イラク戦争の民間人犠牲者は最初の7ヶ月だけで少なくとも37,000人を超える
−−米軍の妨害の中でイラクの政治グループが実地調査−−


■「ピープルズ・キファー運動」による命がけの“実地調査”。「イラク・ボディ・カウント」のざっと3倍。
 アルジャジーラ・ネットがこの7月31日、イラクの政治グループの一つ「ピープルズ・キファー運動(覇権反対闘争)」が、現地で民間人犠牲者の実態調査を行い、少なくとも37,000人を確認した、と報道しました。
 非常に重要な事実です。なぜなら今回の数字は、米占領下のイラクにおいて、米軍の執拗な妨害の中で敢行された初めての“実地調査”の結果だからです。これまでは、イラクの民間人犠牲者をカウントする唯一の信頼しうる情報源は「イラク・ボディ・カウント」だけでした。それによれば本日8月6日の数字は11,429〜13,398人です。
 しかし「イラク・ボディ・カウント」のカウント方法は、メディアで報じられた限りでの情報を丹念に収集し評価して数値をはじき出すという、元々限界のある方法でカウントされたものです。

 これに対して今回の数字は、“実地調査”です。
−−数百人のイラク人活動家や研究者が2か月にわたる作業を行った。
−−遠隔の村々の訪問、墓掘人からの聞き取り、病院からの情報、そして殺戮現場を見た数千人の目撃者からの事情聴取等々。
 比較すれば、ざっと3倍になります。(両者の数字を比較する時期は異なりますが)“メディア報道”と“実地調査”、この3倍という数字は、推測としてごく自然に出てくるものではないでしょうか。

 もちろん「イラク・ボディ・カウント」は、これまで世界で唯一の民間人犠牲者をカウントするサイトとして、イラク反戦運動に大いに寄与しました。このサイトの主宰者自身がメディアで報道されなかった多くの事実が埋もれていることを前提に、不正確さと無理を承知でカウントしてきたものなのです。彼らは、イラク侵略に先立って米政府・軍当局が、「イラク民間人犠牲者などカウントするつもりはない」と言い放ったことを非難して、イラク反戦の立場から在野で進めてきたプロジェクトなのです。開戦後1年数ヶ月が経過した現在もなおカウントし続けるその粘り強さと努力には脱帽するしかありません。
※マーシー大学の歴史学教授フレデリック・シールズ氏は、イラクの民間人犠牲者を6000〜8000人と見積もっている。「Study details wars' civilian casualties」By ERNIE GARCIA THE JOURNAL NEWS (Original publication: August 2, 2004)http://www.thejournalnews.com/newsroom/080204/a0102casualties.html
※「フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス」の6月24日のレポートは6月16日時点での「イラク・ボディ・カウント」の数字9,436〜11,317人を採用している。FPIF Special Report June 24, 2004 「Paying the Price: The Mounting Costs of the Iraq War」http://www.ips-dc.org/iraq/costsofwar/costsofwar.pdf


■今年4〜5月のファルージャやナジャフなどでの激しい戦闘、特に“ファルージャの大虐殺”の犠牲者を加えると40,000人を大きく超えるはず。
 今回の37,000人という数字は昨年10月までの数字です。ところが皆さんもご存じのように、米英軍が反米武装勢力の掃討作戦をエスカレートさせたのは、むしろこの10月以降なのです。スンニ派三角地帯であるファルージャ、ラマディ、サマラ、ティクリットなどで米軍は無差別に攻撃を加え殺しまくりました。
 とりわけ今年4月〜5月、米軍によるファルージャ市街地への突入とイラク戦争始まって以来の本格的“市街戦”で、1,000人近くの民間人の犠牲者が出ています。更には同時期、ナシリア、クート、ナジャフ、アマラなどイラク中部・南部で展開された米軍とサドル師率いるマハディ軍との激しい戦闘でも多くの犠牲者が出ています。

 また今回の調査は、イラクの13の都市での犠牲者数です。クルド人地域をはじめその他の都市・地域は含まれていません。こうした様々な制約を考慮に入れれば、おそらく犠牲者総数は、優に40,000人を超えているはずです。


