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『これからの美術がわかるキーワード100』(美術出版社)
SUMISEI Best Book 379号(2017年7月号) 今月の12冊[5]
美術手帖NO.1053(2017年5月号)
月刊アートコレクターズ 2017年4月号
週間読書人 2017年3月17日
朝日新聞 2017年3月15日夕刊
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『これからの美術がわかるキーワード100』(美術出版社)

現代でもっとも重要な批評家のエッセイ集。今日のアートワールドを「キュレーティング」や「美術批評」の視座から分析し、非現実空間である「ミュージアム/アーカイヴ」を肯定的にとらえ直すことで、政治・社会に作用する芸術の力=「アート・パワー」を見極める。
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SUMISEI Best Book 379号(2017年7月号) 今月の12冊[5]

〈力と力のせめぎあいの中で私たちは芸術を体験する〉

芸術とは何か? そして誰が決めるのか?

列車のボックス席にあるものとさして変わらない大きさのテーブルの上に、よく見る日本茶の紙パックと灰皿、ペンらしきものが見える。その傍らには落花生とその殻が散らばっている。よくよく見ると、紙パックも落花生も本物ではなく、どうやら手作業で作られた模造品のようだ。だが、誰が何のために?

これはスイス人アーティスト、ペーター・フィッシュリ氏とダヴィッド・ヴァイス氏による作品だ。この本の巻頭で紹介されているこんな「芸術」を、私たちはいったいどんな顔をしてながめればいいのだろう。

美術館やギャラリーで、「これは芸術なのか?」と思ったことはないだろうか。とはいえ専門家の評価を得てそこに展示されているのだから、きっと「芸術」に違いない、と自らを納得させる。しかし疑念は残る。芸術とそうでないものを線引きする資格は、美術館やキュレーターだけのものなのだろうか。そもそも、権威によって価値を担保され、ガラス棚の向こうに陳列されて触れることすらできない作品など、もはや生きた芸術とはいえないのではないか……。

市販の便器にサインしただけ、そんな作品がマルセル・デュシャンによって生み出されて以来、芸術にはこのような疑念が常に突きつけられている。実際、運動としてのアヴァンギャルド芸術は、線引きを行う権威への抵抗を志向する側面があり、権威を相対化するような作品も多く生み出された。しかし本書の著者ボリス・グロイス氏は、「誰が決めるのか」という議論のアップデートを試みる。

「何がアートで、何がそうでないかを誰が決めるのか? 良いアートと悪いアートを決めるのは誰か? それは芸術家か、キュレーターか、批評家か、コレクターか、全体としての美術制度か、アート・マーケットか、それとも一般大衆か? しかし私には、これらの問いは魅力的であるにもかかわらず誤りに見える。」

旧東ドイツに生まれ、冷戦時代のソビエト連邦で哲学や帯学を学び、アンダーグラウンドの芸術家たちとともに芸術運動を行った美術評論家は、専門家だけに見出すことのできる「美」が厳然と存在する、などと言いたいわけではない。むしろ芸術と社会の関わりが希薄になりつつある現代にこそ、芸術の歴史を踏まえた、より能動的な線引きが不可欠だと考えている。ではなぜ彼は、「誰が決めるのか」という議論を「誤り」と断じたのか。

美術館は歴史を保存し、キュレーターは文脈を整理する

「芸術(アート)はしばしば、芸術家によって作られたものを指すと理解されている。すると本書のタイトルは、芸術家の力(パワー)について述べたものだと誤解されかねないだろう。しかし周知のように、いまや芸術家は私たちの社会において、大きな影響力をもっていない。個々の芸術家の運命は、アート・マーケットや芸術に関する機関によって左右されている。そして芸術に関する制度は、全体として私たちの社会のわずかな部分しか代弁していない。」

かつては貴族や資産家など権力階級に占有されていた芸術は、産業革命以降の政治的、経済的な民主化を経て、市民にも開放された。しかし開放された芸術は二度の世界大戦から現在に至るまで、幾度となくプロパガンダの道具としてその力(パワー)を発揮してきた。そして今、芸術とそうでないものを分かつ力(パワー)が批判にさらされていることは、既に述べた通りだ。

しかし著者は「アート・パワー」という言葉に、特定の誰かに力が占有される状況への批判を含ませてはいない。インターネットやソーシャルメディアを手にした私たちは、誰もが発言者でありキュレーターでもある時代を生きている。ここでは特に、芸術は発信者の存在を彩る装飾として流通する。美術館やキュレーターから力を奪い市場に全ての価値評価を委ねて仕舞えば、一時の流行や見た目の新奇さが過去の作品群を押し流し、芸術の歴史は抹消されかねないだろう。

