ベネズエラ国民議会選挙:反対派は米国の軍事介入を期待し選挙をボイコット
◎石油施設や政府機関等への爆弾攻撃と15,000人爆殺計画が発覚
◎ニカラグア、ハイチの実例を再現させるな!


(1)反対派と米国によって仕組まれた選挙ボイコット
 12月4日(日)、ベネズエラで国民議会選挙が行われた。チャベス反対派の主要4党が直前に選挙ボイコットを宣言し、反対派軍人らによる大規模テロ攻撃が計画され、騒乱状態を現出して米国の軍事介入を誘引しようとする画策が行われていた。しかし、国軍と治安当局によってテロ計画は摘発され、米国と結託した反対派の策動は封じ込められた。
 選挙結果は、チャベス与党MVR(第五共和国運動)が3分の2以上の議席を獲得し、
それ以外の議席もすべて親チャベス諸党のものとなった。OAS(米州機構)とEUの監視団は、選挙が公正で透明なものであると認定した。

 反対派の選挙ボイコットは、きわめていかがわしいものであった。反対派主要3党、AD(Accion Democratica)、Copei、Proyecto Venezuelaは、投票日の5日前11月29日にボイコットを宣言した。しかしそれは、CNE(全国選挙管理委員会)に対する反対派の様々な難癖にCNEが一定の譲歩をして、OAS(米州機構)監視団が選挙の透明性と公正さが確保されると声明を出し、反対派もいったんはOASに参加を約束したにもかかわらず、その数日後に強行されたのである。OASと並んでEUの監視団もCNEの対応を高く評価していた。
 残されたもうひとつの主要反対派政党である「正義第一」党は、チャベス政権以前の第4共和国時代の不正や腐敗にまみれていないとされる有力な反対派政党で、他の3党のボイコットにより、反対派の票をほとんど獲得するものと思われた。しかしこの党も、11月30日夜、急遽ボイコットを決定した。それは特に唐突なもので、党を二分する激論の中で決定が強行されたのである。この党の候補者の中には立候補を取りやめなかった者もいた。

反対派3党のボイコットは予定されていた
 いったい何が起こっていたのかは、その後の事態の推移の中で次第に明らかになっていった。まず第一に、AD、Copei、Proyecto Venezuelaの3党は、当初から選挙ボイコットを決めていたと考えられる。それは、ボイコットを宣言したときにセンセーションを巻き起こす程度の立候補者は立ててはいたが選挙運動をほとんどしなかったこと、CNEに対してあれこれと難癖をつけて、ボイコットのための口実をつくるという以外には他に理由が考えられないような要求をしてきたこと、等に示されている。(詳しくは後に紹介している翻訳「なぜどのようにベネズエラ反対派は内部崩壊したか」参照。)
 そして、選挙当日、人々に選挙へは行かずに教会へ行くようにという呼びかけを大々的に行なったのが、反対派のNGO組織「スマテSumate」である。この組織は米国から多大な資金援助を受けており、この夏に組織の長がホワイトハウスを訪問していた。「スマテ」は、ベネズエラへの米国の干渉・介入の窓口的組織で、「米国民主主義基金(NED)」から資金提供を受けている。NEDは、国務省、CIA、国際開発庁([US]AID)と並んで、米国が全世界で政治的介入を行う主要な組織のひとつである。
※参考:「ベネズエラに対する米国の介入の仕組み」(Emerging Revolution in the South)
http://agrotous.seesaa.net/article/8850039.html

15,000人殺害テロが計画されていた
 反対派が選挙ボイコットを宣言してから選挙当日までの数日の間に、首都カラカスでいくつかの小規模な爆発があった。そして選挙日前夜に、重要な石油パイプラインを爆破しようとする破壊活動が行われた。いずれも被害は軽微なものにとどまったが、それは、軍と治安部隊によって大規模テロ計画が未然に防止・摘発されたからに他ならなかった。
 指名手配されている2002年4月クーデターの首謀者たちを含む反対派軍人らによるテロ計画、15,000人もの市民を無差別爆殺して混乱状態を引き起こそうとする計画が立てられていたのである。