■イラク軍・準軍事部隊の犠牲者を含めればイラク人の犠牲者は合計で100,000人に近づく。
 今回の数字には、イラクの正規軍、準軍事部隊の犠牲者数はカウントされていません。これらの数字は10,000人〜45,000人と言われています。もし、37,000人、あるいは40,000人に、更にこのイラク軍の犠牲者を加えれば、47,000人〜85,000人になります。おそらく実態的にはイラク人犠牲者の総数は100,000人に近づいているのではないでしょうか。
※「Survey claims 37,000 Iraqi civilians killed in first seven months of war」By James Conachy
5 August 2004 wsws.org http://www.wsws.org/articles/2004/aug2004/civi-a05.shtml
※antiwar.comによれば、イラク軍の犠牲者数は4,895〜6,370人とされている。この数字は、すでに上記で引用したFPIF Special Report June 24, 2004 「Paying the Price: The Mounting Costs of the Iraq War」にも採用されている。しかしこれはJohn M. Broderの, “Iraqi Army Toll a Mystery Because No Count is Kept,” (New York Times, April2, 2003.)に出てくる数字であり、4月9日のバグダッド突入前のニューヨークタイムズの記事なのである。過小評価であることは言うまでもない。イラク軍人の犠牲者の実態は民間人犠牲者以上に信頼性に乏しい。http://antiwar.com/casualties/


■米軍の執拗な妨害と弾圧−−米軍は一体何を恐れているのか!拘束した調査員を解放せよ。
 今回のこの記事は、もう一つ重要な事実を明らかにしました。米軍がイラクの民間人犠牲者の数字や実態が明らかにされるのを極度に恐れていることです。米軍は、死者数についてかん口令を敷いているだけではなく、執拗に妨害を繰り返しました。このような困難な中“実地調査”を行っているひとりの調査員が米軍に拘束されたのです。ラムズィ・ムーサ・アフマド、32歳のイラク人技師で、昨年10月クルド人自治区へ行く途中、クルド人民兵に捕らえられ米軍に引き渡されその後行方不明になったのです。アブグレイブで拷問にあったか、すでに殺害されてしまったか。米軍は彼の安否と所在を明らかにし、直ぐに解放すべきです。
 この調査員が行方不明になってから、結局は10月以降“実地調査”は中止に追い込まれたのです。米軍が暴力的に“実地調査”を阻止したのです。断じて許すことが出来ません。昨年12月にも、イラク厚生省の統計局が行っていた民間人犠牲者の統計調査を、当時の占領軍暫定当局(CPA)が禁止した事実があります。−−米政府・米軍は一体何を恐れているのか!

2004年8月6日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局





(アルジャジーラ・ネット)
民間人犠牲者は 37,000人以上とイラクのグループが主張
by アフメド・ジャナビ
2004.7.31

http://english.aljazeera.net/NR/exeres/66E32EAF-0E4E-4765-9339-594C323A777F.htm


2003年3月米国が主導した侵略の開始から2003年10月までの間に 37,000人以上のイラク民間人が殺されたと、イラクの政治グループの1つが述べている。


死傷者数は、このような日常的な光景によって明らかだ。

 「ピープルズ・キファー運動(覇権反対闘争)」は、声明の中で、イラク民間人死者の詳細な調査を行なったのは2003年9月から10月であると述べている。

 その数値は、イラク民間人の間での死者のみであり、イラクの正規軍および準軍事部隊が被った死傷者はカウントしていないという。

 この運動の副事務局長兼スポークスパーソンがアルジャジーラ・ネットに語ったところによれば、数値の正確さは保証できるという。

 「私たちは、 37,000人の民間人死者というのが間違いのない見積もりであるということに、100%自信があります。私たちの調査は、数百人のイラク人活動家や研究者が参加した2か月にわたる骨の折れる作業の結果です。もちろん、私たちに報告されなかった死者があるでしょう。しかし、ともかく犠牲者の数は私たちが突き止めたものよりも少ないことはありえません。」とムハマド・アル・ウバイディは述べた。