過去から続く文脈と新たな文脈が衝突するとき芸術が現れる

アヴァンギャルド芸術が既存の権威への反抗として機能していた時代とは異なり、「美術館はそういった規範的な役割を間違いなく失っている」と著者は断言する。「今では流行として廃れてしまう古くて時代遅れとなってしまったイメージや事物を保存し提示する、歴史の保存庫」としての美術館と、保存庫の管理人たるキュレーターがいればこそ、芸術が提示する新しさを過去の作品群と比較し確かめることが可能になる、そう著者は考えているのだ。

「今日の美術館は、単に過去のものを収集するためのみならず、古いものと新しいものを比較して現代を説明するためにも設けられているのである、そして、ここで言う新しいものとは、単に異なっているものを指すのではなく、むしろあらゆるイメージの根本的な美学的平等性を歴史的に与えられた文脈において確証できるものをも意味しているのだ。」

芸術作品は「モノ」でありながら「モノ」の痕跡を消す

署名された便器や紙パックの模造品が芸術たりうるのも、「歴史的に与えられた文脈」に対して新たな文脈が提示されていればこそであって、文脈を整理する専門家の役割はますます大きくなっている、というのが著者の見立てだ。そしてもちろん、便器や模造品の紙パックそのものに芸術が宿っているわけではなく、文脈の衝突にこそ宿っている。その意味で、今日の芸術作品は物質でありながら、「同時にそれ自体の物質性を不明瞭にしたり隠したりする」という奇妙な二重性を帯びることになる。

「現代のアートは自らに向けられた偶像破壊的な身振りを流用し、そうした身振りを芸術政策の新たな様式とすることで何度も力を示してきたのである。現代の芸術作品は、より深い意味においても自らをパラドクス・オブジェクトと位置付けた−イメージであると同時にイメージの批評でもあるものとして。」

芸術はそこにあり、そこにはない。それを目にする戸惑いの中にこそ芸術の最前線があり、私たちと社会の在り様もまた刻み込まれている。

[本書編集スタッフから(現代企画室小倉裕介)]
現代社会と芸術を縦横に論じる

本書出版のきっかけは、「日本のアーティスト志望者にこの本を読んでもらいたい」というNY在住のアーティストと、やはりNYに留学中の大学院生からの提案でした。二人は翻訳チームを結成し、同時に若手ギャラリストや美大生、文化機関関係者らの無償の協力を得て著者の来日プロジェクトも実現しました。現代社会と芸術について縦横に論じる本書から、アートの現場で活動する若者たちの問題意識を読み取ってもらえたら幸いです。
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美術手帖NO.1053(2017年5月号)

『アート・パワー』(原著は2008年刊行)は、今年1月の招聘プロジェクトでも大きな注目を集めた美術評論家ボリス・グロイスが1997-2007年に発表したテキストを集めた論考集。芸術はそれ自体でなんらかの力(パワー)を有するのか。作品がアート・ワールドやマーケットに大きく依存し、ときに政治参加によって正当性を得ようとする現状を見据え、グロイスは「芸術の自律は可能か」という古典的にも思える命題に挑む。そして自律性の条件として「美学的平等性」なる概念を導入し、イメージ群が水平的に広がる領域に目を向けることを説く。グロイスがここで可能性を見出すのは、アーカイヴ空間として「新しさ」を生み出すミュージアムであり、イメージの乱用によって偶像破壊の操作を行うキュレーションであり、「生政治」に通じるインスタレーション形式のアート・ドキュメンテーションである。こうした主張は美学的次元にとどまらず、世界を画一化するグローバリゼーションへの抵抗と読み取ることが可能だろう。

日本の現代美術にとっても決して他人事ではない課題が引き出せるはずだ。
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月刊アートコレクターズ 2017年4月号

97年から07年にかけて、展覧会カタログや美術雑誌などの媒体に著者が発表した15の論考を収録した批評集。扱われるテーマは、権力と芸術作品の関係、美術制度とキュレーターの役割の変化、芸術の自律について、社会主義国家や全体主義国家のもとでの美術、そして美術批評の機能についてなど、多岐にわたっており、いずれも刺激的な問題を提起する。

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週間読書人 2017年3月17日

〈非西欧視点の辛辣さ〉

自律性を軸にシーンを読み解く(アライ=ヒロユキ)

先ごろ来日して話題を呼んだ美術批評家のボリス・グロイスは著述だけでなく各種国際展(ビエンナーレ)のキュレーションでも活躍するが、邦訳は『全体芸術様式スターリン』のみで紹介にはやや偏りがあった。前掲書の美術史ではなく、美術理論を主題とする今回の翻訳は好企画といえる。

美術理論の著書の多くが作品に即した理論展開であるのに対し、美術表現の成り立ち(制度とプラットフォーム)に重点が置かれているのは珍しく、これが本書に独自性と同時代性を持たせている。