(2)防止されたテロ計画
 12月9日、国民議会議長ら3人の議会リーダーたちが記者会見し、反対派軍人らによる選挙当日の大規模テロ計画が国軍情報部によって阻止されたことを明らかにした。証拠として提示された録音テープでは、反対派退役将軍が「人々の中で爆発を引き起こ」し、「15,000人ぐらいの死を予想すべきだ」と述べている。また、別の反対派将校は妻に選挙当日外出しないように語っているのである。

 選挙前夜、一部パイプラインがC-4爆弾で攻撃されたが、当局は、その一日前に大量のC-4爆弾と手榴弾その他の武器弾薬を発見し押収していた。これらは、米国と反対派が結託して行おうとしていた一連の不安定化計画の一環であると考えられる。国民議会指導者たちは、準備されていた武器などのレベルから米国CIAが関与していたにちがいないと厳しく非難した。

 選挙ボイコットと暴力による社会不安・混乱の醸成は、米国の介入と政権転覆を達成するための、これまで繰り返し繰り返し行われてきた常套手段である。そして、反米政権が勝利したときには、その選挙が不正なものであり正当性のないものであると全世界に信じ込ませるキャンペーンを張り、それを軍事介入のテコにするのである。最も典型的には、1984年のニカラグア、2000年のハイチがあげられる。特にハイチでは、反対派は、2004年の米国による軍事介入のときまで2000年の大統領選挙結果を認めないというキャンペーンを張り続けた。
 今後も、反対派と米国は、あらゆる機会をとらえて米国による軍事介入の口実を探し求めるに違いない。2002年4月クーデターの失敗以降、02年12月から03年2月の石油スト=ロックアウトの失敗、04年8月の大統領レファレンダムでの敗北と、失敗と後退を重ねてきた反対派は、今回の不発に終わった国民議会選ボイコットで、議席のすべてを失った。残された巻き返しの望みは、もはや米国の軍事介入以外にはない。それを封じ込めることが今もっとも重要になっている。


(3)反対派の自滅に終わった選挙結果
 反対派は、選挙が公正なものではなく正当性のないものであると強弁している。その理由づけの大半はこじつけにすぎず、国際監視団によって否定されている。しかし、ひとつだけ、投票率の低さについては、詳しく見ておく必要がある。なぜなら、「投票率25%」という数値だけが説明抜きで報じられ、あたかも正当性に乏しい選挙であったかのような印象を与える報道が行われたからである。
 これまでのベネズエラにおける投票率は、大統領選のみが高率で、議会選はきわめて低調である。大統領選と分離して行われた国民議会選挙の近々のものは、1998年と2000年の国民議会選である。1998年選挙で第一党となったのは、今回ボイコットした反対派4党の1つであるAD(民主行動党)で、その得票は有権者の11.24%にすぎなかった。2000年の選挙ではチャベス与党のMVR(第5共和国運動)が第一党となった。その得票は有権者の17%であった。そして今回の選挙では、MVRが有権者の22%を獲得し、投票率25%のすべてが親チャベス諸党の得票であったということになる。
 反対派も参加して少し前に行われた地方議会選の投票率は31%であったが、投票率の低さを問題にしたものは誰もいなかった。これとの比較で言えば、今回の反対派のボイコットによる影響は、わずか6%であったということになる。
※参考:“The Facts About Venezuela's Parliamentary Elections”(Venezuelanalysis.com)
http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1627
※参考:“The Venezuelan Election / Chavez Wins, Bush Loses (Again)! Now What ?”(Venezuelanalysis.com)http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1629

 投票率のこのような低さの理由については、いくつか指摘されている。一般的には、1)有権者は事前に選挙人登録をしなければならない制度になっているが、これまで貧困層の多くは登録に行かなかった。(それが、「ボリーバル革命」の進展の中で、登録に行く人が徐々に増えつつあるのである。)2)大統領選以外は有権者の関心が低い。今回の選挙に関して言えば、3)親チャベス派の人々も、勝利がはっきりしていたのと当日の悪天候で足が遠のいた。4)チャベス個人への支持者が多く、それが必ずしもチャベス与党の支持にはなっていない面がある。これらに加えて、5)反対派のボイコットがあった、などである。
 ここではっきり確認できることは、オリガーキーが牛耳る国民議会の時代に比べて、より多くの民衆が国政に積極的に関わるようになってきているということである。それだけ、これまでは多くの貧困層が政治から排除されてきたのである。それがチャベス政権の下で次第に目覚めつつあるのである。しかし、それでもなお、まだまだ多くの人々が国政に積極的に参加できていない状況があるということである。

