のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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ソフトボール大会

 名古屋の「笹島団結ソフトボール大会」
                                  川村直子

 のじれんでは、他地域の仲間・団体とも連帯していく事に力を注いでいることは、みなさんよくご存知かと思います。
そのうち、99?2000年の「越年東西人材交流」以降、名古屋の「野宿労働者の人権を守る会」とは、「野宿者全国行脚」「ホームレス東アジア交流」等を通じて、深い連帯のうちに活動をしてきました。いずれも、仲間同志が地域を越えて、顔の見える関係をつくってきたというところが、これまでの一番の成果と言えるでしょう。
 さて、この様々な連帯した活動のうち、恒例行事となってきたものが「笹島団結ソフトボール大会」への参加です。
 このソフトボール大会は、もともと95年春より、野宿労働者の人権を守る会の仲間たちが、名古屋において、仲間たちが楽しみながら集まり、団結を強めていく機会として行なっているものです。春・秋に一回ずつ年二回行ない、今春で13回目を数えました。大会をはじめた当初は、支援者が何かと気をまわして行っていたことも、回を重ねる毎に、チーム作り、ルール決め、試合の進行、審判等試合の取りしきりやグランド整備はもちろんのこと、昼食の準備・配膳・片付けなども全てが仲間たちの手によって行なわれるようになり、「仲間による、仲間のための」大会となっています。試合をする仲間は仲間同志チームを組んでたたかうことで団結し、試合に参加しない仲間も、のんびりと観戦して試合を盛り上げたり、昼食準備のために料理の腕をふるったりし

(写真A)
昼食のごはんが炊けた





ながら、仲間同志交流し、大変楽しい一日を過ごします。苦しい野宿生活の中での一服の清涼剤となり、新たな出会いと交流が広がり、そして生き抜いていく力の源となるような、そんな大会で、名古屋の仲間たちも、いつも心待ちにしている恒例行事です。
 のじれんの仲間は、2000年春の大会から参加しはじめ、今回は3回目の参加でした。参加するたびに、新たな仲間同志の関係が生まれている実感があります。最近では「のじれん専用グランドを作って東京でも大会をやろう!」「将来は野宿者全国リーグを作ろう!」という夢を語る仲間まで現われています。
 ともあれ、このような関係性が、必ずや新たな状況を切り開いていく仲間たち自身の力に繋がっている/いくことは間違いないことと思います。
 それでは、今回参加した仲間のくまさんの、臨場感あふれるレポートを聞いてみましょう。

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名古屋のソフトボール大会に参加して
5月3日(木)、晴天の中行なわれた、第13回名古屋「笹島団結」ソフトボール大会に、私たち渋谷の仲間も参加してきました。私たちは、前日の夜、10時頃車で渋谷を出発し、夜中の4時頃に名古屋に着きました。前日から降り続いていた雨が心配でしたが、当日は雨もあがり、五月晴れの中、大会が開催されました。前日の雨でグランドコンディションはあまりよくなかったのですが、みんなで砂をまいたり、スポンジで水分を取ったりしました。


(写真B)
試合前、コップでグランドにたまった水をくみ、整備をする。



そして、大会実行委員長(名古屋の仲間)による開会宣言で大会が始まりました。今大会に参加したのは、名古屋の仲間、大阪の仲間、そして私たち渋谷の仲間。名古屋は2チームの出場だったので、計4チームの総当たり方式で行ないました。
 私たち「渋谷バリンビーンズ」は第一試合で、名古屋の「デコボコチーム」と対戦しました。前半はリードを許したりしましたが、後半には、みんな長打の連続で、まずは1勝しました。第二試合も名古屋の「アオカンチーム」と対戦をしました。このチームは、前回の優勝チームで、やはりと言うか、さすがと言う感じでした。しかし私たちも、一歩も引かずに最後の最後まで食らいついていきました。両チームともに、力のある限りたたかいました。結果は、私たち「渋谷バリンビーンズ」が勝ち、2勝目、優勝に大手をかけました。次は大阪との最後の試合。


(写真C)
打てー!!






その前に昼食、メニューはカレーでした。試合に参加している仲間、観戦している仲間全員で食べました。おかわりがなかったのが、私的には残念でした。
昼食も終わり、前の一試合での疲れを取り、最後の大阪との対決で勝つだけのはずが、なんと名古屋の方で、昼食後に来た仲間たちによって新たに一チームが作られ、計5チームになってしまいました。名古屋の監督が、渋谷に優勝をさせまいとして(笑う)、作ったチームだと言っていました。しかし私たちは、どのようなチームが出てこようが、全力でたたかい、そして勝つことだけを目指して試合をしました。このチームがかなり強く、前半だけで11点も取られてしまいました。私たちはあきらめません。勝負はこれからと、もう一度、意気込みを入れました。その後は、相手に点をゆるさず、私たちの反撃だけが目立ちました。最終回をたたかう時の点差は3点、必ず逆転出来るはずでした。そして私たちが1点を取り2点差に、また1点を取り1点差に、2アウト1塁2塁、ランナーがホームにかえれば同点、そして逆転となるはずでした。しかし健闘むなしく11対10で負けてしまいました。これで2勝1敗。でもまだまだ優勝のチャンスはある。次の大阪に勝てば何とかなる。負けてしまえば優勝はない。




(写真D)
試合終了。お疲れさまでした。


いよいよ大阪との対戦、かなり疲れていましたが、残っている力を全部出しきるつもりでやりました。1回、2回と両チーム共に無得点、この1試合は時間都合により3回まで(※ここまでは5回でやっていた)となっており、残す回は最終回のみ。3回表の大阪の攻撃。1人2人とホームを踏み、2点目、そして最後に1点追加、トータル3点を取り攻撃終了。3回ウラ、渋谷の攻撃、3点を背負いながらの攻撃、しかしあっという間に3点を取り同点。しかもまだ1アウト、ランナー1塁2塁。セカンドランナーが帰れば、サヨナラ勝ち。バッターが打った、打球はライト方向へのフライ。ライトが球を取れず、セカンドランナーがホームイン、夢にえがいたような逆転サヨナラ勝ち。私たちは、全員で喜び合いました。これで全ての対戦が終わり、私たち渋谷バリンビーンは、3勝1敗でした。名古屋のアオカンチームも3勝1敗で、優勝の行方は得点差での勝負となりました。
閉会式がはじまり、5位のチームからの表彰で、4位、3位とチーム名が呼ばれていきました。残すは2位と1位のみ。そして実行委員の人から「第二位は」緊張の一瞬でした。「渋谷バリンビーン」と名前を呼ばれた時は、残念でした。優勝を目指して練習してきたのに、と思いましたが、渋谷から参加した仲間全員が、力のある限り、全力でたたかったので、私はすばらしい準優勝だと思いました。


(写真E)
表彰式。惜しくも優勝を逃し、第二位でした。




また、全国の仲間と、スポーツを通じて交流出来たことが、私はうれしく思いました。春の大会では2位でしたが、秋の大会では、なんとしてでも、優勝カップを渋谷に持ちかえりたいです。これからも、いろいろな交流などに参加して、全国の仲間とともにたたかい抜き、よりいっそうの団結の輪を大きくしていきたいです。ソフトポール大会に参加できたことを、うれしく思います。あまりはりきりすぎて足をケガしてしまいましたけど。
あっ、書き忘れましたけど、優勝は、名古屋のアオカンチームでした。
(↑非常にくやしい)以上、渋谷のクマさんでした。



(写真F)
終了後、みんなで記念撮影。




 


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