わたしの雑記帳

2012/2/19 子どもへの安全教育

原子力教育
 原子力についての教育が始まると聞いて、3.11東日本大震災における原子力発電の安全神話崩壊についての緊急改訂措置だと思い込んでいた。しかし実際には、3.11以前に作られた内容を、一部手直ししただけで、そのまま踏襲するという。

 2011年3月2日付け(皮肉なことに、この文書から10日もたたずに、内容を訂正せざるを得ない事態=原発事故が発生)で、文部科学省の副読本の目的(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/03/1291143.htm参照 )には、「現在、エネルギー問題及び地球温暖化問題への対応が重要な課題の一つとなっております。このような状況においては、国民一人一人が原子力やエネルギーについての理解を深めることが社会生活上重要であり、小・中学校段階から、子どもたちの発達に応じ、原子力やエネルギーについて学び、自ら考え、判断する力を育成することが大切であると考えます。」とある。
(現在、文科省のサイトからはリンクが外され、細かい内容が見られなくなっているが、京都女子大学 現代社会学部の小波秀雄氏のサイトで内容を見ることができる http://ruby.kyoto-wu.ac.jp/Files/Dokuhon2010/)。

 2011年4月には、高木文科相が、原子力発電所に関する副読本記載の「もし地震が起きたとしても、放射性物質がもれないよう、がんじょうに作り、守られています」、「大きな津波がおそってきたとしても、発電所の機能がそこなわれないよう設計しています」などの文言について、「事実を受け止めて、見直すべきものは見直さなくてはいけない」と述べ、一部を見直す方針を明らかにした。
 
 しかし、原発事故を受けて内容を見直すことになったものの結局は、東日本大震災直前の3月9日に落札した電力会社とつながりの深い「日本原子力文化振興財団」に、事業費を約2100万円から約3700万円に増額したうえで、再び作成させた。
 結果、「新しい副読本に原発関連の記述はなく、放射線の人体への影響を示す『シーベルト』などの単位の説明や、自然界にある放射線などを説明している。人体への影響については「一度に100ミリ・シーベルト以下の放射線を人体が受けた場合、放射線だけを原因としてがんなどの病気になったという明確な証拠はありません』(小学生向け)と記述したが、被曝(ひばく)量はできるだけ少なくすべきだと指摘している。」(2011年10月14日付け読売新聞)

 横浜市立小中学校では、文科省が公表した「放射線等に関する副読本」を要約。その中には、次のような記述があるという。(朝日新聞 神奈川版)
・放射線は、太陽や蛍光灯から出ている光のようなものです。
・目に見えていなくても、私たちは、今も昔も放射線がある中で暮らしています。
・放射線の利用が広まる中、たくさんの放射線を受けてやけどを負うなどの事故が起きています。
・自然界にある放射線や病院のエックス線撮影などによって受ける放射線の量で健康的な暮らしができなくなるようなことを心配する必要はありません。
・一度に100ミリシーベルト以下の放射線を人体が受けた場合、放射線だけを原因としてがんなどの病気になったという明確な根拠はありません。しかし、(中略)放射線を受ける量はできるだけ少なくすることが大切です。
・事故が収まってくれば、それまでの対策をとり続けなくてもよくなります。

 「小・中学校段階から、子どもたちの発達に応じ、原子力やエネルギーについて学び、自ら考え、判断する力を育成することが大切であると考え」るのであれば、今回の事故こそ、最大の教訓だと思う。
 なぜ安全神話は作られたのか、そして、なぜ崩壊したのか、そこから私たちが学ぶべき教訓は何なのか。考えるための材料は豊富にある。
 そして、放射線の影響は、気にする必要がないものがあると教えるのであれば、地球規模で生物を滅ぼしかねないものまであること、原爆では直接被ばくした人たちだけでなく、孫の代までも重大な健康被害が出る場合もあることなども、明言すべきだろう。
 それらを一切、記載せず、むしろ蓋をするような記述は、教育の目的を阻害するものでしかない。
 このような教育を受けた子どもたちが大人になれば、原子力発電のリスクには目が行かず、便利さにだけ反応して、原子力発電賛成の気持ちを強くもつであろうことは想像に難くない。

 畑村洋太郎氏の「図解雑学 失敗学」(ナツメ社)には、「失敗情報は時間が経つと減衰する」「失敗情報は歪曲化される」とある。
 津波の教訓については風化しないよう、文部科学省は積極的に教育に採り入れようとしているにも関わらず、原発事故では、風化を防ぐどころか、積極的に目を向けないような教育を施している。子どもに安全教育するどころか、利害のある大人たちがこぞって、失敗情報を歪曲化、隠ぺいし、検証作業をきちんとしないまま、自分たちに都合の悪いことを覆い隠そうとしている。

 結局、政治が絡むと、教育は利権に左右されて、歪められる。
大阪市長の橋下徹氏(「大阪維新の会」代表)は、「教育目標は首長が決める」という内容の「教育基本条例」を推し進めようとしている。
 しかし、これだけ政治家の不祥事が多いなかで、首長に好き勝手にしたら、日本の将来も、子どもたちの将来もめちゃめちゃにされてしまう。また、教育は長い眼でみて計画すべきだと思うが、自分たちの任期に合わせて、コロコロと方針を変えられたら、そうでなくとも、予算も、人数も、時間も足りない教育現場は混乱する。


