わたしの雑記帳

2001/5/11 児童養護施設の子どもたちの人権


このサイトのリンクコーナーでも紹介しているエドワードさんのSTOP! 養護施設内虐待のページ(ここ何日か、なぜか見ることができない?)を見て昨日(5/10)、霞ヶ関の弁護士会館で行われた「全国養護問題研究会」の緊急学習会に行ってきた。
テーマは、今井城学園と生長の家・神の国寮での人権侵害について。内容等については、上記のエドワードさんのページに詳しく載っているので、詳しく知りたい方はそちらを参照していただきたい。
ただ、養護施設に関わりのない一般のひとたち(例えば私のような)にも多く関心を持って欲しいという思いから、あえて「私の雑記帳」に報告と感想を書くことにした。

児童養護施設内の人権侵害は、千葉恩寵園や鎌倉学園の事件で一般の人びとにも知られることになった。しかし、それは氷山の一角にしかすぎず、今もって多くの施設で、子どもたちの人権が踏みにじられている。
かつて、児童養護施設のことを研究している某大学福祉関係の教授にそのことを話したときに、それはごく一部の施設でのこと、ほとんどの施設では職員の献身的な努力により、子どもたちは大切に育てられている、あの報道で児童養護施設全体のイメージが悪くなって迷惑しているというような返事をされた。そのときに、専門家と言われる人たちですら、この程度の認識なのかと、閉鎖的な施設の問題の根深さを垣間見た気がした。もっと声を大にして、この問題を語る必要を感じた。

もちろん中には、まともな施設もあるだろう。しかし、多くの児童養護施設での子どもたちの生活は、普通の家庭とはほど遠い。職員が無断で手紙を開封する、持ち物検査をする、体罰を行う、子どもたちの心を傷つけるようなことをわざと言うなど日常茶飯事と聞く。
中でも、佐々木朗(あきら)さんの書かれた「自分が自分であるために」(2000年12月1日、文芸社発行、営業電話番号 03−3814−2455)の内容は衝撃的だった。
文中の施設名や登場人物は仮名となっているが、生長の家・神の国寮のことだという。

小学生の門限は午後3時。学校からまっすぐ寮に帰らなければならない。しかも、一旦帰ると外出は一切、許されなかった。同じ年齢の子どもたちが学校から帰ってから、お互いの家を行き来する、公園で遊ぶなど当たり前のことすら、許されなかった隔離された生活。

そして、佐々木さんが小学校5年生のときに来た、生活指導担当の職員は、さらに門限に厳しく、わずかな寄り道すら許されなかったという。口答えをしたり、門限に遅れたりすると容赦なく体罰がふるわれた。そして、男子は全員、丸坊主に、女子は全員おかっぱにされた。そんな髪型の小学生がほとんどいないなかで、まるで、施設の子どもとすぐにわかる目印、レッテルを貼られたような気持ちだったと言う。そして、担任の「学校が終わっても朗君とは遊ばないでまっすぐにお家に帰らせてあげてね」の言葉。
施設から頼まれたにしろ、その言葉が、子どもたちにどう、受け取られるか考えはしなかったのだろうか。学校で同級生にいじめられ、まっすぐに寮に帰れば、指導員の思いつきで次々と作業をやらされた。自由時間も、宿題をする時間も与えられなかったという。そのことで、教師との関係が悪化する。勉強する気のない子どもという差別の目で見られるようになる。
そして、その職員は、園生たちが可愛がっていた鳥を目の前で殺して、喰ってしまうという精神的な虐待もした。その時から、佐々木さんは鶏肉が食べられなくなったという。

年に数えるほどしかない楽しい行事も、職員の独断で、廃止された。そして、木彫りの熊人形での殴打事件が発覚して、職員は辞めていく。理事長は自分たちの訴えを聞き入れてくれたと思った矢先、新しい職員もまた虐待を繰り返す。単なる首のすげ替えでしかなかったというやるせない事実。
食べ盛りの男の子が、お腹をすかせてつまみ食いをする。どこの家庭でも見られる当たり前のできごと。それさえも、ぼろ切れのようになるまで痛めつける理由になってしまう。
お菓子も、テレビゲームも許されない生活。友人が寮に遊びにくることすらままならない。リンチのような野球の練習を課せられる毎日。職員の顔色を窺っていつもびくびくしていなければならない日々。
そして、佐々木さんが退寮したあとも独裁者の支配は延々と続いた。

今回、生長の家・神の国寮を提訴した男性は、当時まだ10歳。
寮のなかで盗みを働いたと根拠もなく疑われ暴行を受けた。共犯者の名前を吐けと脅されて、追いつめられて苦し紛れに数人の名前をあげた。そして、体罰を受けても無実であることを訴え続けた子どもたちに職員は、「お前たちがこんな目にあったのは、こいつのせいだ」と言って、子どもたち同士に制裁を加えさせた。男性の腕は折れ左手の指が4本動かなくなる障がいが残った
そのために職業さえままならず、苦しい生活を強いられている。

弁護士の平湯真人氏が言った。昔の日本の軍隊のようだと。初年兵同士に互いに往復ビンタをやらせる。最初はただ命令に従って仕方なくやっているだけ。しかし、やっているうちに、相手に対する憎しみが沸いてくるという。子どもたちにしても、本当は言われなき疑いをかけて、そこまで自分たちを追いつめた職員に反撃したい。しかし、圧倒的な権力、力の差の前に、それはできない。怒りは、自分たちを名指しした少年に向かった。肉体だけでなく、加害者と被害者の両方の少年たちの心にも深い傷が残ったことだろう。

