わたしの雑記帳

2009/4/4 山口県下関市立中学校いじめ自殺・安部直美さん(中3・14)の新事実

2005年4月13日に山口県下関市の市立立川中学校の校舎内で首吊り自殺した安部直美さん(中3・14)のご両親のもとに新たなる情報がもたらされた。
安部直美さんの件は、2007年の再調査で、いじめは「有り」と認められたものの、「他の原因も考えられるため、いじめを自殺の一因」とのみしていた。学年規模で行われていたという直美さんへのいじめ。それでもまだ、教育委員会は自殺との因果関係を認めないのだろうか。

読売記事・下関版(2009年3月25日)によると、
『下関市立川中中で2005年4月、安部直美さん(当時15歳)が自殺した問題で、同級生だった男子2人が安部さんの自宅を訪ね、両親に当時のいじめの実態について説明していたことがわかった。
 2人は今春市内の高校を卒業、県外への転出が決まったのを機に、「4年前のことをきちんと説明し、下関を後にしたい」と、両親に面会を申し出た。
 22日に安部さん宅を訪れ、仏壇に手を合わせた。両親に対し、いじめは2年の頃から激しくなり、ほうきで顔をたたかれるなどの場面を何度も目撃したことを説明。「いじめは学年規模で行われ、先生も知っていた」と話したという。

 両親は2人に「ここへ来るだけでも勇気がいることで、うれしく思う。心の重りが少し取れたのではないか。同じ思いを持ち続けている友達がいたら、いつでも話しに来るように伝えて」と声をかけた。
 直美さんの自殺直後、学校側はいじめはなかったと説明。その後、いじめの事実は認めたが、市教委は今もいじめと自殺との直接的な因果関係は認めていない。
 父親の慶光さん(52)は「4年たっても心に傷を負っている同級生はいるはず。真実を明らかにせずにふたをしようとしたことが、彼らのような2次的な被害者を生み出した」と、学校と市教委の初期の対応のまずさを指摘する。
 直美さんも生きていれば高校を卒業、看護師になることが夢だった。4月13日には4回目の命日を迎える。両親は「私たちは娘がなぜ亡くなったのか真実を知りたいだけ。2人と話ができ、一歩前進した」と言う。
 市教委は「今後もご遺族の思いを大切に、誠心誠意対応したい」としている。』

男子生徒の父親は、「子どもの進学の査定のことが気になり、とても本当のことが話せるような状態ではなかった」「今だから当時のことを少し話せる」と話したという。
そして当時、保護者間にメールで、いじめの首謀者の名前や具体的ないじめの方法などの詳細が流れていたという。安部さんも噂としては聞いていたが、改めて本当にそんなことがあったと確認したという


結局、学校も教育委員会も、生徒も保護者もみんな直美さんに対していじめがあったことを具体的に知っていた。
直美さんがいじめられていたときに、いじめを知りながら、生徒たちも、先生たちも見て見ぬふりをした。そして、亡くなってからも、教育委員会や保護者まで加わって、見て見ぬふりを続けてきた。これこそが、いじめ問題の根深さだと思う。

今回のことで、「やはり」と思うことが多かった。
学校・教育委員会が必死になって隠ぺいしようとした背景には、やはり必死になって隠さなければならない理由があった。
先生たちはいじめを知りながら放置していた。だからこそ、自分たちに責任が追及されることを恐れて、なかったことにしようとした。

内部告発文(me070620)にあった、担任が持ち帰って隠したという直美さんの3年生時の生活ノート。ここにはきっといじめの内容が書かれていたのだろう。
教育委員会は告発文のあとも動かなかった。「名前が書いていないから信用できない」として完全に無視した。
告発者が守られないなかで、名前を書けるはずもない。本気で真実を知ろうという気持ちが教育委員会にあるなら、名前のあるなしにかかわらず、具体的な情報を得て、動くはず。
そして今回は、いわば内部告発の第二弾とも言える。今度は生徒とその保護者から。
これもまた無視するのだろうか。

