わたしの雑記帳

2001/4/17 兵庫県尼崎市の小6男児による母親刺殺事件


2001年4月14日、兵庫県尼崎市で、男児(小6・11)が、母親(44)を刺殺するという痛ましい事件が起きた。男児は母親の病気治療のための通院の便利さと、姉の学区の問題で、同じ尼崎市内の小学校から、この4月に転校してきたのを、「前の学校の友だちと別れてつらく、悩んでいた」という。そして、供述によれば、「包丁で自殺をしようとして母親に激しく叱られ、腹が立って包丁を振り回した」「自殺しようとしたのを父親に知られて怒られるのが怖かった」という。男児の左手指には、ためらい傷があった。
男児は、3月まで通っていた小学校のすぐ近くの交番から、「お母さんを刺してしまった」と自分で電話をかけた。母親の死を知らず、「お母さんはどないになったんやろう」と心配していたという。

テレビのワイドショーでも大々的に取りあげられて、周辺の聞き込みにマスコミが押し寄せた。「5年生から煙草を吸っていた」「つねったり、たたいたり、乱暴をする」という児童の証言もあった。「新しい学校でうまく友だちができず、前の学校が恋しいと言っていた」という。母と息子の仲は、毎日のように買い物に連れだって行くなど、とても仲がよさそうだったという。

母親を刺したのが、はずみだったのか、故意だったのか、今の時点ではわからない。
刑法では14歳未満の少年には刑事責任は問えない。少年法で「触法少年」として、「要保護の状態にある」と児童相談所に移送された。
相談所の所長は「こんな痛ましい事案は初めてだ」とコメントしたという。

たしかに痛ましい事件ではあるが、12歳以下の児童が殺人事件(事故も含む)の加害者となるのは、そう例は多くないだろうが、いくつかある。
手持ちのデータの中から、それを拾ってみた。

●12歳以下の児童による殺人事件

日付 事件概要 加害者 被害者 動機 方法
1972/6/5 東京都中野区で、児童公園で遊んでいて幼児(2)に砂場で砂をかけられた男児(小5・10)が、カッとして幼児を裸にして殴り殺す 男児
(小5・10)
幼児
(2)
砂をかけられてカッとした 裸にして殴り殺す
1975/4/11 大阪府岸和田で、女児(3)2人が、他家に侵入しベビーベットで寝ていた生後17日の赤ちゃんを連れだし、ままごと遊びのお人形役にしていた。
階段などを引きずり下ろした際にできたと思われる後頭部陥没骨折、腹部に数カ所の内出血等のため病院で死亡。
顔面にすり傷、両膝に打ち身などの傷害も発見された
女児2人
(3)
赤ちゃん
(生後17日)
ままごと遊びのお人形役として連れ出して 階段などを引きずり下ろしてたため後頭部陥没骨折、内出血により死亡
1978/10/28 福島県いわき市で、男児(小6)が、同じ学校の男児(小1)にバカと言われたことに腹を立て、墓地の高台から突き落として殺害 男児
(小6)
男児
(小1)
悪口を言われて 高所から突き落とし殺害
1979/5/14 大阪市東淀川区で、男児(小6・11)が、小遣い欲しさから近所の菓子店の五味愛子さん(70)を絞殺。10万円を奪う 男児
(小6・11)
高齢女性
(70)
小遣い欲しさ 絞殺
1980/1/30 広島県で、男児(小6・12)が、父親が覚醒剤を使用して拘置所を行き来し、酒を飲んでは母親に暴力をふるうのを見かねて包丁で刺殺 男児
(小6・12)
父親 母親に暴力を振るうのを見かねて 包丁で
刺殺
1979/10/11 東京都上野で、女児(小4・10)が、年下の女児(小2)に、「運動会でお姉ちゃんの組はいつも負けている」と言われ腹を立て、両手をタオルで縛ったうえでマンションの屋上から突き落として殺害。テレビの真似をしたと自供 女児
(小4・10)
女児
(小2)
悪口を言われて 高所から突き落とし殺害
1979/10/27 岡山県倉敷市内のアパートの空き室の押入の中で、幼稚園の女児(6)がわいせつ行為をされたうえ絞殺される。
男児(小6・11)が、「女の子の裸が見たかった」「いたずらしたら、“お母ちゃんに言いつける”と言われて殺した」と自供。教護院送致
男児
(小6・11)
女児
(6)
いたずらしたのを言いつけると言われて 絞殺
1980/2/2 栃木県で、男児(小1・7)が女児(3)を棒で殴り、井戸に突き落として殺害。
「いたずらしようとして、女児をポンプ小屋に連れ込んだら、お母ちゃんに言いつけると言われた」と自供
男児
(小1・7)
女児
(3)
いたずらしたのを言いつけると言われて 井戸に突き落として殺害
1982/9/24 名古屋市の公園で、ゴルフ遊びをしていた児童(小4)が振ったクラブが当たり同級生(小4)が即死 児童
(小4)
児童
(小4)
事故 ゴルフクラブが当たる
1986/1/30 千葉見千葉市で、男児(小4)が、砂場でだんごづくりをじゃまされたことに腹をたてて男児(5)を金属製の遊具に顔を打ち付けるなどして死亡させる 男児
(小4)
男児
(5)
遊びをじゃまされて 遊具に顔などを打ち付けて殺害
1986/9/7 群馬県太田市で、女児(小4・10)が、女児(5)を川に投げ込んで死亡させる。
ふだんから悪口を言われ、こらしめてやろうと思ったと自供
女児
(小4・10)
女児
(5)
悪口を言われて 川に投げ込んで溺死させる



