人権フォーラム21「人権政策提言」に関するQ&A
2000年11月10日 人権フォーラム21


<もくじ一覧>
Q1: 人権フォーラム21の提言で述べられています。「人権政策三原則」(11)とはどのようなものですか。
Q2: 人権フォーラム21の提言は、人権に関する「新たな人権法体系の整備」が必要といっていますが、現在の日本の法体系ではどこが不充分なのですか。
Q3: 人権フォーラム21の提言は、人権の定義に関して「『実質的意味の人権』の定義を広く扱う」としていますが、これはどのようなことを意味していますか。
Q4: 人権フォーラム21の提言は、なぜ「人権侵害」の定義を明確に(限定的に)しないのですか。
Q5: 人権フォーラム21の提言は、人権政策を進めるにあたって地方自治体の役割を重視していますが、なぜですか。
Q6: 人権フォーラム21の提言は、「政府から独立した国内人権機関の設置」を提言していますが、なぜ裁判所以外にこのような機関が必要なのですか。
Q7: なぜ、中央と地方の双方に人権委員会を設置する必要がありますのですか。国の機関として中央人権委員会の設置だけで十分ではありません。ですか。
Q8: 人権を侵害された被害者の実効的な救済を図るためには、人権委員会に強制調査権限や強制執行力を伴った命令を下す権限を付与することが必要ではありません。のでしょうか。
Q9: 人権フォーラム21の提言は、人権侵害・差別事案の調査・救済に関しては非権力的・任意的な手法でおこなうとし、説得と理解によって事案の解決を図ることを基本原則としていますが、「説得と理解」という手法は、確信犯的な差別行為者にはまったく無力ではありません。のでしょうか。
Q10: 強制調査権や緊急排除措置命令権などの強制権限がなければ、DV(ドメスティックバイオレンス)や児童虐待などの緊急を要する人権侵害に対処できないのではないのでしょうか。
Q11: 人権フォーラム21の提言は、表現の自由にかかわる人権侵害や差別に対する申立を「特別扱い」としています。のはなぜですか。
Q12: インターネット上の悪質な差別煽動や個人及び特定集団への人権侵害に対する申立については、どのように対処するのですか。
Q13: 人権フォーラム21の提言は、議会(国会・議会)と裁判所の機能強化をうたっていますが、どんな機能強化が必要なのですか。



