わたしの雑記帳

2003/12/21 岩脇寛子さんの誕生日(12月17日)に判決。司法に子どもたちは二度殺される!


2003年12月17日、13歳で亡くなった岩脇寛子さんが、もし生きていたら28歳の誕生日になるはずだった。
その日に、金沢高等裁判所にて控訴審判決があった。長門栄吉裁判長は、「いじめが自殺の主要な原因と考えるが、担任教諭の指導が不適切であったということまではできない」として一審・富山地裁判決を支持して、両親の訴えを棄却した。

「ねえ、この気持ちわかる?組中からさけられてさ、悪口いわれてさ、あなただったら生きて行ける?私、もう、その自信ない。」「でもみんなは、たかが「いじめくらいで……」ていうのもいるよ。けど、私のはそんなにあまくない。」「私は、この世が大きらい だったよ。」
寛子さんが遺書に書き残したこの思いは、裁判官にも届かなかった。学校を信じて裏切られた、周囲にいた子どもたち、加害者の子どもたちをも、これ以上傷つけたくないとひたすら謝罪を待ち続けたご両親の思いは、司法にも理解されなかった。

asahi.com MY TOWN富山(http://mytown.asahi.com/toyama/news02.asp?kiji=4083)には、
 − 「判決によると、担任教諭は同年10月初め、寛子さんが仲間はずれや無視などのいじめを受けていることを知った。担任は寛子さんと頻繁に接触を図り、加害生徒への個別指導などにも取り組み、12月中旬には、いじめを具体的に指摘できるような事実はなくなった。
判決は
「担任の指導は効果を上げていたと評価できる」と指摘。「学年主任や、被害生徒と加害生徒の家庭と連絡を密にして、指導監督にあたるなどの措置をとらなければならない状況ではなかった」とした。
自殺の原因について、判決は「必ずしも現に行われているいじめを苦にしたものとは限らない」として、進行形のいじめによるものとは断定できず、相当の準備期間を経過して自殺に駆り立てられたとした。− とある。

寛子さんの死後、「岩脇さんへの別れの手紙」として、学校が生徒たちに書かせた作文は、両親がどんなに頼んでも見せてもらえず、その一方で、一部を新聞社に公開、写真撮影までさせた。そして、事件3カ月後には担任が焼却。また、遺族が情報公開制度を使って請求した書類は、判読文字数わずか1%の「指導内容」以外は、「非公開」もしくは「不存在」。あらためて個人情報保護条例で申請
て、ようやく一部が開示された「事故報告書」で初めて両親は、寛子さんが何度も証拠の品まで持って、いじめられていることを担任教師に訴えていたことを知った。寛子さんの死後も担任の口からは語られることのなかった事実。
学校側が様々な事実を隠し、遺族に対してときちんと情報が開示されないなかで、「いじめはあったが、解消していた」と言われたところで、誰が信じられるだろう。

もし、司法が言うように、寛子さんが亡くなった時点で本当にいじめが解消していたのであれば、寛子さんがあのような内容の遺書を書くはずがない。学校は作文をはじめ、様々な事実を両親に隠す必要はなかったはずだ。
何をもって、「担任の指導は効果を上げていたと評価できる」と言えるのだろうか。まるで、警察が犯人の供述のみを取り上げて、犯罪行為はなかったと認定しているようなものだ。しかも、証拠隠滅の行為を一切、問うことなく。被害者の周囲の人びとの証言に耳を傾けることない。

学校と教育委員会とが一体になって証拠隠滅すること、両親への報告義務をきちんと果たさず、おざなりの調査報告だけで放置することに違法性を認めないのであれば、隠し得ということになる。学校も教育委員会もますます、不祥事が起きたときに反省や再発防止よりも、隠蔽に奔走することになるだろう。

明らかにいじめがあるとわかっていても、「学年主任や、被害生徒と加害生徒の家庭と連絡を密にして、指導監督にあたるなどの措置をとらなければならない状況ではなかった」と判断されるのであれば、これからも学校・教師は保護者への連絡を怠るだろう。自分たちに都合の悪いことは一切、表には出さないだろう。その結果が、「子どもの死」という最悪の事態を招くに至っても、「予見できなかったのだから仕方がない」で終わってしまう。

いじめは隠される。教師ひとりだけで目が行き届くはずがない。子どもたちに注意をして、いじめが解消したと思うことがどれだけ危険なことか。かえって、いじめがエスカレートした可能性すらある。
「いじめられたらすぐ知らせる」ように寛子さんに言ったり、クラス全体に悪口を書いたメモのことを、遊びでやっても書かれた人が見たら心を痛めるということを話したり、いじめていた女子生徒に対して、「仲良くするよう」「いじめをやめるよう」に話したり、「一人ぼっちの本人のために仲良くしてくれるようお願いする」。このような指導で、学内にいじめがまん延している状況下、しつこく陰湿ないじめが解消するとは思えない。チクッたとして、さらにひどくなった可能性すらある(証拠隠滅されているために想像でしかないが)。