 たび重なる反対派の破壊活動・妨害活動を打ち破りながら前進してきた「ボリーバル革命」は、ここに国政レベルで腐敗した第4共和国の諸政党と完全にきれいさっぱり手を切ることになった。さまざまな困難を抱えながらも、労働者、農民、先住民、都市貧困層、等の下層人民が、オリガーキーの支配をひとつまたひとつと打ち破りながら前進している。そこにおける最大の危険は、米国の干渉・介入である。

 12月18日に行われたボリビアでの大統領選では、反米帝・反新自由主義の先住民・農民運動を代表し、チャベス政権を支持してきたモラレス候補の圧勝が伝えられている。ラテンアメリカの反米帝・反新自由主義の巨大な流れは、ますます押しとどめることのできないものとなっている。しかし、それだからこそ、米国は必死になって巻き返そうと策動するにちがいない。それを許さない闘いが重要となっている。
※参考:「米州サミット:米国主導の新自由主義への痛打」(2005.11.21 署名事務局)
※「ブッシュ政権、ベネズエラ革命と“左傾化”の新たなうねりの中で覇権後退に危機感」(2005.9.6 署名事務局)

 以下、「ベネズエラ・アナリシス・コム(http://www.venezuelanalysis.com/)」より、今回のベネズエラ国民議会選挙に関する状況を伝えた記事を2本翻訳紹介する。

2005年12月21日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局





[翻訳]
ベネズエラの議員たち、不安定化計画をたくらむ反体制派将校を告発
2005年12月9日金曜日
グレゴリー・ウィルペルト― Venezuelanalysis.com

http://www.venezuelanalysis.com/news.php?newsno=1842


 カラカス(ベネズエラ)2005年12月9日――この日曜日の国民議会選挙時にベネズエラを不安定化させる陰謀をベネズエラ国軍情報部が阻止したと、昨日、親チャベス派の3人のベネズエラ国民議会指導者たちが明らかにした。国民議会議長ニコラス・マドゥーロ、MVR党指導者セリア・フローレス、国民議会副議長ペドロ・カレーニョ、これら3人の議員は、現役および退役の反体制派将校らが、1万5000人の死と秩序破壊を引き起こし、政府機関を襲撃することについて語り合っている録音テープを提示した。これらの議員によれば、CIAがこの計画を支持していたという。

 その録音は、2002年4月のクーデター計画に関わって現在警察によって指名手配されている様々な退役将校の声を含んでいた。

 録音の1つは、退役将軍オスワルド・スフ・ラフォのもので、彼は未確認の個人に話しかけており、40基の「AT-4」―これは対戦車誘導ミサイルである―のような兵器やその他の兵器を購入する必要性について議論しているところである。また、彼は、流血を引き起こさなければならないと言っており、それは1万5000人にものぼるベネズエラ人の死を引き起こすというものである。「このイベントは、人々の中で爆発を引き起こさなければならない。我々は1万5000人ぐらいの死を予想すべきである。」と、スフ・ラフォ将軍はその録音で言っている。

 別の録音では、やはり退役し国家機関に指名手配されているカルロス・ゴンサレス・カラバージョ大佐が、彼の妻に話しかけていて、選挙の日にどうして通りに出てはならないかを話している。

 国民議会(AN)の議員であり、MVR党首であるセリア・フローレスは、反対派諸政党が先週、唐突に選挙から撤退した理由の一つは、彼らがこの不安定化計画について話を聞いたからではないかと示唆した。「私たちは、反対派指導者たちが唐突に撤退するのを見ました。そして私たちはこう述べました。選挙の道からはずれる者は皆、懐の中に別の選択肢を持っているからそうするのだと。」と、フローレスは述べた。「もしも[反対派諸政党が]それについて知っていたのなら、彼らは祖国に対する犯罪を犯したのです。もしそれを知らなかったのなら、彼らは、選挙から撤退した時、役に立つ愚か者としての役目を果たしたのです。」と、彼女は付け加えた。