Q1:
人権フォーラム21の提言で述べられています。「人権政策三原則」(11)とはどのようなものですか。
A:
 人権フォーラム21の提言では、人権政策の策定・実施は、総合性、当事者性、地域性という三原則に基づいて行わなければならないとしています。これは人権フォーラム21の提言を貫く大原則です。
(1)総合性
 三原則の中の総合性とは、人権政策の策定・実施にあたっては、縦割り行政の弊害を排した総合的な取り組みを行うべきですということです。これまでの日本の人権政策は、各省庁ごとに所掌範囲が決められ、例えば雇用分野の人権問題であれば労働省、学校現場での人権問題は文部省、障害者の人権は厚生省というように、割拠主義的な枠組みの中で明示的あるいは黙示的に所管官庁が定められ、それを越えて総合的に人権政策を立案・実施することはできませんでした。また、このようなセクショナリズムゆえに、所管官庁のはっきりとしない人権問題は店晒(たなざら)しにされ、行政上の保護や救済を受けられなかったのです。
人権フォーラム21の提言では、このような既存の人権保護のあり方を打破するために、人権政策の総合性という原則を掲げ、省庁の枠組みに左右されない包括的・統合的な人権政策を実施することを求めています。全般的な人権行政の実施や人権委員会に関する事務を内閣府のもとに置くことを要求していますのも、このような原則に基づいているためです。
(2)当事者性
 三原則の第二は当事者性という概念ですが、これには二つの意味が含まれています。一つは当事者の視点に立った人権施策の推進を行うべきですという意味であり、もう一つは人権政策の実施に当たっては当事者自らによる問題解決に対する適切な支援を行うべきだという意味です。
 これまでの人権行政は、国家が「公益」に基づいて人権の内容とその享受主体を一方的に画定し、人権侵害や差別に苦しむ人々の生の声に耳を傾けることはほとんどありませんでした。人権政策は、広い行政裁量と立法裁量にその実現が委ねられ、国が保障に値すると判断した権利のみが「人権」として認められ、それ以外のものは、いかに個人の人間的な生存や自律に不可欠な権利であっても、人権としての保障を受けられなかったのです。わたしたちが当事者の視点に立った人権施策の推進を求めるのは、そのような実態に対する抜本的な改善を図るためです。
 同様に、人権侵害や差別に対するこれまでの行政施策のあり方は、人権侵害や差別を行った者の規制や指導が中心であり、「被害者」の救済をなおざりにしたものでした。それどころか、場合によっては、人権侵害や差別を行った者はそのままにしておき、「被害者」の方をなだめ、忍従を強いるようなこともありました。しかし、私人間の人権侵害や差別は、「加害者」に対する国家の規制や指導によって救済されるものではなく、ましてや「被害者」の忍従によって解決するものではありません。重要なことは、当事者同士が納得する問題解決を行うことであり、それが何よりの救済につながるのです。
人権フォーラム21の提言する人権委員会が、「説得と理解」を救済機能の根幹に据え、当事者間の和解を主たる救済方法としているのは、このような考えに基づいています。ためです。
 わたしたちが提示する当事者性という基本原則は、上に述べたような「当事者の視点に立つ」ということと、「当事者による問題解決を重視する」ということを包括する理念なのです。
(3)地域性
 第三の基本原則の地域性とは、人権問題は原則として地域社会において解決されるべきであり、地域的な取り組みに対する支援に重点を置くということです。人権問題の多くは地域社会における日常的な生活の中で生じます。したがって、その解決も地域的な取り組みによって行うことが必要であり、これは(2)の当事者性にも通じる考え方です。そのために人権フォーラム21の提言では、各都道府県および政令市に地方人権委員会を設置し、地方人権委員会は、地域住民が容易に利用できる体制を整えるため、各市区町村に少なくとも1箇所ローカル・ポスト(相談受付窓口)を設置(人口規模の大きい自治体にあっては、人口30万人に1箇所をメドに追加設置)し、地域の実情や状況に応じた人権救済を行うことを提唱しています。
それと同時に、人権フォーラム21の提言では、人権擁護委員制度の抜本的な改編をうたっており、その代わりに専門的な人権研修を受けた「人権ソーシャルワーカー」を全国に6,000人新たに配置することを盛り込んでいます。「人権ソーシャルワーカー」は地域に根ざした草の根の人権活動家であり、地方人権委員会と協力しながら、人権相談や人権救済をきめ細かく行うという役割を担っています。
 地域性の原則は、近年の地方分権の流れにも合致するものであり、疲弊した中央集権行政のほころびが目立っています。今日の日本においては、この原則は全ての政策分野に妥当するものと言えます。とりわけ人権問題は、一人一人の人間の生活や尊厳に直接的にかかわる事柄だけに、その政策のあり方を地域的な視点から新たに構築し直すべきです。地域性の原則は、このような問題意識に基づいて提起されたものなのです。


Q2:
 人権フォーラム21の提言は、人権に関する「新たな人権法体系の整備」が必要といっていますが、現在の日本の法体系ではどこが不充分なのですか。
A:
 人権に関する現在の日本の法体系は、憲法を頂点とし、その下に置かれた男女雇用機会均等法などの各種の労働法規や人権擁護委員法などの人権擁護行政に関する法規、あるいは生活保護法などの社会福祉立法によって成り立っています。また近年では、交通バリアフリー法や犯罪被害者保護法など、新たな人権問題に対応するための個別的な人権関連法規が制定されています。
 しかし、日本の人権関連法規は、他の先進国と比べてもその層が薄く、人権保障の程度も不十分です。例えば憲法14条に掲げられた平等原則を実効的に保障するための包括的な反差別法はいまだ存在せず、そのため様々な差別や人権侵害が店晒しにされ、差別や人権侵害を受けた者は泣き寝入りを強いられているのが現状です。さらに、日本の場合、人権侵害に対してどの程度の救済を行うのかは立法や行政の広い裁量に任されており、その結果、国家が保護に値すると判断した人権のみが救済され、保護に値しないとされた人権はなおざりにされるという事態を招いています。
 日本国憲法は、諸外国の憲法と同様の人権を幅広く保障しています。にもかかわらず、実際にはこのように多くの人権侵害が解決されずにいるのは、憲法が基本的には国家と国民の関係を規律する法であるため、私人間には憲法の人権規定が適用されないためです。よって、人権をあらゆる生活場面において保障していくためには、私人をも規制対象に含めた人権法規を制定する必要があるのですが、現在の人権関連法規は、上述のごとく救済できる人権の範囲が非常に狭く、加えて救済の内容や程度も著しく不十分です。
 そこで人権フォーラム21では、差別や人権侵害に対する幅広い救済を規定した差別禁止法や差別禁止条例の制定を提言しており、それに加えて、人権教育を徹底させるための人権教育・啓発法の整備を求めています。


