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『ウォー・ダンス / 響け僕らの鼓動』
(原題:War Dance)



2007年/アメリカ/カラー/107分/英語・スワヒリ語

監督 : ショーン・ファイン&アンドレア・ニックス・ファイン
出演 : ドミニク(14歳)・・・木琴演奏者
     ローズ(13歳)・・・聖歌合唱団員
     ナンシー(14歳)・・・ダンサー


2007年サンダンス映画祭 ドキュメンタリー部門監督賞受賞
2007年第80回アカデミー賞 長編ドキュメンタリー部門ノミネート
2007年第20回東京国際映画祭ワールドシネマ部門上映作品
2008年第3回難民映画祭オープニング作品
青少年映画審議会推薦


2008年11月1日(土)より、東京都写真美術館にてロードショー
※休館日:11月4日、10日、17日、25日、28日 / 12月1日、8日
上映時間:各回定員入替制 10:30 / 13:00 / 15:30 / 18:30

アップリンクにて限定上映!
11月4日(火)・17日(火)・25日(火)、12月8日(火)
※上映時間は、アップリンクへお問い合わせください。
  〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル2F
  Tel:03-6821-6821


特別試写会にご招待!

■特別試写会に、10組20名様をご招待!
日 時:10月29日(水) 開場15:00/開映15:30
会 場:東京都写真美術館ホール(恵比寿ガーデンプレイス内)
http://www.syabi.com
応募締切:2008年10月24日(金)午前10:00

※当選の発表はプレゼントの発送をもってかえさせていただきます。
応募方法:下記用件を明記の上、件名を 【ウォーダンス試写会/PL】 とし、下記のアドレスまでお申し込みください。
@お名前A電話番号B住所C希望理由
<宛先>film@uplink.co.jp


トークイベントご案内
11月9日(日)
 東京都写真美術館にて、「社団法人アムネスティ・インターナショナル日本」 による「ウォー・ダンス」トークイベントを開催します。

15:30 映画
      映画終了後、18:10分までトーク
      下村靖樹(子ども兵士の写真を多く撮影)と
      アムネスティ事務局長 寺中 誠(予定)との対談



作品紹介

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、ベトナム戦争後の帰還兵による行動がが問題視され、社会問題となったとき、兵士の心の傷がトラウマを引き起こし、その後の人生に重大な悪影響を与えることで、初めて認知されたという。

 日本でもプラッサ創刊時の阪神淡路大地震で、PTSDとなった子どもたちも多くいるし、事件に巻き込まれた結果や、いじめが原因で同じ苦しみを持つ人たちも多い。いじめでPTSDとなった人の中には、いじめられている期間の記憶すら失っている人も多い。

 さまざまなカウンセリングや薬物療法はなされていても、心の傷が癒さない限りその傷みは消えることはないだろう。第三世界で心に傷を負った子どもたちは、そうした治療すらもうけることはできず、一生苦しみと向かい合っていかなければならない。『ウォー・ダンス/響け僕らの鼓動』の試写を観ながら、そのことを考えざるを得なかった。

 『ウォー・ダンス/響け僕らの鼓動』は、アフリカ東部の国、ウガンダ共和国北部の子どもたちを描いている。1962年にイギリスの植民地から独立したこの国も紛争が絶えず、1970年代にはアミン大統領による圧制が続いた。その後1980年代半ばには、北部地方で反政府武装勢力(LRA)によるゲリラ活動がつづいている。

 当初は北部で生活している人たちへの政府の弾圧への抵抗であったものが、徐々にその意識すら失ってゆく。武装勢力は北部の村々で略奪と誘拐をおこない、その勢力の維持に努める。

 誘拐された子どものうち、少年は残虐な行為を強制され、暴力的な兵士になる訓練をされる。少女は雑用係や、兵士からの性的虐待を受ける。武装勢力は政治的目的を失い、誘拐による勢力の維持が目的化されてきてしまっている。その結果、兵士の80%は子どもであり、5歳の少年兵すら含まれるという。
 誘拐された後に逃げ出してきた子どもや大人たち、そして北部の村の人たちは、政府軍が24時間警備する避難民キャンプに集められている。貧困、食糧不足、暴力からの恐怖。避難民キャンプで生活する人たちにとり、そこは安住の地では決してない。映画の舞台となるパトンゴ避難民キャンプでは6万人を超す人たちが生活している。

