ノーモア南京 2000年東京集会


 2000年12月10日(日)、星陵会館において、南京大虐殺の証言および報告を聞く集会が開催されました。1997年から続けて4回目、20世紀の最後となる集会となり、終了後には虎ノ門を経て銀座まで、犠牲者を追悼するデモ行進を行いました。集会の報告集の作成を、当会の第4回総会を目標に準備しておりますが、以下に概略を紹介します(編集委員)。

1.ビデオによるメッセージ

 日本軍による南京占領時、日本軍の残虐行為から南京市民を護るために国際安全区を設立し、多くの中国人難民の保護に尽くしたアメリカ人宣教師ジョン・G・マギーおよびW・P・ミルズのそれぞれ長男デビッド・マギー氏および長女ハリエット・ミルズ女史のビデオテープによるメッセージが寄せられました。当日は時間の都合によりミルズ女史の分だけ上映しましたが、「報告集」にはお二人のメッセージの日本語訳が掲載されます。

2.南京大虐殺の証言

(1)楊明貞さん(69才)の証言

 楊さんは1998年12月に開催された「南京レイプを明らかにする東京集会」や大阪他各地の集会で証言していただいており、今回が2度目の来日となりました。前回は本名を伏せ、カーテンを隔ててのインタビューでしたが、今回はお顔を見せて話してくださいました。当時7才の少女だった楊さんは、南京城内の家で日本兵によって強姦され、未だに癒えない傷を身体に負いました。彼女を守ろうとした父親は銃剣で刺され間もなく死亡しました。母親も日本兵に襲われ強姦されそうになり、重なる不幸のショックのために病気になり間もなく死亡しました。楊さんは逃げまどい身を寄せる先々で何人もの女性が日本兵に強姦・輪姦される現場を目撃しました。孤児となった楊さんは12才まで、乞食をしながら生きなければなりませんでした。これらの辛い体験を思い起こし、時々嗚咽しながらも楊さんはしっかりと語ってくださいました。楊さんは、60年間自分の内に押さえてきた体験を日本人に知ってもらわねばならないという使命感からで証言を申し出たと動機を語りました。日本政府は謝罪と補償をする責任があることを訴え、証言を聴いてくれた参加者へ感謝すると言って証言を終えました。

(2)彭善栄さん(78才)の証言

 彭さんは日本軍占領前に妻と子供を国際安全区に移し、自分は自宅に残っていたところ中国兵を捜索しながら若い女性を求めて押し込んできた日本兵に銃剣で刺され負傷しました。彭さんは、敗残兵と疑われて虐殺されるグループに入ることは免れましたが、強制的に連行され苦力として働かされました。逃げられなかった女性が何人も強姦される現場や、強姦後に殺害され下半身が裸の死体を数多く目撃しました。また虐殺された一般市民の死体を何度も目撃しました。金陵女子大学に避難していた彭さんの妻は、夫の安否を気遣って家に戻ったところを日本兵に襲われ、あやうく強姦されそうになり、そのショックで床につき病気が悪化して死亡したことを涙ながらに語りました。

(3)篠塚良雄さん(中帰連会員)の証言

 篠塚さんは731部隊に配属され細菌戦に関係した業務に従事し、敗戦後その罪により撫順戦犯管理所に収容され、そこで中国人による教育により人間性を取り戻した経歴を語りました。そして犠牲となった中国人やその家族の人々に対して心から謝罪すると前置きして、自分の関係した戦争犯罪の事実を語ってくれました。平房の731部隊での篠塚さんの業務は、ペスト、コレラ、チフスなどの細菌の製造と、それらの効果を確認するための実験、および実戦で使用するための前線への輸送などでした。ノモンハンや寧波で実戦に使用された細菌の製造、輸送に直接自分が関与したことを詳しく具体的に語りました。ノモンハンでは多くの日本兵が罹患して死亡したにもかかわらず戦果を認められて勲章を授かり、その時の割り切れない複雑な気持ちを率直に述べました。また、1942年から翌年にかけて、製造した細菌の効力を確認するための残酷な生体実験によって5人の中国人を殺害したことを認めました。


3.研究者の報告

(1)山下静男さん(仮名、公立中学校教師)

