シリーズ<安倍の教基法改悪と反動的「教育改革」>その3
急速に進行する教育格差と底辺層の切り捨て
−−教基法改悪が加速する学校・教職員・子どもを巻き込む新自由主義的「勝ち組・負け組」競争−−


[1]はじめに−−教育格差を広げ、差別と偏見を助長する教基法改悪

(1) 国家やグローバル企業経営の中核を担うリーダーとなるべき能力をもった優秀な一握りの人材と、「実直な精神」だけをもって蟻のように働く大多数の愚民へと国民を選別する、そしていずれの種別の国民も「愛国心」をはじめ国が必要とする「徳目」を身につけなければならない。これが教育基本法改悪の最大の狙いの一つであり、安倍首相が「教育再生」によって作り出そうとしている「品格ある国家」における「志ある国民」の姿です。
 支配層はこのような「国民の選別」を、義務教育の早い時期−−小学校の低学年、あるいは小学校の選択が問題になる幼稚園の時期から行おうとしています。すなわち、「できる子」と「できない子」に同じように教育を施すのは税金の無駄で馬鹿らしい、カネと時間の無駄である、「能力のある子」と「能力のない子」を選別し、能力のある人材にはありったけの教育資源を集中的に投入し、できない子からは義務教育をまともに受ける機会さえ奪っていこうというのです。社会で問題になっている「負け組」「勝ち組」を教育現場に本格的に導入する、子どもたちに幼少の時期から「徳目」=「新教育勅語」を叩き込む−−これが教育基本法の目的です。


(2) 周知のように1995年、現・日本経団連は「新時代の『日本的経営』」という提言を行い、その中でこれから企業が目指すべき従業員の構成として、@長期蓄積能力活用型グループ、A高度専門能力活用型グループ、B雇用柔軟型グループという3つを挙げました。企業の核となる正社員の長期雇用である@のグループは全体の一割、Aのグループは2〜3割、そして残りの大多数はBに属することになります。Bグループの雇用形態は、必要なときに必要なだけ用立てられる非正規雇用の派遣・パート・アルバイトであり、昇給の見込みのない一生涯の不安定雇用が想定されています。
 1995年から2006年にかけて雇用者数に占める非正社員の割合が21%から33.2%になり、若年層では失業率が最も高くなっていると同時に2人に1人が非正社員になっているという現実は、このような経団連の雇用政策の転換が着実に浸透していっていることを示しています。


(3) 教育基本法改悪は、日本の学校教育というものを、これらそれぞれの「階層」に属することになる「人材」を作り出すための“巨大な差別・選別マシーン”に変えていこうというものなのです。そうなれば、@に属すべき人材と、Bに属すべき人材は、義務教育の早い段階から、その受けるべき教育が異なっていくことになります。しかも、教育に資源を投入する経済的余裕のある階層と余裕のない階層がますますまはっきりと分かれていき、その経済格差・社会格差がストレートに教育格差に直結してくことになります。それはさらに、階級格差となって固定化していくことにつながっていきます。
 単に今後そうなるというだけではありません。すでに教育格差を拡大させるための諸政策が進行しています。国立大学の法人化、小中学校における学校選択、高校の多様化、公立中高一貫校の導入、習熟度別指導の実施、義務教育費国庫負担の削減等々、教育制度の新自由主義的な見直しが現に先行し、経済格差と教育格差が深く結びついて差別・分断が進行するという事態が起こっているのです。
※大内裕和氏は『世界』11月号の『格差社会の拡大・固定化をもたらす教育基本法改定』において、国会においてもマスコミにおいても、教基法の改定をめぐる議論が愛国心の問題に集中しており、格差社会の固定化と拡大をもたらすという重要な側面の議論が欠落していると批判している。


(4) そしてこの問題には、もう一つ決定的に重大な問題があります。それは国民の中に差別や偏見を広範に生みだし、助長していくという側面です。「できる子」と「できない子」、できる子が集まる「人気校」と皆が敬遠する「不人気校」、「人気校」がある地域と「不人気校」を抱える地域、前者には裕福で「優秀な」人々が住み地価も上がる、後者には貧しく「劣等な」人々が住み地価も安い、あの地域の人々が行く学校には通わせたくない、あいつらとは一緒に勉強したくない、「私たち」と「あの人たち」とは違うんだ−−社会の中に、そして子どもの中に不当な優越感を持ち、他人をさげすみ、差別する意識を生み出すのは間違いありません。首都圏を中心に先行している小学校選択制導入に関するさまざまなレポートなどは確実にこの歪みを伝えています。
ニートやフリーターの若者バッシング同様、就学援助を受ける家庭、授業料を減免してもらっている家庭、給食費が払えない家庭、そして勉強のできない子どもがバッシングを受けるのです。おまえ達に学校に行く資格がないと。このような目先の差別・偏見は、容易に対外的な排外主義に結びつかざるを得ません。