 ベネズエラで"niple"として知られている小さい装置2台の爆発が選挙の2、3日前に起こり、選挙前夜には主要な石油パイプラインの破壊活動が、この計画の一環として行なわれたと、議員たちは述べた。

 そのような兵器の購入資金として必要な金額を考えれば、CIAが陰謀家たちを支持しているに違いないと、フローレスは述べた。「この計画の背後にはCIAがいる。私たちは、新しい暴力行為が行われていることを示すことができる証拠を探し続けるつもりである。」と、フローレスは言明した。

 ペドロ・カレーニョ国民議会副議長もまた、これらの計画の背後にはもっと大きな力があるに違いないと主張した。「まちがいなく、これらの行動の全てを仕組んでいる上部の団体が存在しています。それは何千人ものベネズエラ人の死から利益を得るのです。セリア・フローレスと[国民議会議長]ニコラス・マドゥーロが、この背後にCIAがいると言うのは間違ってはいません。」と、カレーニョは述べた。

 選挙の前夜、ひとつの爆発が起こり、ベネズエラのパラグアナ石油精製コンビナート(世界最大のものの一つ)に供給する石油パイプラインの一部が破壊された。その後、当局は、爆発がC-4プラスチック爆弾によって引き起こされたことを明らかにした。その一日前に、当局は西ベネズエラのスリア州で、24キロのC-4爆弾と様々な兵器と手榴弾を発見した。

 チャベス大統領と政府のメンバーは、米国が、大統領を暗殺する陰謀や、テロ行為でその政府を動揺させる陰謀にかかわっていることを、繰り返し告発してきた。政府の当局者は、今までのところこれらの告発の具体的な証拠を提示していないが、CIAが2002年4月の反チャベスクーデター計画の前にそれを知っていたこと、米国政府が「民主主義のための全国基金」や「米国国際開発庁」などの団体を通して何百万ドルもの支援金を反対勢力に提供してきたことは、文書に記録されてきたところである。




[抄訳]
なぜどのようにベネズエラ反対派は内部崩壊したか
2005年12月4日日曜日
グレゴリー・ウィルペルト―― Venezuelanalysis.com

http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1621


 カラカス(ベネズエラ)2005年12月4日――これで4回目である。ベネズエラの反対派諸党は奇怪な内部崩壊過程をたどりつつある。まるでレミング〔海に向かって集団自殺行動を取るといわれる極北付近に住む小動物〕のように、反対派諸党は、ここ5年間で最も重要な国政選挙の1つから撤退することで、政治的な集団自殺を遂げつつある。2002年4月のクーデターの企てへの支持、2002年から2003年にかけての石油産業操業停止、2004年の大統領罷免国民投票、これらに続いて、今回は反対派諸党がおかした戦略的誤りの第4回目である。今回もチャベスを打ち負かす近道を求めて彼らの中で最も極端な分子に従うことになった。望むべくはこれが最後の誤りになって(というのも彼らは実際この選挙の後姿を消すであろうから)、憲法にのっとった責任ある反対派がベネズエラに再生することになってほしいものだ。しかしそれは疑いもなく難しいだろう。国民議会はほとんどすっかり親チャベスになって、彼らには選択肢がなくなるだろう(外国の介入以外には)。従って、より大きな危険は、このボイコットがベネズエラへのいっそうの外国の介入に道を開くことである。

最近の出来事

 今週、ほとんどすべての反対派諸政党が、12月4日(日曜日)の国の立法府選挙である国民議会選から撤退することを宣言した。彼らは、投票に参加すると米州機構(OAS)に約束したわずか数日後にこの行動を取った。OASによると、反対派諸政党は、「異常事態は救われた。今日までに提示された保証は、関係する諸政党からのいかなる新しい要求もなければ、選挙を予定通り進行させることを可能にするものだ。」と表明した。

 この確認にもかかわらず、Accion Democratica(A.D)(社会民主主義の前政権与党)は、OASと選挙管理委員会に再度確認したわずか数日後に、投票から撤退した。A.Dは、国民議会の165議席のうちの23議席を占めており、全国組織を伴うほとんど唯一の反対派政党であり、ベネズエラの最も重要な反対派政党である。次に、Copei(キリスト教民主主義の前政権与党であるが、チャベスの時代に事実上無意味なものと化している)が撤退した。同じ日に、Proyecto Venezuela(プロジェクトベネズエラ)が前2党の例に倣った。

