『ミリキタニの猫』


 『ミリキタニの猫』の冒頭場面で、日本の野宿者を描いた『あしがらさん』というドキュメンタリー映画を思い出した。都会の路上で、服を何枚も重ね着し、背中を曲げながら佇んでいる二人の姿に違いはなかった。映像作家と知り合い、そのことから路上生活から屋根のある生活へと戻ることができる。そうした時間の流れも、とても似ていた。

 しかしミリキタニさんと、あしがらさんには明らかな違いがある。ニューヨークの路上と、新宿の路上という違いではない。二人ともそれぞれの過去を背負って路上生活をすることとなったのだろう。しかしあしがらさんの過去は見えぬままで終わっている。ミリキタニさんは、その過去をとおして現在の状況を私たちに問いかけてくる。

 若い女性監督リンダ・ハッテンドーフさんが、ニューヨークで路上生活(ホームレス)をしながら、絵を描くことだけが唯一の自己証明となっているミリキタニ氏を見つめ続ける。監督の目線をとおしてミリキタニ氏の想いを浮かびださせる。彼がなぜ路上生活者となったのか。時間の流れの中でそのことが明かされえてゆく。

 日本軍による真珠湾攻撃ののち、米国生まれでありながら日系人ということでツールレークのの収容所へと送られる。日本の敗戦後も忠誠度テストで「敵性」とみなされ、そのまま強制収容され、市民権すら放棄させられる。収容所から解放されたのち、彼は芸術活動をおこなうためニューヨークへとたどり着く。そして1980年代後半には、彼の生活の場となった路上で、生きるために絵を売るようになっていた。

 なぜ彼は、絵を描き続けていたのか。それが生きるための糧となっていたとしても、彼にとっては、描くことが彼自身のアイデンティティとなっている。彼の作品の中から、国家がおこなう暴力が透けて見える。ツールレークの収容所で、「お兄ちゃん、猫の絵を描いてよ」とせがんだ少年。その少年は収容所からでることなく亡くなっている。

 「日系二世である自分は、日本画と、西洋画を融合させた作品を描こう」。そうした想いは収容所で砕かれる。収容所であるからこそ見ざるをえなかった「けしき」。路上から見つめる日常という名の「けしき」。彼の作品は、彼自身の存在証明だけではなく、痛烈な怒りの叫びでもある。

 ミリキタニ氏が、眼前で崩れ落ちてゆくニューヨークのツインタワーを描く。その作品は、広島の原爆で親族を失い、その地獄のような情景を描いた彼の作品とあまりにも酷似している。その後の米国人によるアラブ系の人たちへの憎しみと差別。「あの時と同じだ」と、彼はテレビニュースを見ながら呟く。「あのときの日系人へと同じ差別だ」と。何度も何度も、国家は同じ過ちを繰り返し続けている。彼は路上からそのことを見つめ続けてきた。

 ドキュメンタリー映画に「終わり」はない。撮影を終えたのちも、映し出された人々は生き、そしてそしてその想いをもち続ける。それは制作者も同じだろう。最終章を描くのは私たちでしかない。『ひめゆり』でも共通しているが、そのどちらもが訴えかけている『共通』した強い想いを、私たちどう具現化してゆくのだろうか。

 それは私たちが答えねばならぬ『問い』だ。どのように最終章を描きだすのか。


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世界子ども通信「プラッサ」
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