Q3:
 人権フォーラム21の提言は、人権の定義に関して「『実質的意味の人権』の定義を広く扱う」としていますが、これはどのようなことを意味していますか。
A:
 人権は本来、国家によって保障してもらうという性格のものではなく、国家の存在に先立って、人間が人間であるということのみを理由として保障されるものであり、これを人権の普遍性といいます。無論、普遍的な人権という思想はあくまでも理想であり、実際には人権は国家によって保障されるという面も否定できません。しかし、人権が国家権力との闘争の歴史の中で培われてきた理念であることを考えれば、人権が前国家的に保障されるべきものですという理想は忘れられてはなりません。
 この点、日本おいては「天皇の恩恵としての人権」という戦前来の考え方が無意識的に残っており、人権は法律によって保障されるものであるとの観念が根強い。行政実務や裁判実務においても、国家が人権と認めたものが人権であって、国家が人権として承認しないものは人権とは言えない、との後国家的な人権観が色濃く反映しています。多くの人権関連の判例が、人権の内容決定を法律事項や命令事項とし、実際の人権保障を広い立法裁量や行政裁量に委ねているのはこのためです。
 よって人権人権フォーラム21の提言では、このような国家によって人権と認められた「形式的意味の人権」だけではなく、本来人権として保障されるべき「実質的意味における人権」、すなわち国家の視点からではなく社会的弱者や差別を受けやすい人々の視点から見て保障すべきことが求められる人権を広く扱うこととし、人権概念のパラダイム転換を訴えています。
(参考:江橋 崇「人権行政と日本の人権行政」、『法学セミナー』98年7月号所収)


Q4:
 人権フォーラム21の提言は、なぜ「人権侵害」の定義を明確に(限定的に)しないのですか。
A:
 人権侵害の範囲を限定的に捉えれば、必ずそこから漏れるものが生じることは避けられません。よって、人権フォーラム21の提言では、あいまいではありますが、しかしどのような人権侵害でも救済の対象とできるような幅広い人権の定義を採用することとしました。所掌すべき人権侵害の範囲を限定的に明確化した上で、人権委員会に強制的な権限を付与するか、逆に人権の定義はあいまいにしたまままで、非強制的な救済権限しか認めないかは、二律背反の選択ですが、「説得と理解」によって人権文化の草の根レベルでの確立を目指すというわたしたちの提言の趣旨から言えば、後者のあり方を採用するのが、より合目的的ですと思われます。


Q5:
 人権フォーラム21の提言は、人権政策を進めるにあたって地方自治体の役割を重視していますが、なぜですか。
A:
 かつては、人権問題は国家と国民の間の問題ですと考えられていましたが、今日では、多くの差別や人権侵害は個人と個人、あるいは企業などの私的な団体と個人の間で生じています。しかも、それは人々の日々の生活、たとえば家庭生活や地域生活、あるいは職場生活や学校生活といった場面で生起することが多く、その背景には地域や職場などの慣行や慣習、因習といった、他者には一見して認識することのできない暗黙のルールが影響しています。場合が少なくありません。よって、このような場所で起こる人権問題の解決に際しては、地域の実情や事情に精通した者がこれに当たることが望まれます。
 人権人権フォーラム21の提言が、人権政策における地方自治体の役割を重視し、人権委員会の制度設計においても地方人権委員会の救済を第一次的なものとしていているのは、このような理由によるためです。