(5) さらにこれを促進するのが、教員に対する締め付けの強化、国家統制の強化です。すでに一部で始まっている教職員への「人事評価システム」の導入とその給与反映などはこの先取りです。学力至上主義がはびこり、学習困難な生徒や問題を起こす子どもに関わるのではなく、切り捨て排除することが教員としてなすべきこととされ、子どもたちのために奔走する教員たちが、「不適格教員」「ダメ教師」のレッテルを貼られてしまいます。安倍教育再生会議が最重要課題と掲げる「教員免許更新制」の導入、教育委員会や校長が定める目標を遂行しない、校長に異論を唱えたり批判する教員は容赦なく切り捨てられてしまいます。
 様々な子どもたちが同じ学校、同じクラスに通うことによって、人間関係を作りだしていく、社会へ進む準備をする、平和や人権の意識を学ぶという、平和教育、在日教育、同和教育、人権教育などが余計なものとして排斥されてしまいます。


(6) 今回のシリーズ<安倍の教基法改悪と反動的「教育改革」>その3では、現に進行している教育格差の実態とそれが経済格差と深く結びついている現状を報告したいと思います。新聞の報道や雑誌の掲載記事、書籍などをもとにこのレポートを作成しましたが、「地域によってはクラスの半分近くが就学援助をもらっている」など、様々なルポなどは署名事務局に参加している大阪の教職員や保護者の実感にも合致しており、決してセンセーショナルなトピックだけが一人歩きしている訳ではないことを改めて感じました。教基法改悪と安倍の「教育改革」は、このような流れを加速し、現在の教育格差を一層激化させ、子どもと教育そのものに破壊的な影響を与えずにはおきません。私たちはこのことを明らかにしたいと思います。



[2]就学援助、授業料減免などの急増=義務教育段階からの就学困難家庭の、層としての出現

(1)就学援助、高校授業料免除の申請・受給家庭が急増する異常事態

 私たちは、経済格差と教育格差の進行を問題にする上で、就学援助、高校授業料減免などを申請・受給する家庭が急速に増えていることをまず指摘しなければなりません。これらは、教育をうける権利を保障する上でのいわばセーフティネットであるはずのものです。ところが、私立学校や大学などではなく、公立の小中学校に通わせるのにも無理をし、生活を切りつめ、援助を求めなければならないというような家庭が急速に増加し、決して例外の存在ではなく一定の層として存在するようになっているのです。これは明らかに異常な事態です。授業料を払う、小学校の給食費を払う、学用品を買う、遠足にいく、修学旅行にいく等々、学校で共に学び遊び成長するという子どもたちにとって基礎的・基本的な条件が、経済的理由から制約されていくという事態が現に進行しているのです。以下今年になって報道されたいくつかの記事を見てみましょう。
−−2006年1月3日付朝日新聞朝刊は、「公立小中の文具代や給食費 就学援助4年で4割増 大阪・東京4人に1人」という見だしで親の生活実態が深刻化している実態を伝えている。公立の小中学校で文房具代や給食費、修学旅行費などの援助を受ける児童・生徒の数が1997年の6.6%から2004年の12.8%までほぼ倍増し、受給率が4割を超える自治体もあるという。
−−2006年3月23日付の朝日新聞朝刊によれば、全国の都道府県立高校で、授業料の免除や減額(減免)を受ける生徒が、04年度で11人に1人にあたる8.8%だったことが、文部科学省の調べでわかった。
−−このことを読売新聞2006年2月6日付は別の角度から伝えている。大阪府の府立高校では授業料の滞納が急増し、累積で一億円を超えた。来年度から徴収が厳格化されて給与も差し押さえられる。等々。


