原爆投下容認発言を久間辞任で幕引きさせてはならない
安倍政権の責任を徹底して追及しよう!
−−安倍首相自身が北朝鮮に対する先制核攻撃論者、「非核三原則」見直し論者−−


(1)久間防衛相は7月3日、原爆容認発言の責任をとる形で辞任した。安倍政権にとっての痛打である。野党は、久間の辞任にとどまらず、安倍首相の任命権者としての責任をさらに追及する構えである。私たちも攻勢を強め、安倍政権を追いつめなければならない。
 久間は6月30日の講演で、米の原爆投下は「しょうがない」などと発言し、広島と長崎の市民とりわけ被爆者の間に強い怒りを引き起こし、被爆者団体の抗議を受け、野党による追及と与党内からも吹き出した批判の中で辞任した。しかし、久間はいったい誰に謝罪し、辞任したのか。久間は辞任の会見で「選挙で足を引っ張ることになっては申し訳ない」などと述べた。参院選に向けて懸念を強めた自民党や公明党に対して「身を引いた」にすぎない。しかも会見でも、「しようがない」と笑みを浮かべる始末だ。全くふざけている。実際久間は7月1日、長崎県島原市の講演会に出向き、「不愉快な思いをさせた」「ごめんなさい」などと発言しながら、もっとも謝罪すべき被爆者団体などと会おうともせず東京に舞い戻っている。あまりにも被爆者を、国民を愚弄した態度である。

(2)久間の辞職が罷免ではなく辞任であること、謝罪はしたが発言の撤回は一切拒否していること、安倍が「久間氏は米国の考え方について紹介した」などと久間を一貫してかばい続けたことなどを考えれば、これは久間一個人の問題ではなく、安倍首相の問題、安倍政権の問題である。
 現に安倍自身が官房副長官時代、2002年の6月に有事法制の国会審議の最中に早稲田大学において、日本による核兵器の保有・使用を積極的に明言していたからである。要点はこうだ。
@ミサイル注入段階で攻撃しても専守防衛。
A攻撃は兵士が行くと派兵になるが、ミサイルを撃ち込むのは問題ない。日本はそのためにICBMを持てるし、憲法上問題はない。
B小型核兵器なら核保有はもちろん核使用も憲法上認められている。都市攻撃はダメだがミサイル基地の核兵器による先制攻撃は専守防衛。等々。

 明らかに「先制攻撃論」を「核による先制攻撃論」に拡張した危険極まりないものである。しかも、従来の「ICBMは攻撃兵器だから持てない」という政府見解を覆し、そのためなら、日本の核武装を否定した「非核三原則」を見直すべきかのような発言を行った。実際、この安倍発言について聞かれた福田官房長官が「非核三原則見直しもありうる」と答えたのである。小泉政権時代からすでに、集団自衛権行使容認、対北朝鮮先制攻撃論が、政府与党の中枢で意思統一されていたことは間違いない。安倍−福田両氏が結託して核による先制攻撃論に法理論的な道を開こうとしていることは明らかであった。さらに安倍の早稲田での講演の数日前、有事法制特別委員会の審議で福田官房長官は「ミサイルに燃料を注入したら、攻撃に着手したとみなし基地を先制攻撃しても専守防衛の範囲」と答弁し専守防衛を先制攻撃論へと大拡張していた。久間も驚くほどのもの凄い発言の数々。安倍が現在急いでいる「集団的自衛権・有識者懇談会」は、かかる安倍の持論を現実のものにしようとする目論見である。久間の今回の発言を、安倍政権のこのような「戦争国家」づくりの一環として見抜き糾弾しなければならない。
※「こんな政府が有事法制を手にしたら大変なことになる 有事法制担当3閣僚を辞任させ、有事法制を廃案に追い込もう!」(署名事務局)

 久間は、まさに小泉政権以降公然化されてきたこうした安倍や福田の考え方を踏襲し、非核三原則の「持ち込ませず」の厳密適用を除外し、緊急時には核搭載の米艦船の寄港を認めるよう主張した。また昨秋には中川昭一自民党政調会長が「核保有の議論はあっていい」と何度も繰り返して発言し、麻生外相もこれに対する非難を批判して「言論封鎖に組みしない」と開き直っていた。
 最近も安倍首相は、先の党首討論において、原爆投下について米の謝罪を要求する小沢代表に対して、「米国の核抑止力を必要としている」と平然と語っている。私たちは「米国の核抑止力」「自国の核保有・核使用」を公然と主張する安倍政権を徹底して追及しなければならない。

