わたしの雑記帳

2001/1/12 「あかね色の空を見たよ」を観たよ


今日、娘と映画「あかね色の空を見たよ」を観に行ってきました。
以前、ある勉強会で、堂野博之さんが書かれた「あかね色の空を見たよ」(高文堂発行・1300円)を紹介していただき、本を買いました。小学校5年生から中学を卒業するまでの5年間不登校だった作者が、その苦しみ、悲しみ、やるせなさを詩と絵で表現し、解説をつけたものです。
映画では、不登校だった中学時代(回想シーンでは小学校も)から、親元を離れて一人暮らしをしながら昼間働き、定時制高校を卒業するまで。
一時は立ち直ったように見えても、ちょっとしたきっかけで再発する「不登校」の脆さと辛さ。それを周囲に助けられながらも、主人公の少年はひとつひとつ山を乗り越えていきます。原作では、その後、養護学校の用務員として働き、同じく不登校を経験した女性と結婚して娘が生まれ、「茜」と名付けるところまでが書かれています。

この本が原作になった映画があると聞いて、ぜひ観たいと思っていたのですが、自主上映の映画。せっかく誘っていただいた時には、都合がつかなくて・・・。また、いつかどこかで観る機会がないものかと待ち望んでいました。原作本も、ぜひ多くの人に読んでほしくて、同じように子どもの問題で悩んでいるお母さんに貸したり、友人間を回したりしていました。
そこへ去年の暮れ偶然、自宅近くに貼ってあった映画のポスターを見つけました。「想い」ってけっこう通じるものですね。とても楽しみに娘を連れて観に行きました。

映画はけっして派手ではなく、原作の持つイメージを大切にしたものでした。
けっして絵空事ではない生活のなかの実感から生まれた言葉のひとつひとつが胸に響きました。娘は不登校の経験はないけれど、この詩の気持ちがわかると言っていました。
映画に関しては、照れもあるのか、「青春ドラマ風で、ちょっとクサイ」とも。

今時は、この定時制高校の先生のような生徒の心に寄り添った熱心な先生の存在は、青春ドラマのような「きれいごと」に見えてしまうのでしょうか。それだけ日常で接する学校の先生たちは、あるいは生徒と教師との関係は醒めているということなのでしょうか。ちょっと寂しい気がします。
少なくとも私が子どもの頃には、青春ドラマの主人公のように熱い心を持った先生に何人も出会いました。今だって、そんな先生はきっといる、と思うのですが。

かつて不登校だったある青年は、この映画を観てトイレで吐いたといいます。
あの頃の自分の気持ちとあまりに合致していて、フラッシュバックが起きたというのです。今は、そうした子どもたちのケアに回っている彼が、すべてを克服したように見える彼でさえ、今だそれほどの心の傷を抱えているのです。「学校に行けない」ということは、多くの子どもたちにとって、深い心の傷なのです。

何度か不登校や引きこもりを繰り返した女性の話を聞いたことがあります。彼女の場合、最初のきっかけは学校でのいじめでした。不登校になったりしながらもなんとか学校を卒業して、自分でも克服したと思っていたのに、それが社会に出てからも、先輩からいじめられたり、職場の上司から注意をうけるなどの些細なことがきっかけで、みんながみんな自分を排除したがっているように感じてしまい、どうしてもそこに行けなくなってしまったと言っていました。そして、自分でもそれではいけないと思い、努力してまた外に出る、勤め始めるけれど、心のなかはまた同じ症状が出るのではないかという強い不安が常にあると言っていました。
その話を聞いたとき私は、まるで壊れたレコードのようだと思いました。一度刻まれた心の傷に針がひっかかると同じ音を何度でも繰り返してしまうレコードのようだと思いました。同じものをこの映画からも感じました。

原作の中で、「ああ、そうだったのか」と思ったことがひとつあります。
それ以上に私の気持ちを理解しようとせず、追いつめる時には、私は障子やふすまではなく、母を攻撃してしまいました。それは私にとって、暴力ではなく正当防衛だからです
親からみれば、端からすれば、単なる暴力にしか見えないことも、子どもにとっては、実際の暴力以上に自分を傷つけるものに対しての正当防衛だったのです。

そして、ドキリとした詩は、
おかあさん あなたの涙は なに涙
私の涙は いつもいつも くやし涙

親は、いつでも「子どものため、子どものため」と題目のように唱えるけれど、本当にそうかな。それだけかな。本当は案外、自分の世間体や見栄、そして自分の思い通りにならないことへの苛立ち、腹立ちだったりするんじゃないかなと、反省を込めて思いました。

娘が特に共感した詩は、
ぼくは思う 「死ね−ばばぁ」と言うと 「親に向かって何てことを言うの」と言われる
ぼくは思う 「あんたなんか生まにゃよかった」と言われると 子供に向かって何てこと言うの と 思う


そして、もうひとつ。
あなたのまえでは わらえない 笑った顔は みせられない

思春期の子どもの心。傷つきやすさと反抗心と自尊心。怒りと哀しみ。ごっちゃになって揺れ動く不安定な気持ち。まだまだべったりと親に甘えたい、庇護されたい気持ちと、親から離れたい、自立したい気持ち。相反するものが思春期の子どものなかでせめぎあっているのでしょう。
この詩と独特の絵を見ていると、そんな子どもたちの複雑な思いが具体的な形として目に見えてくる気がします。

そして、それは子どもたちにとっても同じではないでしょうか。
その時には、自分のなかに何が起きているのか、自分でさえもわからない。時を隔ててこそ、ようやく体験を整理することができるようになるです。この作者のように。
この本を読んで、今までわからなかった自分の気持ちがほんの少しでもわかるようになったら、それだけで少しは苦しさから解放されるのではないでしょうか。淡い期待を抱いています。
そういう意味で、子どもたちにも、ぜひ読んでほしい本です。(文も絵もとっても親しみやすくわかりやすいので、文字を読みたがらない今時の子どもたちにも抵抗感が少ないのではないかと思います。)

映画を見に行く道すがら、暮れゆく空の色の美しさについて娘と語りました。(けっして映画の題名を意識していたわけではなく、たまたまというか・・・。ふたりとも写真に興味があるので、よく会話にのぼります。)
「あかね色の空を見たよ」
あの空の美しさを、人生の美しさになぞらえることができるのなら、あの暖かみのある色を人生に重ねあわせることができるのなら、ちょっと感動的で素敵な人生だなと思います。

不登校の心の傷を抱える子どもたちに、いまだその傷を抱えて苦しむ人たちに、そうした若い人たちの気持ちがわからないと嘆く学校の先生に、そしてすべての親に、読んでほしい本であり、観てほしい映画です。

HOME 検 索 BACK わたしの雑記帳・新