Q6:
 人権フォーラム21の提言は、「政府から独立した国内人権機関の設置」を提言していますが、なぜ裁判所以外にこのような機関が必要なのですか。
A:
 伝統的な立憲主義の考え方においては、人権保障の役割は裁判所が担うべきものとされており、裁判所が「人権の砦」といわれる所以です。しかし、今日においては、裁判所は必ずしも「人権の砦」として機能しているとは言い難い。裁判所は所与の実体法や手続法に基づいて審理を行わなければならず、原則として差別や人権侵害を受けた側に自らが被った被害を立証する責任が課されています。また、裁判費用や弁護士費用などの経済的負担も少なくなく、かつ裁判が長期にわたることもあります。さらに日本の場合、裁判を行う裁判官が人権感覚に優れているとは言えず、人権保障に消極的な判例が多いことが指摘されています。
 このようなことを考えた場合、人権救済のシステムを裁判のみに限定することは、かえって人権侵害を受けた者の負担や被害を大きくする結果にもなりかねません。そこで人権フォーラム21では、裁判所に前置する新たな人権救済システム(いわゆる準司法的機関)として、人権委員会という行政機関を設置し、簡易かつ迅速な人権救済を実現することを提言しています。
 しかし、この人権委員会が政府の一機関として政府の意向のみを反映し、これまでと同様の形式的意味の人権保障しか行わないのであれば、それを設置する意味はありません。よって、人権委員会にも裁判所に準じた独立性が担保されなければならず、その人的構成や権限行使に対して政府が不当に干渉することを防ぐ必要があります。また、人権委員会の委員や職員も、人権問題に精通した専門家でなければならず、当事者の視点に立って問題の解決に努力するような人物でなければなりません。このような要件を満たすには、新たな独立行政委員会を設置する他はなく、ゆえに人権フォーラムは、政府から独立した国内人権機関として、人権委員会を設置することを提言するのです。


Q7:
 なぜ、中央と地方の双方に人権委員会を設置する必要があるのですか。国の機関として中央人権委員会の設置だけで十分ではないのですか。
A:
 人権委員会の配置形態としては、次の3つのものが考えられています。
(1) 中央に全国をカバーする国レベルの人権委員会を一つ設置するという「中央一元型」の配置形態。(地方人権委員会を作る場合も、それはあくまでも中央人権委員会の出先機関としての役割のみ)
(2) 地域の人権問題を担当する地方レベルの人権委員会を都道府県ごとに配置し、国レベルの委員会は設置しないという「地方一元型」の配置形態。
(3) 中央に国レベルの中央人権委員会を設置し、かつ地方レベルにも自治体が主体となって地方人権委員会を設置するという「中央・地方二元型」(分権型)の配置形態。
このうち人権フォーラム21の提言では、「中央・地方二元型」(分権型)の人権委員会配置を採用しています。
 地方にも自治体が主体となって地方人権委員会を設置する理由は、人権問題の解決には、それぞれの地域の状況や地域ごとの歴史・文化といった個別的な事情に配慮することが必要なためです。多くの人権問題は、人々の日常的な生活の中で生じるのであり、それを効果的に救済していくためには、地域の状況や事情を勘案した上で、きめ細かい活動を行わなければなりません。その点、中央一元型の組織構成では、人権委員会の運営が、ある程度集権的にならざるを得ず、地域性に配慮した活動は難しくなります。このことは、現在の国の人権擁護行政の不充分さ、すなわち法務省―地方法務局という国の中央一元型の組織・機関が人権相談や被害者救済の面で十分な効果をあげていないことからもわかります。したがって、人権の実効的な保護のためには、自治体が主体となった地方レベルの人権委員会を設置することが不可欠なのです。
 一方、自治体が主体となった地方人権委員会と並んで、中央に国レベルの中央人権委員会を置く理由は、地方レベルの人権委員会だけでは、国の行政機関による人権侵害の調査や救済を実効的に行うことができないためです。また、複数の地域にまたがる人権侵害を調査し救済するためには、地方レベルの人権委員会よりも、中央レベルの人権委員会の方が、効果的な活動ができるはずです。加えて、重大かつ深刻な人権侵害に関しては、それを一地方の問題としてではなく、全国的な問題として扱ったほうが、同様の人権侵害の予防や抑止に役立つ面が多いと思われます。
 このような理由から、人権フォーラム21の提言では、地方と中央の双方に人権委員会を設置するという二元型(分権型)の組織配置を取り入れています。両者は上下関係にあるのではなく、それぞれの所掌に応じて並立しており、同格の組織です。


