わたしの雑記帳

2002/10/8 岡崎哲くんのお母さんからの手紙


 10月8日は岡崎哲くんの命日です。お母さんから傍聴のお礼をしたためたハガキとすぐあとに現在の心境を吐露した長文の手紙をいただきました(いずれも日付は哲くんの命日になっていました)。
全面棄却の判決のあとわずかな時間で書かれていることもあって、いつもより幾分、感情が高ぶっている感じがします。しかし、これもまた、遺族の偽らざる気持ちでしょう。
サイトにUPすることの許可を頂きましたので、(ハガキと手紙にはダブっている部分はありますが)紹介させていただきます。司法にさえ突き放されてやるせない遺族の思いを汲み取っていただけたらと思います。
(なお、段落等はサイトでよみやすいように、勝手に変えさせていただいています)

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 (ハガキより)
 去る9月30日は、最大級台風関東地方上陸前日で悪天候でしたが、多くの皆様に応援傍聴をいただきました。心より感謝申し上げます。
 東京高裁・民事第22部 石川善則裁判長からの『全面棄却』の判決言い渡し所要時間約60秒、本人控訴審2回の印紙代は約18万円でした。瞬時の出来事に言葉を失い帰路、牛久市でこれからも生活を続けられるのかと不安を感じ、それは今現在も続いています。

 真実を知りたい、知る権利はあると、学校で起きた事件だからこそ傷心の中、訪ねた教育委員会で斉藤勉教育長は「線香をあげ、手を合わせる事だけが哲君への供養」と答えました。
 被害者の私達が「事実認定がおかしい、子どもの権利が守られていない!真実を知りたい!」と言い出さずに、ただ、ただ泣いていさえすれば良かったのかと、今になると確かにそうであれと世間、司法がつくられていました。被害者になったとたんに、憲法に保障されている国民の人権・権利が根こそぎ剥奪されてしまったのでした。
 被害者に全ての落ち度、責任を被せ、あった事は無かった事、無かった事はあった事にし、反省も事件から学ぶ事もしない学校でした。こんなおかしな民主国家が許されるのでしょうか?

 事件から4年目を迎えた今も地元の反応は殆ど無く「何時までそんな裁判をするの」と。私達被害者のこの4年間の真実を一瞬にして消し去る事は、国家権力としてはたわいもない事なのでしょう。
拉致事件の方々の長い々、深い々、苦悩、悲しみからすれば私達の体験はきっと一時の事と思われます。悠久の歴史の中で人々の悲しみ苦悩の上での、私の錯覚平和の日々であった事を今深く悔い改め、傷みを確りと胸に刻み直す事から始めなければならないと、強く感じました。皆様のご健康を心よりお祈りいたしまして、応援傍聴へのお礼とさせて頂きます。

                                  岡 崎 哲 の 母   平成14年10月8日


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 (手紙より)
 学校裁判応援傍聴へのお礼
 
 先日は戦後最大級台風21号が明日上陸と言う荒れた天候の中を、遠くは兵庫・大阪から、関東近県からと、傍聴席が殆ど埋まんばかりのたくさんの皆様の応援を頂きましたこと、心よりお礼申し上げます。

 茨城県牛久市を訴えた学校裁判控訴審(東京高等裁判所第22民事部。裁判長裁判官石川喜則)は、たった2回で合計ものの5分足らずの全面棄却で終わりました。判決言い渡し所要時間わずか30秒かな?と言うようなもので、あっけにとられた中での終了でした。おまけですが、この控訴審の印紙代は約18万円弱でした。一回9万円弱?高すぎる所場代に当惑しました。子どもを産み育てる母の世界では、命を守り育む学校現場においても、このような非常識、無情は絶対に許されて良いものの筈がありません。

 「両親にとっては僕の誕生はこのうえもない喜びだったに違いない、自分の命を大切にして生きていきたいです」と殺される数時間前の事件当日、2時間目の道徳授業の感想文にこう書き残した、絶対に暴力をふるうつもりなど無かった、話合いで済ませたかった哲(遺体の哲の手には傷だらけの顔を防御した痕跡、相手と殴りあったとされる痕跡すら全く無い、それはそれはきれいな手でした。「俺は友達を殴れない」と言って殴られても殴り返した事が無かったサッカー大好きなスポーツ少年でした)、殺されるなんて思いもしなかった我が子。その大切な命が河豚の競りの様に軽がるしく扱われて行くこの民事裁判という過酷な滑稽な現実、真実を置き去りにした事実認定を認めてしまう死者を国家の名において再度なぶり殺す、亡国論を必然的に内在したこの国の司法の現実に、愕然とし生きる意味をも見出せず息をつくこともここ数日出来ませんでした。