(2)「準要保護世帯」=就学援助受給世帯の急増。全国平均でも一割を越える

 就学援助は、東京や大阪では4人に1人、全国平均でも1割強に上っています。そして大きな特徴は、地域や学校によってかなりの差があることです。
 文部科学省によると、就学援助の受給者は2004年度が全国で約133万7千人。2000年度より約37%増えました。都道府県で最も高いのは大阪府の27.9%、そして東京都の24.8%、山口県の23.2%と続きます。
 市区町村別では東京都足立区が突出しており、93年度は15.8%だったのが、00年度に30%台に上昇、04年度には42.5%に達しました。上記の朝日新聞によると、この足立区の場合、修学旅行費や給食費は、保護者が目的外に使ってしまうのを防ぐため、校長管理の口座に直接振り込んでいるといいます。同区内には受給率が7割に達した小学校もあります。この学校で6年生を担任する男性教員は、クラスに数人いるノートや鉛筆を持って来ない児童に渡すため、鉛筆の束と消しゴム、白紙の紙を持参して授業を始めると伝えています。
 大阪市内では、子どもたちが就学困難な保護者に援助を取らせよう、つけさせようという運動とあいまって、就学援助を受ける人が増えて来ました。これは一方では保護者の生活と労働の実態が深刻極まりないことを反映するものです。大阪市内のある学校では、この10年間で家庭学習用のテキストを減らさざるを得なくなりました。理由は、共に家庭学習をしてくれる親が求職活動に走り回るようになったからです。以前は少なくともパート、アルバイトといった形でも仕事があったのですが、今はそれもありません。35人の学級のうち、10人前後はこのような状態に置かれているといいます。


(3)公立高校授業料減免生徒の倍増

 文科省によると、04年度に高校の授業料の減免を受けた生徒数は約22万2千人、全日制だと約20万3千人で全体の8.6%、定時制は約1万7千人で18.7%でした。96年度の11万人からほぼ倍増しています。都道府県別では、大阪が最も高く24.6%、最低は静岡の2.0%でした。学校間でも大きな開きがありました。04年度で率が高かった都道府県は、大阪、鳥取、北海道、兵庫、福岡、東京の順で大都市圏を抱えている都道府県が大半でした。この6都道府県については、学校間で率の差も大きいのが特徴です。大阪府では、全日制で最高60.9%〜最低5.4%の開きがあり高低差は実に55.5ポイントになっているといいます。
 都市部で率が高く、地域・学校間で格差が大きいのは、就学援助受給と同じ構図です。減免を受ける率が高まった理由について、各教育委員会では「地域経済の低迷、生活保護家庭の増加と連動している」(北海道)などと、生活の苦しい家庭の増加を挙げています。上記の朝日新聞によると、福岡県のある高校では生徒の3分の1が減免を受けており、その理由の最多は「(母子家庭など)児童扶養手当を受けている」で全体の3分の1を占めました。同校は「リストラで授業料が払えなくなる家庭も増えたようだ」と話しています。減免者の率が全国最大の大阪府では、03年度の統計で生活保護率や完全失業率、離婚率が全国2〜3位と突出しています。
 学習経費、ことに授業料は、消費者物価に比べて1980年代から急騰しています。後から詳しく述べるように、親の年収によって、就学前から高等学校卒業まで、学習費が負担できる階層と負担できない階層が著しく分化しています。また、苦労して府立高校に入学しても、低所得者層は学費の面から通学が困難になっていくのです。
※『日本の高学費をどうするか』(田中昌人 新日本出版)。


(4)貧困層の増大と「子どものいる世帯」での貧困層の困窮度の増大

 バブル崩壊以降、単純に富裕層、貧困層という両極分化でないにしても、確実に低所得者層の窮乏化は進行しており、それは「子どものいる世帯」に限っても同様です。
 たとえば、所得格差という点でみれば、公表されている最新の国民生活基礎調査(2003年)による「児童のいる世帯」の平均所得は703万円ですが、同年の全国母子世帯等調査結果報告(2003年度)の母子世帯の平均収入は212万円であり、その差は歴然としたものです。もちろん、「児童のいる世帯」の間でもさまざまな所得水準の家族がいるわけですが、母子世帯などハンディのある世帯に矛盾は集中しているのは明らかです。
 (2)で述べた就学援助の対象家庭には、生活保護を受けている「要保護」と自治体が独自に資格要件を定めている「準要保護」がありますが、05年の法改定によって後者への就学援助に対する国庫補助がなくなったことから、一部の自治体では、「準要保護」の資格要件を厳しくするなど、縮小への動きも始まっています。その結果、膨大な低所得・貧困状態にある「児童のいる世帯」(準要保護世帯、例えば生活保護基準の130%までの世帯など)の受給が困難になっています。次項で述べる生活保護の切り捨て同様、就学援助の切り捨てが始まっているのです。
※『二極化する家族 分化する子どもの生活』(青木紀 『子ども白書 2005』日本子どもを守る会[編])