 そのような避難民キャンプの学校で、ある試みがおこなわれていた。『ウォー・ダンス/響け僕らの鼓動』はその試みを記録している。自分たちアチョリ族の伝統音楽と踊りを子どもたちに教え、「全国音楽大会」を目指しているのだ。

 冒頭、全国音楽大会に向けて、子どもたちを乗せたトラックが疾走する。子どもたちの表情は、大会出場への喜びと、初めての都会への期待、そしてそれぞれの持つ不安が交差している。しかしそのトラックには、警備の政府軍も同乗している。希望と暴力。トラックはそのどちらも載せて首都カンバラへと向かう。

 作品もまた、この冒頭のトラックと同様、子どもたちの辛い記憶と、コンクールに向けた取り組みが交互に映し出される。絶望と希望。暴力と夢。そのどちらもが隣り合わせに存在している。

 3人の子どもたちが語り始める。一人の少年と、二人の少女。

 少年は兄とともに武装勢力に誘拐され、兄の助けで逃げ出すことができた。けれど兄は行方不明となっている。作品の中ほどで、兄はすでに殺害されているだろうということを、少年が知る場面がある。ただ黙ってその事実を受け入れるしかない少年。

 少年はカメラを見据え語る。誘拐されたときの情景。兄が少年をかばってくれたこと。その兄がひどく殴りつけられていたこと。反政府軍の兵士に誘拐されていた期間、多くの「死」を見てきたという事実。けれど最後の言葉。「でも誘拐されていた時どんなことがあったかは、誰にも話したくない」。

 一人の少女は、両親を惨殺され、親の無残にも切りとられた遺体の首を目の当たりした。その記憶に苦しみ続けている。叔母に引き取られたが、扶養ではなく、働き手として引き取られている。子守り、炊事、洗濯。それらがすべて彼女に押しつけられる。全国音楽大会への参加も、働き手を短期間であっても失うことを理由に、叔母からは反対される。

 もう一人の少女は、父親が惨殺される。その直後には母親が武装組織に誘拐された。幼い妹や弟とともに逃げてきた少女は、そのことを語りながら頬に涙を伝わせる。貧しい食事をとりながら、妹もまた、カメラが向けられているにもかかわらず、あるいはカメラが向けられている状況であるからこそかもしれない、一粒の涙を伝わせていた。なんという淋しい食事だろうか。

 母親はその後、武装勢力から逃れることはできたが、生活のために子どもたちとの生活はできず、あちこちのキャンプで働いている。少女は、妹や弟たちを連れて隠れ、父親が惨殺される音を聞き、母親が連れ去られる現場を目撃している。それでも母親代わりとして、妹弟の面倒をみている。

 子どもたちは少しずつ、そうした記憶を語りだす。その子どもたちの表情を見つめながら、かつて自分も体験したことを思い出さざるをえなかった。

 ブラジルのNGOでそれまでの生活を語った少女。生きるために路上で男たちとの性行為をしなければならなかった現実。。盗みをすることでなんとか生き抜いてきた少年。あるいはメキシコで、望まない相手に強制的に性行為をされ、子どもを出産した少女。

 涙を流しながら、あるいはまったく表情を無くして、それらことを語る子どもたち。思わずその少女を抱きしめてしまった。それしかできなかった。「俺は君の父親ではない。しかし君を自分の娘のように思っている。君の傷みのほんの少しでも共有できたら。そう望んでいる」と。

 心に深い傷を持った子どもたちへの治療として、その消えない傷を第三者に語ることで、自分自身の辛い体験を客観視するという方法がある。ブラジルでも、メキシコでも、だからこそ旅人でしかないわたしたちに、NGOの人たちはそうした体験を語らせるのだろう。しかしそれは、話し手も、聞き手も、多くの苦痛を耐えながらということになる。

