わたしの雑記帳

2001/12/18 ビデオ「劣化ウラン弾の嵐」を観て


「劣化ウラン弾の嵐」というビデオを観た。
湾岸戦争でアメリカが使用した武器「劣化ウラン弾」の影響をレポートした内容だ。
正直、このビデオを観るまで、これほどまでにすさまじいものだとは思わなかった。まさに、「悪魔の兵器」だ。
私たちは、「劣化ウラン弾」の「劣化」という文字に騙されてしまう。「劣化」しているのだから、威力も影響力も大したことはないと。しかし、現実には、その毒性は通常のウランと全く変わらないという。

イラクで湾岸戦争後、ガンの死亡率が急増した。血液のガン(白血病)、皮膚ガン、肺ガン。そして、奇形児が大量に生み出された。口蓋亀裂や骨の奇形、日本のサリドマイ児のように腕がなく、肩から直接、手のひらが出ている子ども…。4人生まれた子どもが全て奇形児だった母親。病院で働く医師もスタッフもみな、家族に奇形や病人を抱えている。これでもか、というほど、目を覆いたくなる映像が次々に映し出される。

影響は湾岸の住人だけにとどまらなかった。戦争に参加した兵士たちも、その影響力を何も知らされず、被爆した。戦利品として本国に持ち帰ったカケラ、被爆した戦車の上での記念写真、それらがまさか、数年後には自分の命を奪うと、誰が考えただろう。そして、その事実は、アメリカなどの国内でひたすら覆い隠されているという。告発した人びとを襲う暴力の嵐。政府によって公式に否定される劣化ウラン弾の影響。

現在、アフガニスタンへの攻撃では、公式には「劣化ウラン弾」は使用されていないことになっている。
しかし、誰がそれを信じられるだろう。
テレビの映像で見た、アフガンの子どもが砲弾の残骸をおもちゃにして遊ぶ姿。新聞で読んだ、空襲に怯える子どもに飛行機や戦車の残骸を見せて、「ほら、もう壊れてしまったから大丈夫だよ」と諭す母親。
もし、劣化ウラン弾が使われていたら、イラクの子どもたちのように、数日後には皮膚がボロボロに剥がれおち、恐怖と痛みの中で死んでいかなければならないかもしれない。

かつて、大学の先輩に広島出身者がいた。彼女の父は原爆被爆手帳を持っていたという。戦争を知らない世代、彼女の体の中にも、戦争の恐怖が脈々と受け継がれていた。大好きな恋人がいた。しかし、もし自分も原爆の影響を受けているかもしれないと思うと、結婚に踏み切れないと言う。自分に直接、影響が出なくとも、もし子どもに出たらと思うと更に恐ろしいと言う。いつ発症するかもしれない恐怖と、彼女は生まれながらにずっと闘い続けなければならなかった。

同じ思いを湾岸の地で、アフガンで、これから何世代にもわたって、多くの人びとが強いられる。
まして、医薬品もない、設備もない、満足な治療さえ受けられない人びと。死の恐怖を前に、ただじっと痛みに耐えるしかない大人たち、子どもたち。体内被爆して、苦しみを背負うためだけに生まれてくる多くの子どもたち。人びとの夢も希望も、未来さえ破壊してしまう凶器。

ビデオは訴える。「劣化ウラン弾の使用を国際法で禁止すべきだ」と。私もそう思う。
影響は戦争地域だけではない。砂漠の砂に乗って、雨となって、台風となって、動植物を介して、大気から、食物・飲み水を通して口から、周辺地域は元より、地球全体に広がる。人類も生物も滅ぼしてしまう。

使う側にとっては、これほどいいことづくめの武器も少ない。自分の国で処理しようと思えば膨大な資金を要するやっかいものの核廃棄物を他国に砲弾として打ち込める一石二鳥。劣化ウラン弾はどんな固いものでも貫通する。そして当たった衝撃で、霧のような微粒子になって飛び散るという。呼吸することで体内に取り込まれていく。体内から被爆する影響は、体外被爆に比べてもすさまじく大きいという。
しかも、その影響は、時限爆弾のように、戦争が終わったのちも人びとを苦しめる。民族を根絶やしにできる。
原水爆の禁止と同じように、国際的強制力をもってしか、この悪魔の兵器の使用を止める手だてはないだろう。

日本でも、沖縄の米軍演習で劣化ウラン弾が使用されていたことがわかり問題になったことがあった。
しかし、その時は劣化ウラン弾がどういうものか、私自身よくわからなかった。マスコミも、その影響についてまでは深く掘り下げなかったと思う。
もし、こんなものが、私たち国民の知らないところで、ぼこぼこ使用されているとしたら、恐ろしいことだ。
湾岸で起きていることがすでに、沖縄で、日本本土で、着々と秒読みを開始しているかもしれない。
かつて沖縄を訪ねた時に、「命を守る会」代表の金城祐治さんが、基地があることの影響を単なる米兵の犯罪や土地問題、騒音問題だけではなく、「環境問題」もあるということを話してくれた。戦闘機を洗い流す大量の水、そして汚染された水が地面に染み込むこと、海に流れ出すこと。そのことの意味を今、改めて考えさせられている。

強いアメリカを実現するための多くの戦争。それに、日本も加担している。今回のアフガン攻略についても、その是非を問うことなく、ただ強いアメリカにシッポを振って従っている。
人びとが本当に知らなければならないことは、報道されにくい。都合の悪いことは為政者の手で隠される。攻撃する側も、される側も、それが何であるか知らされず、無防備なまま影響を受ける。

湾岸戦争で、砲弾の飛び交う中に、日本のマスコミは多くの記者を派遣した。今回のアフガンも同じだ。それと同じ熱心さで、なぜ、戦争後の影響、人びとの暮らし、現在おかれている状況、苦しみに目を向けようとはしないのだろうか。今でも、兵器の残骸がただ埋められただけで残されている放射能汚染された地域に行くことは、大きな危険を伴うことに違いない。しかし、砲弾を恐れない人びとが、その危険に対して物怖じしているとは思えない。
国土が汚染されても、そこから逃げられない状況の人びとが多くいる。汚染されていると知りつつ、水を飲み、草を食べ、家畜を飼う。人びとにとって戦争はいつまでたっても終わらない。何世代にもわたって、苦しみのみが受け継がれる。

日本は戦争に負けて、その苦さをほんの数年で忘れ去った。しかし、これからの戦争はそうはいかないということを肝に命じるべきだろう。一旦、戦争に巻き込まれたら、自分たちの子孫に未来はない。広島、長崎で日本が経験したことを、今なお繰り返されている国があることを忘れてはならない。
アメリカに従軍すること以外にもっと、日本にはやるべきこと、役割があるはずだと思う。

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