わたしの雑記帳

2009/6/29 遺族の二次被害。誤報のこわさ。

ずいぶん久しぶりにある方から、メールをいただいた。
きっかけは、テレビ朝日が6月20日(土)と21日(日)に二夜連続で放映した「刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史」。
(http://www.tv-asahi.co.jp/ichidai/)

じつはかなり以前、2001年1月31日付けの「わたしの雑記帳」(me010131)に、「加害者の言い分と被害者遺族の言い分」というタイトルで、昭和21(1946)年3月16日歌舞伎俳優12代目の片岡仁左衛門さん(65)方で、仁左衛門さんやご家族、使用人の計5人が惨殺された事件の続報についてとりあげた。
当時、私が関心をもったのは、事件そのものではなかった。この事件の加害者で同家に世話になっていた男(22)が、刑を軽くするために「食べ物のうらみによる犯行」と供述したことで、その後、残された家族が長い間苦しめられてきたということを東京新聞の記事で知ったことだった。
本当は借金返済に追いつめられての犯行だったらしい。しかし当時は戦後間もない、食糧難の時代。警察官に「食べ物のうらみ」ということにすれば刑が軽くなる」と教えられて、食べ物の恨みはなかったにもかかわらず、「日頃、1日2食しか食事を与えられなかったことを恨みに思っていた。また、前日に書き上げた原稿を「これでも作家か」と投げつけられたことがきっかけになった」と供述したという。そして彼は実際に、強盗殺人罪で起訴され死刑が求刑されたが、無期懲役刑が確定。恩赦もあって13年後に出所したという。

このことをサイトでとりあげたあと、実は私のところに、片岡仁左衛門さんの血縁の方からご連絡があった。長い間、被害者であるにもかかわらず、まるで非があったかのように周囲からみられ、苦しんできたこと。それが50年以上たってようやく、東京新聞の小さな記事になったこと。その小さな記事を再び、サイトにとりあげたことで、感謝のメールをいただいた。
新聞記事はたった1日。目にするひとは限られるだろう。その記事を偶然、読んだ私がサイトに書きこむことで、またほんの少し多くのひとがこの事実を知ってくれた。実際、その方は知人に、私のサイトに片岡仁左衛門さんのことが載っていると教えられて知ったという。
そのメール内容は、パソコンが不調になって新しくするときに失われてしまって、私の手元に残っていない。
自分が書いた内容さえすぐに忘れてしまう、忘れっぽい私だが、このメールのことは特別印象深かっただけによく覚えている。

そして、それから8年。同じ方から、再び、メールをいただいた。
じつは、テレビ朝日の放映のなかで、平塚八兵衛氏が新米当時、はじめて扱った事件ということで紹介されたのが、この片岡仁左衛門さんの事件だったという。
私は、テレビでこの番組が放映されることは知ってDVD録画予約をしていたが、2話あるとは知らず、私が録画できたのは後半部分で、この事件がどういう取り上げられ方をしたのかはみていない。なにしろ、平塚八兵衛氏があの事件を担当したなどとは思ってもいなかった。

一方、ご遺族は「まさかうちの事件を取り上げるとは思わないけど、八兵衛さんの回想場面などでもしも、もしも『食べ物の恨みで殺された』とか『一家惨殺』とか、ひとことでもセリフにあったら、直ちにテレビ朝日に抗議に行く勢いで居りました。でも幸いに『歌舞伎の仁左衛門殺しの凄惨な現場で吐いた』と、それだけに止まり、正直ホッとしました。」という。

ながい間、そして今だに、当時の間違った情報は生き続けている。
「まだまだ当時の記事のまま、それだけを資料に見てあたかも自分が見てきたように書いてる文献を見ると腹が立って仕方ありません!」という。存命している二女の方も一緒に殺されたことになってるものもあるという。
死者の名誉、自分たちの名誉を守るために、どれだけ時間がたとうと、今だ遺族は間違った情報に怯え続けなければならない。

私は今回、雑記帳に当時、書いたのとはまた別の思いを抱いている。私自身が今は、間違った情報を流してしまうかもしれない側にいるということだ。
私自身、サイトを運用するにあたって、事件事故の情報の多くを新聞や雑誌、書籍などに頼っている。しかし、実際に当事者にお話をうかがってみれば、ここはちがう、あそこもちがうということも多い。元の情報が間違っていることもあれば、私自身の入力ミスもある。なかには、事実であっても、もう触れてほしくないということで、内容を削除してほしいといわれることもある。載せたと非難されることもある。
もちろん、そのような連絡が当事者からあった場合、できるだけ対応しているが、きっと私自身が知らないところで、傷つけていることも多いだろう。

私は、事件・事故の情報は、当事者だけのものではなく、再発防止のための社会的財産だと思っている。一方で、間違った情報を流してしまうことのこわさ。一旦出てしまった情報の回収や訂正の難しさも感じている。
何度も、こんなことをしていて何か意味があるだろうか、だれかを傷つけてしまうくらいならやめたほうがいいのではと思ったりもした。そのなかで、「このサイトの情報に助けられました」と言ってくださる方たちのことばをはげみに、なんとか今日まで続けている。そのなかのひとつに、この方のメールもはいっている。

今回、改めてご連絡をいただいて、ご遺族の方の心の傷の深さを思う。一次被害、二次被害の大きさを思う。
そして、正確な情報を収集する努力を怠らないことの大切さと、画面の向こうにひとがいて、つながっているのだと改めて思う。(これは、ネットいじめ、ケイタイいじめ防止に生徒向けに私が使っている言葉)
そして、2000年11月にはじめたこのサイトが、今も存在していることで、再びつながれた。思い出してもらえて、私はうれしかった。落ち込むこともあるけれど、もう少し続けて行こうと思う。



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