 初めは、ベネズエラ第二の重要な党であるPrimero Justicia(PJ―正義第一党/保守的な自由経済主義政党)は、事態を収拾して、自滅した諸政党の後継者となって、願ってもない幸運に恵まれたように見えた。PJの党首は、自分たちがたとえ選挙管理委員会を信じないとしても、選挙過程を信頼することができると信じていると述べた。しかしながら、PJは、ほんの2日後に、党をほぼ二分した連続した討論の末、不思議なことに正反対の方に転回し、選挙には決して参加しないと宣言した。

 PJの撤退は、寝耳に水のような大きな驚きをもって迎えられた。というのも、PJは失うべきものを最も多く持っていたからである。チャベス以前の政治階級が、ベネズエラの20年にわたる一貫した経済的衰退の結果として国民から不信をつきつけられたのに対して、PJはその反対派の中では、その不名誉にまみれていない実際上唯一の比較的強力な党なのである。PJはおそらく現在国民議会で持っている議席を少なくともしっかり保持すると思われる唯一の反対派政党である。それだけでなく、その存在感の誇示によって、この国で最も強力な反対派政党としての地位を確立し、2006年12月にチャベスに対立して立候補する反対派の大統領候補者として自党のフリオ・ボルヘスを前に押し出すことができたはずである。だから、ボルヘスが彼の党の撤退に強硬に反対したのは不思議なことではない。

 4つの重要な反対派諸政党の撤退は、ベネズエラにとって非常に大きな意味をもつものである。というのも、12月4日の国民議会選はチャベスの大統領職にとって主要な節目となるものだからである。この選挙は、次の5年のベネズエラの政治にとってきわめて重大なものになるだろう。これまで、親チャベス連合は、国民議会で多数派ではあるがその差はわずかなものであった。これは、反対派が機会あるごとに論争を拡大して法案の成立を妨げ、3分の2の多数を必要とする決定を妨げることができるということを意味した。3分の2の多数を必要とするものとしては、憲法改正、選挙管理委員会や文民権力(検事総長、人権オンブズパーソン、会計検査院長官)の任命、「基本法」(憲法で規定された法律)などがある。世論調査は、反対派のボイコットに先立って、親チャベス勢力には3分の2の多数を得る十分な見込みがあることを示していた。

投票の透明性と安全性

 この国民議会の選挙が非常に重要なのに、反対派はなぜ闘いもせずにそれらをあきらめるのだろうか? 全国選挙管理委員会(CNE)に関する彼らの不服申し立ては、真剣に受け止めることができるのだろうか? まず最初に、彼らの具体的な不服申し立てを簡単に見ていき、次に、ボイコットについての他の可能な解釈に移ろう。

投票機

 反対派の最も執拗な不服申し立ての1つは投票機についてのものである。まず最初に、投票機の慎重な分析をすると、他の投票機と比べてベネズエラのものがたぶん世界で最も安全なものの1つであることが示される。それらは、米国のほとんどの投票機とは異なり、投票用紙を印刷するだけではなく、オブザーバーがソフトウェアのソースコードを点検することができる。彼らは、不法な改変を検査するソフトウェア署名、機械が壊れた場合のリムーバブルメモリー、選挙の過程に関わる異なった党が共有するパスワードを持っている。

(中略)

 11月23日の投票機の試運転のとき、選挙オブザーバーの面前で、反対派の技術者は、彼らが投票機の中に投票の順序を蓄積するファイルがあることを示し、もしだれかがこの順序を、指紋スキャナによって登録された有権者の順序と比較するなら、これは重大な問題であろう、と述べた。CNEのホルヘ・ロドリゲス委員長は、もしもその機械が投票データを投じられた票の順番に蓄えたとしても、指紋スキャナは、特定の機械に割り当てられておらず、それ自身指紋がスキャンされる順序を蓄積しない、その結果、個々の投票を再構築することは不可能であるだろうと述べて、すぐにそのようなことの可能性を否定した。それにもかかわらず、CNEは指紋スキャナを使用するなという反対派の主要な要求に同意した。ロドリゲスによると、その処置は、投票過程になんらかの誤りがあることを承認するものではなかったが、投票が秘密となる過程について疑問を持っていた人々を安心させるためのものであった。

