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仔羊の頭

フランシスコ・アヤラ/著
松本 健二/訳
丸田 千花子/訳
2011年3月刊行
定価2500円+税
4-6上製・274頁
ISBN978-4-7738-1010-3 C0097

1940〜50年代に書き綴られながら、作家の出身国=スペインでは、フランコの死から3年後、1978年にようやく出版されたアヤラの短編集。「人びとの心の中の内戦」として展開した悲劇的なスペイン市民戦争の実相を、市井の庶民の内省と諦観と後悔の裡に描く。セルバンテス賞コレクション第6作。



読書を通して、人は「自由に想像する世界」を獲得することができる。ドン・キホーテの狂気は騎士道小説の読みすぎに由来すると考えた司祭たちは、彼の書斎に火を放った。書斎の扉を壁で塞いで、書斎そのものを無きものにした。元気を回復したドン・キホーテは、騎士道小説を読もうと書斎に行くものの扉は見当たらず、彼は、かつて扉があったはずの場所を撫で回すだけだった——この稀有な人物を生み出した作家の名を冠したセルバンテス文学賞の受賞スピーチで、アヤラは、「遍歴の騎士」ドン・キホーテにとって、この焚書こそ、彼が経験した数々の困難な冒険の中で、最も痛ましいものだと述べた。



〈セルバンテス賞コレクションとは〉

スペイン文化省は1976年に、スペイン語圏で刊行される文学作品を対象とした文学賞を設置した。名称は、『ドン・キホーテ』の作家に因んで、セルバンテス賞と名づけられた。以後、イベリア半島とラテンアメリカの優れた表現者に対して、この賞が授与されている。このシリーズは、それらの受賞作家の作品を順次紹介するものである。

【著者紹介】フランシスコ・アヤラ(アヤラ,F.(フランシスコ))

(1906〜2009)スペインの作家、社会学者。グラナダ生まれ。保守的で地元資産家の家に育った父と共和国政府支持の家庭で育った母との間に生まれる。自由主義思想の影響は母方の親戚から受ける。高校卒業後マドリードに引っ越し、前衛主義文学を推し進めた「27世代」の若手作家の一人として活動を始める。1923年マドリード大学法学部に入学、1925年初めての小説『魂なき男の悲喜劇』、1926年『夜明けの物語』を発表。1929年にスペイン初の映画評論『映画の洞察』と前衛主義文学の影響を色濃く受けた『ボクサーと天使』を、1930年に『夜明けの狩猟者』を発表。1931年法学博士を取得後、大学で教職に就く。1936年スペイン内戦勃発後は休筆し、共和国政府で外交官などを務めた。内戦終了の1939年にキューバを経てアルゼンチンに亡命。この後「亡命作家」として新聞、雑誌への寄稿、翻訳、創作などの文筆活動を再開。ブエノス・アイレスではホルヘ・ルイス・ボルヘス、セルバンテス賞受賞者のアドルフォ・ビオイ=カサレスなどの作家らと交流を深める。14年ぶりに発表した『魔法にかけられた者』(1994)は、ボルヘスに「スペイン語で書かれた短編の中で一番印象に残る作品である」といわしめた。アルゼンチン亡命中に短編集『強奪者』(1949)と『子羊の頭』(1949)を出版する。また1947年に文芸誌『レアリダー』を創刊、ハイデッガー、エリオット、サルトル、サバト、コルタサルらが寄稿。ペロン政権に嫌気がさし、1950年にプエルト・リコに移住。プエルト・リコ時代は文芸批評をはじめ、特に社会科学に関する著書や論文を多く発表した。1957年に渡米後はスペイン文学の教員として米国の名門大学のプリンストン大学、ニューヨーク市立大学、シカゴ大学などで教壇に立つ。米国滞在中に『犬死』(1958)、『コップの底』(1962)、『快楽の園』(1962、スペイン批評家賞)を出版。1976年ニューヨーク市立大学を定年退職し、スペインに帰国。回顧録『追憶と忘却』の第2巻(1984)は国民文学賞を受賞。スペイン王立アカデミー会員。1991年セルバンテス賞を受賞。

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