わたしの雑記帳

2006/3/11 服部太郎くの裁判(2006/3/6)傍聴報告


2006年3月6日(月)13時15分から、東京高裁824号法廷で、服部太郎くんの控訴審の第2回目が行われた。

裁判長・房村精一氏。裁判官は打越康雄氏、吉村健司氏。
同時刻に4、5件の裁判があった。次々と結審し「次回、判決」と言う。
太郎くんの裁判も、証人尋問もなく終わってしまうのではないかと心配した。

しかし、裁判官は国立病院機構天竜病院精神科医長の白川美也子さんの意見書を検討したいということで弁論期日を続行することになった。次回は4月19日(水)10時から。
おそらく、その検討の結果で、証人尋問が実現するかどうか、結審となって判決に至るのかが決まると思う。

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原告が子どもの場合、本人尋問以外は親だけしか来ないことが多い。しかし、太郎くんはこの日も母親とともに裁判に来ていた。
浜松地裁では、太郎くんが、いじめをなくすための活動を始めたこと、裁判に毎回、顔を出していたことなどをもって、PTSDは治癒したと認定した。
しかし、私はそうは思わない。もし、そうであったなら、太郎くんはこんなに苦しまずにすんだのにと思う。進路にしても、もっと早くから、たくさんの選択肢のなかから、自由に選べただろうにと思うからだ。

私の所属するNPO法人ジェントルハートプロジェクトでは、いじめを「心と体への暴力」と定義しているが、その暴力について、
●暴力受けると人は、恐怖または強度の不安を感じます。「安心」して生きる権利が奪われます。
●暴力を受けると人は、無力化に陥ります。自分の力を信じる、「自信」をもって生きる権利が奪われます。
●暴力を受けると人は、行動の選択肢をせばめられます。自分で選ぶ「自由」の権利が奪われます。
という、「子どもと暴力 子どもたちと語るために」(森田ゆり著)に引用されたCAPの考え方をパンフレットに載せている。

太郎くんは集団暴力によって、肉体的な痛みとともに、「殺されるかもしれない」という強い恐怖を感じた。近くを通り過ぎていく大人たちも誰も助けてくれなかったなかで、他人を信じる心も、「安心」して生きる権利も奪われた。
暴力を受け床に伏せっているなか、少年たちが集団で自宅を訪れたことで、さらに恐怖は増した。家のなかにいてさえ、「安心」を感じることができなくなった。暴力によって受けた強い恐怖からくる心の傷。それが癒える間もなく、新たな恐怖が襲った。ただ鍵のかかった部屋のなかで恐怖に震えるしかなかった、何も対処できなかった自分自身に対して、強い無力感を感じただろう。自分の力を信じる、「自信」をもって生きる権利が奪われた。
その結果、PTSDを発症し、学校に行く、ひとりで外出するという、当たり前の行動の選択肢さえ奪われた。高校に行くという、暴力を受ける前には自分で選択することができた進路をあきらめざるを得なかった。様々な可能性のなかから、自分の将来の夢に向かって努力するという自分で選ぶ「自由」の権利が奪われた。父親の会社と自宅との往復、そして入院治療という残されたなかから、選択するしかなかった。

その太郎くんが、恐怖や無力感を克服し、自己肯定感や行動の選択肢を取り戻すために、必死になって努力をした。それが、自ら望んだ入院治療であったり、いじめをなくすための活動の参加であったり、裁判に自ら主体的にかかわることだったのだと思う。

以前、うつ病に関するセミナーme051120 参照)に参加したとき、「行動療法というのがある。うつ病では不安がひどくて一歩が踏み出せない。決断がつかない。考え方から変えるのではなく、行動から変えていく。小さなことから積み重ねて、やればできるという自信を取り戻していく。うつ病を治そうという意識はもってほしい。努力は必要。」という話を講師の先生から聞いた。
また、「PTSD(心的外傷後ストレス障害) 事件・事故・災害が及ぼす‘こころ’の影響」講演(2006/2/12雑記帳参照でも、ケアには「主体性とペースが守られることが大切」とある。

太郎くんは、努力して、自分の行動から変えて行こうとしていたのではないか。太郎くんは若い。被害にあうまでは極めて健全な男の子だった。早くよくなりたいと焦る気持ちもあるだろう。荒療治を承知で自ら挑んでいったと思う。

一方で、私は何人もの心に深い傷を負った人たちを知っている。表面上は健康そうに見えても、心の中に爆弾を抱えていることが少なくない。そして、行きつ戻りつする。
ちょっとした心の傷でさえ、半年やそこらで癒えるとは思わない。それがPTSDと正式に診断を受け、入院治療まで必要としたものが、数年で治るとは、残念ながら思えない。PTSDの治療は10年スパンで考える必要があると専門家は言っている。
「もう大丈夫」「立ち直った」と、本当は本人が一番そう思いたいだろう。しかし、迷路のようにいつまでも抜け出せない苦しさがある。
それを他人から、「もう治った」「大したことではない」と判断されたくない。この苦しさを誰がわかるというのかと思うだろう。

今も心のなかで葛藤を続けている太郎くんが真に立ち直るためにも、起きた事実は事実としてきちんと認定されること。死ぬほどの目にあって、心に深い傷を負うのは当然のできごとがあったんだよ。けっして弱かったわけでも、無力だったわけでもないこと。よく、ここまで努力したね、がんばったねと認めることが必要なのだと思う。

重大少年犯罪の研究結果でも、暴力を受けること、心に傷を受けることが、いかにその後の人生に深刻な影響を与えているかが、実証されている。太郎くんの場合、支えてくれる両親がいたから、友人がいたから、軌道をそれることはなかった。しかしだからといって、加害少年たちの罪の重さが軽減されるのは、おかしいと思う。





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