 山下さんは、憲法を遵守し再び戦争を起こさないために、中学校の歴史の授業で近現代史を教えることの大切さを繰り返し強調しました。日本の社会では、侵略戦争における日本の被害事実は教えても、アジア諸国で犯した加害について教えられなかった理由として、戦争の世代がその子供の世代に実体験を伝えられなかったこと、そして適切な教材がなかったことを指摘しました。加えて、政府の圧力による歴史教科書の記述の削除や「つくる会」による教科書検定の問題に触れその危険性を訴えました。
 山下さんは、教科書以外にプリントやビデオなどの教材を用いて、南京大虐殺や従軍慰安婦に関わる事実を学ぶことを実践してきました。そのような学びを通じて生徒たちが「実際に起きたことだった」ときちんと受け止めることができるということを報告しました。しかし、山下さんはそのような実践によって、右翼から「国賊」、「売国奴」、「非国民」などの言葉を投げつけられ、電話、FAX、訪問等による執拗な攻撃にさらされています。職場では校長以外の同僚は山下さんの実践を理解してくれており、生徒や父兄との良い信頼関係を保ちながら正しい歴史教育を続けることは可能だと述べました。

(2)本多勝一さん(ジャーナリスト)

 本多さんは、楊さんや膨さんの語った被害体験や、ご自分が子供のころ中国から帰還した日本兵から聞いた惨たらしい行為を例に挙げ、日本軍が犯した、信じられないような非人間的、残虐行為は、より弱い者へ弱い者へと暴力を振るうのが常識であった軍隊の内部矛盾が現れたものだと指摘しました。南京大虐殺のかつての完全否定派は事実論において破綻しており、部分否定派は犠牲者数を限りなく小さく見積もるという姑息な手段で結果的に否定しようとしている。今日の経済的にも政治的にも閉塞感のある状況下で、否定派のやっていることは歪小なファッシズムであり、第二次世界大戦前のドイツにおけるナチの運動に例えました。「つくる会」のような歴史認識では国際化する世界の中で孤立を深めるだけであり、学問的に完全に敗北している否定派に言いたい放題にさせているジャーナリズムを強く批判しました。
 中国の研究者が南京大虐殺の犠牲者数を30万人と主張するのに対して、日本の「南京事件調査研究会」の研究者は20万人に近い数字を上げ、食い違いがあります。その理由として南京大虐殺は上海事変の直後から南京攻略戦、南京占領およびそのあとまで続き、地理的および時間的な範囲を明確に定義することが困難なことを挙げました。中国側の主張はどこまでを含むのか根拠が明確でない、アウシュビッツにおけるユダヤ人虐殺の犠牲者が当初400万人といわれていたが、確かな事実の追求によって110万人が実際に近いことが明らかになってきたという例を引いて、事実に基づいて信用できる数字を明らかにし、誤りは訂正していくことが真実に迫るために大切だと述べました。 最後に、南京大虐殺を第1の犯罪とすると、それを否定することは第2の犯罪となり、また否定論を目過することはその共犯ともいうべき第3の犯罪となると述べ、過去の事実に正しく向き合うことの大切さを強調しました。


4.21世紀に向けたリレートーク

 最後のセッションでは、世代の異なる方たちによる“リレートーク”と称して、21世紀に向けた私たちの市民運動への取り組み方について、それぞれの思いやメッセージを語っていただきました。お話をいただいたのは、戦争を体験された世代の元山俊美さんと山辺悠紀子さん、戦後ベビーブーム世代の小野賢二さん、および若者世代の山口真奈さんの4人です。

(1)元山俊美さん(ABC企画)

 元山さんは、楊さんや彭さんの受けた被害や、ご自分の5年半におよぶ中国での“地獄の戦場”の体験を繰り返さないために、保守派や歴史修正主義者の意図する改憲、歴史の逆行の動きを阻止しなければいけないと熱っぽく語った。2000年1月の「20世紀最大の嘘『南京大逆殺』の徹底検証」は、1月20日から始まった「憲法調査会」をねらってのデモであったことを指摘し、“無知、無感覚ほど恐ろしいものはない”として、歴史を逆行させるような政治・社会の動きを阻止するために共に行動することを呼びかけました。

(2)山辺悠喜子さん(ABC企画)