(中略)

 結局、投票機は、不正を防ぐことについても、投票の秘密を保護することについても、両方とも、まったく安全であるように思われる。おそらく本当に確実に投票の順序が蓄積されないようにするためには、ソフトウェアの変更が必要である。しかしながら、有権者の本人確認の順序を知らなければ、無記名投票は現在の機械で安全である。また、OASのオブザーバー、カーター・センター、そして他の国際的なオブザーバーは、投票機の信頼性を一度ならず承認してきた。

 それでも、反対派のNGO「スマテ」と多くの反対派諸政党が、紙の投票用紙だけを使用すべきだと主張した。効率は別にして、CNEはそのような解決策を拒絶した。その理由は、効率の問題だけでなく、CNEなどの中央団体にとっては、紙の投票用紙で不正を防ぐ方が、投票機で不正を防ぐよりはるかに難しいからである。というのも、過去の不正では、不正はいくつかの政党を巻き込む形で組織的に行われたのであり、特に小さい党がオブザーバーを持つことができない地域で、より強力な党が小さい党の票を分割することができたのである。投票機の使用で、全体の投票の手順ははるかに集約され、現場のオブザーバーの負担は減らされることになる。もっとも、より多くの責任が主たる選挙当局であるCNEに課せられることになるのだが。CNEはチャベス支持者が優位を占めているということからすると、反対派政党がこの団体に関して疑い深いのも理解できる。しかしながら、今までのところ、彼らは理のある懐疑を完全な不信にすり変えている。

CNEの合法性

 CNEの合法性と信頼性を否定するための反対派の主な議論の1つは、その委員会が任命された方法である。すなわち、国民議会で5人のメンバーを選ぶ候補者たちのコンセンサスに達する激しい討論と闘いの後、立法者たちはCNEの任命に必要な3分の2の多数の合意に達することができなかった。その結果、最高裁判所は、2003年の中頃に「立法的不作為(legislative omission)」を宣言して、国民議会が委員会を任命するまでは一時的にCNEを任命すると述べた。チャベスの共鳴者が法廷で支配的であったので、結局チャベスの共鳴者が、CNEでも支配的になった。最初反対派の多数は最高裁判所のCNE任命を賞賛した。というのも、第5代メンバーが中立であるように思えたからである。しかし実際には、新しいCNEが結局罷免国民投票のための署名の収集に厳しい要件を課した時、反対派は反CNEに転じた。現状では、国民議会が暗礁に乗り上げている限り、法廷がCNEを任命する以外の選択肢は全くない。最高裁判所の承認が違憲であるという反対派の主張にはほとんど価値がない。合憲性を決定するのは、反対派ではなく、法廷なのだから。

選挙人登録

 反対派の不服申し立ての別の主要な領域は選挙人登録についてのものである。チャベスは、彼が大統領の地位についている間に、彼の支持者が中産階級から貧乏人に移行したこと、そして、一般に貧乏人は選挙人登録をしていないことを知っていた。そのため、チャベスは、すべてのベネズエラ人に身分証明書と選挙人登録を提供するために「ミッション・アイデンティティ」として知られているプログラムを実行した。1年もたたないうちに、ミッション・アイデンティティは、選挙人登録に200万人以上の市民を加えた。反対派の組織は、これらの追加の多くは非合法のものであり、おそらく二重登録証明書、外国の市民、または死亡者ではないかと示唆する。CNEは、登録についての疑念を払拭するために、登録を監査するようにCAPEL(ラテンアメリカの選挙顧問団)に頼んだ。しかしながら、この過程は非常に遅いことが判明し、およそ4カ月たってもまだ完了していない。

 過去に、「スマテ」は、選挙人登録の誤りは非常に僅かで、非常に信頼できると主張した。しかしながら、彼らは、ミッション・アイデンティティの後には、登録全体に異議を唱え、自分たちで監査できるようにCNEが登録全体を公表するよう要求している。しかしながら、CNEは、これが市民のプライバシー権に違反すると主張して、それを拒否した。代わりに、まさにベネズエラの法的要請に従って、住所のない名前のリストを発表し、個々の有権者が彼らの正しい登録を確かめることができるようにした。しかしながら、12月の選挙以前に、独立の監査が不足したことは、CNEが処理を誤ったように思われるひとつの問題点である。

