わたしの雑記帳

2009/7/8 トーキング・トゥ テロリスト

今日、劇団ガイアディズファンクショクバンドの演劇「トーキング・トゥ テロリスト」(東池袋 あうるすぽっとにて、7月/5日―12日)を観てきた。
元々、解散した劇団一跡二跳が好きだった。脚本家の古城十忍氏をはじめ、奥村洋治氏などメインの役者さんがそのまま今の劇団のメンバーになっている(吸収合併?)。

テロリストたちへのインタビューを再現したかたちのドキュメンタリー・シアター。
劇団一跡二跳時代にも、「自殺」をテーマに「誰も見たことのない場所」というタイトルで、同様の手法をつかっていた。
私自身、たくさんの事件・事故の被害者・遺族にお会いするなかでいつも感じるのは、当事者たちから発せられる言葉の重み。「事実は小説より奇なり」というが、頭のなかでつむぎだそうとして出てくる以上の珠玉のことばの数々をきく。それをもっと多くの人たちが触れられる形で再現できないかと、私も考えていた。最初にドキュメンタリー・シアター形式の演劇をみたときに、こういうやり方もあったんだと思った。

今回、衝撃的だったのは、「テロリストたちは話したがっている」ということば。
言葉を用いずに、対話を拒否して、いきなり暴力行為に訴えるのがテロリストではなかったのか。
そこで語られたのは、自分たちの主義主張や大義名分ではなく、自分たちの抱えてきた痛みや苦しさについて。

車という移動手段を持たないテロリストたちが、手っ取り早く、メンバーを補充する方法。通りすがりの村で子どもをさらってきて兵士に仕立てる。いつもの間にか子どもたちは、トップに気に入られようと、殺戮に精を出す。女の子は、性の吐き出しとして使われる。笑いもしない、泣きもしない。感情を表さない子どもたち。仲間さえ平気で殺す。それは、劇画やドラマ、小説ではない現実の世界。

私の脳裏によぎったのは、アフガニスタンやイラクではなく、日本の秋葉原、ほかの無差別殺人。そして、子どもの親殺し。
あれは、若者たちのテロではなかったか。彼らは、共に闘う仲間さえ持たない孤独なテロリストではなかったか。
心を深く傷つけられる体験を経て、自分で自分の心を殺した。自分の感情を麻痺させることで、現実の痛みから逃れようとした。
自分の心を殺した人間に、他人の痛みは伝わらない。あるのは、いつまでたっても癒されることのない自分の痛みの記憶だけ。

加害者は被害者の一面を持ち、被害者もまた加害者の一面を持つ。ただし、被害者は無関心さゆえに、自分たちが間接的な加害者であるという意識はないと思うが。
互いに自分の痛みしかわからない。繰り返される負の連鎖。

しかし、テロリストたちは、話を聞いてもらいたがっているという。
もし、テロに走る前に、誰かが、痛みに寄りそっていたら。何かを変えることはできなくとも、ただ、話を聞いて、「辛かったね」と言ってあげていたら、もしかしたら、テロはおきなかったかもしれない。

耳をふさぐこと、無関心でいること。それが、痛みを抱える人たちの怒りの導火線に火をつける。話を聞いてくれ、こっちをむいてくれ、気持ちをわかってくれ。
「トーキング・トゥ テロリスト」。日本の国内にもテロリスト予備軍はいっぱいいる。
ふつうの人々がなぜオウムに走ったのか。なぜ、彼らは平気でひとを殺せたのか。どうすれば、同じ過ちを私たち社会は繰り返さずにすむのか。
加害者あるいは加害者になりそうな人たちが話をすること。自分たちの抱える痛みについて、怒りについて語ること。そして、被害者もまたその被害について語ること。痛みについて、怒りについて、様々な思いについて。
そして、互いに相手の話に耳を傾けること。受け容れること。そんな単純な行為のなかにこそ、問題解決の鍵はあるのではないか。

ただ、いじめでも、虐待でも、最初、声をあげていた子どもたちが、誰も真剣にはとりあってくれない、救ってはくれないとわかると、裏切られつづけると、最後はもう話したくないという。何も話してくれなくなる。そうなってしまったらもう、打てる手立ては限られてくる。そうなる前に、話したいという気持ちが残っているうちに、私たちはもっと耳を傾けなくてはいけないと思う。

演劇をみて、そんなことを考えた。




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