 山辺さんは、戦中から戦後にかけて中国におられて中国の方とともに人民解放闘争を戦った経験から、始めに証言された楊さんや膨さんが経験したような悲劇は特別めずらしいことではなく、どこででも日常的に起きたことだったと述べました。また、長く追求してこられた日本軍の細菌戦は地域や民族を根絶やしにしてしまうという意図をもった悪魔的な犯罪であったことを述べました。さらに、10月来日した朱容基首相が「日本は中国人に対して一度もきちんとした謝罪をしたことがない」と述べたことを上げ、政府首脳が「かつてご迷惑をおかけした」とか、天皇が「かつて不幸なことがあった」と口先だけでコメントし、賠償や資金援助をして済むことではない。日本が犯した罪の重大さを正確に認識し心から謝罪することから両国間のわだかまりを除く努力をしていくことが必要だと結びました。

(3)小野賢二さん(化学労働者)

 小野さんは、13師団山田支隊の元兵士たちの聞き取り調査により南京城外、幕府山における2万人という大量捕虜虐殺の事実を明らかにしてきた体験に基づいて、「加害当事者と向き合ってみないか」と呼びかけました。南京大虐殺否定論の人々に対する最も効果的な反論は、加害当事者による記録を提示することであり、それに対して否定派は再反論することができない、そのことによってこちらの土俵に引きつけて議論することができるというのです。しかし、南京攻略戦に全国36県から参加した個々の部隊がどのような行動をとったかはほとんど明らかにされていないのが現状です。今ならまだ、20才の時に現役兵として招集された兵士の多くが生存していると考えられので、全国的な調査体制を作って加害者と向き合う作業が必要ではないかと提案しました。

(4)山口真奈さん(津田塾女子大学学生)

 山口さんは、半世紀以上前なのにまだ苦しみが癒されない被害者の方の証言を聴いて、日本が国家として加害事実を認めて謝罪してこなかったことを実感したこと、小林よしのりの『戦争論』のように侵略戦争を美化し加害事実を消し去るということは許されることではないと述べました。さらに、戦争中の加害に直接荷担していないとは言っても、若者の世代にもまだ責任があると語りました。戦前に逆戻りするような法律が通り、学校で戦争の事実を教えられないような状況が出来て、お国のために戦う国民をまた作り出してしまうという大変な時代になっていることを考えると、若者としてもいろいろな方の証言を聴いて語り継いでいくことをやっていきたいと締めくくりました。


5.田中宏さん挨拶

 ノーモア南京の会代表、田中宏さんは「在日の戦後補償を求める会」や「中国人強制連行を考える会」の代表も兼ねている立場から、2000年に起きた戦後補償に関わる主要な出来事、戦争中に日本軍の軍属として徴用され戦傷死した人の補償をする特別立法ができ、花岡事件の和解が成立するといったことを振り返えって挨拶しました。亡くなった陳石一さんが残した「私にとって日本とはなんだったのか」という言葉、河北省・保定の中国人当事者の言った「私たちが日本人にたいして何をしたから、こんな目に遭ったのか」という言葉を紹介し、日本人と中国人の戦争体験には本質的な違いがあることを指摘しました。これらの日本人に突きつけられた言葉とともに20世紀の歴史を引き継ぎ、21世紀への歩を始めたいと決意を述べました。

 集会参加者は、この後、銀座を通る追悼デモをおこない「ノーモア南京」を訴えました。


全国各地で証言集会を開催

「ノーモア南京 2000年東京集会」は、全国各地で行われている「南京60ヵ年全国連絡会」との連携の元に行われています。今年も南京から性暴力被害女性と性暴力被害目撃男性および中国の歴史研究者(章開 元・華中師範大学前学長)をお呼びし、歴史の証言と研究発表を聞く集会が持たれました。中国からは12月6日に来日され、7日岡山、8日金沢、9日神戸、10日には東京と大阪、11日京都、12日名古屋と二班に分かれて集会に参加され、13日に無事に帰国されました。東京の集会では、楊明貞さんに証言をお願いしましたが、他の地域を回られた陳文恵さん(仮名、名古屋では本名の瀋文君を名乗る)は、妊娠5ヶ月の身重でありながら他の5人の女性と共に日本兵に捕まり、強姦を受けた被害を証言されました。加害側では、大阪集会にて歩兵第20師団(京都)第33連隊(三重県・津)の元兵士の方が加害の証言を行ったが、これは大阪実行委員会が長い間調査をして、音声を録音したものを会場で流したものです。各地で行われた集会には多くの方が集まり、特に金沢では、日米開戦の日とも重なったこともあり、マスコミの取材も受け、多くの参加者を前に証言を行いました。

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