ニュース第68号 01年5月号より

もっとファッショナブルでいいんじゃないか

前田林業研修生 斉藤純一

 

 4年間、林業してました。ところは、宮崎県諸塚村、第3セクターでウッドピア諸塚という会社。昨年11月、私の退社当時で、林産部門の社員は16名、平均年齢28歳という若さでした。
 仲間たちとともに働いたあの日の記憶は、決して忘れない。忘れようと思っても忘れられるものじゃない。

 雨の日も、風の日も真夏の炎天下や吹雪の中ですら働いた。冬は暖房がないから火を炊いた。つらいのは自分だけじゃないと思うから、一歩踏み出せるということがありました。ともに笑った。愚痴もこぼした。汗して働けばメシがうまかった。喉が渇けば、茶がうまかった。ダレヤメの生ビールはもっとうまかった。昼はラジオを聴き、木陰で風に吹かれて眠った。頭をフル回転させた。体中の力を振り絞るということをした。ときには身の危険を感じることもあった。でも、自分がやらねば誰がやると思って立ち向かった。四季を通じて、その季節に応じた仕事をしていた。自然はしばし美しかった。ひとりじゃできなかった。それが、自分にとっての山仕事でした。

●もっとファッショナブルに
 たとえば、道具に色を塗ってみる。自分が持っている
shindaiwaというメーカーのチェンソーは決まって赤というのが不満でした。迷彩色にしたら確実に山で失うと思うけれど、例えば黄色とか、白やスカイブルーの、あるいは赤やオレンジに複数の色を取り混ぜたチェンソーがあったら素敵じゃないですか!車やバイク、MTBを改造するのと同じセンスを持ち込んでみたらいい。メーカーのロゴをステッカーにして貼ったりとか。しょせん、機械だし、そのほうが愛着が持てる気がする。

 ヘルメットだって形も色も好きなのを選んで、自分のお金で買うべきなんです。どうして同じ形、同じ色のものを与えてしまうのか?どうしてそういうものをみんな黙って受け取ってしまう?それぞれに自分の好みがあるだろうに。そういうことって本当はすごく大切じゃない?
 服装にももう少し気を遣ってみる。最低限、安全性と快適性を確保できれば、あとは自由なはず。何か既成のイメージにとらわれすぎてやしないか?別に奇妙キテレツ集団になろうってんじゃなくて、もっと当たり前に洒落こもうってこと。
  そして当たり前にオシャレをするということは、山仕事に限っていえば、実はとても新しい。

●感性やセンスに訴えて
 理念も言葉も大事だと思います。環境保護を訴えることも、森の役割や価値を伝えるのも。
 だけど若い人たちを呼び込もうというときに、はたして言葉や自然の美しさを強調する映像だけで十分なのか?感性やセンスに訴えることも、きっと必要だと思う。というかそっちが一番だと自分は思っていますが。
 山師って、余計なことしなくたって十分にカッコイイってわかっているんです。(私のことを言っているのではありません、あしからず。)

●遊ぼう
 山仕事だって、本来は遊びの要素をいっぱい含んだもの(もちろん危険性も)。なのに、森林ボランティアで行われているそれは、作業も服装もとても地味で、ちょっとした怪我にも神経質になっているから、つまらないと感じてしまう。怪我に関していえば、山には危険な要素がたくさんあるのだから少々の怪我は予測のうちです。大事なのは、いかに大きな怪我をしないか、させないかということであるのに。相手が十分に大人で自己責任がとれると判断できたら、チェンソーを使う簡単な仕事をあてがっていいと思います。そうしていくうちにやがて、木の伐り方だけではなく、自分の身体を守るということを覚える。

●いろんなスタイルを
 会議の終わりに園田さんが、「Ohnamiの会」を山仕事だけの会にしたくない、入口はたくさんあった方がいい、要はどうやったら山に人を呼びこめるかということなんだと言われました。
 まずはメンバー 一人ひとりが、自分たちなりの山との関わり方、そのスタイルを自由な伸びやかな発想で考え、少しずつ形を作り上げていくことでしょうか。それが出来てくれば、たぶんあとのことはどうにかうまくいくんだろうという気がしています。

 5月から
10月まで岡山県津山市に滞在し、前田林業で見習いとして働きます。

 そのあとでどう生きるのか。いまは自分なりの山とのかかわりかたを探している。

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