 聞き手は聞き流すこともできる。かわいそうと同情ですますこともできる。けれど話し手は、何度も、何度も、その辛い体験を追体験し続けることでもある。

 しかしこの作品は、そこに留まることはしない。そうした三人の子どもたちの傷みの間に、音楽全国大会への練習風景が映し出される。少年は語る。「俺はウガンダで一番木琴がうまいんだ」と。あるいは本当にうれしそうに踊り、歌う少女たち。

 多くのドキュメンタリー作品を作り出し、ユニットを組んでいる二人の監督は、傷みと喜びを、同時進行で映し出してゆく。それは絶望に負けてはならないという、二人の監督の意志なのだろう。

 だからこそ、かたくなに誘拐されていたときの体験を話そうとしなかった少年が、カメラに向かい、彼が武装勢力に何を強制され、何をおこなったかを語る。重く、語ることを拒んでいた体験を。撮影クルーとの信頼関係がそうさせたのだろう。それとともに、彼が木器を叩くことで、何かを吹っ切ろうと懸命に努力した結果でもある。

 子どもたちの記憶は、再現映像ではなく、イメージ映像で映し出される。ただ作りすぎの感もあった。同じドキュメンタリー映像でも、日本の女性ディレクターが製作した、ルワンダでツチ族とフツ族の激しい内戦を題材にした作品では、記憶を語る青年の表情だけをアップにしていた。その表情と、彼の言葉だけで、そうした異常な状況を表現している。

 記憶を語る子どもたちの表情で、わたしたちは子どもたちが味わわされた苦しみと傷みを、想像しなくてはならない。イメージ映像でそれを補わなくてはならないとしたら、それはわたしたちの想像力の貧困でしかない。そのわたしたち自身の貧困な想像力が、子どもたちをここまで追い詰めている。

 何度も繰り返し思い出す映像が会った。父親を惨殺された少女が、音楽全国大会の直前に、彼女たち兄弟が生活しているキャンプに戻ってきた母親と、父親が惨殺された場所に出かけて行く。途中の藪の中で、母親は武装勢力の兵士が潜んでいるかもしれないと怯える。けれど撮影クルーがいる以上、そうした危険を極力排除された状況で撮影されているはずだ。それでも、母親も少女も怯える。植えつけられた恐怖。

 そのことがわかっていても、少女と母親の恐怖は伝わる。そして父親が惨殺された場所には、土の上にコンクリートの十字架が置かれている。その十字架を見て少女は号泣する。とどまることなく号泣し続ける。

 どれほど我慢してきたことか。どれほど健気に父親の虐殺に耐え、妹弟の世話をしてきたことか。それが一気に切れる。頬をつたう涙ではない。その場に崩れ落ちる涙だ。

 たぶんユニットを組んでいる監督も、そうした情景を予想していたかもしれない。けれどそうしたものを超え、どのようにも抑えることのできない哀しみが、そこにはあった。

 少女も母親も、カメラで映されていることを忘れ、その癒すことのできない苦しみを、ありのままの姿で訴えかけてくる。

 コンクールでは子どもたちは、北部出身で武装勢力との抗争地帯であり、避難民キャンプの中の学校であることで、他の地域の子どもたちから差別を受けたりもする。けれど自分たちアチョリ族の伝統である音楽と踊りを、誇りを持って演奏し、演技する。

 武装勢力に誘拐された後に逃げてきても、再び誘拐されないよう収容キャンプで生活せざるをえない子どもたちにとり、カウンセリングや薬物療法ではなく、こうした誇りを持って自分たちアチョリ族の伝統を演じることこそが、PTSDの最良の治療でもあるのかもしれない。自身のアイデンティティを取り戻すことができたのだ。

 コンクールを終えて、キャンプに戻ってくる子どもたちの表情は、あの記憶を語る暗さは微塵もない。明るい。それが希望なのだ。

 劇場に足を運んでほしい。あの三人の子どもたち、そして映像では取り上げることのできなかった、多くの子どもたちと出逢ってほしい。絶望に打ち勝とうとする希望を、見つめてほしい。



『ウォー・ダンス / 響け僕らの鼓動』公式サイトへ



世界子ども通信「プラッサ」
praca@jca.apc.org