職員から暴行を受けても、子どもたちに訴える術がない。病院には職員が付き添い、「転んだ」「友だちと喧嘩した」とウソを言わされる。「本当のことは言うな」と脅される。
それに、危険を冒して本当のことを言っても信じてもらえる保証はない。今までずっと、どんなに酷い目にあっても、大人たちから見捨てられてきた。冒険をおかす気にはなれないだろう。
そうして、10数年たった今も、その職員は処罰を受けることもなく、ノウノウと処分を受けることもなく、相変わらず神の国寮で働いている。その間、どれだけの子どもたちが犠牲になったか、計り知れない。

本では、他に、ある職員による子どもたちに支給されるはずだった手当金の押領暴力精神的な虐待、そして、少女たちが処女かどうかを確認したというセクハラ行為などを告発している。
閉ざされた施設のなかで、堂々と犯罪行為が行われ、それを止めるもの、裁くものがいない。子どもたちの味方をする職員は去り、一緒になって暴力をふるう、あるいは強いものにおもねる職員のみが残る。
子どもたちを救ってくれる大人たちがいない。子どもたちは退寮するまで、ただ黙って耐えているしかない。その状況は今も変わらない。

千葉の恩寵園から子どもたちが逃げ出したことは大きなニュースとなった。他に行く場所のない子どもたちが、施設を飛び出すにはどれほどの勇気と覚悟がいることか。それでも、大人たちの手であっさりと施設へ送り返されてしまった。
今井城学園では、職員の仕打ちに耐えかねた子どもたちが、都の職員の監査のときにそっと手紙を渡したり、児童福祉士が来たときにおかしいと思うことを全て話したり、子どもの権利擁護委員会に電話をかけたりしたという。よくまあ、いろいろ考えて、手をつくしたものだと思う。それだけ必死だったのだろう。
しかし、大人たちは動かなかった。何も変わらなかったという。

今は、以前に比べると、いろんな機関が動くようにはなった。しかし、法的な強制力はない。施設に聞く耳がなければ、何も変わらない。
そして、大人たちのする事実認定では、多くの子どもたちの証言よりも、職員の言葉が優先される。加害者がやっていないということは、よほどはっきりとした証拠でもない限り、やっていないことになる。子どもたちの証言は、勘違い、虚言癖、職員への恨みによるものとされる。

そして、勧告に従って改善案が出されたとしても、形式的なものであったりもする。ほとぼりがさめたころには、元に戻ってしまう。
政府が発動した第三者機関の導入でさえ、施設の理事が入っていたり、親戚が名前を貸していたり、施設側の言いなりになるひとが選ばれたりと、はじまったばかりですでに形骸化しているという。

以前、本で読んだか、聞いたかしたことがある。
ある施設で、子どもたちが自分たちの現状を外の世界に訴えるためには、誰かが自殺でもしなければ無理ではないかと話し合ったと。そこまで考えた。実際に、自殺未遂や自殺者も出ているし、施設から出たいがために短絡的に犯罪を冒した子どもさえいるという。

子どもたちのプライバシー保護の名のもとに、外部の人間を一切閉め出した施設のなかで、子どもたちが措置費を目当てに食い物にされたり、大人たちの欲望や鬱屈した精神のはけ口にされている。
誰かが死んだり、ひどい後遺症が残るほどの暴力で痛めつけられでもしない限り、周囲の大人たちが実状を知っても、手出しができない。行政も動こうとはしない。
高い税金を使って行う、数少ない貴重な子どもたちに対する処遇にしては、余りに情けない日本の福祉の実状だ。高学歴の人たちが集まってどんな知恵を出し合って、こんなシステムを作り上げたのか。そして、何故、次々と施設内虐待が報告されながらも、何も改善されないのだろうか。

家庭内の虐待が社会問題になっている。しかし、行政措置により次々と子どもたちを施設に送り込んでも、そこでも新たな虐待が待っているのでは、いつまでたっても子どもたちは救われない。
肉親に付けられた深い傷の上から、更に傷が加えられ、そして世間が塩を擦り込む。
ため込んだ怒りのエネルギーの発散場所を求めて、大人たちを、人間を信じられなくなった子どもたちが荒れる。そしてそのことを理由に、児童養護施設出身者に対する偏見と差別が増大する。
多くの子どもたちが、児童養護施設出身者であることを他人に知られることをとても恐れる。施設出身だということを知って、手を差し伸べてくれる人間より、傷つける人間のほうが多いことの証でもある。

そんななかで、いろいろ酷い目にも、苦しい目にもあったけれど、今は自立して生計をたて、著書まで出して名乗りをあげた佐々木さんの存在は、多くの児童養護施設出身者にとって、希望の光となるだろう。会合で挨拶された佐々木さんは、とても堂々として輝いて見えた。
この本を支えにして、今回も退寮生が施設を訴え、証言してくれるひとも見つかったという。
「自分が自分であるために」それは、児童養護施設の子どもたちだけでなく、また子どもたちだけでもなく、多くのひとたちへのメッセージでもあるだろう。

第一回公判は、5月28日(月)午前10時から八王子地裁で行われる。
これからの裁判の行方に注目したい。そして、児童養護施設のあり方にも。
現在も発せられている子どもたちのSOSの声にひとりでも多くのひとに耳を傾けてほしいと思う。
どんな環境に生まれようと、彼らがこの国の未来であることに変わりはない。その子どもたちを救えないような国に、明るい未来が拓けるはずもない。


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