わたしの雑記帳

2013/1/5 柳原三佳著「家族のもとへ、あなたを帰す 東日本大震災犠牲者約1万9000名、歯科医師たちの身元究明」

柳原三佳著「家族のもとへ、あなたを帰す 東日本大震災犠牲者約1万9000名、歯科医師たちの身元究明」(WAVE出版)を読んだ。
柳原三佳さんの本は、「死因究明」(講談社)、「焼かれる前に語れ」(WAVE出版)、「巻子の言霊」(講談社)と、いくつか読ませていただいている。柳原さん自身が登場するわけではないのに、いつもそこに、彼女の温かい視線と強い意志を感じる。
今回の「家族のもとへ〜」もそうだった。震災後に過酷な状況下で、身元確認作業を行ってきた医師たちと、柳原さんの心が、重なってみえた。

災害時の身元確認は、私たちが思っている以上に困難なものだと同書で知った。
津波で衣服ははぎとられ、顔かたちも変わる。時間がたてばなおさら腐敗も進み、外見からは判断がつかない。DNA鑑定も腐敗が進むと血液の採取が難しくなる。結果が出るまでに時間がかかり、しかも100パーセントわかるわけではない。取り違えさえ起きる。
それが、生前の歯科診断のカルテと照合すれば、虫歯をまめに治療する日本にあっては、ほぼ100パーセントわかるという。
「2011年3月11日に発生した東日本大震災による死者は、1年4カ月が経った時点で、死者・行方不明者合わせて1万8773人(警察庁発表・2012年7月17日付)。そのうち、約1万6000人の犠牲者の身元が確認されている。」P2

一方で、平時においてさえ、先進国であるはずの日本で、「身元不明死者」は万単位ででいるという。
未曾有の災害時の身元確認がこれだけできるということは、今の日本の技術をもってすれば、身元確認はかなりの確率でできるということだろう。
この国の死者の扱いに対するいい加減さは、子どもの自殺についても、警察庁の統計と文部科学省の統計とで大きく開きがあることなどにも、表れている(警察の統計でさえ正確ではないという。自殺をわざわざ病死にすることを勧めることがあると聞いた)。たくさんの赤ちゃんの窒息死や虐待死が病死扱いされてきた。
死因をいい加減にした結果、防げたはずの次の犠牲を、どれだけ生み出してきただろうか。

昨年(2012年)6月15日、死因究明二法(「死因究明等の推進に関する法律」と「警察等が取り扱う死体の死因または身元の調査等に関する法律」)が成立し、NPO法人ジェントルハートプロジェクトでも参議院会館で勉強会を開いた。(JANJANブログ 三上英二さんの記事参照 http://www.janjanblog.com/archives/77821)

遺族にとって、身元確認の意味は大きい。海外で戦士した親族の遺骨を何十年も捜している人たちもいる。
沖縄のガマを訪ねたとき、案内をしてくれたタクシーの運転手さんが、足元に落ちていた歯を拾って、踏まれないように岩棚に置いた。戦没者の遺骨収集に尽力したひとだった。まるで最近抜けたかのような白く輝く歯が、今も脳裏に残っている。

「遺体を連れ帰って、葬式をしてお別れをするのと、身元不明のまま火葬された遺骨を引き渡されるのとでは、遺族の思いはまったく違う。だから、必死でした」P84
「本当につらいけれど、それでも身元が確認されるということは、遺族にとっては大切なことなのです」P92
「歯科医所見による身元確認というのは、本人であるということを照合するだけではなく、本人ではないことを明らかにするのも重要な目的です。『この人はあの人と違う』と誰かがいってあげないと、たぶん遺族はそこから先に進めないと思うのです。」P151
「多分この仕事は、人間の最後の、尊厳という部分に関わっているのではないかと、今回は本当にそう思いました。」P151
「私はこのとき、思い知りました。たとえ損傷の激しい遺体であっても、身元が判明し、家族のもとへ帰ってきてくれるということが遺族にとってどれほど区切りになるかということを」P186

大切な人の死は辛い。しかしそれでも、その辛さを抱えて、残されたものは生きていかなければならない。
その時に心の柱となるのが、死者の尊厳がどれだけ守られたかということではないかと思う。

学校事故事件で、自殺で、子どもを亡くした親たちにたくさん出会ってきた。
親たちは、わが子の身に何があったかを知りたいと願う。何に苦しみ、最後はどのような様子だったか、ビデオを見るように、すべてを知りたいのだと、ある母親は言った。
その人の身に何があったのか、いちばん手がかりになるのは、遺体だろう。
そして、亡くなった子どもの「モノ」にこだわる親は多い。そこに、その人の思い出やその人自身の存在を感じる。
それがもし、モノではなく、その人自身の体が、土の中に埋もれたまま、海に沈んだままだと思ったら、そこに生前の姿を重ねて、いたたまれない気持ちになるだろう。遺骨が遺族の手元に届くことの意味は大きい。

本には、原発事故の情報が錯そうするなかでの福島での身元確認作業についても書かれている。
余震、津波の恐怖、被ばくの危険性…わが身の危険をも顧みず奔走した歯科医や地元警察官、自衛官の思いを踏みにじり、情報を隠すことで、二次災害の危険性にさらした東電や政府の無責任な対応。あまりに対照的だ。

この本には、死者の身元確認に何が助けになって、何が障害になったのかが、現場の声として吸い上げられている。
地震、津波、土砂災害、噴火、飛行機事故。いつ起きても不思議はない。残念ながらこの教訓が生かされる日は必ず来るだろう。

そして、過去の教訓はただ悲劇を経験しただけでは生まれない。正確に記録を残すこと。その中から必要な情報を分類して、使える情報にすること。それを次世代に教訓として伝えようとする人たちの存在が欠かせない。柳原さんのこの書がなければ、埋もれてしまう人々の存在だった。中島みゆきさんが歌う「地上の星」たちを見せてもらった。


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