わたしの雑記帳

2004/7/2 桶川ストーカー事件国家賠償訴訟・控訴審勝訴をめざす市民集会の報告


2004年7月2日(金)、6時半から、埼玉県浦和の埼玉教育会館にて、桶川ストーカー事件国家賠償訴訟・控訴審勝訴をめざす市民集会があった。
桶川ストーカー事件国家賠償訴訟を支援する会の世話人で上智大学教授・田島泰彦氏、全国犯罪被害者の会(あすの会)の代表幹事・岡村勲弁護士、報道被害救済弁護士ネットワーク代表の坂井眞氏、日本国民救援会埼玉県本部の桜井和人弁護士日野被害者支援をつくる会の菅原なおし氏等のあいさつ、中山福二弁護士からの裁判経過の報告等があった。

そして、同じく、警察に訴え続けたにもかかわらず、見殺しにされた2つの事件の遺族から報告があった。
ひとつは、1999年、警察に息子の救出を訴え続けたにもかかわらず放置され、2カ月の監禁生活のなかで700万円にわたる恐喝と全身のやけどと打撲傷などの虐待を受けたあげく、自分たちが捕まりたくないために殺害された栃木県の須藤正和さん(19歳)のお父さん・須藤光男さんから事件。
もうひとつは、1999年2月2日、桶川ストーカー事件(1999年10月26日詩織さん殺害)より前に、元夫にストーカー行為の挙げ句、殺害された女性のお兄さんから報告。
いずれも、もし警察が被害者や家族の訴えを真剣に取り上げ動いてさえいれば、被害者殺害という最悪の結果だけは防げたはずの事件だ。そして、事件後も被害者や遺族が訴え続けていたという事実は、警察官により隠ぺいされる。遺族は何重もの苦しみを背負わされている。猪野詩織さんの事件と共通している。

報告を聞いて、この国家賠償裁判には3つの課題があると私自身は理解した。

ひとつは、捜査や裁判は被害者のためにやっているのではないという国の考え方。
長い間、被害者の視点がおざなりにされてきた。その精神は裁判のなかにも貫かれており、桶川事件の一審判決では、警察には被害者を守る義務があるとしながらも、警察の行為と殺害の因果関係ははっきりしないとして責任を回避した。国、警察の責任を認めれば、その権威や信頼が失墜しかねないと考えるのだろうか。
一旦、国家権力の怠慢や違法性を指摘し敵に回せば、個人の振り上げた拳など蟷螂(とうろう=かまきり)の斧のようなものだ。

もうひとつは、警察の民事不介入の考え方。ストーカー事件に対する認識のなさ
ストーカー規制法が施行された後も、警察官の頭の中はなかなか変わらない。ストーカーという、精神を深く傷つける行為、死に至る暴力を単なる痴話げんかとしか受け止めず、被害者の必死の訴えにもかかわらず、加害者への警察官による叱責等で簡単に済ませてしまおうとする安易な対処法。骨折をさせられるほどの暴力を受けていても、夫婦、恋人、あるいはかつてそのような関係だったというだけで、一般の傷害事件とは別扱いされてしまうこと。身の危険を感じて助けを求めても、現場の警察官からは、「事件にならないと動けない」と言われてしまうこと。

そして、猪野さんや他の被害者や遺族が声を大にして訴えたことは、「助けてくださいと言ったら、助けてくれる警察であってほしい」ということ。
拳銃や警棒の携帯を許されている警察官とは違い、一般市民は武器を持たない。自衛しようにも手段は限られている。また、法的にも警察官は守られているが、一般市民が身の危険を感じたからと言って、相手を捕まえてしばったり、殴ったりすれば、過剰防衛として、あるいは完全なる傷害事件として、自らが犯罪者になってしまう。
高い税金を払い、警察官に特別な権利を与えているのは、私たち国民の安全を守ってほしいからだ。被害にあってから犯人を捕まえるだけでなく、被害にあわないように守ってくれるのが、本来、警察の仕事であるはずだ。
それが今や、国家の治安を守るとして、警察の盗聴は許され、監視カメラがいたるところに設置され、国民が監視下におかれている。何のための、誰のための警察なのか。

私たちが身の危険を感じたときには警察に頼るしかない。その警察が、どんなに頼んでも動いてくれなかったら。その警察にウソをつかれたら。あり得ないことが現実に起きている。国家・警察に自浄作用が望めないとしたら、やはり私たち国民が国家を監視し、正常に機能するよう訴えていくしかないのだと思う。

最後に猪野京子さん(詩織さんのお母さん)が、「千の風になって」という詩を朗読された。
会場からはすすり泣きが聞こえた。
ネット検索したら出てきた(http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/1000wind/1000wind.html)ので、この素晴らしい詩を紹介させていただきたい(新井満氏翻訳)。


千の風になって

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
あの大きな空を 吹きわたっています


ひまわりのようだったという詩織さん。まるで彼女自身のことばであるかのように、私には響きました。京子さんもきっと同じ思いだったのでしょう。




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