(5)日本における貧困率の増加と生活保護世帯への規制強化・切り捨て

 最後に、教育格差問題と直接関わる問題として、日本の貧困化の拡大について指摘しておきたいと思います。経済協力開発機構(OECD)が今年7月20日発表した「対日経済審査報告書」は、所得が低い「相対的貧困層」の割合(2000年のデータ)は、OECD加盟国の中で日本が米国に次いで2番目に高いとし、パートやアルバイトなど賃金の安い非正社員を増やしたことが、所得の二極分化を助長させたことを指摘しています。そして、働いているひとり親の半数以上は相対的貧困状態にり、OECDの平均の約20%を遙かに上回り、さらに、ひとり親における著しい貧困が要因となることによって、児童の貧困率はOECDの平均を大きく上回る14%に上昇しているのです。教育費の割合が比較的高いことによって貧困が将来世代に引き継がれる可能性が高いことから、低所得世帯の子どもが質の高い教育を受けることの出来る条件を整備し、「階層分化の進行へ対処する」ことが提言されているほどです。
※OECD 対日経済審査報告書 2006 年版 http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/macroeconomics_pdf/20060720japansurvey.pdf

 日本では、生活保護世帯が2004年10月に100万世帯を突破し拡大し続けるとともに、飢餓、自殺、心中殺人等各地で生活保護がらみの悲惨な事件が次々と起こっています。また、「障害者自立支援法」なども含め、高齢者、障害者、病人、母子家庭、在日外国人など、最もしわ寄せを受ける下層の人々、社会的弱者を直撃し切り捨てる新自由主義的諸政策が強行されているのです。もはや「格差拡大」というような生やさしい言葉では言い表せない事態、「負け組」は死んでも仕方がないと言わんばかりの事態が、現実に起きているのです。
 就学援助の受給条件の強化もこのような一環の一環として出されているのはいうまでもありません。
※『ドキュメント’06「生活保護は助けない」』(1月14日深夜放送、日本テレビ系)では、経済的弱者の「最後の砦」とでも言うべき生活保護を受けることが出来ず、人々が餓死や精神疾患にまで追い込まれる実態が報告されている。今や、役所の生活保護課というのは、生活保護の申請に来た人をいかに追い返すか、というのが仕事になっている。申請を受け付けて調査の結果却下するのではなく、申請自体させないのである。この番組が取り上げる北九州市もかつては保護率が高かったが、こうした切り捨ての結果最近は横ばいになり、生活保護適正化の「モデル自治体」とまで言われているという。すなわち、こうしたやり方を全国の自治体も見習え、ということだ。高松市では、驚くことに、警察からの出向者と刑務官のOBが生活保護の担当をし、申請に来た人に対して威圧的な面接=取り調べをし、根掘り葉掘り尋ね、嫌がらせを言って引き取らせている。「ホームレスは生活保護を受けられない」などとウソまでつくこともある。 生活保護を受けられなかったために餓死する人も、全国のあちこちで出ている。「餓死事件は例外ではなくなっている」。7年前、京都で餓死した男性は、失業をきっかけに生活苦に陥り、部屋の中で衰弱していたところを病院に搬送された。入院先で生活保護を受けたものの、退院と同時に打ち切られた。後遺症のため働ける見込みがなかったにもかかわらず、京都市は保護を打ち切った。その2ヶ月後、彼はミイラ化した遺体となって発見されたのである。
『生活保護 門前払い 餓死、自殺・・・各地で悲劇』(10月8日 読売新聞)も同様、北九州市を取材し、足の不自由な男性が生活保護を受けられずミイラ化した状態で見つかった事件(今年5月)など、生活保護がらみの悲劇の数々を伝えている。京都市では今年2月生活保護を受けられなかった男性が心中を図って認知症の母親を殺害した、秋田市では、生活保護を却下された男性が自殺した、等々。



