東裁判の問題点

−−最高裁への上告文書から−−

芹沢明男

                                        最終更新:1999年9月14日

昨年の12月22日に最高裁の判決が下った直後の記者会見において、 東さんと弁護団は、高裁判決に対して抗議し、最高裁への上告を表明し、 12月25日に上告した。 今年の3月19日には上告理由書及び上告受理書を提出した。 上告理由書とは、 高裁判決(以下「原判決」という)が憲法に違反していることを明らかにし、 上告受理書とは、 原判決が判例・通説からみて誤りがあることをを明らかにするためのものである。 今後はこの2点の文書の主張を巡り、 弁護団と最高裁の調査官との間で論議が繰り広げられる。 そこで、この文書の概要をみていくことにする。

原判決は、憲法第21条に違反−上告理由書の主張

上告理由書は、「原判決は憲法第21条に違反している」と主張する。
憲法第21条の第1項は、 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する」 と規定している。 表現の自由は、憲法上特に優越的な地位が与えられていて、 東さん関係の書籍の出版は、 「1937年に発生したいわゆる南京事件と呼ばれる国際的にも重要な歴史事件の真実を、 これに参加した元軍人兵士の記録により明らかにすることを目的として 出版されたものであり(「南京事件・京都師団関係資料集」はしがき)、 極めて重要な社会的価値を有するものである。」と主張している。
このことは、憲法前文に力強く謳われている、 「過去の我が国の侵略戦争への反省と平和主義」を 「実効あるものとなるためには、戦争の実態についての真実が国民の前に明らかにされ、 国民が共通の認識を持つことが特に大切」であり、 これは「被害にあったアジア諸国の人々からの要請でも」あって、 これらの書籍は「憲法的価値を実現」し「重要な意義を有する」が、 しかし、 原判決は「上告人(東さん側)の表現の自由に対する不当な制約を課したものであって、 憲法21条に反する。」と批判している。
また「原判決は、 名誉毀損にあたる事実の真実性の厳格な立証責任を上告人らに課しているが、 これは憲法第21条第1項の解釈の誤りに基づくものである。」と述べ、 「とりわけ公共性のある問題については国民の間での自由な議論が保証され」、 「表現の自由は原則として絶対的な保証が与えられ」 「真実性を推測させる程度の合理的根拠、資料に基づく表現であれば、 それは憲法上保証された表現行為として名誉毀損の責を負わないとすべきである。」 と主張する。 そうでなければ、「表現する側に自己検閲、萎縮効果がはたらき、 前記憲法前文の憲法的価値の実現は大きく損なわれ」、 「出版の目的は・・・南京事件における日本軍の残虐行為を明らかにすることにあり、 個々の兵士を非難するところにはな」く、 「被上告人(橋本氏)自身、書籍を直接読んでいないことは記録上明らかであり、 かつ被上告人がいかに具体的に名誉を侵害されたのかについては何ら実証されていない。 」と述べる。

高裁判決は歴史事実に無知−−上告受理書で高裁判決を批判

上告受理書は、「本件における正確な事実認定のためには、戦時の実態、 中国での日本軍の行動時に南京事件についての正当な認識、 正確な知識が当然その前提となるというべきである。」が、 「原判決は、『当事者双方は、 各種文献で触れられている南京事件の真否を問題としてもいるが、 この点を判断する事によって本件事件の真否が判明するものでない』として、 南京事件に関する歴史認識を踏まえて、 本件行為の存否を判断するという基本前提を頭から放棄してしまっている。」 と判決の歴史認識の欠落を指摘。 それが最も端的に現れている箇所は、 「ことに、本件行為は、 実行者にとっては殺人遊びとして火傷その他 身の危険を犯さないで実行する事ができなければ意味がないことに照らすと、 ガソリンを使った上に手榴弾(しかも複数の)を使って実行したという点において、 到底実行可能性があるものと認めることができない。」という判示部分であるとする。 同様に、「本件行為が戦闘行為や敗残兵の掃討のための行為ではなく、 下級兵士の殺人遊びとして記述されている・・・」という高裁の認識は、 「『遊び』だから危険を犯すはずがないという原判決の理解は 著しく経験則に反している。」と批判を展開し、 「原判決は、 南京事件を否定する立場かあるいは南京事件に対する まっとうな認識を持ち合わせない無知の故に、 このような基本的誤りに陥った。」と結論づけている。

橋本氏の供述の信用性に関する原判決の誤り
     −−香港テレビ局のインタビューへの回答

上告受理書はまた、 「原判決は、被控訴人橋本の供述の信用性に関しては何一つ判示をしていない。」 と指摘をする。 橋本氏は、「1審においても、原審においても、本件郵便袋事件を犯していない、 当日最高法院前にもいなかったと主張して来た。 そして、原審においても、中国人を殺したこともなく、強姦も知らず、 放火もしていないと供述した。」 しかし、判決後に代理人事務所での香港テレビ局のインタビューに答えて、 「私も殺しました。戦争というのは、殺し合いするのが正当、当たり前、 だから、こうして郵便袋の事件も、人を殺すのは戦争の行為、 一つの仕事だから。」と述べているのである。
この橋本氏の発言は、「原審での橋本の証言とは全く異なり、 橋本自身も中国人を殺しただけでなく、本件郵便袋事件も、 戦争行為の一つとして仕事でおこなった、と自白して」おり、 この発言は「真実性の有無に関する判断にとって決定的に重要」であり、 「原判決は、橋本供述の信用性について、何らの判断もおこなわず、 他方控訴人東の供述については、・・・ 一方的な決めつけによってその信用性を否定したのであり、 明らかに審理不尽であり経験則に違反する誤りを犯した判!断」だと批判している。
ここにまさしく我々は、この裁判のもつ政治性と、原告の裏に隠れた、 この裁判の真の当事者をみる事ができる。 「今でも心に軍服を着た」偕行社の元日本軍の将校と、 それを支える「まぼろし派」ー南京大虐殺は中国側の捏造であり、 南京大虐殺は無かったととなえる連中、彼らとの戦いこそがこの裁判の本質である。

 

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