国賠取り下げ声明


  国賠訴訟取下に関する声明 

                                   弁護団声明 

 さきに甲山事件において無罪判決を得た山田悦子さんは、いわゆる第一次捜査によって蒙った損害の賠償請求のため1974年7月30日神戸地裁尼崎支部に訴を提起し、現に係属中であるが、その後更に荒木潔さんとともに第二次捜査を経て公訴を提起されたことにより蒙った、より大きな身体的、精神的、物的損害をも加えて、請求範囲を拡張し、荒木さんともども新たな訴訟を提起すべきか否か、逆に無実・無罪判決の言渡しを受けて、身の潔白を立証したこの機会に、新たな請求を起こさないのは勿論最初の国賠請求訴訟をも取下げるべきか等につき苦悩し続け、我々弁護団とも協議を重ね、これ迄甲論乙駁の議論を戦わせて来ました。
 積極説の論拠は第二次捜査以後の、警察及び検察による違法不当な権力行使によって山田さん荒木さんは超年月に亘り形容の詞もない程、過酷極まる苦痛を強制されたのち、漸やく無実・無罪判決を得て名誉を回復し乍ら、加害者たる国や県にこれの損害賠償を求めない理由はないのではないか、加えて暴虐非道ともいうべき捜査、控訴、公判担当官の責任を、新たな国賠訴訟の場で追及してその非を認めさせ、その実態を世上明らかにすることこそ、冤罪の続発を防止する最良の方法ではないか、というに尽きます。
 これに対する非積極説の立場の一つは、そもそも最初の国賠訴訟提起の目的は、山田さんの無実を世上明らかにすることにあったのであり、その方法は、国賠訴訟を提起する以外にはないのであるからやむなく、「私法上の請求」という形を取ったのであり、それ故完全無実・無罪判決を獲得し、見事に本懐を遂げた今、これを以て瞑すべきであるとの説、いま一つの立場は刑事事件において、25年余という長時間に亘り国の捜査機関等を相手に、徹底抗争して勝利を得たいま、再び国を相手に長年月に亘って法廷闘争を展開し持続することが身体的、精神的に可能かどうか、加えて激しい闘争のあとに安静と平穏を求める人間の本能への必然的な回帰はこれを尊重しなければならない、人間の寿命は有限である、という見解にたっているのであります。
 結局山田さんらを交えた弁護団会議において到達した結論は、山田さん、荒木さんは、ともに新たな訴訟の提起を断念し、併せ最初に山田さんが提起した訴訟をもこの際取下げるという意外な展開をみるに至りました。
 しかしそれは山田さん荒木さん及び弁護団が安易に出した結論でないことは屡述するところで明らかであり、それは涙をのみ断腸の思いで得た結論、苦渋の選択であるといえましょう。
 そして最後に我々は、国賠訴訟に関する今回の我々の決断が、決して甲山事件における国や個々の前記担当官等の責任問題を不問に付すことを意味するのではなく、今後国賠訴訟以外のあらゆる場で、これら担当官の責任を追及すると共に、本件のような冤罪事件を再び発生させないための、諸方策の実現に努力していく所存です。

2000年3月3日
甲山事件弁護団


  冤罪を生み出さないための司法改革を! 

                                   甲山事件救援会コメント 

 甲山裁判は、法制度の不備により、超長期化しました。 今回、国賠というかたちでの責任追及の方法は採りませんでしたが、警察、検察の不当な捜査・起訴を許したわけではありません。彼らに責任をとらせることは、冤罪を生み出さないことにつながるからです。私達は、法廷以外の場で、彼らの責任を追及し続けたいと思います。
 また、誤った捜査・起訴について、なんらかの責任をとる仕組みも含め、冤罪を生み出さないシステムを作り出すことが、何より重要だと思います。検察の不当な起訴を許したのも、裁判を長期化させたのも、ひとえに、それらを許してしまった現在の司法システムに問題があるからです。
 甲山事件の25年は、さまざまな教訓を残しました。多くの課題を提起しています。それらを無にすることなく、今後、元被告、弁護士と共同して、新たなかたちで、司法改革への取り組みを進めていきたいと思っています。  

今回、甲山事件救援会もその長い歴史に終止符を打つわけですが、甲山関連の裁判が全て終わるに当たり、新たな取り組みを決意するものです。
 現在、支援通信の最終記念号の作成に取りかかっており、資料の整理中でもあり、当面、事務所、および、インターネットホームページは維持します。
 市民のための司法改革がなされることを、そして市民が積極的に司法に参加できるように、マスコミの方々にもご協力をお願いします。

2000年3月3日
甲山事件救援会

ホームページ(最初へ)