天皇の誕生日を祝っていいのか!?

桜井大子

2月25日、24日のロシアによるウクライナ侵攻が報道された。テレビやウェブニュースには、映像と現地の人々の声などが流される。ロシア侵攻以前から、いつそれが始まるか、回避されるかについて、TVのニュース番組等では専門家やキャスターのお喋りが続く。こういった映像を見ていると、たとえば31年前の「湾岸戦争」(1991年)を思い出す。あるいは、約20年前の「アフガニスタン戦争」(2001年)や、「イラク戦争」(2003年)を思い出す。

世界中が固唾をのみながら、いつ空爆が始まるかとTV画面や新聞紙面を見入っていた。私にはそれ自体が恐ろしく異様に思えた。しかしその情報は、世界中で反戦の声に繋がった。現在では、SNSによる動画も加わり、より臨場感は増し、やはり同様のことが世界でも日本でも起こっている。

1945年夏に敗戦という形でやっと終わらせることができた日本の侵略戦争について、そのそれぞれの侵略行為について、現在のようにほぼ同時期に、一方的ではあれ世界に向けてレポートされていたら、一体この国の戦後は変わっていただろうか、と考えてしまう。

世界の、日本の、まっとうな学者たちが77年間、日本の侵略行為・植民地政策について語り続けているが、日本の政治と知の中心に位置する者たちは、その歴史を知らない、曲解し捏造する、隠蔽する、を続けている。その時の最高責任者の天皇を、そのまま象徴天皇として国の制度として残し維持している。そういったすべてを許すいまの社会がある。

その時々の映像やニュースを詳細に国内で共有していたならば、この社会は今の日本政府のあり方に批判的に立つのだろうか。そもそも、いまのような戦後社会にならずにすんでいたのだろうか、と、つい考えてしまうのだ。

このような仮定そのものに意味がないことくらいは理解している。ただ、戦争の責任者や被害の実態などの映像、同時代的な批判は、その時代に影響を与えたに違いないと思うし、その影響は戦後にも及んだに違いないとも思う。それが叶わなかったことを、私たちは現在において、埋め合わせていくしかないのだ。具体的に。

ドイツの例はよく出されるが、他の国でも、過去の自国の長期にわたる侵略・植民地支配の歴史を克服する努力はなされている。日本社会はなぜこうも遅々として進まないのかと、やはり思わずにはいられない。なぜなのか。

私は、天皇制を残していることの影響が非常に大きいと思っている。天皇制を国の制度としている以上、公の部分が、天皇制の歴史でもある侵略と植民地支配の歴史を批判し尽くすことなど、できるわけもないだろうと。裕仁から2代目明仁の在位中、その後半からようやく、本格的な裕仁の戦争・戦後責任批判が少しずつ始まった。しかしそれは、天皇制を廃止する論理には繋がっていない。3代目の徳仁即位からもうすぐ3年目を迎える。むしろ、裕仁をスケープゴートにしたさらなる平和・民主天皇論が作り出される可能性の方が大きい。

私たちはなぜ天皇制を廃止する必要があるのか。その論拠の一つに、天皇(制)の侵略戦争・植民地支配の責任問題をあげている。そしていまは、その歴史の清算を阻害する制度として天皇制が機能していると考える。天皇をこの国の第一級の権威とする制度として残している以上、侵略戦争・植民地支配へのまともな対応は、少なくとも「日本国」の中枢にいる者たち、そこに信頼をおく社会に、望めるわけもないのではないかと。

これは、天皇制の現在的な課題である。戦後と現代日本社会のいびつさの要因、歴史に向き合うことへの阻害因子としてある天皇制を、その視点で見直し、廃止への向かう運動づくりが模索されなければならないと。

2月23日、天皇誕生日の記者会見の記事が流れた。ここではその内容には触れない。その前日、台湾で天皇誕生日祝賀会が開かれたという。主催は日本の対台湾窓口機関の日本台湾交流協会台北事務所。これには驚き呆れた。台湾での祝賀会は2018年に始まり、新型コロナ感染の拡大で2回が中止となり3年ぶりとのこと。この経緯を見る限り、これからも続けるつもりなのだろうか。日本がかつて半世紀もの間植民地支配してきたその地で、被害者やその遺族が生きるその地で、その植民地政策の最高責任者であった天皇3代目の誕生日を祝う。歴史に向き合うことの阻害因子である天皇制は、戦後77年を経て、このような暴挙を為しうる国に導く。天皇制をなくす運動とは、さまざまにあって然るべきだが、歴史と現在の関係を紐解き、何がどう問題であるのかを示していく地道な作業は必要不可欠だろう。歴史に学び現在と未来を生きるしかないと、改めて思う。(2月28日)

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