 しかし、我が子を奪われるまで、私が幸せであるかのように生きて来たという事実は、人類の繰り返されて来た悲劇の歴史、その苦しみ悲しみ痛みの累積、それら苦脳と苦闘の屍の上を土足で無神経に歩き散らすようなものであった事を心から恥じ入りました。私の今が人類の歴史の深い深い苦悩と傷みと悲しみと絶望の果ての今であった事に改めて気づかせて頂けました。多くの尊い命に、心からお詫びしお許しを頂きたいと思いました。
 これからも、深い深い自戒と懺悔をこめて、歩み続けねばならない事を自分に何時も強く言い聞かせなければと思っております。

 我が子を慈しみ慈しみ育ててきた事実は何処にも消え去りません。私の頬に胸に、そして彼がハイハイをし、人生の第1歩を印した、サッカーボールを追いかけゴールした大地に、校庭の木々や小石に、泳いだ海川に、打たれた雨に、愛した犬達、友や心有る教師の心に、わが子の真実のぬくもりは確かに宿っていることでしょう。

 先へ旅立たざるを得なかった沢山の心優しい子どもたちが伝えるメッセージ、
『命の尊さを確りと残された子ども達に伝えて欲しい!どの子の命も大切な大切な、人類の宇宙の宝だからね。暴力はいけないよ。』と。
夜空にキラキラと輝く一番星になった子ども達からの願いです。
奇しくも、10月8日は哲の天国での4回目の誕生日です。哲と共に心よりお礼を申し上げます。有難うございました。
                                                平成14年10月8日


  追 伸  
 牛久市内の中学校では今年になってから6月に牛久一中(哲が通っていた)で失明寸前のいじめによる傷害事件がおこり、また先月9月10日には牛久南中で中3男子の対教師傷害事件で現行犯逮捕者をも出しました。生徒を健全育成出来ず、学校の安全を維持できない牛久市のこの現状。次々と事件事故をおこし続ける信じられない無責任な教育現場。我が子の事件をも含め、事件や事故に対し誠実に真摯に調査し、反省してこなかった牛久市の腐った教育体質の結果ではないでしょうか。今年の事件も、ある事無い事、被害者生徒や問題児と決め付けた生徒に責任を擦りつけ、少年法を盾に真実を明らかにせずに済み、学校教師の責任は全く無かった事にしてしまえたのでしょうか。
 そして、それら牛久のこの隠蔽・人権蹂躙の腐敗教育体質を長年追随してきた牛久市教育委員会の責任を今回、司法は無罪放免にしてしまいました。信じられません。水戸地方裁判所土浦支部を何故そこまで守らねばならないのか?権力の暗躍を読み取る事は可能なのでしょうか。

 しかし、大きな疑問が残ります。学校現場で人権が守られず、真実や正義を明らかにもせず、被害者や弱いものへの人権蹂躙が堂々とまかり通るのでは日本の未来は、衰退という言葉に集約されて行くのではないでしょうか?
 学校が亡国論(事件事故がおきると少年法を盾に「学校には捜査権が無いから事件について捜査が出来ない。学校としても真実を知りたいのですが」ともっともらしい事を臨時保護者会などで公言します。学校には調査はいくらでも出来るのですが調査を捜査にすり替え、捜査権がないからと実質的な調査をせず、逃げきります。学校という閉鎖的な空間においてはそれが可能です。少年法の非公開をフルに活用し、「少年法がありますので、事件事故の真実はあかせません」と、情報を操作し、そく完全隠蔽に走り、学校の責任として事件事故を正しく調査し検証し学び教師自らの反省とする事をすぐに止めて行きます。

 加害者の少年がどのような加害行為をしたか等という真実は必要とされておらず、ただただ加害少年の将来への健全育成の理論のみに始終し、事実認定は杜撰でまかり通る少年法。
少年法が真実を明らかにせずにすむと言う真の健全育成の理論を逸脱した亡国論を内包している。その少年法を利用し全てをそれにまかす学校もおのずと亡国論を包括しているのではないでしょうか)を内在している現実、確りと学校の隠蔽体質、人権蹂躙体質にその腐敗教育現場に法的なレッドカードを出さざるを得ないタイムリミットに来ている、教育のその現場から「人権不平等は正論」を発信している、この現実、もう一秒も待てません。子ども達は瞬時に大人になっていきます。

 あせりますが、これからも、皆様と共に考えさせていただけます様、また皆様のご健康を心よりご祈念致しまして、駄文が長くなりました事、お許し下さい。  
    
                                                     岡崎 和江


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