Q8:
 人権を侵害された被害者の実効的な救済を図るためには、人権委員会に強制調査権限や強制執行力を伴った命令を下す権限を付与することが必要ではないのでしょうか。
A:
 人権フォーラム21の提言では、行政機関に対しては強制調査を行うことができるが、私人に対しては任意調査しか行えないことになっています。(提言4─13、4─14参照)。また、強制執行力を伴った命令などを下すことはできず、人権委員会の出す勧告を受諾するか否かは、当事者の任意に任されています。(提言4─16参照)。人権委員会の権限が、このような非権力的・任意的なものにとどまっている理由は主として三つあります。
○ 理由その1:法の適正手続の保障
 第一には、憲法31条に規定された「法の適正手続の保障」とのかねあいです。捜索や押収といった実力行使的な調査を行ったり、あるいは、人権委員会の命令に従わない者に罰金を科して命令の履行を強制したりするには、どのような人権侵害行為が強制調査や命令の対象となるのかを法律に明記しておかなければなりません。そうしなければ、どのような行為が調査や命令という国家からの不利益処分の対象となるかを予見することができず、法の適正手続の保障の趣旨に反することになるからです。この点、人権フォーラム21の提言では、人権委員会の調査・救済権限を及ぼすことのできる人権侵害の定義を非常に広範なものとしてる。ため(提言3?4参照)、どのような行為が規制の対象となるかの予測可能性を欠くことになり、その結果として強制的な調査権限や命令権を付与することができないのです。
○ 理由その2:権限濫用のおそれ
 第二の理由は、強制権限が人権委員会によって濫用されるおそれが否定できないことです。例えば、障害者や被差別部落出身者などの人権侵害被害者の当時者団体が、差別行為者に対して行った抗議活動が、逆に差別行為者の人権を侵害したとして人権委員会に申し立てられ、その結果、人権侵害被害者の当時者団体の側が強制調査の対象になるという事態も想定できないわけではありません。様々な人権や利益が複雑に絡み合う現代社会においては、人権相互間の衝突も避けることができず、場合によっては人権当事者(団体)同士が争うこともあり得ます。そのような場合に、人権委員会が常に適切に強制権限を行使できるとは限らないのです。人権委員会といえども、行政機関の一種であり、国家権力を背景として存在しているということを忘れてはなりません。
○ 理由その3:「説得と理解」という理念
 人権委員会に強制的な権限を持たせることができない第三の理由は、人権フォーラム21の提言の素地となっている基本的な理念との関係です。この提言では、日本に人権文化を定着させることを究極的な目標に据えており(提言11─2参照)、そのために人権侵害行為を行った者と過度に敵対するようなことは極力避け、「説得と理解」によって、事案を解決することを基本としています(提言4─2参照)。
 強制的な調査権限や命令権を行使することによって、人権委員会が「加害者」を糾問することは、その場の被害者救済には効果的であっても、日本に人権文化を根付かせるという人権委員会の究極的な目標の達成にとっては、時として逆効果となることもあります。つまり、自らの意に反する解決を強制された「加害者」は、自らの行為の反社会性を認識することなく、また人権に対する理解を深めることもないであろうから、少なくとも当人の心には人権文化は根付かないことになります。それどころか、人権委員会や「被害者」に反感を抱き、ますます人権という理念に対する嫌悪感を深めるかも知れません。
 したがって、加害者の説得に努め、理解と協調を得ることによって事案の解決を導くことの方が、被害者の救済と同時に、将来的な人権侵害の防止や人権意識の向上を図ることにつながるのです。人権委員会のとるべき手法はあくまでも任意的・非権力的なものですべきとのわたしたちの提言は、このような考えの上に構成されています。