フォーマリズム以後の美学は、ラカンやドゥルーズ、バーバのような社会哲学の援用で展開され、他律性が強かった。これに対し、グロイスは自律性を提示する。「命題と反命題を同時に体現する『逆説の物体』」(パラドクス・オブジェクト)がそれだ。

デュシャンのレディメイドの意味作用と前衛の否定による永続的な更新運動もこの法則で説明される。評者はこの働きを近代理性による自己批判性と捉えるが、彼はむ白近代美術に内在する因子で捉える。いわば「クレタ人の嘘」というアルゴリズムだ。

既成秩序である社会環境と矛盾因子の発動がもたらす軋轢が、昨今世界各地で検閲や既成を頻発させる。彼はこの壊乱性に現代の知としての美術の社会的役割を見出す。他の干渉を排し、美術の内なる動因を重視する自律性の視点だ。

自身「勢力均衡に貢献することを願って」と書くように、これは美術のヘゲモニー主張に他ならない。国境を横断するグローバルな存在の美術は、トランプVSヒラリーのような固有性と普遍性の対立に日々さらされている。彼の論は現場の視点からシーンを牽引するテーゼの役割がある。

いま国際展はかつての美のカーニバルからの知と活動のプラットフォームに変貌しつつある。グロイスは内因するアルゴリズムから表現の変遷を解き明かしていく。たとえばキュレーションは「文脈化し、物語化すること」に本領があり、その重要度の高まりはレディメイドという作品における実体の喪失の帰結だ。

一方で、この現象はアート・ドキュメンテーションの台頭も招来する。単に情報に過ぎないこの存在は場を得て唯一性を具える。情報と人的活動を水路付けする手法にインスタレーションがある。この生きた場の創造において、キュレーター、作家と批評家は合流する。美術館はその情報を体系化する歴史性において重要な役割を担っている、というわけだ。

表現者によってはこの見取り図に嘆息が出るかもしれない。美術をめぐる公共圏のありようが美に統合(収斂)的で分散という余白がない。制作の軽視は表現の衰弱と社会との乖離を招きはすまいか。

グロイスは東ドイツ出身。西欧でもアジアでも資本主義国でもない出自の彼は、多様性と他者性の問題に凡百のリベラリストにない鋭さで切り込む。辛辣さが持ち味のようだ。(石田圭子、齋木克裕、三本松倫代、角尾宣信訳)(あらい・ひろゆき氏=美術・文化社会批評)

★ボリス・グロイスは哲学者、美術理論家、批評家。旧東ドイツ生まれ。冷戦時代のソヴィエト連邦で学び70年代後半に批評家として活動開始。1981年に西ドイツに亡命してドイツ、米国を拠点に活動。本書でフランク・ジュエット・マザー賞受賞。著書に「全体芸術様式スターリン」など。1947年生。
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朝日新聞 2017年3月15日夕刊

〈排除された存在見せること 重要〉

美術批評家ボリス・グロイス来日

現代アートの動向を社会や政治的視点から論じ、国際的に注目される批評家ボリス・グロイスが1月に来日し、研究者やアーティストらと語り合った。コレクターや展覧会企画者の力が強まり、「批評不在」といわれて久しい中、作り手を支える理論が必要と考えた日本の若手のアート関係者らが企画した。

ニューヨーク大教授のグロイスは1947年、東ドイツ生まれ。ソ連で教育を受け、81年に西ドイツへ亡命した。旧共産圏の政治体制と芸術との関わりなどを論じて欧米で高い評価を得た。

2月に邦訳が出版された著書『アート・パワー』(現代企画室)では、ネット動画を駆使して世界にアピールする現代のテロリストや、テレビのリアリティーショーを現実に持ち込むような政治に芸術が対抗しうるかなど、政治や社会に対するアート独自の力を哲学的に考察。東京での若手アーティストとのワークショップでは、政治的な課題とアートの関わりについて「見過ごされ、排除された存在を見せていくことが重要だ」と強調した。

東京国立近代美術館でのシンポジウムでは批評家の浅田彰と対談。現代を「全てがシンクロし、即座に同期する検索エンジンのような世界」をしたグロイスに、浅田はデータが並列される社会では歴史的観点が失われると指摘し、近年、社会に開かれることが求められる美術館を「むしろ閉じた霊廟(れいびょう)として充実させればよい」と提起。グロイスは「つながりだらけの社会からあえて切り離されることが重要だ」と応えた。

消費サイクルが加速し、情報もモノも常に最新に置き換えられる現代にあって、グロイスは「美術館は鍼灸を比較して現代を説明できる場であり、それによって『新しさ』も保障される」と論じた。東大でのシンポに参加した加治屋健司・東京大准教授(表象文化論)は「グロイスはまず全体状況を見渡して批判的な視座を提起する。自明とされてきたものをひっくり返す態度は、内向きに閉じている日本の批評状況への刺激になるだろう」と話した。



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