 「私たちは、統計数値を照合するために、遠隔の村々を訪れ、墓掘人に話して協力を得ましたし、病院からも情報を得ました。また、イラク民間人が米国の火器で殺された現場を見た数千人の目撃者と話しました。」と彼は述べた。


詳細な数値

 英国在住の生理学教授であるアル・ウバイディは、 37,000人の民間人死者に関して、2003年3月から10月までの期間の各行政区毎の(クルド人地域を除く)詳しい明細を提示した。

バグダッド : 6103
モスル : 2009
バスラ : 6734
ナシリヤ : 3581
ディワニア : 1567
ワシート : 2494
バビル : 3552
カルバラおよびナジャフ : 2263
ムサーナ : 659
ミサン : 2741
アンバール : 2172
キルクーク : 861
サラー・アル・ディン : 1797


 「ピープルズ・キファー」によれば、データ収集作業は、2003年10月にグループの調査員の一人がクルド人民兵に逮捕されて米軍に引き渡された後、ストップした。その調査員がどうなったかは今だに不明であるという。


行方不明の調査員

 「私は、アルジャジーラ・ネットに語るというこの機会をとらえて、米国占領当局がこの調査員の所在を明らかにするように求めます。彼は逮捕されて、そのあと行方不明になったのです。私たちは、彼がアブ・グレイブ刑務所であったような拷問を受けているのではないかと心配しています。」とアル・ウバイディは述べた。

 「彼の名前はラムズィ・ムーサ・アフマドです。32歳のイラク人技師で、昨年10月クルド人自治区アル・スレイマニアへ行く途中でした。英国にいる私にファックスを送ることになっていました。というのも、バグダッドでは電話回線がまだ回復されていなかったからです。」

 アル・ウバイディによれば、「アフマドが乗っていたミニバスは、クルド人地区の検問所で止められました。彼は逮捕され、米軍に引き渡されました。」


禁止された声明

 現在までに、全イラク民間人死亡者数の信頼できる見積もりはない。イラク暫定政府は、利用できる統計をまだ何も作っていない。他方で、伝えられるところによれば、米国占領当局は検死局に対して、受け取った死体の数についてメディアに語らないようにという命令を発した。

 政治アナリストのリーカ・マッキが述べたところでは、イラクの役人が死体数についての情報提供を禁じられているということは、バグダッドでは広く知られていることだという。

 「検死局の長官が、何か月か前に、当局は1日で70の死体を受け取ったと公表したのです。そうしたところ、彼は懲戒処分を受けました。そして、如何なるものであれ死体数についての発表は禁止するという声明が、イラク報道機関に公表されました。」とマッキは述べた。

 戦争統計を調べる唯一まともな独立した試みは、「イラク・ボディ・カウント・プロジェクト」である。これは米国と英国の研究者を含んだものである。このプロジェクトのウエブサイトは、現在、イラクの民間人犠牲者を 11,000人から 13,000人の間と見積もっている。

 このウエブサイトは数値をアップデートするのが遅いと、批判する向きもある。しかし、「イラク・ボディ・カウント・プロジェクト」によれば、ニュースのサイトではないのでスピードよりも正確さを優先しているという。


計画省は2005年1月に調査を予定
 アラブと西側のメディアによれば、侵略の開始以来 15,000から 20,000人のイラク民間人が殺されたという。

 しかし、その数値に疑問を持つ報道関係者もいる。いわく、米軍の手にかかって死んだイラク民間人の数は、決して知ることはできないだろう、と。


予定されている国勢調査

 イラク暫定政府は、サダム体制後の最初の国勢調査を準備している。暫定政府は、正確な調査がイラクの行なったいくつもの戦争についての、長らく埋もれていた事実を掘り起こすであろうということを期待している。

 計画省は、10月12日には家を離れないようにと、イラク人に指示を出した。その日には、150,000人の調査員が携わって調査を行なうことになっている。

 暫定政府によれば、この調査は、2005年1月に予定されている総選挙前の最後のステップになるという。

 これまでの最後の公的調査−−1997年に行なわれた−−によれば、イラクの人口は 2,400万人であった。
(以上)