[3]教育費の増大がもたらす富裕層による高等教育の独占と、低所得者層の教育からの排除

(1)低所得者層は到底負担できない巨額の教育費

 次に私たちは、高等教育についての学費に関する統計を見てみたいと思います。高等学校入学から大学四年卒業までにかかる費用は平均993万円と1000万円水準に達しつつあります。内訳は、私立短期大学が697万1000円、国公立大学が773万5000円、私立大学文系が977万6000円、私立大学理系では、すでに1104万円と、1100万円を超えています。
※国民生活金融公庫総合研究所の『家計における教育費負担の実態調査結果について』(2002年報告)

 世帯の年収に対する学生生活費用の年間平均支出額とその割合年収階層別統計はさらにすさまじいものがあります。
@年収1000万円以上の場合は242万5000円で22.1%
A年収800万円以上1000万円未満では224万8000円で25.6%
B年収600万円以上800万円未満では208万円で30.8%
C年収400万円以上600万円未満では189万4000円で38.0%
D年収200万円以上400万円未満では158万3000円で54.1%
E年収200万円未満に関しては、学生生活費の支出はきわめて困難なため統計はなし

 明らかなように、学生生活費は必要経費としての授業料などを含むため、世帯年収が少なくなったからといって、それに応じて劇的に減るわけではありません。
 年収六階層のうち、学生生活費は、年収400万円未満の場合は年収1000万円以上の場合の約65%の支出に押さえられているにもかかわらず、年収に対する負担率は2.5倍にもなっています。そして、世帯収入に占める割合は4割近く、200万円以上400万円未満の世帯では世帯収入の5割を越えているのです。もちろん、これをより正確に見るためには、職業別検討や家庭における兄弟姉妹の状態、有病者の存在などの調査が必要であるとはいうまでもありません。しかし、全体としての収入減の中で、とくにひとり親と子世帯、なかでも母子家庭などでは学費が負担できる大学への進路の選択の余地はきわめて限定されたものになっています。[1]の(4)で述べた母子世帯の平均世帯収入212万円を見るならば、学費の面からしても、高等教育を受けることはほぼ絶望的と言わなければなりません。


(2)ますます進行する富裕層による高等教育の独占

 一方「大学通信」やその結果を用いて記した諸論稿によると、1990年代の末には国立五大学医学部合格者556人中375人、67.5%が中高一貫の私立高校出身者で占められ、東大の場合はそれが77.8%になっていたと報告されています。当時そのような中高一貫の私学へ通わせることのできる年収階層の家庭は限られていました。こうして国立大学医学部の門戸は公立高校の出身者にはきわめて狭くなっていたのです。
 特に大学への進路選択において年収の低い階層に教育の機会均等などあり得ない状態になっています。言うまでもなく、このような高等教育による格差は高校、大学における教育費負担によるものだけではありません。むしろ直接の学費負担の影響は全体としては小さいのではないでしょうか。
 すでに首都圏では、「中・上流家庭」にとっては中学校受験が一般的となり、義務教育段階からの子どもたちの進路の選別が進んでいます。一方、全国的に見れば、子どもたちがコースの選択を迫られるのは表面的にはまだ高校受験であり、さらには大学受験です。このような面でも首都圏と地方との間で歴然とした格差があります。
※『広がる教育格差』(第一生命経済研究所 研究開発室長荒川匡史)http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/watching/wt0609a.pdf


(3)エリートを養成するための支配層の学校

 支配層が立ち上げた上層のための学校でしばしば例に挙げられるのが「海陽学園」です。この立ち上げにはトヨタ、JR東海、中部電力という中部財界3社が半分以上負担し、残りは約80社の賛同企業が寄付しています。
 そこで目指される教育のモデルはイギリス、イートン校といわれていますが、驚くべきはその学費です。寮費も含め何と年間300万円。中1から高3までの6年間で1800万円。同じように寮生活を送るラ・サール中高の約2倍です。およそ一般庶民が手の出る金額ではありません。
 2006年2月19日、朝日新聞が受験者と合格者にアンケートを行い、保護者の年収分布を調べて記事に掲載しました。それによれば、年収1000万円以上が7割。しかも一番のボリューム・ゾーンが1500万円以上で、上限はきりがない位でした。
 ことに私立中学受験は想像を絶する厳しさですが、何より受験にカネがかかります。塾代だけでも小4から小6までの3年間で200万〜250万円というケースが多いのです。さらに後述するように学費もべらぼうなものです。結局経済負担に耐えられる層しか特別な教育は受けられません。

