わたしの雑記帳

2002/10/30 小森さんの裁判(第6回)傍聴報告


2001年7月に提訴して以来6回目の口頭弁論が昨日(2002年10月29日)横浜地裁で開かれた。
いつも通り約15分前に傍聴券の配布。今回も抽選なしに全員傍聴することができた。空席は5席ほど。

今回の確認内容は主に、前回(2002年9月17日)同様、原告の小森さん側が被告の神奈川県に対して、教育委員会の持っている香澄さんに関する文書を出してほしいという要望についての回答。
具体的には、香澄さんが亡くなった直後に、学校が同級生や吹奏楽部の生徒に聞き取りをした時に作成されたメモと作文。香澄さんの健康診断書、環境カード、保健日誌、学校日誌。これらの文書には、香澄さんの足跡が残されているはずだ。

学校裁判では、学校側が情報を握っていて、親には、わが子の情報がほとんどない。そして裁判で文書提出命令が出ても、なかなかすんなりとは出てこない。
県側は、作文以外は任意で提出すると回答してきた。しかし実態は、学級日誌は不存在、保健日誌は何月何日に誰が来たか程度の記載のみ。
そして今回提出があった学級日誌に関しても、香澄さんが7月27日に亡くなって以降の4日間、すなわち27日、28日、29日、30日のみ。原告弁護士が法廷で確認したが、それ以前も、以降も学校日誌に香澄さんについての記載は一切ないという。

そして問題の「生徒の作文」。神奈川県は提出できない理由を3つ上げて拒否している。
1.作文作成の主旨は、いじめの事実関係を調査する目的にはない。今後の教育指導に役立てるための内部資料として生徒に書かせたもので、主旨が違うから出せない。
2.生徒との信頼関係のもとに教育効果を得る目的で作文を書かせている。元々、第三者に見せることを想定していない。生徒が安心して書けるような配慮をしなければ今後、作文を書かせることができなくなる。
3.作文は作成した生徒のプライバシーにかかわることで、勝手に公開できない。

ほとんどの学校で同じような回答が返ってくる。予測つくだけに、弁護団も最初、作文の開示請求を出すかどうか悩んだ。そのうえで原告弁護団は、上記3つの理由にそれぞれ反論した。
1.作文は当時は原因究明のために書かせたはず生徒もそのことを理解しているのではないか。実際に、「事実関係を明らかにするために書いたのに、そのような使い方がされなければ作文を書いた意味がない」と当時の生徒が言っている。
2.教育上の配慮というが、事実関係が究明されないで、どこが教育的なのか。
高校生にとって、仲間の死はショックなはず。なぜ死んだのか、生徒だって知りたいはず。それを無視して今後の教育はあるのか。ウヤムヤにしたり隠蔽するのではなく、事実をオープンにして、今後どうやっていじめをなくしていくかが教育ではないか
3.プライバシーについて、本人がいやだと思うことが書かれているかもしれない。しかし、生徒の死亡という重大な結果に対して、香澄さんの情報を生徒のプライバシーを楯に切り捨ててしまっていいのか。名前を消してでも見せられないか。また、プライバシー保護のためといいながら、学校はひとりひとりの生徒に聞いてもいない。勝手に代理人の顔をして主張するのはおかしくはないか。

これらの論拠を補強するために、弁護団は当時の同級生数名に協力を求め、何人かから「作文を公開してもいい」「裁判資料として使ってもいい」との同意書をもらっている。
さにに、かつて娘がいじめ自殺した直後に学校側が生徒たちに書かせた作文の公開を争って裁判をし敗訴、その後、作文の内容を知ることができた町田市の前田さんの陳述書を証拠として提出した。

前田さんは、裁判のなかで晶子さんの悪いイメージばかりを学校側に出されて、それが両親の知っている晶子さんとはあまりに違う面に、思い悩んだという。同級生たちの目には晶子さんはどのようにうつっていたのかが知りたかったという。それが11年を経て、作文が手元に届いてはじめて、同級生たちが見ていた晶子さん像が、両親の知る晶子さんとぴたりと一致したときに、とても癒されたという。
同じように、この裁判でも後被告側は、香澄さんの死を本人や親に問題があったと主張してきている。その時に、香澄さんの一番近くにいて、素顔を知っていた周囲の子どもたちがどう見ていたかは、大きなキーポイントになるだろう。

一方で、いじめ自殺があった後の生徒の作文の使われ方として、とても嫌なことを耳にした。生徒が書いた内容を教師がチェックして追及。結局は「あれはいじめではなかった」と説得するという。
真実を知るための材料にするのではなく、どの生徒の口を塞げばよいのか、あぶり出しのために使う。教師たちは、プライバシーの尊重、教育的効果を声高にいいながら、書いた生徒たちにとって一番、使われたくない使い方をしている。

なお、被告である行政機関に文書提出命令を出す場合、必ず、関係機関の意見が必要ということで、裁判所は県教委の意見を求めていた。その結果が今回の口頭弁論直前に届いたという。
それをこれから原告側が読んで、次回公判までに反論なりを書いて提出することになった。

次回は、12月24日(火)午前10時30分から、横浜地裁にて。
その日はクリスマスイブ。加害生徒たちは、教師たちは今年もまた、家族とともに楽しいひとときを過ごすだろう。しかし、遺族にはクリスマスも、正月もない。「子どもは天使だ」と香澄さんの母・美登里さんはいう。せめて天国で、香澄さんが安らかでいられますように。


※「公判」というのは刑事事件の時の裁判のことをさすのであって、民事裁判の場合は「口頭弁論」(書面のやりとりだけでも、本来は弁論=陳述したかわりということでこの言葉を使います)と言うんだそうです。弁護士さんに指摘していただいて今回、はじめて知りました!

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