また、もし寛子さんのいじめが教師の対応によって、解消されていたとしたら、その後も同級生がいじめられ、「今度は私が岩脇さんの代わりにいじめられている」と言うはずがない。同じクラスで、いじめにあった生徒が登校拒否になるはずがない。
事件後も、周囲がかばいだてして、いじめていた子どもたちに自分たちのしでかしたことの反省をきちんと促すことをしなかったから、一時は「死のうか」と相談していた(どこまで真剣に言っていたのか、責任追及を逃れるためのなのか、あるいは担任の作り話かは不明)という子どもたちも、謝罪に訪れることさえしない。
寛子さんの事件は、子どもたちにとって、いじめられていた子どもが自殺したとしても、いじめていた側は責任追及されることはない、罰せられることもない、むしろ学校側から守られるという手本になった。結局は、いじめる側が勝利して終わるのだという教訓になった。だから、その後も生徒間でいじめがまん延するという事態になったのだと思う。

司法が、両親の訴えを棄却し、学校や教育委員会の対応に違法性なしと認めるということは、今後も学校や教育委員会が同様の対応を続けることを認めることになる。
もし、あなたの子どもが学校でいじめられていて、そのことを担任に何度も相談していたにもかかわらず、担任はいじめっ子たちに口で軽く注意するだけで、親にも、同僚にも相談することもなく、表面にいじめの現象が現れないことで「いじめは解消した」と判断し放置するとしたら、納得がいくだろうか。
そこには、子どもの安全に対する配慮などない。教師の自己保身ばかりがまかり通る。そんな学校に安心して、わが子を通わすことができるだろうか。

大河内清輝くんのいじめ自殺(1994/11/27)をきっかけに、文部省(現・文部科学省)は「個々の行為がいじめに当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うことを留意する必要がある」とし、95年のいじめ対策緊急会議報告のなかでは、「あくまでもいじめられている子どもの認識の問題」であることを銘記した。しかし、事件後の学校や教育委員会の対応、司法の対応、いずれも、今だ「いじめられた児童生徒の立場に立つ」ことも、被害者遺族の気持ちに寄り添うこともない。中心に据えられるのはいつも、表面的・形式的に、学校、教師がどう判断し対応したか、現場を知らない裁判官がそれをどう判断するかのみだ。

失われた命に対する贖罪も、自分たちの手で二度と同じ悲劇を繰り返さないような仕組みづくりをするという責任感もない。時代に逆行する判決。
一つひとつの裁判の事件そのものは過去の出来事であっても、いじめは過去のことではない。現在も多くの子どもたちが苦しんでいる。死の淵に立たされている。この判決は、これからの子どもたちの未来をも閉ざすものであると感じる。岩脇寛子さんの死。それを二度と同じ過ちを繰り返さないための教訓とすることなく、学校の保身を助長させる判決を出すことで、また第二、第三の寛子さんが生まれる禍根を残した。

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1988年12月17日の13歳の誕生日を寛子さんはきっと、いじめの渦中にあって暗澹たる気持ちで過ごしたことだろう。
これは、あくまで私の想像でしかないが、寛子さんは自分を生み育ててくれた両親のためにも、この誕生日を迎えなければいけないと強く思っていたかもしれない。死に引きずられる心をそのことを糧に必死に保っていたのかもしない。死の1週間ほど前の「生い立ちの記」という作文の中で、寛子さんは「私は今まで大切に育てられてきて、この自分の命は、自分からすててしまわず、一日一日を大切に生きていこうと思いました」と書いていた。誕生日が近かったからこそ、そして死に引きずられる心を持っていたからこそ、この言葉になったのではないか。

そして、15年目にして、また辛く悲しい誕生日を迎えることになった。この世に生まれたことを祝う日に、「生まれてきてくれてありがとう」と喜びを分かちあえない。
「苦しい思いをさせたね、悲しい思いで逝かせたね、ごめんなさい」と、彼女に関わった人たちと悲しみを共有できない。
多くの遺族にとって、命日と誕生日が一年のうちでも最も辛い日となる。寛子さんの場合、その二つがあまりに近い。判決の日、用意した誕生日ケーキのロウソクに火をともすことができなかったというご両親が、今日の命日をどのような思いで迎えられていることか。

私は、この世が大きらい だったよ。」という言葉を残さざるを得なかった寛子さん。「ごめんなさい、あなたの言う通りだよね、あまりにもひどいよね」と言うしかない。今だ、そう言われて仕方のない仕打ちを彼女に続けている。謝罪も反省もないのは子どもたちばかりではない。私たち大人社会そのものが、彼女に謝罪ができていない。自分たちのしでかしたことに反省ができていない。いじめがなくせるはずがない。
あまりに無慈悲な判決に、いじめ問題の解決を司法に委ねること事態がむなしく感じられる。法に正義を期待するのは間違いなのかと思う。





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