ロシア子ども新聞
   ГЛАГОЛ(グラゴール)

大人から独立した新聞
真利は子どもが叫ぶ!

翻訳:大島 武行



 モスクワのスーパーマーケットには、ゲームセンターがあるんだけど、16歳までやっちゃいけないことになってる。でも子どもたちはちゃんと遊んでいます。「あなたは、億万長者になれるかも」なんて宣伝してるけど、それはウソです。

 (1993.1)


 地下鉄ベルロシア駅近くの文化会館で毎週土曜日、アメリカ人のキリスト宣教師がキリストについてのお説教会を開きます。その催しは、まるでお祭りのように楽しいです。なぜなら、講演のあとで映画が観られるし、ダンスも出来るからです。

 (1993.1)


 父親は、9歳の息子とビジネスの契約を結びました。父親は息子の成績が良いとお金を支払い、成績が悪いと息子からお金をぶん取ります。将来、その息子が大人になったら、きっと父親が家庭の仕事を手伝うと、お金を支払うようになるだろう。

 (1993.1)


 劇場の入場券は60ルーブル。教科書3冊160ルーブル。ジャージは650ルーブル。Tシャツは450ルーブル。代数学、幾何学の宿題の書き写しは25ルーブル。化学の書き写しは20ルーブル。

 (1993.1)


 2年前、おばあちゃんは、誕生日のプレゼントに私に25ルーブルくれました。今年は、おばあちゃんから250ルーブルもらいました。インフレですから。

 (1993.1)


 モスクワNO.652学校では、たばこを吸うと100ルーブルの罰金を払わせます。その罰金のお金は成績の良い生徒に支払われています。よく勉強するものは儲かっています。たばこは健康に悪いだけではなく、小遣いのためにも危ないです。

 (1993.2)


 モスクワの学校のトイレは、とっても汚くて、戸がなくて、電灯がなくて、いまでは喫煙室とお金の両替所となりました。

 (1993.2)


 月曜日にロシア語の先生が20分遅れて、とっても怒って教室に入ってきました。ある生徒が隣の人とおしゃべりをしているのを見つけた先生は、怒りまくってとっても悪い言葉でたくさんまくし立てました。10分後、わたしたちは「わたしの大事なモスクワ」と「素晴らしいロシア語」というテーマで作文を書かされました。

 (1993.2)


 議会は、共産党を禁止しましたが、元の共産党員たちが赤旗を掲げて、その議会を守るために行くのはおかしいです。悲劇は喜劇となりました。

 (1993.9)


 10月クーデター事件後、授業の時に教師たちは、エリツィン、ルツコイ、ハズブラートに対し、自分の政治的立場にたった評価をしたので、生徒たちもエリツィンとルツコイの支持者に分かれてしまいました。

 (1993.10)


 モスクワNO.325学校では、高校生が「きれいな靴クラブ」をつくりました。クラブ会員は、必ず靴クリームと靴ブラシを持たなければなりません。よく、授業中に靴にブラシをかけることがあります。

 (1994.4)


 15歳のアルメニアの少年は、列車のレストランで給仕として働きはじめました。アルメニアの経済混乱のために、勉強するより働いたほうが得だからです。朝10時から夜中の11時まで働いて、賃金は、月に12000ルーブルです。私たちは、彼の子ども時代の幸せのために感謝すべきなのでしょうか。

 パウエルという15歳の少年は、地下鉄パルククルトーレで自分の作ったピロシキを売って月に5000ルーブル儲けます。ピロシキの材料分を除いて両親に渡します。外は寒くて疲れるけど、お金が必要だから仕方がない、といいます。

 ある若いビジネスマンは、ガソリンスタンドで行列している忙しい運転手に2〜3倍の値段でガソリンを売っています。利益は一儲け、12000ルーブルになるそうです。

 (1993.3)


 私たちは永遠のピオネール(旧ソ連時代の少年の組織員)です。10歳になったときコムソモール(共産主義青年同盟)がなくなったからです。私たちは、ペレストロイカの時代に文部省の実験の犠牲者となりました。

 ある学校では、授業のプログラムが非常に変わって有料になり、お金がかかるようになりました。また、10年間の授業のシステムから11年間のシステムへ移行されて、私たちの苦しみは1年間延長されました。

 このシステムの必要性が分かりません。私たちの小さい頃に、両親や教師たちは自分の見解を持ちはじめて、自分の価値観を私たちに納得させるために努力していますが、私たちは今の授業がよく理解できません。

 大人たちは、それまでの一般教育制度の破壊の時期に政治にたわむれて、私たちを忘れてしまいました。ですから、私たちは楽しい子どもの生活を送ることができず、大人の生活に入っていくことになります。

 学校の改革と経済混乱の結果として、いろいろな課題が山ほどありますが、自分自身の力で生きていかなくてはならないということがよく分かりました。

 (1994.5)





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