のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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農業研修7名

             愛知県農家に


 この間なかなか報告する機会がなかったが、九九年五月に最初の野宿者が山梨県明野村の農家への移住を果たして以降、のじれんは農業研修を望む野宿者と農家を結ぶ作業を続けてきた。農家の側にかなりの理解と経済的余裕がなければできないという現在のスタイルには、様々に改善の余地があるけれども、それでも昨年五月に新たに愛知県の農家の方が仲間の受入を承諾してくれ、七月と今年二月にも新たな希望者がそれぞれ三名、四名ずつ移住した。
 まだまだ「本格化」したとは言えないが、この件に関して、野宿者運動関係のメーリングリストに流した報告をここに再録する。

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最近の「のじれん」の活動から、農業研修の件につき簡単なご報告をさせていただきます。

のじれんは、1999年から様々な背景から路上へと立ち至った仲間たちが、支え合わなければ生きていけない路上において作り上げてきた繋がりを基盤に(それは渋谷区内にある東京都児童会館の正面玄関前を仲間の集団野営の場所としてかちとったことにより、目に見えるものとなりました)、「仲間の共同性と仕事」を両立させる様々な取組みに着手してきました。それは、仕事に就くことで世間に認められたい、でも厳しい条件下でコキ使われるよりは実際には仲間とともにいることを選ぶ、という一部の仲間の選択を直視するところから生まれた発想だったと思います。

「一般就職」を果たした仲間が就労することで仲間と切り離されることがないようアパートの一室を借り上げて共同生活を行う試み、定期的にアルバイト仕事に通う仲間が野宿しながらもある程度安定した生活ができ、次のステップを準備できるように用意したテント群、市民団体の事務所の手伝い、援農、集会への弁当販売、フリーマーケットへの出店、オリジナルTシャツの製作・販売など、様々な試みがなされ、いくつかは失敗し、いくつかは今も続いています(もちろん、自立支援センターの早期開設を求める全都実枠組での活動への積極的参加や、就労相談の毎週の定例化など、一般就労―路上脱却を目指す仲間の支援にも取組んできました)。

そうした中、援農作業の中から篤農家に認められた仲間が99年5月に山梨の農家に移住するということがあり、折に触れ山梨を訪れるようになりました。その後も、夏季野菜収穫期に3人で2ヶ月の共同生活を送りながらアルバイトをするなどしていたところ、去年の5月に新たに愛知県の篤農家が受入の意思を示してくれ、5月に1人、7月に3人の仲間が農業研修のため移住しました。そして先月上旬にその篤農家が渋谷まで来て、炊出しのときに仲間に受入の意思を示すということがあり、14日には新たに4人の仲間が移住しました。

最初に山梨に入った仲間、最初に愛知に入った仲間はそれぞれそこを出るなど道程は平坦ではありませんが、現在受入農家が目を見張るような上達を示して農作業の班長になっている仲間は、そこで身につけた技術で休耕田などを利用して農場を作り、新たに路上の仲間を受入る受け皿を作るんだと言って張り切ってやっています。

定住化が進む中でも路上は多くの仲間にとって「通過点」と意識されており、その意味ではそこで切り結ばれる関係はかりそめのものかもしれません。しかし他方で、就労したり生活保護をとったりしても仲間の元へ舞い戻り、そこで実際生き生きしている仲間がいることも事実です。

「路上のコミュニティー」に幻想を抱く必要もないが、行政の言う「自立した生活」がバラ色でもないことが明かな以上、今後もこうした活動は、全てではなくとも一部の仲間の確実な要望であり続けるでしょう。

しかし、弁当販売にしろ、フリーマーケットでの衣類販売にしろ、農家との関係作りにしろ、小人数で日常活動を切り盛りしている一団体の対応できる範囲はたかが知れています。先日も愛知県の篤農家のことをラジオ放送で知った福島県の農家の方から受入を検討したい旨の連絡がありましたが、丁寧に対応していく人的・金銭的余裕もなかなかないような始末です。すべての仲間の処遇をひとしなみに一変させるための行政要求を厳しく突き出していく一方で、「対策」「施策」の枠組をあえてはみだしていくようなところでもユニークな実践を展開している様々な諸団体との連携を作っていければ、と思う次第です。

とりとめがなくなりましたが、以上です。(湯浅誠)



(CopyRight) 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
(のじれんメールアドレス: nojiren@jca.apc.org