わたしの雑記帳

2003/11/14 「戒厳令の夜」が来る?

横浜市の中田宏市長が、川崎市で開かれる8都県市首脳会議(首都圏サミット)で、青少年の深夜の外出に対する保護者への罰則規定を都県条例に盛り込むよう提案するという。
千葉、埼玉、神奈川県の条例で、18歳未満の青少年の深夜(午後11時―翌日午前4時)の外出を制限する規定があるというのも今回、はじめて知った。現在は、保護者は「外出させないように努めなければならない」との努力規定にとどまり、罰則はないというが。それを、罰金などの罰則を設けて保護者の責務を明確にすべきだとし、首都圏サミットで提案が採用されなければ独自の市条例を制定することも検討しているとあった。
 
インタビュー記事か何かで、中田市長が昔ながらの家父長制的な自分の家庭を自慢げに語っていた。
そして今回の罰則付きの外出禁止令。ふと頭をよぎったのは戒厳令。
今の日本は戦時中並に危険だと言いたいのか、それとも、若者が危険だと思っているのか。
校内暴力で荒れたあと、学校が生徒を校則でがんじがらめにして、一方で体罰が横行した。表面的には子どもたちは大人しくなったが、見えないところで、普通の子どもたちまでもが荒れるようになった。いじめが横行した。
同じことが社会のなかで行われようとしている気がする。
 
子どもたちはなぜ夜ぶらつくのか。家にも学校にも居場所がないから、居場所を求めて、仲間を求めてぶらつくのではないのか。しかも、11時という時間。コンサートやイベントにも行けない。子どもたちが夢中になれる数少ないものを取り上げてしまうのか。
 罰則を決めても、出歩きたい子どもは出歩く。何が変わるかと言えば、出歩くことに罪悪感をもたせ、大人との接触をさけるようになる。犯罪に巻き込まれても、交番にも駆け込めなくなる。罰金を払わされてはたいへんと、親はうるさく子どもたちに言い、ますます溝が深まる。禁止すればするほど、子どもたちは親に行き先も告げずにでかけるだろう。それでなくとも息苦しい子どもたちを、どうしてさらにもっと追いつめることばかりするのだろう。
 
今日のテレビのクイズ番組で、イギリスかどこかで、「学校をなまけると親が罰金を支払わされる」(意図してか、「不登校」という言葉は使われなかった)という条例がやっていた。それを警察が取り締まる。
それで子どもたちは学校に行くようになったという。お母さんに迷惑をかけるからと、行きたくない学校に仕方なく行く子ども。そうまでして学校に行って何が残るだろう。追いつめられた子どもたちはどうなるだろう。学校はきっと吐き気がするほどイヤなところになるだろう。人生そのものが重荷になるのではないか。心に傷が残るのではないか。
 
外出禁止令が通ったら、その次は、大人たちは何を考えだすだろう。不登校を学校に戻そうという動きはすでに日本でも始まっている。そして、数値的には減少したという。不登校になっている子どもたちの多くは追いつめられている。それをさらに追いつめようとしている。
子どもたちはますます息苦しい世の中で生きていかなければならない。そして、社会が学校化したとき、人びとは幸せを実感することができるだろうか。
 
子どもの夜間外出を禁止するよりも、子どもが夜間、出歩いても安心、安全な町にしたい。
力で押さえれば、きっと力で対抗してくるだろう。心が荒めば、なおさら犯罪は増えるだろう。
戒厳令の夜。連想するのは戦争だ。国や自治体が市民の生活にまで口を出し始める。
学校で日の丸、君が代を強制したあとは、家庭や社会でもされるようになるのではないか。
ビデオカメラを使った監視社会と、夜、外を歩いているだけで警察に取り締まられる社会。
そのうち、政府の決めたことにはすべて、理由を問わず、日常生活、家庭内、学校内、そして個々人の心のありようまで規制されていきそうだ。少年非行は体の良い口実ではないか。不安になる。


追記:
2003年11月14日付けの毎日新聞には、
中田市長は「青少年の起こす犯罪が増えている。一歩踏み込んだ対応が必要」と前置きし、「子供が補導されても、朝まで預かっていてください、という親がいる」と例を挙げ、親の責任を明確にする必要を強調した、 とある。
子どもを守るための条例ではなく、子どもを犯罪者と見なしての外出禁止令らしい。
「この提案を他の知事や市長に好意的に受け入れた」とあるから、東京都をはじめとする近県の知事さんの考えは同じらしい。子どもを守る、保護育成するという発想は、もうこの国にはないのだろうか?
なぜ、子どもたちが犯罪に走るのかを、子どもの側にも立ちつつ真剣に議論する気持ちはないらしい。




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