さいたま市の小学校での死亡事故の教訓
  「さいたま市内では2011年9月、市立小学校で6年生の女児が長距離走の後に倒れ、死亡する事故があった。女児は校内で心肺停止状態に陥ったが、学校側は把握できず、備え付けのAEDも使わずに心肺蘇生処置をしていなかった。」
 この対応が問題視され、「突然の心肺停止時に自動体外式除細動器(AED)をきちんと使えるようにしようと、さいたま市が新年度、市立の全中学校の授業に、胸骨圧迫も含めた心肺蘇生処置の実習を採り入れる。昨秋に市内の小学生が急死した事故を教訓にする。政令指定都市では初の試みという。」(2012年2月8日付け 朝日新聞を再構成)

 この事故で、「備え付けのAEDも使わずに心肺蘇生処置をしていなかった」のは、生徒ではなく、教師である。なのになぜ、子どもたちにAED教育をするのか、まるで責任転嫁であるようにも感じる。
 まずは、教員にAEDや心肺蘇生処置を含めた安全教育を徹底させるべきだと思う。体育的行事の際の安全計画について、学校管理職に徹底させるべきだと思う。
 とはいえ、あてにならない教師に児童生徒の安全を託すより、数が多い児童生徒に安全指導を徹底するほうが、実効性があると感じる。
 
 文部科学省は教師に対し、あるいは養成段階、とくに体育教師を多く輩出する体育大学に対し、もっと安全教育に力を注がせるべきだと、私は常々思っているが、児童生徒が安全知識を持つことの大切さも感じている。
 兵庫県川西市の市立川西中学校で、ラグビー部の夏休み早朝練習中に、宮脇健斗くん(中1・13)が熱中症で死亡したケース(S990727)でも、健斗くんの異常な状態を顧問は、なまけや演技であると判断した。むしろ部員のほうが早くから気づいて、顧問に進言している。もし、子どもたちに確かな知識の裏付けがあれば、たとえ顧問に逆らってでも、他の教諭に連絡するなどの行動を自信をもってとることができたかもしれない。(もちろん、子どもたちには全く責任があるとは思わない)


柔道事故の教訓
 全国柔道事故被害者のメンバーで、2005年7月16日、田中康平くん(高1)が、柔道の部活動のあと、ひとり武道場の更衣室に残り、翌朝になって死亡しているのが発見されたケースでは、死因は頭部外傷による硬膜下血腫による脳腫脹だった。
 もし本人や周囲の部員が、頭を打ったと予見される場合の危険な状態についての知識があれば、本人が自己申告できたかもしれない。他の部員たちも、本人が具合が悪いので少し休んでから帰ると言ったとしても、ひとりにしなかった、教師に連絡するなどの対応が取られたかもしれない。

 とくに部活動では、子どもたちは「弱音を吐くな」「甘えるな」「根性を見せろ」「頑張れ」と言われ続けている。なかなか体調不良を言いだせない雰囲気がある。そして実際、訴えたとしても、「よくあること」「みんなそれを乗り越えている」「俺も乗り越えてきた」と言われ、取り合ってもらえなかったり、不調を訴えたことでかえって叱責されたりしている。
 そして、民事裁判になると、顧問は聞いていなかった、中学、高校生にもなって自分の体調不良を申告できるのにしなかったとして、生徒の過失にされてしまう。

 たとえば、柔道におけるセカンドインパクトシンドロームを防ぐためには、脳震盪についての正しい知識を持つことが大切だと、スポーツドクターで脳神経外科の野地雅人氏は提唱している。
 脳震盪の症状はさまざまある。2012年2月7日、衆議院会館で行われた柔道事故の勉強会で使用した野地先生の資料では、次のように書かれている。

脳震盪の症状          ※意識消失があれば、重症
認知機能 自覚症状 他覚症状
意識消失
・記憶消失
・錯乱
・興奮
・頭痛
・頭重感
・平衡感覚障害
・めまい
・吐き気
・ぼーっとする
・目の症状
 (光が見える、二重に見える)
・耳鳴り
意識消失
・意識内容の変化
・協調運動や.平衡感覚の障害
・歩行の不安定性
・けいれん
・質問、指示に対する反応が遅い
・集中力、落ち着きがない
・視線が合わない
・嘔吐
・運動能力の明らかな低下


 教師はもちろんだが、子ども自身が脳震盪にはこのような症状があること、自覚症状や他覚症状があったら、甘く考えてはいけないこと、病院を受診するなどの必要があり、時にはそれが生死を分けることを繰り返し教えるべきだと思う。
 子どもに対しての「自己責任」という言葉は、子どもにきちんとした知識を与える、自分や仲間の体調不良を口に出しやすい環境を整えるなど、大人が負うべき責任を果たしたのちに初めて言えると思う。

 大人に安全意識が欠落している現状で、大人の意識が育つまで待っていられない。大人への教育と同時並行して、子どもたちにも、自分の身を自分で守れる知恵をつけることが今、求められていると思う。
 それを実践したのが、釜石市立釜石東中学校の「津波てんでんこ」(津波がきたらばらばらに高台に逃げろの意味)教育にあるのだろう。
 不確実性の時代、大人が子どもより知識があり、正しい判断ができるとは限らない。大人も、子どもも一緒に考え、知恵を出し合っていきたい。そのために必要なのは、情報コントロールではなく、情報の開示と共有だと思う。


  

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