わたしの雑記帳

2009/4/30 山口県下関市立中学校いじめ自殺・安部直美さん(中3・14)の新事実、その後

4月4日付け雑記帳で、下関の安部さんのことをとりあげた。
同級生だった男子2人が安部さんの自宅を訪ね、両親に当時のいじめの実態について話してくれた。
いじめは学年規模で行われ、先生も知っていたこと。当時は、進学の査定のことが気になり、とても本当のことが話せるような状態ではなかったこと。
元生徒と保護者は勇気をもって真実を語ってくれた。対して、大人たちはどうだろう。
ご両親は、その後、この件に関して新しい市長に手紙を出したという。

                         
                                    お願い

                                                        平成21年4月1日
  下関市市長 様

  突然このようなお願いします事の無礼を、お詫びもうします。
  私の娘は平成17年4月13日に下関市立川中中学校で、度重なるいじめに耐えられなくなり、
 学校内にて自殺いたしました。

  それから4年の月日がたちました、
  この度の選挙で下関市長になりました、N様にぜひお聞きしたい事があります
  出来る事なら直接お会いしたいと思っています。

  1.いじめの対応に新しい市長の考えている事をお教え下さい。

  2.学校設置者は下関市です、その責任者であります市長の学校教育に対する考え方
    (前市長 E氏の回答を添付いたします)

  3.事件後の教育委員会の対応ついて
    事件の後二転三転した教育委員会の対応について どの様に思われますか
    当時は私たちには 生徒・父兄からの情報も無く、ある程度の事については我慢いたしましたが    
    今年二人の生徒が、勇気を出して当時の事を話してくれました

    【読売・山口新聞に報道されています、私の思いが十分に伝わっています】
    その内容を聞き、当時の学校及び教育委員会の説明が、遺族や生徒たちを無視し    
    自分たちの保身のみ考えている様にうけとめられましたが、市長のお考えをお教え下さい。


   なお回答は勝手申しますが文章にて4月13日の命日までお願いいたしと思います。



市長名で返事が来た。


 安部 様

  安部様よりいただきました文書について、下記のとおり回答いたします。

 1 いじめの対応への新しい市長の考えを教えてください。
  いじめの問題が現実にあることは、大変遺憾なことです。いじめの問題に対しては、いじめを鋭く見抜き、
  いじめを許さないという、人権尊重を根幹に据えた教育が肝要と考えております。


 2 学校設置者は下関市です。その責任者である市長の学校教育に対する考え方を教えてください。
  下関市の教育は「生命きらめき 未来を拓く 下関の教育」を基本方針として推進されています。
  この基本方針に基づいて下関の教育がさらに充実。発展していくことを切に願っています。


 3 事件後の教育委員会の対応についてどう考えていますか。
  事件後、教育委員会では明らかになった事実関係に基づいた説明をしてきたと考えております。


                                                          平成21年4月10日
                                                               下関市長



 新市長の回答に対して安部さんは、「内容は、前市長よりありません。過去のことのように、扱われています。今も、多くの人々がこの問題で今もきずついている事さえ考えていないように、うけとめられました。
 私は、新しい市長に下関の教育委員会のこの問題の不適切な内容及び私の家におとずれた勇気ある子どもたちの行動について考えて貰い、少しでも学校を良くして もらいたかっのですが、事件は、前任者の時に起きたので、わたしには関係が無いとうけとめられました。
 私の考えかたは無理がありますか。いまは、また1つ心のきずがふえたようです。」
としている。

 まるで、当事者や親の知る権利の要望書に対する法務省人権擁護局(2007/5/31)や文部科学省初等中等教育局児童生徒課長(2007/6/8)の回答のようだと思った。(学校事故・事件の当事者と親の 「知る権利」 参照)
 遺族の思いとの温度差。どうして、こうも血の通わない文章を平気で送りつけてこれるのだろうと思う。

 事件から4年が経過。安部さんは裁判を起こしていない。通常、不法行為の時効は3年。契約不履行を理由にするなどすれば、もっと時効が伸びることは考えられるものの、民事裁判を起こす気であれば、とっくに起こしているだろう。
裁判を恐れて、言質をとられまいとしているわけではないのだと思う。

 市長が本気でこの問題に取り組む気持ちがあるのであれば、新たに判明した事実をもとに、本当にきちんと事実調査はなされたのか、誠意ある対応が遺族に対してとられたのか、検証するだろう。
しかし、文科省や法務省の回答と同様、最初に結論ありきで、再発防止にむけて本気で取り組む気があるようには思えない。
むしろ、今さら蒸し返さないでくれというところだろう。

 子どもたちには、「傍観者も加害者だ」と言いながら、大人たちはみんなで見て見ぬふりを続けている。
亡くなった直美さんの無念の思いも、遺族の今だ癒されることのない深い心の傷も、直美さんが生きているときも、亡くなってからも何も言えなかったことの後悔を引きずる子どもたちの心の傷も、そういう大人たちには何も響きそうにはない。

 いじめ問題は、いじめ自殺は、過去のことだろうか。これは、被害者遺族の心の問題だろうか。
その後も子どもたちの間には、陰湿ないじめが蔓延し、自殺もなくならない。なくなったのは加熱報道と、世間の関心だけだ。
いじめ自殺があってさえ、大人たちがよってたかってなかったことにしてしまう。
いじめた側が守られて、いじめられたほうは泣き寝入りするしかない。
そんななかで、いじめがなくなるはずがない。

 学年規模で行われていたという直美さんへのいじめ。生徒たちはみな何があったか知っていた。直美さんが亡くなったあとの大人たちの対応を固唾を呑んで見守っていたはずだ。
しかし、学校も教育委員会も、なかったことにしよう、しようとしたのは見え見えだった。遺書があって、どうしても逃れられない部分だけ仕方なく認めた。隠ぺい工作については、告発者が出ても、調べようとするそぶりさえみせずシラを切りとおした。

 市長は、「いじめの問題に対しては、いじめを鋭く見抜き、いじめを許さないという、人権尊重を根幹に据えた教育が肝要」と言うが、直美さんの自殺事件を通して大人たちが、子どもたちに残した教訓は真逆。いじめという不法行為の結果、たとえひとが死んだとしても、最後までシラを切り通せば、誰も責任は問われないということ。みんなで一致団結してうそつけば、つきとおせるということ。いじめは簡単に許されるし、ひとの命などとるに足らない。この世に正義などないということ。

大人たちは、学校教育を通して、どんな子どもを育てようとしているのだろうか。どんな大人をつくろうとしているのか。
「生命きらめき 未来を拓く 下関の教育」というが、学校や教育委員会、市は、直美さんの命を大切に扱っただろうか。真の意味で、子どもたちの未来を大切にしただろうか。
過去に失われた命を疎かにする教育環境のなかに、「生命のきらめき」も「未来」もない。
これはおそらく、下関市だけではない。2006年前後、あんなに騒がれたいじめ自殺。きちんと事実が解明され、遺族にある程度納得できる説明や謝罪があった学校、教育委員会はどれだけあるだろうか。2006年に限らず、いじめ問題がはじまって30年。モデルケースとなる対応はどこにあっただろう。
命の大切さを本当にわかっていないのは、自殺した子どもたちではなく、これだけ多くの子どもたちを死に追いつめた原因に今だ真剣に向き合おうしない大人たちだと思う。





 HOME   検 索   BACK   わたしの雑記帳・新 



 
Copyright (C) 2009 S.TAKEDA All rights reserved.