(3)先にも述べたように、久間は発言の誤りを真正面から認めたわけではない。「言ってしまったものは撤回できない」などと発言の撤回はかたくなに拒否し続けている。「発言が誤解されている」などとも言い続けている。辞任会見で若い政治家への教訓を問われて、「言葉は選ばなければならない」などと、濡れ衣を着せられたかのように振る舞っている。絶対に許せない。
 久間が30日に語った内容は以下である。長崎への原爆投下で「無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている。」さらに「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。」「間違えば北海道まではソ連に取られてしまった」「国際情勢や戦後の占領を考えると、選択肢として戦争の場合は(原爆投下も)あり得るのかなと思う」など、ソ連ではなくアメリカに占領されて良かったと、原爆投下を歓迎までしているのだ。
 「しょうがない」どころではない。久間の発言は、原爆投下によって一瞬にして死んでいった30万人以上もの人たち、苦しみながら息絶えていった人たち、そして62年経った今も被爆の後遺症で苦しむ被爆者の人たち、その2世、3世の人たちの気持ちを踏みにじるものである。

(4)久間の発言は、原爆投下にまで至らしめた天皇制軍国主義の侵略戦争の責任、被爆者にまともな補償をしてこなかった日本政府の戦後責任を否定するものである。1945年2月の段階で、敗戦はもはや避けられない情勢であった。しかし、敗戦必至として早期講和を進言した近衛文麿に対して、昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてから」と、これを拒絶した。3月には東京や大阪など人口密集地への大空襲があり、甚大な被害を出した。6月には沖縄への上陸作戦と占領、そして8月には広島、長崎へ原爆が投下された。沖縄戦における集団自決の強制や広島・長崎の悲劇も、無条件降伏と講話受け入れによって避けられたはずである。ところが、降伏した場合に天皇の地位、いわゆる「国体」が守られるのかどうかという懸念の方が優先された(「国体護持」)。ソ連の参戦によって満州に展開されていた関東軍が壊滅し、最後の切り札を失ってはじめて天皇は「聖断」を下したのである(「遅すぎた聖断」)。
 現に昭和天皇は、1975年、「原爆の投下は遺憾であり、広島市民には気の毒であるが、戦争中のことであり、やむを得ないことと思っています。」などと語っている。久間の発言と全くうり二つだ。

(5)私たちは米国による原爆投下が人類史上かつてない無差別大量虐殺であることを忘れてはならない。米国による原爆投下の強行は、すでに始まっていた米ソ間の対立の中で、自らのヘゲモニーの下で日本を降伏させ占領下に置き、日本をアジア・太平洋の「橋頭堡」にしたいという露骨な帝国主義的野望に基づいたものであった。
 それだけではない。ヒロシマ、ナガサキが、ウラン型およびプルトニウム型の新型兵器についての壮大な“人体実験”であったという事実を改めて強調しなければならない。米国は、大戦終結後のソ連との対立に備え、新型爆弾の作成を急いだ。1945年7月16日、ニューメキシコ州で初の原爆実験に成功し、さらにその建造物や人体への現実的影響を明らかにするために、ポツダム宣言の動きとは別に、日本への原爆投下の計画を作成し、ヒロシマ、ナガサキを強行したのである。
 それを「しょうがない」の一言で片づけられるものでは絶対にないのだ。
 
(6)安倍首相は、久間の後任として、安倍取り巻きの右翼グループの一人である小池百合子を指名した。このような論功行賞と安倍に近い右翼議員を主要ポストにつける安倍のやり方は、安倍政権で、発足以来わずか10ヶ月で3人の閣僚を失うという異常事態に陥った背景となっている。今回の久間辞任の直接の引き金は、会期延長をゴリ押しされた参院青木の反乱と公明党の「選挙が持たない」という動揺であったと言われている。安倍政権は、自らが招いた数々の事態−−年金記録消失問題、住民税増税ショック、金権腐敗と松岡自殺問題、世論を無視した強行採決等々−−による与党内部の求心力の低下で政権失速の縁にある。安倍の支持率低下はとどまるところを知らない。幾つかの世論調査で支持率は政権崩壊ラインと言われる3割を切っている。
 それでも安倍は改憲を諦めてはいない。集団自衛権行使容認の既成事実づくりを着々と推し進めている。明文改憲と解釈改憲の両方を一気にやり遂げようとしている。安倍政権は、労働者・勤労人民の悪化する一方の生活を無視し、今や多くの人々の「命綱」となっている年金を利権としてしか考えていない。参院選挙で大敗北させない限り安倍は政権に居座り、憲法改悪と「戦争国家」づくりの道、生活破壊・労働破壊の道を暴走するだろう。安倍政権を徹底的に追及しよう。

2007年7月3日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局