1.自分自身のことについて

もくじ
ぼくが目指す政治〜フツーの政治へ
プロフィール

ぼくが目指す政治〜フツーの政治へ

違和感

9年前、36歳で始めて亀田町議会に行ったとき、ぼくはそこに、とてつもない違和感を感じた。それまでネクタイを常時つける習慣がなかったが、議員になるやいなや、ソレをつけろという。仲間の議員からさえも諭され着用することとなる。本会議場での形式的な、いかにも演説調といった「質問」にもウンザリだった。議員は執行部に質問しかできないのだという。40歳で県議になったとき、行政の人がぼくのことを「先生」「先生」と呼ぶ。チョー違和感を感じた。いま落選し、鉄工所でアルバイトをしながら浪人生活を送っているが、先輩のオバサンに「ほら、サボって、タバコなんかばっか吸ってねえで」なんて言われていると、あの「先生」「先生」という響きが格別の違和感として甦ってくる。

フツーではない政治

「公共事業4割、福祉、環境で7%」県議会で見た、最初の予算だ。これほど、福祉や環境の問題がいわれている時代なのにどうしてこんなに少ないのだろう?しかも、この予算割合はもう何十年もまったく変わっていない?!これは国の予算のあり方に問題があるからだ。「公共事業50兆円、社会保障20兆円」これが、いまの国家予算の枠組みだが、欧米諸国はこの割合がとうの昔に逆転している。ため息が出るようなヨーロパ諸国の福祉、社会保障、教育などの水準の高さが日々紹介されているが、この予算の枠組み転換を図ることなしに、ぼくたちが目指す社会の実現はありえない。どの議員も選挙の時は、福祉の充実!と訴えるが、こうして出てくる予算に異議を唱える議員は稀である。みんな公共事業には賛成なのだ。地元にお金が落ちるから。そして何より選挙でお世話になっている土建屋さんのためにも。バブル崩壊以降、数次に亘って景気対策と称して借金によって公共事業がバラまかれ、国も地方も台所は火の車だ。お上が考えている解決策は、超インフレと、消費税10%への道である。が、本当にそれでいいのか?
公共事業に無批判な議員達は民主主義に対してもいいかげんである。官官接待に始まる県の不正経理問題を今日のように糾明し、改善を図らせた原動力は、市民オンブズマンの努力とその力だが、その彼らが、糾明の途中、県議会に独自な調査を要請した。予算の適正執行のチェックは議会任務の最大課題であるが、議会は自らの手で、これを退けた。議会は死んでいるのである。

地殻変動

95年、最初の県議選をたたかっている最中、お隣の巻町では原発建設をめぐって町有地売却問題の自主管理住民投票、売却のための議会流会、議会議員選挙へという形でドラマのような展開をみせていた。時代は変わる!沸き起こる興奮の中で、自分自身が励まされながら選挙を迎えたことを思い出す。巻町住民投票のインパクトは沖縄の米軍基地撤去県民投票、岐阜県御嵩町の産廃、神戸新空港建設、名護市の海上ヘリポート等々と全国に波及し続けた。そして今年1月、吉野川の可動堰建設の是非を問う徳島市の住民投票では、その成功により建設省の事業に王手をかけた。 また、環境破壊でムダな公共事業を問う市民の運動は、長良川河口堰、諌早湾干拓、河辺川ダム、愛知万博等々と全国的な注目をあつめ、全国いたるところで今も展開されている。一方、沖縄太田知事の米軍基地使用継続拒否に始まり、高知県橋本知事の港湾管理にあたっての非核神戸方式採用をめぐる国との攻防、自民・自由による土建連合に圧勝した宮城県浅野知事の宮城の乱、そして東京都石原都知事の外形標準課税をめぐる国との攻防、さらに巻町と波長を共鳴しあったに違いない三重県北川知事の芦浜原発白紙撤回などなど、自治体の自立した、新しい動きが広がっている。
80年代に入って様々の市民運動が登場してきた。反原発、反核・平和、女性、途上国支援、自然保護、ゴミ・リサイクル・産廃、障害者、福祉ボランティア、まちづくり、むら起こし、オンブズマン、外国人支援、安全な食べ物、生活協同組合、産直、森林ボランティア、フリースクール、などなど。社会の歪みから生み出される多種多様な諸問題に対し、生活者の立場から、当事者意識をもち、立ち上がり続けている。これらの市民運動はときに議会を動かし、ときに自分たちの仲間を議会に送り込んだりしながら、静かなる地殻変動を準備している。キーワードは「市民・住民運動」と「自立する自治体」だ。新しい政治が確実に動き出していることを、ぼくは実感している。

ぼくたちの世代

民主主義を学校で当たり前のように学んできたぼくたちも、はや45歳だ。学校では当たり前のように学んできた民主主義であったが、社会や政治という現場における使い勝手は、いまだよちよち歩きもいいとこだ。ぼくの議会や政治に対する違和感も、世代的なものに違いない。ぼくの感覚がオカシイのではなく、議会や政治の方が古臭さすぎるのだ。だからぼくは、ぼくの「フツー」で政治に関わっていきたい。
緑の党との交流を求めてドイツのハノーファー市を訪問した。驚いたのは市議会の経済委員会の審議中だというのに日本から見学者が来たというのでぼくたちを紹介するという。日本ではあり得ないことだ。議場は円形で執行部席がどこかわからない。つまり、議員同士が議論し、議員が物事を決めているのだ。女性が半数、子供も連れてきている。ネクタイ派は少数でほとんどがカジュアル、ジーパンも当然。報酬は費用弁償だけでボランティア感覚だ。政治を遠のけてきたのは、実はぼくたち自身なのかもしれない。自分たちに関わる問題を自分たちで議論し、解決していくという「フツーの政治」と、権威主義、官僚主義、利権政治、おまかせ主義という「古い政治」がせめぎ合っている。ぼくたちの世代が、ぼくたちの政治と社会を創っていかなければならない。
(200.2.25記)

プロフィール

1954年(s29年)中魚沼郡中里村で、床屋の長男として生まれる。
1973年 県立十日町高校卒業。法政大学社会学部社会学科に入学。高揚期を過ぎた「冬の時代」の学生運動に参加。
1979年 自治労新潟県本部の書記に。社会党に入党。労働運動の一方、反戦平和等の市民運動に参加。
1991年 亀田町町議に当選。
1992年 自治労新潟県本部を離職。
1994年 社会党を離党し、県内の市民運動・住民運動をになってきた人々と「市民新党にいがた」を結成。
1995年 県議選に挑戦し、当選。
1999年 県議選で落選。
現在 鉄工所でアルバイトをしながら次期県議選(2003年4月)での復活をめざし活動中。
家族 つれあい、二人の娘、母の五人暮らし。
■現在、主に関わっている政治・市民運動
市民新党にいがた
虹と緑の500人リスト運動
警察オンブズパーソンにいがた
清津川ダムを考える会
越冬友の会(ホームレス支援)
住所  〒950-0145新潟県中蒲原郡亀田町早通2000-47
TEL/FAX 025-382-6483
事務所 〒950-0145新潟県中蒲原郡亀田町早通1890-20
      TEL/FAX 025-381-9306
Eメール sadahiko@mvd.biglobe.ne.jp
ホームページ http://www.jca.apc.org/nnpp/takeda.html


武田貞彦のホームページに戻る


市民新党にいがたホームページへ戻る