 05年末に公表された文部科学省の「子どもの学習費調査」によると、中学、高校6年間の教育費は、ともに公立の場合296万円ですが、私立の場合は692万円で、約2.3倍の差があります。
 橘木俊詔・京大教授が研究代表となって05年に実施した富裕層調査では、年間納税額3000万円以上の高所得者の約7割が子を私立に進学させ、4割が子どもの学校の授業料に年300万以上を費やしたといわれています。私立学校、ことに中高一貫校に子どもを通学させることのできるのは富裕層に限られます。教育機会の均等、平等などあり得ない話です。
※2006年3月23日付朝日新聞『分裂にっぽん 子どもたちの足元から 中』


(4)結局低所得層の子どもが落ちこぼされている

 中学受験、高校受験での「勝敗」を決定づけるのは、そこに至る教育であり、それはまた、家庭の教育力、突き詰めれば経済力によるという傾向がますます強まっています。つまり、親の所得格差、経済格差、社会格差が、直接教育格差につながっているのです。一部の富裕層が信じがたいほどの財貨とエネルギーを子弟の教育につぎ込む能力を手に入れる一方、日常的な学用品の調達にも事欠くような貧困層が増大しているのです。
 低所得階級・階層の子どもたちほど十分な「学力」を保証されません。そして子どもたちが属する出身階層が、学歴面での教育達成のみならず、学力や成績にも影響を与えていることが定説になっています。実際、高学歴階層の子どもは低学歴層の子どもに比べて、高い学業達成を得るチャンスが高いのです。また、一見、個人意思によるとみられる努力の発動においても、社会階層の影響が及んでおり、このような努力の階層差を媒介として、学力の階層差が拡大する兆候が示唆されています。
 そして「ゆとり教育」も、それを批判する「学力低下論」も、差別選別教育を徹底すること、学力の格差を大幅に拡大することによって、結局は共にこの階級・階層格差社会を更にエスカレートさせるものになっているのです。



[4]二極分化を示す学力格差と「都市の分断」。教基法改悪反対は全人民的課題

(1)教育格差がもたらす学力分布の「二こぶラクダ化」

 近年、子どもたちのテストの得点分布図は、平均点を中心としたなだらかな山形を描く「正規分布」ではなく、高得点と低得点とに二極化する「二こぶラクダ化」するようになっているといわれています。テストの得点分布をグラフにすると、たとえば80点台中心の子どもと、30点台中心の子どもとの格差が広がり、こぶが二つできるのです。塾に行くなど勉強に力を入れる層は学力が伸び、親が勉強に気を使う余裕が無く経済的に苦しい家庭の子はやる気や自信をなくして勉強を放棄してしまうというのです。二極分化は格差拡大と深く関わっています。
※学力の二極化、64%が実感 有識者委アンケート(朝日新聞)http://www.asahi.com/edu/news/TKY200609110228.html


(2)高所得地区と低所得地区、高学力地区と低学力地区への「都市の分断」

 東京都東部のある区で学校関係者が調べた、各校の就学援助率と学力テストの平均点との関係では、小中学校ともに、就学援助率が高い学校ほど平均点が低い傾向がみられました。東京23区全体でも、各区ごとの学力テスト平均点を縦軸、就学援助率を横軸にとると、点の集合は、やはり右肩下がりを示します。
※ 朝日新聞2006年3月25日付の特集『分裂日本 子どもたちの足元から 下』で、大阪大大学院の志水宏吉教授(教育社会学)は『経済的、文化的な教育環境の格差が学力の差に結びつく度合いは近年高まっている』と指摘している。

 さらに、東京23区の「私立中学への進学率」と「就学援助率」などの相関関係を調べたデータでは、私立中学への進学率が高い区ほど、就学援助率が低いなどの結果が明らかになっています。いや、それは「逆の相関関係がある」というようなレベルではなく、私立中学校へ子どもを通わせる余裕のある富裕層が住む地域と、就学援助をもらわなければ小学校に通わせるのも困難な層が住む地域とに分断されていっているといってもいいほどです。実に半分近くが私立学校へ通わせる地域と、半分近くが「要保護」「準要保護」となっている地域とへの都市の分断です。
※『教育格差絶望社会』(福地誠 洋泉社)は、生活保護をもらっている「要保護」と就学援助をもらっている「準要保護」を足した数字のトップは足立区で47.2%、2位墨田区36.9%、3位板橋区36.3%、そして23位は千代田区6.7%であった。一方私立中学の進学率トップは中央区40.7%、千代田区38.8%、文京区38.7%。逆に23位が江戸川区11.1%、22位足立区11.5%、21位葛飾区12.8%であった。


