対する軍事制裁やむなし」という雰囲気が人為的に作り上げられました。しかも信じ難いことに、ここまで一触即発の事態になっているとは、少なくとも一部の政権中枢にいた関係者以外は誰も知らなかったのです。

(3) 一切の責任はアメリカにある。
 1993〜94年危機に最大の責任を負うべきはアメリカです。根本にあるのは、膨大な核戦力・軍事力で北朝鮮を封じ込めて武力で叩き潰そうとしたアメリカの戦争挑発政策にあるのです。誇りと主権をこの上なく大事にする国ならこのような傲慢と威圧に反発するのは当然でしょう。
 なぜアメリカだけが核戦力を独占することが許されるのか。なぜアメリカだけが戦術核兵器を韓国に配備することが許されてきたのか。なぜアメリカだけが韓国に膨大な通常兵力を駐留させ挑発的な米韓合同軍事演習を繰り返すことが許されるのか。なぜ北朝鮮は、米韓軍事同盟、米韓日の軍事同盟の包囲と封じ込めに対抗することが許されないのか。アメリカの言い分は本当に勝手で傲慢です。自らは圧倒的な軍事力を対峙させておきながら、北朝鮮に対しては一方的に軍事力の削減とでっち上げの「核疑惑」の押し付けによる屈服を強制しようとしたのです。
 問題解決の唯一の道は、まずブッシュが今進めている戦争挑発を即時中止すること、「悪の枢軸」や「核先制使用」などの戦争恫喝をやめることから始めなければなりません。そして米韓軍事演習をやめ、南北対話・南北統一を妨害しないこと、政治的緊張緩和と信頼醸成措置を積み重ねることが大切です。更には北朝鮮との軍事バランスを取りながら在韓米軍の撤退と東アジアの米軍が保有する核兵器を一掃し、米韓軍事同盟、更には米日韓軍事同盟を解消し、東アジア全体のの全般的軍縮と非核化のための政治機構を形成することです。





W.自民党・財界・右翼反動勢力による新たな改憲戦略、「下位法」による「上位法」の否定、「平和憲法」機能停止法としての有事法制。

(1) 1999年の反動諸立法強行を転機とする政治反動と軍国主義化の新段階。
 1999年、小渕政権時代、我が国の軍国主義と政治反動は新しい段階に入りました。今回の小泉政権の有事法制整備もこの延長線上にあります。第145国会で周辺事態法、日の丸・君が代法、盗聴法、国民基本台帳法改悪、地方分権法改悪などが一挙に強行されたのです。いずれも衆院の3分の2を超える議会絶対優位を背景とする自自公(後に自公保)の与党体制の誕生の中で、野党に縛られずに法案を強行することができたからであり、戦後初めて自民党を中心とする保守勢力が改憲を展望することが可能になったからです。国会に憲法調査会を設置する国会法改悪が強行されたのも、同じ第145国会でした。調査会は2000年1月から活動を開始し、改憲や論憲が日常的に政治の表舞台でマスコミで積極的に議論されるようになったのです。
 自民党・財界・右翼的シンクタンクなどが、まるで示し合わせたように新たな改憲戦略を持って一気に動き始めました。「日米共同対処」(つまり集団的自衛権行使)を盛り込んだ「安全保障基本法」を含む有事法制を提案し、この有事法制なる「下位法」で「上位法」なる「平和憲法」の機能を全面停止するという新たな改憲戦略を相次いで打ち出したのも、このような軍国主義と政治反動の急進行の中でした。例えば、2001年3月の自民党国防部会「我が国の安全保障政策と日米同盟」、同4月経済同友会「平和と繁栄の21世紀を目指して」、同4月の中曽根元首相の世界平和研究所の「日本の総合戦略大綱」等々。

(2) 驚くなかれ。「包括法」(安保基本法)、「下位法」(有事法制)で「上位法」(「平和憲法」)を機能停止に追い込む改憲戦略は既に1990年代の初めから構想されていた!
 有事法制に「包括法」(安全保障基本法)を含めて「平和憲法」を機能停止させること、「下位法」(有事法制)で「上位法」(「平和憲法」)の機能を全面的に停止させること−−このようなしたたかな改憲戦略は、既に1990年代初めからありました。私たちはこれまで全く気が付きませんでした。右翼改憲勢力の動きを過小評価していたのです。
 1993年、改憲を社是とする読売新聞は改憲試案を「憲法問題調査会第一次提言」と称して打ち出し、その実現に向けて2段階戦略を採用しました。当時、改憲(もちろんここでは明文改憲のことです)など誰もが半信半疑で、一般的に、読売の突出した政治的パフォーマンスに過ぎないと見られていたのです。しかし今から思えば、小泉首相が今国会に上程しようと目論む「安全保障基本法」は、実は原型が既にここにあったのです!そして2段階戦略の第1段階でこの「安全保障基本法」を制定しこの法律に、戦力の保持はもちろん、交戦権や集団自衛権行使を明記して、いざというときに憲法機能を全面的に停止させる法的保証を確立しようとしたのです。だから明文改憲は第2段階でも済むのです。このような「包括法」構想は、1997年11月には防衛庁の外郭団体である平和・安全保障研究所が作成した「有事法制についての提言」の中でも採用され、有事に対処する基本法として「国家非常事態法」が提起されたのです。
 また同じ構想は2001年3月、自民党の国防部会が出した「我が国の安全保障政策と日米同盟」なる報告書でも打ち出されました。この報告は、2000年秋に米防衛族アーミテージ氏(現国務副長官)が露骨に要求した集団的自衛権行使を正面から受け止めこれを実現することを唄ったものですが、この報告書の本質は、もう一つあったのです。それは集団自衛権行使の具体的実現方法を自民党が初めて明らかにしたことです。報告は集団的自衛権行使の実現方法について、1)政府解釈の変更、2)憲法改正、3)新たな法律の制定、4)国会決議、の4つをあげ、「早急に実現可能とする方策」として1)と3)の「併用方式」を勧告したのです。ここで特徴的なのは、「新法制定」で集団自衛権行使を突破するという策略です。その意味で昨秋の「テロ対策特措法」もこの策略の具体化だったと言えるでしょう。憲法の平和条項を破棄するに等しい「新法」を次々と制定し、それによって明文改憲をしないで、「平和憲法」そのものをズタズタにし掘り崩していく。−−驚くことにこれが一つの改憲戦略になっているのです。「新法」で「平和憲法」を無力化し、米国と同盟して集団的自衛権行使を自由に行い、朝鮮半島に睨みを利かしアジアと世界中に海外派兵し侵略する侵略国家と軍事大国を作り上げていくというのです。こうして見れば、小泉首相がぶち挙げた「安全保障基本法」は実質的な改憲法案、憲法機能停止法案だと言えるのです。
 もちろん小泉政権の「安全保障基本法」の中身はまだ判明していません。上記の様々な構想とどこまで同じで、どこが違うのか分かりません。政府与党は審議過程で世論の反応を見ながら修正していく可能性もあります。しかし私たちは、改憲策略の一環としての「安全保障基本法」の危険性を充分熟知しておくことが重要だと思います。