わたしの雑記帳

2003/11/9 11カ月ぶりの小森香澄さんの裁判(2003/11/4)傍聴報告弁護士報酬の敗者負担制度について


横浜地裁で2003年11月4日、12時30分から、11カ月ぶりに小森香澄さんの裁判があった。
母親の小森美登里さんがたびたびテレビや新聞に取り上げられていることもあって、また夫婦で様々な活動を行いネットワークを作っていることもあって傍聴人が多く、毎回、開廷の15分まえに傍聴券が配られる。
今回、裁判の時間があいたことで、傍聴人の数が読めなかった。20分前にはほとんど人が来ず、やはりという思いがあったが、15分前には20人前後が並んだ。覚悟していたにもかかわらず、たくさんの傍聴人が来てくれたことにほっとして、美登里さんは泣き出してしまった。

前回(2002/12/24)裁判所は原告が申請していた生徒の作文の開示請求を却下した。それを原告(小森さん)側が不服申立をし、高等裁判所が審議していたために、本裁判のほうがストップしていた。結果は高裁でも、生徒たちのプライバシーや学校との信頼関係を壊すことを理由に非開示となった。今後の他の人びとの訴訟への影響を考え、最高裁での作文非開示の前例をつくらないために、その時点で原告側は控訴を断念した。
ただし、生徒本人の同意があるものに関しては、証拠提出するよう裁判所が命じた。

遺族が個別に手紙で連絡をとって、同意書を送ってもらうことのできた生徒が現在、7名。法廷でコピーが渡された。生徒の作文には、アンダーラインや赤で書き込みがしてあったという。それについて、どれが誰の書き込みであるのか、あきらかにしてほしいということ、コピーは白黒で、赤字部分がわかりにくいので、カラーコピーで出してほしい旨、原告から請求があった。

裁判後の報告会で、弁護士団から説明があった。作文は結局、非開示になってしまったが、出てきたものを見ると、アンダーラインや書き込みがしてある。これが純粋な生徒の作文であれば、このような取り扱いにはならなかっただろう。学校側が事実関係を把握するために生徒に書かせたことは明らかだとした。
なお、作文について、現在は7名だが、今後も生徒自身の同意がとれれば、さらに開示される可能性はあるとのこと。

学校を訴える裁判で必ず壁となるのが、ほんどの情報を学校側が握っているということ。作文を初め、様々な記録も目撃者もすべて学校の管轄下にある。出す出さないは事実上、学校側に委ねられている。原告側がどんなに出してほしいと言っても、存在しないと言われる。定められている保存年限も短い。処分したと言われる。証拠となるどんなものを学校が握っているかさえ、原告側はわからない。そして、裁判のなかで、学校側は自分たちの都合にあわせて、それらを出し入れする。生徒のプライバシーを守るために情報を出さないと言いながら、原告に不利なことに関しては様々な資料や証言が飛び出してくる。両親が、ほんとうに辛いのはむしろこれからだろう。

ある程度の証拠や双方の主張が出揃ったということで、これから証人尋問に向けて、誰を証人として呼ぶかなどの話し合いを12月に進行協議で行うことになった。したがって、再び次回は傍聴できない。
証人尋問が始まれば、被告の学校側はあらゆる手だてを駆使してくる。学校が被害者にどういう態度をとるものなのか、加害者と言われる子どもたちに反省があるのかないのか、多くの人たちにぜひ自分の目で確かめていただきたい。法廷に正義があるのかどうかもあわせて。次回の日程については、わかり次第、当サイトでお知らせしたいと思う。


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先日、小森夫妻が弁護士報酬の敗者負担制度に関するシンポジウムに呼ばれて、発言の機会を与えられた。
報告会でそのことに少し触れられた。
私自身、このことはずっと気になっていた。数年前から司法制度改革審議会で「民事裁判で負けた者に勝った者の弁護士費用を支払わせよう」という案(弁護士報酬の敗者負担制度)が出ている。
「訴訟を利用しやすくするため」というのが、うたい文句になっているというが、実際に導入されたとしたら、裁判は今以上におこしにくくなるだろう。今でさえ、一般市民には敷居が高い。まして、相手が大企業や国である場合、敗者負担制度がどちらに有利かは素人目にも明らかだ。

学校裁判だけを例にとっても、金に糸目をつけず税金を使って何人もの弁護士を雇う学校側。一方で、理不尽な形で子どもを亡くしても、経済的な理由で裁判を起こせないひとはたくさんいる。法律扶助制度を使って借金でなんとか自分たちの弁護士費用をまかなっている。それは利益を得るためではなく、失われた名誉や真実を取り戻すため、二度と同じことが起きないように教訓としていくために行われている。
たとえ勝てる見込みがほとんどなくても、止むにやまれず提訴している。自分たちの負担だけでも大変なのに、相手分まで負担しなければならないとしたら、ほとんどの人が訴訟をおこすことさえできなくなる。あるいは和解勧告が出たときに、リスクを考えれば、妥協せざるを得なくなる。

また、犯罪被害者などの多くは、事件後、精神的な打撃に加えて、経済的にも逼迫した状況に追い込まれていることが多い。大黒柱を失って、あるいは治療にお金がかかって。後遺症や精神的なストレスから通常の経済活動ができなくなることも多い。報道の影響で商売がうまくいかなくなったり、職場でも退職をすすめられることもある。

被害者のことを考えたらむしろ、無料で裁判が起こせなければいけないとさえ思う。失われた権利を取り戻すのに金を払わなくてはならないこと自体がおかしなことだと思う。充分な金がなければ、権利を主張することさえできなくなってしまう世の中では、金のある者、強者の理論ばかりがまかり通るだろう。国や大企業は今以上に好き勝手ができる。弱いものの人権は踏みにじられてしまう。

今でさえ、国相手の裁判、自治体相手の裁判はほとんど勝てない。それでも少しずつ勝てるわようになってきたのは、積み重ねがあったからだ。泣き寝入りしない人びとが声を出し続けてきたからだ。
弁護士報酬の敗者負担制度は時代に逆行する。そしていつものように政府は真の目的を隠して、耳障りのよい言葉を用意している。私たち市民が無関心でいる間に、さっさと法案を通そうとしている。そして、一旦できあがった悪法を変えようとすることは、成立に反対するのエネルギーの何倍ものエネルギーが必要になる。私たちはいつ、被害者になるかわからない。理不尽に権利が奪われるかわからない。そうなってから、しまったと思っても遅い。



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