(中略)

反対派のボイコットの動機

 反対派の主な主張は、CNEに対して完全に信頼を失い、参加の条件として辞職を要求しているということである。反対派がCNEを信じていないということはおそらくその通りだが、投票のクリーンな実施を確実なものとするために、米州機構、EU、世界中の様々な他の国々からの400人以上の独立オブザーバーなどのように、他の多くの保証が置かれている。また、すべての政党が選挙を作り上げるあらゆるステップに関わっている。最終的に、CNEは、手動で紙の投票用紙の45%を監査し、指紋スキャナを排除するなどして頻繁な反対派の要求に譲歩した。したがって、投票の公正さを信じないという技術的な論拠が非常に弱く、反対派が今度の投票において非常に多くのものを失うことになるなら、投票をボイコットするのに他にどんな理由が必要になるだろう。

 反対派の行動についてのいくつかの考えられる他の動機がある。第一番目は、単純な費用対効果の分析の結果である。投票に先立つすべての世論調査が、親チャベス党が国民議会で3分の2の大多数を獲得する可能性がかなり高いことを示している。反対派は、選挙に参加して立法府の中の極小の声となるか、それとも立法府を合法的でないとしてそこでは何の声も挙げずにいるかのどちらかの選択に直面し、後者の選択肢の方が長期的には好ましいと判断したのだろう。反対派は棄権率が高まると確信し、その結果、彼らは首尾よく選挙の過程を非合法なものとみなす可能性を広げると計算した。

 反対派が高い棄権率を予想した言及を繰り返していたのをみれば、このタイプの推論に関する証拠を見つけることができる。反対派によると、投票は当初から確実に破綻することになっていた。というのも、棄権率は80%にものぼると予測されていたからである。他方では、チャベス支持者は、60-70%の比較的普通の人出を予想していた。もちろん現在、反対派のボイコットのために低下するであろうが、しかし、あまりにも低くなりすぎることはないだろう。チャベスが大統領の地位にいる間、ベネズエラの政治的事件を予測することにおける反対派の乏しい実績を考えれば、反対派の予測が正しいということはありそうもないことのように思われる。

 投票のボイコットを宣言した最初の党がAccion Democratica(A.D)であるという事実に、反対派の戦略的理由のもう一つの明白な証拠を見つけることができるであろう。この党は、参加しないことで理論上最も大きな不利益を被るのだが、選挙に先立つ数週間、何の選挙運動もやっていなかったのである。一般に、反対派諸政党は奇妙なほど選挙運動をしていなかったが、A.Dは一枚の選挙ポスターも掲示していないようであった。言い換えれば、CNEとの交渉の結果がどうあれ、A.Dは選挙に決して立候補しないつもりであったようである。それは、確定的な選挙の敗北という隘路から戦略的勝利をひったくるための見せ掛けに過ぎなかった。

 反対派がおそらくボイコットを選んだ第二の理由は、反対派自体の中の奇妙な心理学的力学と関係がある。すなわち、反対派が主要な決定をしなければならないときはいつも、ほぼ決まってより極端な選択肢を取り、いかなる種類の穏健性にも反対する方向に進むのである。2002年4月のクーデターの企ての時も、2002年12月から2003年2月の石油産業の閉鎖の時も明らかにそうであった。どちらの場合も、反対派の中の最過激分子が意地を通した。この理由の一端は、マッチョな文化と関係があるようである。そこでは、穏健さは臆病として、過激さは勇気とみなされる。過激派と穏健派がベネズエラで対決するときはいつも過激派が勝つようである。

 反対派諸政党が選挙から撤退した第三のありうる理由は、彼らがおそらく米国から受けたであろう圧力に関係している。これは推論にすぎないのではあるが、しかし、この地域における米国の政策の歴史を見ると、米国が選挙のボイコットを支持してそこから利益を得るという歴然とした記録がある。また、米国はベネズエラの反対派に圧力をかけるのにちょうどいい立場にある。反対派グループは過去5年間で米国が提供した2000万ドルの資金を受け取っていたのである。もちろん米国は反対派の決定におけるどんなかかわり合いも否定する。だが、それでも、1994年のニカラグアの選挙を反対派諸政党がボイコットした時(訳注:「1994年」は「1984年」の誤りだと思われる)、そしてハイチでの2000年の選挙を反対派諸政党がボイコットした時、それは米国の利害にとって非常によく役立つものであった。どの場合も、ボイコットは非合法化し、左傾政府の決定的な敗北に向かう道を整えるための舞台装置を国際世論の中に据え付けることになった。