Q9:
 人権フォーラム21の提言は、人権侵害・差別事案の調査・救済に関しては非権力的・任意的な手法でおこなうとし、説得と理解によって事案の解決を図ることを基本原則としていますが、「説得と理解」という手法は、確信犯的な差別行為者にはまったく無力ではないでしょうか。
A:
 「説得と理解」による事案の解決はあくまでも理想であり、徹頭徹尾、この手法を用います。ことが良いというわけではありません。また、人権文化の定着のためには、人権侵害や差別が反社会性的な行為ですことを明らかにし、それに対して一定の制裁を科すことも必要です。したがって、強制的な調査権限や解決手法を導入することも考えられますが、その場合には人権侵害の定義を明確にし、どのような場合にどのような制裁を受けるのかを予め法律に定めておかなければなりません。人権フォーラム21の提言でも、将来的には差別禁止事由と差別禁止分野を明記した差別禁止法を制定することを提唱しており(提言2─3、2─4参照)、そのような法律が整備されれば、確信犯的な人権侵害行為や差別行為を行っている者に対して、一定の強制的な調査や制裁を行うことは可能です。


Q10:
 強制調査権や緊急排除措置命令権などの強制権限がなければ、DV(ドメスティックバイオレンス)や児童虐待などの緊急を要する人権侵害に対処できないのではないでしょうか。
A:
 たしかに、そのような緊急を要するような事案に対しては、人権委員会は実効的な救済を行うことはできません。しかし、もともと人権委員会はすべての人権侵害事案に対処できるわけではなく、DVや児童虐待については、警察への通報や、または児童相談所などの権限を拡充して救済にあたらせる方が、より適切な解決を導き出せると思われます。人権フォーラム21の提言する人権委員会は、包括的・総合的な人権保護を目標とする機関ですが、それだからといってすべての人権侵害・差別事案の救済を人権委員会に担当させることが好ましいわけではありません。人権委員会は、日本における人権保護の中核をなす機関ですが、それ以外にも各種の人権分野に特化したさまざまな個別的な分野別の人権救済機関が、重層的・多元的に活動することによって、はじめて全体的な人権保護を図られるのです。


Q11:
 人権フォーラム21の提言は、表現の自由にかかわる人権侵害や差別に対する申立を「特別扱い」としているのはなぜですか。
A:
 人権フォーラム21の提言では、何らかの表現行為によって生じた人権侵害や差別事案に関する申立を人権委員会が処理するに際して、報道機関の報道の自由やその他の表現の自由を不当に制約することがないよう、慎重な取り扱いをすることにしています。これは、表現の自由や報道の自由が、民主主義社会を支えるための必要不可欠の要素であり、それを制約することは民主主義や自由主義の自殺行為になりかねないためです。
 たしかに、マスメディアの過剰報道や商業主義的な報道による人権侵害は深刻な問題であり、またインターネット上の差別表現や根強く残る差別落書きなども決して看過できないものです。しかしながら、表現の自由は「もろく壊れやすい権利」と形容されるように、ひとたび制約を受けるとその回復が困難であり、表現の自由が容易に制約されるような社会では、いかなる人権も正当に保障され得ないことは歴史が示している通りです。
 したがって、人権フォーラム21の提言でも、そのような「表現の自由の重要性」にとくに配慮し、「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」のような独自の人権救済システムが機能している分野に関する申立については、人権委員会は、当該救済システムによる自主規制に委ねることとしました。また、独自の救済システムや業界内部での自主的なルールが存在していない場合でも、関係団体などと協議し、表現の自由の尊重と人権侵害を受けた者の実効的な救済との両立を図る関係団体などの自立的な取組み実現に努め、最大限表現の自由に配慮することにしています。
 このような人権フォーラム21の提言は、「過度に表現の自由を保護するものであり、その結果、個人のプライバシーや名誉がないがしろにされかねない」との批判もあるでしょうが、人権委員会も行政機関である以上、自由で民主的な市民社会の根幹を成す表現の自由を制約することは、極力避けるべきです。むしろ、この問題は市民社会内部の問題であり、マスメディアの自主規制と自立的な救済の取り組みを拡充し、公権力の介入を受けない自律的な対処を行うべきであると考えています。人権委員会は、そのような自主規制と自立的な救済の取り組みを促し、サポートしていくことによって、「報道被害」などの表現の自由にかかわる人権問題の解決に努力すべきだと考えています。