(3)差別・選別教育から必ず生み出されてくる排除の論理の危険

 私たちは、学校選択制や全国学力テストが、学校の序列化や地域の序列化を促進し、このような都市の分断と社会格差をますます拡大させる危険性を持っていると考えます。そして子どもたちや住民たちの間に、差別や偏見を広範に生みだし助長していく危険性を持っていると考えます。現に東京では、「人気校」と「不人気校」の差が歴然とし、従って「人気校」がある地域と「不人気校」がある地域との差がはっきりとしてきています。それは地価の変動や住宅環境などにも影響を及ぼし、ますますその格差を拡大していくのです。
 「親子の本音が招く、人気校への雪崩現象 ルポ品川区教育改革の今」(『中央公論』2006年11月号 小林哲夫著)は、2000年から小学校の、2001年からは中学校の学校選択制を導入した品川区のレポートです。品川区のある中学校では今年新入生が一人も入学しないという事態に陥りました。同校の入学者数は01年51人、02年9人、03年38人、04年23人、05年12人、そして06年ゼロという経過をたどったといいます。入学希望者が右肩上がりの学校では冷暖房完備、温水プールなどの施設で人気を集める一方、不人気校は廃校の危機にさらされます。筆者はこの間の動向について、「人気校、不人気校の間で切磋琢磨の競争が起こっているというより、増加と減少の二極化傾向にある」と語り、「学力上位者の学力を伸ばす教育は行うが、下位者には十分なフォローがなされずに放られてしまうのではないか」という危機感をあらわにしています。そして「よい者を求めるという選択の論理」と共に「悪い者は遠ざけたいという排除の論理」が生まれてしまうという懸念を明らかにしています。
※小林哲夫氏のルポでは、人気校へ子どもを通わせるある母親の証言が掲載されている。「幼稚園時代の友達と相談して、保育園出身者が少なく、中学受験率が高い学校を選びました。子どもを保育園に預けている親には、父親がいない、貧しい、家庭が複雑など、何らかの事情があると思ったからです。自分の子供を、身なりが汚かったり、虐待を受けていたりするような子供たちと一緒にさせたくない、というのがホンネです。」まさに、当事者たちの間では、「排除の論理」が一人歩きしている。そして保育園に通っている子どもは、本人の意識とは全く別のところですでに「負け組」の烙印を押されてしまっているのである!  


(4)先行して東京都で導入された学校選択制の矛盾。犠牲になるのは子どもたち

 上記の中学校の入学者数からすれば、3年23人、2年12人、そして1年0人といういびつな学年構成をもった中学校ができていることになります。しかし、2年生の数名は転校したといいます。下級生もおらずサッカーや野球などのクラブ活動などが困難なため、生徒数は減り続け、まともな学校生活が営めないからです。そして約5500世帯、1万3500人が住む地元の子どもたちの大半が運河にかかる橋を渡った対岸の中学校に通っているのです。
※教育 「選択」の末、入学者ゼロ(朝日新聞)http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000270609270001

 荒川区、墨田区などでも入学者ゼロ、あるいは一桁という小中学校がでています。都会のど真中の小学校に期待に胸を膨らまして入学したにもかかわらず、新入生がわずか数人というような事態を誰が予想できるでしょう。新一年生の輝きは失われてしまうでしょう。遠足や運動会、学芸会となどの行事そのものが事実上成り立たなくなります。これらの学校では、校長や教員の目は在校生に向くのではなく、営業マンさながら新入生の獲得に奔走しているといいます。しかし、マスコミに「不人気校」と取りあげられるなど「風評被害」などもあり、結局は悪循環に陥り、一度「不人気校」とレッテルを貼られた学校が復活するのは難しくなります。
 「不人気校」には、様々な事情によって家から一番近くの小学校を選ばざるを得ない、困難な事情を抱えた子どもたちだけが入学してくることになります。学校選択制が導入されたことによって、小学一年生が、自分が通う小学校の名前を言うのがはずかしい、他の小学校の児童に対して劣等感を覚える、そんな事態さえ生まれていくのではないでしょうか。学校選択制は、物理的な面からも、心理的な面からも、学校に通う子どもたちに、そして教職員たちに大きな犠牲を強いることになるのです。そしてすでに学校選択制が、学校の統廃合を進めることによって、事実上「不人気校の廃校」のためのテコとなっているのです。