ここから読みとれるのは、幼児、児童でも、自分より相手が弱ければ、あるいは刃物など武器を持てば、人を殺せるということだ。小学校も高学年になれば、体格は大人並の子どももめずらしくない。
反面、内面的には非常に未熟だ。動機も、普通ならば単なるケンカで済んでしまうものが少なくない。

いくつか「いたずら目的」という動機がある。しかし、これさえも、大人の変質者のそれとはかなり違うものがあるだろう。
子どもというのは、幼稚園、小学校のうちから、意外に裸というものに興味を持つ。小さい子どもと銭湯や温泉などで一緒になると、男女にかかわらずとても興味深げに大人の裸体を眺めている。未就学児でも、大人の女性の胸に触りたがることがよくある。

児童心理の専門家ではないから、あくまでも想像の域を出ないが、低学年の場合、それは性的な興味というよりは、「個体の差」を認識できるようになって、単純な興味からではないかと思う。一方で、まだ母親の乳房の暖かさや抱きしめられる素肌の感触が恋しい時期でもあり、年齢的にはそれが許されない時期にきている。
大人たちは、いつまでも乳離れできない幼児に対して、「赤ちゃんみたいだ」「恥ずかしいよ」と言う。
未知のものへの興味と回顧の気持ちがありながら、「裸は恥ずかしいもの」「隠すべきもの」「勝手にのぞき見てはいけないもの」だということを学習する。

だから、自分より小さくて、意のままになる相手に対して、おどおどと罪悪感を感じながら、欲求を満たそうとする。その雰囲気に怯えた相手から騒がれて、なんとかしなければと思う。声を出せないように首を絞める、言いつけられないよう見つからない場所に隠す、結果が殺人になってしまった。
そう推理するのは、希望的すぎるだろうか。
ただし、男児の場合、個人差はかなりあるにしても、小学校の5、6年で、性的な興味や興奮に芽生えはじめるものなのかもしれない。その衝動を幼さゆえにストレートに出してしまう。

小学校の4年生頃から、徐々に、相手を殺害するという意思が芽生えてくるのかもしれない
ただし、それがどういうことなのかはわかっていない。
安易な「死」は、テレビ、マンガ、いたるところに転がっている。現実と非現実の区別がつかない子どもたちにとって、「死」は日常の一シーンでしかない。まして、テレビやマンガで死ぬのは、ヒーロー、ヒロインではなく、悪役だ。じゃまなやつは殺しても、みんな喜びこそすれ、悲しむことはない。

幼児の心を育てる「童話」よりも、できごとに対して無感情にさせるマンガやドラマ、バラエティのほうが氾濫しすぎている。
人を殺せば悲しむ人がいることを、殺されていく人間がどれだけ痛く、辛い思いをするかを学ぶ機会があまりに少ない。核家族化の中で、自分を可愛がってくれたおじいちゃんやおばあちゃんの死と遭遇することも少なくなっている。

年齢を経たとしても、それらを学ぶことがなければ、ある面で、児童の殺人も、少年たちの殺人も同じであるのかもしれない。
ただ、異なるのは、年を重ねるにつれ、自分の欲求だけははっきりと意識できるようになる。小遣い欲しさに殺人を犯した児童のように。欲しいものがはっきりしてきて、具体的にそれを手に入れる方法にまで知恵が回る。
また、自分自身が非力ゆえに、子どもたちは力関係には非常に敏感だ。自分を守るために強いものには逆らわず、弱いところに自分の欲求を押しつける。これは、大人たちの鏡でもあるのだけれど。

こうやって見るにつけ、やはり少年の、特に12歳未満の子どもたちの非行や事件は、やはりそれ以上の年齢の子どもたちの事件と同一に考えることはできないと、改めて思う。
自らがしでかしたことの意味が理解できるようになったときこそが一番の罰であり、幼い頃にこれだけの重たいものを背負って、果たして無事生き延びていけるのか、心配になる。

今回の事件の悲劇は、加害者の年齢が低いことにあわせて、自分の母親を殺害してしまったことだ。まして仲のよい親子だったとしたら、男児は一番の味方を自分の手で葬ってしまったことになる。
そして、家族との関係。家族は、被害者遺族であると同時に加害者の家族でもある。どちらか一方でも辛いのに同時に二つのものを背負っていかなければならない。
児童が自殺をはかって、結果的には、母親の死が児童の死を食い止めたことになったとしても、「死なないでいてくれてよかった」と心底思えるものか。場合によっては、互いが互いを傷つけあうことになる。
家族が誰よりも彼の重荷になる。
今一番、支えを必要としているのは、間違いなく男児だ。親でなくてもいい、彼を支えることのできる人間が、いることを祈る。




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