Q12:
 インターネット上の悪質な差別煽動や個人及び特定集団への人権侵害に対する申立については、どのように対処するのですか。
A:
 インターネット上の差別煽動や人権侵害は、地域を越えて広く全国や世界にまたがる問題なので、地方人権委員会よりは中央人権委員会による救済に馴染む場合が多いと思われます。
 具体的には、申立てを受け付けた後、中央人権委員会が、まずプロバイダー(団体)に働きかけて自主的な救済策を促すことに努力をおこないます。プロバイダーとその業界団体は、自らの人権ガイドラインにもとづいて、差別煽動を行っている者に対して行為の停止や謝罪などを求めたり、被害者との調停を行ったりすることになります。その結果、プロバイダー(団体)が自主的にホームページの削除や掲示板への書き込みの抹消などを要請することが考えられます。
 これらの手法によっても事案の解決が見られない場合には、中央人権委員会がさらに詳細な調査を行い、行為の違法性が明らかになった場合には、差別行為を行っている者に対して勧告を出すことになります。
 しかしながら、インターネット上の表現にまつわる人権侵害問題は、表現の自由とも絡む事柄なので、その処理には慎重な配慮が要請されます。国家の干渉をほとんど受けることなしに情報の流通が行えるインターネットは、表現を通じた個人の人格の発展と民主主義の進展に寄与するところが大きく、公権力による介入は可能な限り避けるべきです。
 したがって、インターネット上の人権問題への人権委員会の対応は、第一次的にはプロバイダー業界の自主規制などに任せ、自主的な救済策を促し、結果の報告を求めることになります。次に、そうしたプロバイダー業界の自律的解決が望めない場合には、人権委員会が前述のような手法によって介入する他はないと考えています。インターネット上の人権問題については、表現の自由と情報流通の自由を尊重しつつ、かつインターネットが情報無法地帯とならないようにバランスをとり、過度な規制を行わないように注意しなければならないと考えています。


Q13:
 人権フォーラム21の提言は、議会(国会・議会)と裁判所の機能強化をうたっていますが、どんな機能強化が必要なのですか。
A:
 人権フォーラム21の提言する人権委員会は、これまでの人権行政と司法による人権救済の欠陥を補い、差別や人権侵害に苦しむ人々に実効的な救済を行うことを意図したものです。しかし、このような人権委員会が実現したとしても、すべての人権問題が解決するわけではなく、議会や裁判所に期待されることも多くあります。
 議会に関しては、複雑化する社会に対応して臨機応変に人権に関する立法化を行っていくことが求められています。またそのためには、人権問題に対する恒常的な調査・研究を議会自らが行っておく必要があります。とりわけ議会中心主義の復権が主張されている今日においては、これまでの官僚まかせの法案作成や議会審議のあり方を改め、議会中心主義的に人権問題に対処していかなければなりません。
 人権フォーラム21の提言では、これらの要請に応えるために、国会や地方議会に人権問題を集中審議する機会を設けることを求めており、また衆議院と参議院の両院の事務局や国立国会図書館などに人権問題調査局を新設することを提言しています。
 次に、裁判所に関しては、「人権の砦」としての裁判所の機能を強化するための方策が強く求められています。たとえ人権委員会が設けられたとしても、法的問題については最終的には裁判所の判断を仰ぐことになるので、裁判所が旧態依然とした機関であっては事態の抜本的な改善にはつながりません。よって、裁判官の人権問題に関する識見と人権意識を向上させるような教育プログラムを裁判所自らが実施すべきであり、また差別や人権侵害を受けた者の救済に、より資するような裁判所機構や審理手続きのあり方を考えるべきです。そのために必要であれば、裁判所法や各種の手続法、あるいは裁判実務に関する最高裁規則などの制定・修正を行っていくべきであると考えています。


 

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