(5)再生産される社会格差と教育格差

 家庭環境(文化的階層)が、子どもたちの学習意欲、学習行動、学力などの面においても大きな影響を与えるという研究がなされています。これらは、直接的に出身階層による学力格差の拡大を論じたものではありませんが、家庭的背景の影響の強まりを示しています。そして、子どもの教育や生活に日常的に関心を払う余裕のある裕福な家庭と、たとえば両親が共働きで時間的金銭的余裕のない家庭では、おのずと学習への意欲や関心が違ってくるというのです。
※ここでいう「文化的階層」の区分とは、「家の人はテレビニュース番組をみる」「家の人が手作りのおかしをつくってくれる」「小さいとき、家の人に絵本を読んでもらった」「家の人に博物館や美術館に連れていってもらったことがある」「家にはコンピュータがある」などであ。また「朝、自分でおきる」「朝食を食べる」「朝、歯を磨く」「『いってきます』『ただいま』のあいさつをする」「前の日に学校の用意をする」「きまった時間に寝る」などの生活習慣との関係でも研究がなされている。
※『日本の所得格差と社会階層』(樋口 美雄+財務省財務総合政策研究所著 日本評論社)『排除される若者たち フリーターと不平等の再生産』((社)部落解放・人権研究所編 解放出版社)『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』(苅谷剛彦 志水宏吉編 岩波書店)など。

 これらの研究では、子どもがどこの高校や大学に進学するかは、出身家庭の背景と密接な関連を持っており、親の学歴とも関連を持っていること、出身学校のランクは、その後の職業達成と密接に関連する等々も明らかにされています。
 『ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜』(7月23日(日)NHKスペシャル)は、増大している「勤労貧困層」(ワーキングプア)をレポートしました。大学や高校を卒業しても正社員になれず、日雇いで食いつないでいる都市部の若者も登場します。子どもを抱える低所得世帯では、食べていくのが精一杯で、子どもの教育にまでとても手が回りません。番組では、30代の若者にして路上生活を余儀なくされ、中には親の「ワーキングプア」状態を引き継いで路上で将来のない生活を送る「二代目」の若者の姿が紹介されていました。「貧困」「格差」がますます継承・再生産されていくようになっています。


(6)教基法改悪反対は、教育格差拡大という点からも、労働者・勤労者全体の課題である

 私たちは、シリーズ<安倍の教基法改悪と反動的「教育改革」その1>「教育基本法改悪の狙いは何か?」の中で、愛国心や徳目が学校教育だけでなく社会全体に強制されることになるという観点から、教基法改悪の問題が日本の国民全体、人民大衆全体の問題であることを強調しました。私たちは、教基法が教育格差を拡大するという点からも、その反対闘争が全人民的課題であるあることを強く訴えたいと思います。
 高等教育がますますま富裕層の独占物となっていく傾向を強め、労働者や勤労人民の子弟が、学費や教育費、そして社会的な様々な環境の面から、高等教育はおろか義務教育からも排除されようとしていることに対して強い反対の声を上げていかなければなりません。教基法改悪と安倍の反動的「教育改革」は、これを制度化し法制化するものに他なりません。教職員だけの問題ではなく、まさに私たち労働者・勤労者全体の問題なのです。
 学校と教育システムが改悪され、労働者と勤労人民が、不安定雇用と低賃金労働、長時間労働の劣悪な状態に置かれている中で、子どもたちの教育をどうしていくのかが真剣に問われなければなりません。私たち労働者・勤労者の全ての子どもたちが内包している精神的・肉体的能力を全面的に発達させていく条件が根本的に破壊されようとしている今日、私たちは次世代の子どもたちに何ができるのか、どのようにすれば知的で文化的な内容を学ばせ、批判的精神を鍛えていくことができるのかが問われていると思います。

(2006年10月25日 MO)