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毎日新聞 2022年12月5日 執筆:木村光則
図書新聞 2022年12月3日 評者:かもめ通信
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毎日新聞 2022年12月5日 執筆:木村光則

Interview ジョゼ・ルイス・ペイショットさん(作家)
〈神の不在と混沌 生死の寓話
ポルトガル文学の旗手 長編デビュー作邦訳刊行〉


現代ポルトガル文学の旗手の一人であるジョゼ・ルイス・ペイショットさん(48)が2000年に発表した長編デビュー作『無のまなざし』=写真=が、細山田純子さん訳・黒澤直俊さん監訳で、現代企画室から刊行された。ペイショットさんは「20年前の自分の考えに今、向き合うのは不思議な体験だけど、作品が私を離れてどんどん歩いて行くのは心地がいいことだ」と話す。

架空の村に暮らす不思議な人々が織りなす物語。理不尽な暴力をふるう「大男」、司祭でもある「悪魔」、150年生きている「ガブリエル老人」など個性豊かなキャラクターが現れ、現実と非現実が交錯するマジックリアリズムの世界。「寓話的な作品で、登場人物たちは何らかのメタファーだ」と語る。例えば、「大男」はウクライナでの戦争を想起させる。「暴力は本来は個人的なものだが、結局は社会の根源につながっている」

舞台の地は「ポルトガルをよく知っている人なら、アレンテージョ地方だな、と分かる。ポルトガルでも最も貧しい地域だ」と話す。それはペイショットさんが生まれ育った土地でもある。「社会格差が大きく、数人の富豪のために、その他の大勢が働いている」

「悪魔」は司祭でありながら、人々が憎み合うようにそそのかし、人々はそんな存在に冷めた目を向けている。「ポルトガルはカトリックの影響が強い国だが、長く続いた独裁政権で、教会は権力と結びついていた。貧しいアレンテージョ地方では、人々は教会に不満を抱いている」と背景を明かす。

暴力をふるってもそれを罰する人や法律が存在しない荒廃した世界観が印象的だ。「この作品で特徴的なのが『神の不在』。人間たちはポンと放り出されて漂っている」。本のタイトルも「神のまなざしがないという意味だ」と話す。

ただ、混沌とした世界にあって、人々は互いを認め、支え合う存在を見いだす。意外な人物同士がつながり、親から子へと30年以上にわたる生の営みがつむがれる。人物の相関図はどんどん絡み合って複雑になる。「読む人を混乱させるかもしれないが、僕は読者に道を見失ってほしいんだ。自分ではコントロールできないところに身を置いてほしい。それこそが人生だから」

さまざまな人物がさまざまな死を迎え、衝撃的なラストへとなだれ込む。「自分の死について考えることは自省を促すこと。現代社会では死について話すことをタブー視しているが、死は人生に意味を与える。死について語ることは、生について語ることなんだ」

本作は01年のジョゼ・サラマーゴ文芸賞を受賞した。ポルトガルのノーベル文学賞受賞作家であるサラマーゴ氏は「恐るべき新星だ」とペイショットさんを評価し、親睦を深めた。「当時、僕は27歳で、サラマーゴさんは80歳ぐらい。10年に彼が亡くなるまでの間、一緒に旅をしたり、いろいろな話をしたり、僕の作品について語るのを聞いたりした。文学的な影響も受けたけど、それ以上に人間として影響をうけた」とリスペクトの念を表した。

分断が深まり、混迷する世界で、文学の可能性を信じている。「テクノロジーの改革は進み、物事がすごいスピードで起こって、まるで何もなかったかのように過ぎ去っていく。めまいのするような世界で渦に巻き込まれる中で、読むことと書くことは自分を支える力になる」と強調した。
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図書新聞 2022年12月3日 評者:かもめ通信

本が好き!
〈らせん階段をぐるぐると下っているような気分になる〉


以前読んだ『ガルヴェイアスの犬』の訳者あとがきで、同作で第5回日本翻訳大賞を受賞された木下眞穂さんが、作家の長編第一作として紹介されていた“Nenhum Olhar” 。本書はその全訳だ。作家はこの長編で若手作家の登竜門とされるジョゼ・サラマーゴ文芸賞を獲得しているとも、聞いていたので、ぜひとも読みたいと思っていた作品だった。

ところが、ところがである。読み始めてすぐ、これはとんでもない本を開いてしまった! と冷や汗が。とても「デビュー直後の27歳」が書くようなしろものとは思えない。ほとんど改行なく続く長文の中には、一見同じフレーズのようにみえるも、よくみると少しずつずらされたあれこれが繰り返し語られ、読んでいるとまるでらせん階段をぐるぐると下っているような気分になってくる。

そうこれは、バベルの塔のようにどんどんと登っているのではなく、少しずつ円を狭めながら下っていくかのようなのだ。慌てて進めばめまいがしそうでゆっくりと慎重に降りていく。

羊飼いのジョゼが結婚したのは、たったひとりの肉親だった父親を亡くした直後に、大男によって妊娠させられ堕胎した娘。周囲から後ろ指指されたその娘の呼び名は、この結婚によって“あばずれ”から“ジョゼの妻”に変わる。もっも、彼女に直接話しかける者など、ほとんどいなかったが。教会でふたりの結婚式を取り仕切ったのは悪魔だったが、ジョゼにあれこれ疑念を抱かせたのもまた悪魔だった。

70を過ぎた料理女が結婚したのは、同年配の男モイゼスだったが、モイゼスは双子の弟エリアスと小指と小指で繋がっていたから、3人は当然のように一緒に暮らし始める。やがて料理女は娘を産む。娘が物心つくころには、父親も双子の叔父も死んでいたが、その娘にとって母親の介護は日々の日課だった。

村の外れには盲目の娼婦が住んでいて、その母も、そのまた母も、やはり盲目の娼婦だった。

日がな一日家の前に座って辺りを眺めている老人たち。ことによると当人たちよりも他人の方があれこれと詳しいかもしれないぐらい、閉鎖的な小さな田舎の村の中の、親子やきょうだい、男と女の複雑な関係。そしていつも誰にでもつきまとう死。

悪魔と犬と老人と無垢な子どもと愛と孤独と…。ゆっくりとらせん状に降りていくその先、あの点にみえるところにはなにがあるのだろう。

のぞき込めばのぞき込むほど、深くなる気がする穴の底を見つめながら、物語を読む。

「すべては残酷だ、というのも毎日毎日同じであって、憐れみをかけるような何もないという点で同じであり、時間が世界の中を通り過ぎ、そして、余分な私は世界のほんの一部なのでそのことを避けることはできないのだ」(P164)

もちろんこれは、巻末の監訳者あとがきにあるようにキリスト教的な世界観のアンチテーゼなのであろう。だが、あるいはだからこそなのか、神の存在についてもあれこれと考え込まずにはいられない。
 またすごい本を読んでしまった。

選評:「そうこれは、バベルの塔のようにどんどんと登っていくのではなく、少しずつ円を狭めながら下っていくかのようなのだ。慌てて進めばめまいがしそうでゆっくりと、慎重に降りていく」。素晴らしい表現だと思います。ラストの、「またすごい本を読んでしまった」。このように言える、言い続けることのできる生活が、理想だなあ…。



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