起こりうる諸結果
ベネズエラ


 最初に述べたように、反対派ボイコットの短期的中期的な最もありそうな結果は、反対派の消滅となるだろう。今もなお、多くの反対派の過激派が、彼らのこの行為が、チャベスの差し迫っている終わりを意味すると信じている。しかしながら、2002年4月のクーデター、2002年12月の石油産業閉鎖、2004年8月の罷免国民投投票に先立つ数日前に彼らが完全に間違っていることが判明したように、彼らは再度、間違うであろう。ベネズエラの現実を彼らは完全に誤解し、まったく理解できていないので、非常に多くの重大な誤りは必然的に彼ら自身の終焉につながるはずである。

 ベネズエラにおけるチャベスに対する伝統的な反対派は、もはや次の国民議会で選出されることはないであろう。その事態が今後5年間を支配することになる。こうして、反対派は、遺された2つのプラットフォームの1つを失ってしまうことになるだろう。反対派が最初に失ったプラットフォームは、軍におけるそれであった。クーデター計画の後のことである。石油産業の閉鎖と回復の後に、石油産業における第二のプラットフォームが失われた。失敗した罷免国民投票の後に、彼ら自身の支持者の中にあった第三プラットフォームが失われた。反対派に残された最後の二つのプラットフォームは、国民議会と私営マスメディアであった。言い換えれば、反対派が12月4日の後に持っている唯一のプラットフォームはマスメディアだけとなるであろう。

 フリオ・ボルヘスとマヌエル・ロサレス、この二人は2006年12月の大統領選で、最も有力なチャベスの対抗馬なのだが、彼らはキャンペーンを開始するための全国的制度的構造基盤――国民議会がそれを提供している――を勘定に入れることができないだろう。その結果、チャベスに挑戦する彼らの能力は大いに減少するだろう。

(中略)

国際的諸結果

 ちょうどハイチとニカラグアで行なったように、ブッシュ政権は、チャベス政府の信用を落とし合法性を損ねるために、間違いなく12月4日の反対派のボイコットを利用するであろう。国際的なオブザーバーがその投票に関して何と言うかにかかわらず。言い換えれば、政治的対立がある時や、政府が物議をかもす法律や憲法改正を可決するか、または重要な任命を行なう時はいつも、ブッシュ政権の当局者は常にそのような試みの合法性に疑いを投げかけようとするだろう。チャベス政府に対するこの漸進的な資格剥奪策動は、おそらくベネズエラの反対派に対するより大きくあからさまな支持という、最終的なより強い介入のための地ならしをするであろう。それは、2006年の大統領選や将来の他の選挙でチャベスの席を奪うことを期待して行なわれるのである。

 ボイコットの第二の、そして、おそらくより危険な結果は、他のラテンアメリカ諸国にとっての先例となるということである。2006年にラテンアメリカでは7回の大統領選が日程に上っている。ベネズエラの出来事は、それらの国々の反対党が、ベネズエラの反対党が行なったのと同じ選挙の費用対効果を行う気にさせ、その国の選挙過程を非合法化する方が直面する投票での敗北より望ましいという計算をする気にさせるかもしれない。そのような事態の転換は、ラテンアメリカ中でこれから何年も民主主義の危機的な脆弱化を意味するだろう。

 ベネズエラの反対派の政治上の自殺は、このように事態の複雑な変化を招く。一方では、失敗した反対派の終焉とベネズエラの正常な政治の再生を意味するかもしれない。他方では、ベネズエラでもラテンアメリカの他の地域でも、外部のより不安定化を増大させる状況へ向かう扉を開けることになるかもしれない。収支決算をしてみると、もしも反対派が今選挙ボイコットで犯しているような過ちを犯していなければ、反対派とベネズエラの双方にとって全体として、望ましかっただろうということになりかねない。
(訳注:この文章は12月4日付けで選挙当日に発表されているので、選挙直前にかかれたものである。)




ベネズエラ革命(索引)