わたしの雑記帳

2008/4/4 岡山のホーム突き落とし事件といじめの心の傷


2008年3月25日(火)、岡山県岡山市のJR岡山駅の山陽線ホームで、電車を待っていた県職員・仮谷国明さん(38)が今春高校を卒業したばかりの少年(18)に突き落とされ、電車にはねられて死亡した。
現行犯逮捕された少年は、「人を殺せば刑務所に行ける。だれでもよかった」と供述し、ナイフも持っていた。また、経済的理由による進学断念を理由のひとつとして家を出たといい、「大阪を離れたかった。行く先も確認せず電車に乗った」と話しているという。

この事件では、加害者の父親(56)が記者会見を開いて遺族に謝罪したり、マスメディアの取材にも応じている。
少年は小さいときから気が弱かった。阪神大震災で自宅が壊れ、兵庫県尼崎から大阪府大東市に転居したあと、小学校では同級生にゲームをとられたり、暴行されて青あざができたこともあった。中学校ではさらにいじめはエスカレート。同級生らは体格のよい少年を「格上狩り」と称してからかったり、机やイスを投げた。修学旅行では海に沈められたりしたという。
中学校卒業時に1回だけ、「いつか仕返ししたるねん」と口走り、父親が諭したという。
高校は、いじめ加害者らにあわないよう、1時間半かけて遠くの学校に通った。
高校時代は比較的、穏やかにすごしたようだ。少年は大学進学を希望していたが、経済的な理由で断念し、働いて金をためてから進学するつもりだったという。

父親はいじめが原因で自分の子どもが自殺するのではないかと恐れていた。親子仲はよかったようだ。
逮捕された少年は、父親のことを「友人よりも好き」と話しているという。
少年は3月23日(日)、茨城県土浦市のJR常磐線・荒川沖駅で起きた8人殺傷事件もニュースで見ており、父親は「こんなことしたらあかんよ」と言い、少年も「うん」と答えたという。

世間一般のひとは父親の記者会見をどう見ただろう。自分の息子が起こした重大事件の責任を過去のいじめに転嫁していると思うのだろうか。しかし、いじめの心の傷の深さを知っていれば、やはり因果関係はあると思う。
小学校、中学校といじめられ続け、同級生らかも、教師からも助けてもらえなかった。見捨てられ感。怒り。
親子仲はよかった。そして常識的な親。父親の前では、自分の怒りの感情を押し殺してしまっていたかもしれない。
学校でいじめを受けた子どもたちのなかには、家庭内暴力に走る子どもたちも少なからずいる。安心して怒りを出せる場所だからこそ、荒れる。あるいは、自分の気持ちをせめて家族はわかってよというサイン。
しかし、少年は家族に気持ちをぶつけることができなかった。

学校の成績は悪くはなかったという。いじめられた挫折感を勉強で見返したいと思っていた部分もあるのかもしれない。しかし、努力が報われなかった。経済的な理由による進学のあきらめ。就職活動も思うようにいかない。挫折感。焦り。
親元を離れることにより、今までの自分とさよならして新しい自分をやり直したい、リセットしたいという思いもあったもしれない。しかし、どれもこれも現実には思うようにいかない。なぜ、自分だけという思い。
土浦市の事件をきっかけに、自覚もないまま、自分のなかの怒りに火がついてしまったのではないか。

少年による殺人事件等の重大事件15事例について専門家たちが分析した「重大少年事件の実証的研究」(平成13年5月 司法協会発行)には、単独で事件を起こした10事例の少年たちの共通してみられる特徴として、
@事件の直前に、深い挫折感を抱き、あるいは追い詰められた。
A非常に視野が狭くなっているため、ささいな問題であっても現実に照らして考えたり、相談したりすることもできず、最後には、このような危機状況を回避する手段として破壊的な方法しか思いつかない状態に陥って、重大事件に至っている。
B重大事件を犯す前に実際に自殺を試みたり、自殺を考えたり、周囲に自殺を相談したりした少年が10事例中7事例あった。
C「心的外傷」の経験を繰り返していると、人としての情緒が育たず、自分がどういう感情をもっているのかさえ自覚することができなくなる。このような場合に、ささいな刺激によって、押さえ込んだ感情が爆発的に再燃することがある。
などがあげられている。

集団リンチとその後の加害者らの恫喝でPTSDになった服部太郎くの言葉を思い出す。
2000年5月に佐賀のバスジャック事件が起きたとき、太郎くんは強い恐怖を感じたという。実際にその頃から、ナイフを持ち歩くなどの行動をとるようになった。
暴力の被害者である太郎くんがその時感じた恐怖は、「自分もいつ再び被害にあうかもしれない」「殺されてしまうかもしれない」という恐怖感ではなく、「自分と同年代の男性をみて、自分もしてしまう」「加害者になってしまうかもしれない」という恐怖感だったという。太郎くんは自分から申し出て、その後、入院治療をしている。

PTSDの治療は10年スパンで考える必要があると専門家は言う。医学的権威のある文献には、「PTSD患者の約50%は慢性化し、イベントから1年以上たっても症状は軽快しない」と書かれているという。
また、アメリカの精神医学雑誌において、125人のPTSDおよびPTSDの部分診断を呈した症例を調査したところ、34から50ヶ月後も48%が治癒していなかったという。「とくに回避が強い子どもにその傾向がある」とい
う。(me060608参照)

事件を起こした少年は自分自身でも、いじめによる深い心の傷を自覚していなかったかもしれないが、PTSD状態だったのではないか。被害を受けたことによって心のうちに溜め込まれた怒りの感情が、無差別殺人事件をきっかけに爆発してしまったのではないかと想像する。
怒りの感情は、傷を与えた相手に向けられればまだ回復はしやすいという。しかし、多くは、心の傷ゆえに、本当に対峙すべき相手とはきちんと向き合えない。頭では考えたとしても、きっと今でも、いじめの加害者と面と向かってしまえば体が震えたり、思うように自分自身をコントロールできないのではないか。だから、全く関係のない第三者に向けた。しかも、こちらに背中を向けて電車を待っている極めて無防備な人間に対して。
そしてもし、土浦の事件がなければ、少年は自殺をしていたかもしれない。東京日野市の中学校を卒業した少年が、家出の書置きを残しながら直後に自殺した事件とも、とても共通したものを私は感じる(990427 参照)。

太郎くんの場合、親にある程度経済的なゆとりがあり、高い治療費を捻出することができた。治療のなかで、太郎くん自身が気づいていなかった自分の心の傷の深さとその症状を自覚することもあったという。
カウンセリングがどれだけの効果があるかわからない。しかし、いじめの被害者がもっと安心してカウンセリングなどのケアを受けらればと思う。あるいは、家族以外にも、自分の気持ちをわかってくれる友達や教師がいたら、少しは他者を信じることができたり、他人の痛みを思いやることができたのではないか。
もし、いじめがなければ、そして、心的外傷後に適切なケアを受けられていれば、少年は殺人など起こしはしなかったのではないかと、とても残念に思う。この事件に限ったことではないが。



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