事件・事故が起きると必ず、学校、教育委員会は、「生徒のため」と言って事件の収束を急ぐ。
しかし、学校が隠したことで、謝罪の機会を奪われ、見たこと、聞いたことも封じられて、同級生の死を心から悲しむことさえできず、生徒たちは心傷ついてきた。下関を出ることがなければ、話したくても話すことさえできなかった。今度のことが証明している。
きっと同じ思いを2人の男子生徒だけでなく、同じクラスの、同じ学年の、同じ学校の生徒の多くが抱えたまま卒業したことだろう。そして今も苦しんでいる生徒もいるのではないかと思う。これからも苦しみ続ける子どもたちがいると思う。

誰にでも過ちはある。しかし、そのときの対処の仕方として「長いものにはまかれろ」「見てみぬふり」「ばれなければ何をしてもいい」「隠した勝ち」という教育を、学校・教育委員会は子どもたちに実践してしまった。大人たちの責任は重い。
ほんとうは、生徒たちではなく、最初に先生たちに勇気をもって安部さん宅を訪ねてほしかった。
「いじめがありました。私たちは知っていながら、何も手を打ちませんでした。その結果、直美さんを死に追いつめてしまいました。直美さんの死の責任は学校にあります。最大の加害者は私たち教師です。本当に申し訳ありませんでした。どんなに謝っても、すむ問題ではなく、直美さんも生き返ることはありません。しかし、私たちができる精一杯の責任の取り方として、直美さんに何があったかを明らかにし、それを元に二度とこのようなことが起きないよう、最大限の努力をしたいと思います。今後とも、私たちのすることをご両親には見守っていただき、不十分な点忌憚なく指摘していただければありがたく思います。」そう、学校の責任者が言ってさえいたら、この4年間は、遺族にとっても、子どもたちにとってもまるで違ったものになっていただろう。
そして、一人ひとりの人生に直美さんが残していったものも、まったく違ったものになっていたと思う。

日本全国で、今もいじめはあり、いじめ自殺もちっともなくならない。そして、これだけたくさんの例がありながら、事件・事故が起きてしまったときのモデルケースが見当たらない。そんな状況が30年以上も続いている。
もしかすると、表面化しなかった事件のなかには、きちんと情報提供と謝罪が受けられたものもあるのかもしれない。遺族がある程度納得したからこそ、表に出さなかったものもあるのかもしれない。しかし、少なくとも私が見聞きする範囲内ではほとんどそういう事例がない。あるのはせいぜい、表沙汰にならないように、それを目的として必死に動いた教育委員会と、残された子どもたち(自分の子ども、他の子ども含めて)のことを考え妥協せざるを得なかった被害者や遺族だ。
もし、事件・事故が起きたときに、きちんと何があったかを明らかにし、生徒と教師がそれぞれの責任において心から謝罪し、地域を巻き込んで真剣に再発防止に努めることができたら、それがモデルケースとなることができたら、いじめ自殺の負の歴史は明らかに違う方向に向かいはじめるのにと思う。
必要なのは、今回の男子生徒とその保護者が示してくれた、事実を明らかにし、心から謝罪する「勇気」だと思う。

安部さんは、民事裁判を起こしていない。しかし、学校や教育委員会、法務省などにはずっと粘り強く交渉を続けてきた。
その結果、法務省の調査結果がほとんど黒塗りとはいえ開示されたりしてきた。
また、教師と思われる人物から、内部告発文が新聞社や安部さんの自宅に届くなどもした。
そして、今回の元生徒たちの告白。

とても珍しい例だと思う。
ひとつには、民事裁判を起こさなかったことで、巻き込まれるのではという懸念が少しは薄れたのではないかと思う。
そして、ご両親の娘に何があったか知るために、けっしてあきらめないという姿勢が、情報提供を促したのではないかと想像する。安部さんの「娘になにがあったか」を知る旅はまだまだ続く。




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